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華胥の国に遊ぶ  作者: 柴舟
序章
5/51

揺り籠を探す手に 05

 肩を優しく揺すられ浮上する意識。

耳元に胸元に感じる温かい気配、触れる穏やかな感覚。

薄っすらと開けた目蓋から、射し込む光に眩しさで私は顔を顰めた。


「おきてくださいませ、朝でございますよ。

 流石に寝過ぎては、身体から根っ子が生えてしまいます」 


 柔らかく射し込む日差しが部屋を照らす。

眼に入るのは見慣れない天井、固い布団の感触。

跪いて私を覗き込む女性の顔。


 「……おはようございます」


 未だ覚めない夢、これが現実?

起き抜けの意識で頭を振って否定した。

未だ私は夢の中にいるのだろうと、高ぶり緊張孕む四肢を動かし。


 彼女に着替えを手伝ってもらう。

着物の着方なんて知らないのだから、仕方が無い。

 持ってきてもらった盥の水で顔を洗って我が眼を疑った。

水面の写る私の顔。

写真にて見覚えある幼い頃の姿で、呆然と凝視して動きを止めた。

左頬の黒子でも確信する、間違いないと……。

 映し出される幼い自身の顔。

其れを見つめて一気に眠気が吹き飛んだ。

頬に残る水、感覚は正常。

益々これが現実だと、思い知らされて実感させられる。

呆然と盥に写る自身を眺め呆けていたら、背後から髪を梳かれ身支度を整えられた。

頭に感じる感触と腰に回された帯の感触。

やはり感覚は実在する。


 ---早く、現実を知らなければ。


 迫ってきたのは危機感だった。

夢うつつと、まどろんでいた意識。

早急に事と認識を改めなくては…と迫る恐怖と警戒。


「では、朝食に参りましょう?」


 手を引き歩き出だす女性に、意を決して話しかける。


「こんなに親切にして下さるのに……。

 私は、お礼を言おうにも貴方の御名前を知らないのです。

 自分の身に何が起きたのかも解らない、全くと覚えていない」


 私の前を歩いていた彼女は振り返り、何処か悲痛な眼差しを返す。


「だから改めて此処に居る貴方の名前から知りたい。

 教えて下さいますか……?」


 震える唇と揺れる視線。

その眼差しの先に、佇み存在し居るのは私だ。

だから真っ直ぐと見つ返す、彼女の姿を。

交差する視線と思惑、不安と疑惑。


「……雛姫様、昨晩のあの問いは混乱ではなく、真実なのですか。

 本当に父上の満兼様も、月岡のお城も母君様が急死なさった事も覚えていないと?」


「ええ、本当に全く覚えていないのです。

 知らない解らないとしか言いようが無い……。

 これでも私は、貴女の知る“私”なのでしょうか?」


「それは本当に、冗談ではなく……?」


 私は頭を振って言い改めた。

全く記憶が無く、今の状態にも混乱していると素直に伝える。


「……嘘や偽りは言ってません、本当の事なのです」


「姫様は御自分が誰なのか、何が起きたのかも解らない。

 その、覚えていらっしゃらない、と……?」 

 

 幼い身長と視線に合わせ、彼女は突と膝を折った。

同じ高さの目線で交わ、少し歪んだ微笑みを浮かべる。

けれども温かい感情が瞳の奥に揺れ動く。


「私の名前は“美津” 雛姫様の乳母です。

 姫様より三つ年上の乳兄弟、息子の“喜助”と一緒にお仕えしています」


「……美津さん、貴方は私の乳母ですか?」


「はい、左様でございます。いつもの様に美津と呼んでください。

 私も喜助も、雛姫様がご誕生なさってよりずっとお側に居ります。

 寂しい思いも不安で悲しい時も一緒ですからね、大丈夫ですよ。

 ご心配なさらないでください」


 美津が私を抱きしめる。

背に回った腕と暖かい温もり、優しくて心強い言葉。


「姫様は姫様です、お姿もお代わりございません。不安に思う事などありませんよ」

 

「あ、ありがとう……美津」


「熱で記憶が混乱しているのです。きっとすぐに思い出されますよ」


 背を叩く暖かい美津の抱擁。

取り除かれる不安と生まれる安堵、私の頬に笑みが浮ぶ。


「まずは雛姫様、朝食です。

 しっかり食べて体力を付けてくださいませ!」


     *             *

 足が痺れて感覚がオカシイ。

普段正座などしないから当然で、床板に直接正座はツライ。

せめて食事中はと我慢して箸をすすめる。

朝食は粥と野菜の煮びたし、この身体が四日ぶりに摂取する食事。

薄味で質素だけど美味しくご馳走になる。


「しっかり咀嚼して召し上がってくださいませ。 

 雛姫様は食が細くてお体も小さい、乳母の私が至らないのだと責任を感じているのです。

 もう少し食べられては、お粥のおかわりはいかがです?」


 四日ぶりらしい食事は、少量でも十分に食欲を満たしてくれる。

これ以上は、口に入れても消化せずに嘔吐そうだ。

口にはまだ咀嚼中だったため頭を振って答える。

どうにか煮びたしを飲み込む。

お膳の漆器に食べ残しが無いか確認して、手を合わせた。


「もう十分です、ご馳走様でした」


 板張りの台所、くりやと表現すべきだろうか。

隣接する土間に面した部屋で、私は囲炉裏を囲み食事をしていた。

 私の隣でお給仕をしてくれる美津。

対向かいで食事する乳兄弟の“喜助”は十三歳だと云う。

眉毛からタレ眼の頬骨辺りは母親の美津にソックリ。

親子なのだと、妙に納得する。

束ねた髪の毛は母親と同じ烏の濡羽色、高い位置に一つに結っている。

紺色の着物と同色の袴、痩せていて手足が長い。

成長期の食べ盛りなのだろう。

喜助より三歳年下の私、この身体は十歳らしい。

小学四年生の頃は、今よりもう少し背があった様に思うが……。

しかし、今と昔では年齢の数え方が違う事を思い出して納得する。

確か新年を迎える事で一歳、生まれて直ぐ一歳なのだと。

現代と歳の数えの差は二歳位だろうか?


「しかし、姫は小食だよね……。

 沢山食べないと大きくなれないし丈夫にもなれないよ。

 身体は小さいけど思考や味覚が大人びててさぁー、思うに人より老成してるし」


「なんて事を言うのです、貴方は食べ過ぎで遠慮が無いの!!

 姫様は食が細いだけ、男の貴方と女の姫様を比べてはなりません」  


 目の前で交わされる親子の会話が微笑ましくて、眼を細めて笑ってしまう。

美津が白湯を手渡してくれ、有り難く受け取って湯を口に含む。

この時代に緑茶や紅茶は、存在しないのだろうか。

無類の紅茶好きなので非常に口寂しい。

 美津がお膳を持ち上げ食器を片付けはじめた。

指示されて喜助は水を汲みに外へ向かう。

私も手伝おうとお櫃を持つが、足が痺れて立ち上がれない。

美津が笑う。


「姫さま、体調が宜しいなら虎哉宗乙禅師へご挨拶にむかいましょう。

 留守殿へ嫁いだ叔母上を訪ねる前にと、居城に文を送って下さったのですよ。

 雛姫さまの祖父、黒川殿への知らせまでも指示して下さったり……。

 謝辞を確りと、深く御礼を申し上げて下さいね」


 寺に到着後直ぐに倒れ発熱し、この身体は四日も寝込んでいたらしい。

挨拶すら満足にしていないのは確かだろう。

私達に宿を提供し、身を保護してくれた虎哉宗乙禅師に御礼を言わなければ。

頷き、了解の意を伝える。


「その前に相談したい事があるのです。

 一度部屋に戻ってからの挨拶で構わないですか?」


 虎哉宗乙禅師に会う前に準備が必要だ。

予備知識、これから必要になる知識と常識も含めて。

今後の身の振り方と生活で必須になる、身辺関係及び対人関係を理解したかった。

突きつけられた現実、受け止めるための用意。


「そうですね……片付けを急いで済ませます、少々お待ちください」


「えーと、手持ち無沙汰です。

 何か手伝いを教えてくれれば、私も何か少しは出来ると思う」


 足が解れてきた。

お櫃を持ち直し、立ち上がって部屋の隅に置く。

土間に向かって私は歩き出した。


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