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華胥の国に遊ぶ  作者: 柴舟
対章
47/51

時雨心地 -百花の願い-

 静寂漂う場内に、規則正しい獅子嚇が一際に響く。

室内を行き来して気を紛らわす動作は、時刻む代用の真似事に思えてくる。

固唾を呑んで見守る祝事は、命に関わる危険と隣り合わせ。

今か今かと苛立って、待って待っての十月十日。

当主の忙しない仕草に理解を示しつつ、周囲は少なからずも失笑が漂っていた。

一端柱に寄り掛かり、開け放った襖から離れの産屋を窺う。

岳父たる政景が何とも神妙に呟いた。 


「苛立ちはごもっともですが、初産は遅れがと聞きます。

 コレばかりは女性に任せ、男は祈って待つ事しかできませぬね……」


「解ってはいる、既に聞き飽きる程……に、な……」


「「……?!」」


 外界から微かと拾った音の出所は、渦中の産屋だ。

続いて此方を目指すは、廊下を猛然と駆けて渡る騒音。

柱から身を起こして俺は構えた。

固唾を呑む、緊張で喉が成る。

傍らの岳父たる政景も俄に立ち上がりて待つ仕草。

放たれた襖より転がり近寄るは、見知りたる近習であり興奮を露にし声を張上げた。


「ごっ……御嫡男、御誕生で御座います!!」


 嫡男誕生の吉報に俺は然り頷いた。

一斉に上座へ向けて平伏する家臣の頭髪、眼下に入れて沸立つ笑み。

口々に祝辞を紡ぐ人の波に満足する。

“外孫誕生”と、政景も歓喜の様相に吐息。

城内に生まれた歓声は、瞬く間に所領内外へ知れ渡った。


 * *

 

 大儀を労う己の唇が震え、伝えるべき口上が途切れた。

痛々しいまでの表情に悲しみ暮れる雛姫の顔、濃い疲労にて横たわる四肢。

彼女が吐いた申し出を疑った、通例事と頷かねばならぬ道理と理解していながら……。

承諾も是非も無い武門の習いだと、情を切捨てて意を得たりと頷いて。

動揺と一時の躊躇を押し隠し、辛うじて喉を絞って紡いた言葉は否定であった。


「嫡男 “犬松” の生母は御前だ、雛姫が手元にて養育すれば良い……」

 

 己の夢枕に立った御子なのだ。

待ち切れずと冗談めかし、手を差し伸べ約束を交わた子。

雛姫と一緒に指折り数えて待ちわびた、沸き起こる喜びを噛み締めて。

誕生は何時頃かと聞耳立て語りかけ、浮世に生まれ出る前から幼名を決めていた。

安産にて誕生するよう願って……。

栽松院様が御夫婦に肖り思案した、松つのひこばえと。


「愛様が御手元にて養育して下さいませ」 


「何故、なぜ自ら手放すと……御前は言う」


 雛姫の枕辺へ膝を進めた。

疲労の濃い面差しで横たわる姿を心配と見つめ、心痛めて。

彼女の側には産着に包まれ眠る赤子。

生まれ出た待望の嫡男へ顔を向け、雛姫は淡々と決意を告げる。


「私は一介の側室で御座います」 


「誰も反対などしないだろう、俺が決して言わせない」


「今の言葉、伊達の御当主の口から出たとは思えません」


「……雛姫」


 俺を嗜め諭す言葉は冷徹にして辛辣。

彼女が真っ先に切り捨てたのは情、親としての心だった。

映る瞳は蒼白の寒気、潔いまでの決意。

逡巡と震えた口唇が隠し切れぬ感情を現していた。

我が短慮を指摘されて、憤り覚える暇すらなくて口閉ざす。

無常な理を受け入る雛姫は聡い、御家安泰を願う臣下の様であると理解し。

だから尚更と、賢女たる心に采配を労わる言葉が見つからない。


「嫡男と御認め下さいますのなら尚の事。

 御正室様が手元にて“犬松”を御養育下さいませ。

 私が抱く望みは、それ以上も以下も御座いません……」


「其れを懇願だと、信じろと…‥云うのか?」


「……はい、左様で御座います」


 確固たる意思と潔いまでの英断。

空気が場が震えた。

今にも泣き出しそうな雛姫の目元、溢れる心情を汲み取って。

俺を見据えた視線が突と逸らされる。

反対側へ体を背け、涙と嗚咽を隠し堪えるために。

謝罪の言葉を紡いだ。

どうしようもなく健気で愛しい佳人に、鎮痛の面差し向けて独り。 


「……恨むなら俺を恨んでくれ」


「恨みなど、私に在るのは願いだけ」


 否定した、頭を緩やかに振って。

彼女がもよおした深い悲しみ、俺が胸に渦巻いたのは罪悪感。

一目を憚らずに抱締めて詫びたいと思った。

哀色を流した瞳に慰めの言葉を、寒気の姿に温もり届けたいと。

けれども己の身分が、当主の立場が邪魔をする。

振りそそいだ表せぬ感情。

浮世の愁い、武家の理に従い無言で席を立った。

 腕に抱くは白の産着に包まれた我が嫡男。

健やかな成長と受け継ぐ未来へ、俺は乞い願っていた。

不条理な定めに心を痛め我が子へ深く謝罪して。


-時雨心地-

今にも泣き出しそうな気持ちの事。

時雨の語源は“しばし暗し”と“過ぐる”。


ひこばえは曾孫の事。

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