楪を重ねて -夢の浮橋-
新たな本拠地となった宮城は仙台城。
城は青葉山中に築かれた山城の構えである。
要塞たる名城として、奥州随一の比類なき堅城と称えられた。
その反面、壮麗な姿に『青葉城』との雅称をも持つ。
内装は何処までも雅、粋人である主を映している。
代表と称されるは西殿であり、本丸から西殿へ渡る奥の庭、舘の構えが殊更に見事なのだ。
伊達家三代、居城たる米沢を模した事が功を奏したのだろうな。
「米沢城の古木『臥龍八ツ房』に良く似ている。
春を迎えれば、紅白とも花は大輪の八重咲きが咲くだろう」
地上を這いうねるような樹勢から『臥龍八ツ房』と異称される銘木。
紅梅は華麗と雅に、白梅は清楚そのもので、開花迎えれば薫香を四隣に放つ梅木。
青葉城の奥城に一対で植えられた梅の若木は、彼の孫に当たるとか……。
植樹を指図なされたのは無論、城主である政宗様である。
「春が待ち遠しくなりますね」
「未だ若木だが、年月を重ねれば見事な花枝を持つに至るだろう」
濡れ側に腰を据え、懐かしむような眼差しを向ける御方。
湯呑みを片手に政宗様が呟いたのは……望郷の念であった。
私も倣いて、視線の先を故郷たる米沢に向けて心を探す。
幸福たる夢の国、政宗様が見せてくださる現の理想郷に思い馳せた。
芳しい蕾と花枝を胸に抱いた、遠い日の誓いを思い起こす。
切なく懐かしい記憶が眠る、彼の地への思慕を抱き愁いた。
行く末を見守るのが彼の人の望みならば、私は違える事無く意を全うしよう。
仕える主君が描き切り開く未来。
贅沢な身上を至福の時と、政宗様が進まれる道の先を側で。
「私は、本当に贅沢で我侭な女ですね」
「何を言い出す?」
嬌笑と小首傾げて自主宣言した。
室内に漂う薫香に酔い、秘めた胸のうちを僅かに口に出す。
* *
私の手元には、望郷の想いを詠った和歌が二首有るのです。
歌の作者は政宗様であり、私は直筆を願いて拝領としました。
日々の忙しさに煩わしさ、心辛さと寂しさを紛らわせる為の妙薬となっています。
一人穏やかに文字を眺めて、人知れず秘めた想いに浸る時が幸せです。
溢れる感情は瞳から雫と零れ落ちる、全ては過去の情景と故郷と理解していながら。
胸に迫る感情を流せずに、私は和紙の筆跡をなぞる。
指先で文字を辿り、過ぎ去た記憶を探って。
『故郷は夢に見るさせ恋しきに 現になどかめぐり来ぬらん』
雪深い我が君が故郷、生まれ育った地への思慕が込められた歌である。
恋しくを思い、痛みを知りて親しんだ風景が窺い見えてくる作品だ。
遠き日の想い、幼き姿と表情までもが情景豊かと脳裏に浮ぶ。
多感な頃を過ごし、青年となりし時まで親しんだ土地故。
『あるときは あるにませて うとけれど 亡き跡をとふ草枕かな』
資福寺跡へ想いを馳せた和歌である。
性山殿が政宗様の御為に虎哉禅師を招いた寺であった。
傅役と師に導かれ過ごした幼き日々、懐かしい時を振り返っての溢れる思い。
何時も従兄弟と一緒に机を並べ、共に学んだと当時を語って微笑む姿が目に浮かぶ。
今はもう、輝宗様と遠藤殿の墓所跡が残るだけとなった静かな地ではあるが……。
最上川のせせらぎと、美しく稲穂揺れる麗しい夏刈の領地は今も不変であろう。
私とて思い出深い地である、記憶の中の情景を忘れる事はない。
「夢に見る程、振り返る日々を懐かしく思うのは私とて同じ事。
どれほどの時を、貴方様の御側で過ごした事か御存知でしょう……」
愛用の硯箱に秘密と和歌の冊を仕舞う。
二首の和歌、私が生涯独占と秘匿しても知らぬ振りをして下さいね。
政宗様は時折『代償』だと、揶揄し微笑を口辺に乗せて語られる。
そして、結局は渋々と謝罪を私に下さるのだ。
政宗様に偽り続けた心が罪ならば、きっと地獄へと落ちるだろう。
嘘を突き通し、その優しさに縋って生をまっとうとするならば。
春未だ遠く所々に雪が残る米沢、蟠りを残した地へと思慕を振り返る。
今も尚、花兄に誓った言葉に偽りは御座いません。
ですから、我が最期まで保つ愛嬌を素知らぬ顔で逃して下さい。
心から政宗様を御尊敬しお慕い申し上げます事を、どうか気付かず……。
稚拙ながらもコレが私のアイ・ラブ東北。
伊達家・ラブな叫びであり、復興への応援であります。
一日も早い故鄉への帰還が叶いますように。
人の輪と笑顔が愛すべき故郷に満々ますよう、心から願っております。
この拙い作品へ、お気に入り登録を下さいました皆様。
そして、やる気スイッチを押して頂いた皆々様、有り難うございました。
作中の和歌は貞山殿御自ら歌った物になります。
自己解釈の為、御教授頂ければ幸いです。
政宗様が幼少時の手習い文字「すべからく~」でしたっけ……?
御正室である愛姫様が愛用硯箱より発見された書付の経緯が元ネタ。
夏刈の資福寺跡は、長井氏が長谷川の姓へ改めて後、代々墓守として御家系が続いています。江戸末期、上杉鷹山公が伊達家縁の墓所の存在を知り、大変と驚かれた逸話が御座いまして、廃藩置県が実施されるまで墓所管理を長谷川氏へ公式に命じたとの事。さすが情深い御方。
伊達家贔屓の作品ですが、私自身は最上氏と縁深い斯波の流れを汲む家の出です。
最後までお付き合い下さり感謝致します。




