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華胥の国に遊ぶ  作者: 柴舟
追章
42/51

空蝉晩夏 -伊達の名に殉じる者-

 濡れるほどの蝉時雨が晴れ渡った空に木霊する。

生い茂った庭木が屋敷内を取り囲み、生まれるは涼風と木陰。

廊下を歩くを止めたのは、思いもしない懐かしい声音だった。

俺は驚きを隠せず振り返る。


「久方ぶりに御座いますね……」


 突然だった。

放たれた襖と濡側の障子、静かに上座にて微笑む姿が。

涼やかな色合いの腰巻を身に纏う、変わらぬ美貌が柔らかく小首を傾げる。

儚げな容姿に艶やかな波紋を映す瞳に魅入られた。

未だ未練がましくも激しい動揺を胸にして。


「……雛姫さま、久しく音沙汰無く過ごした無礼をお許しください」


「成実様?」


 簾越しに温む風が室内へと流れ込む。

眩しげに瞳を細め、神が与えた僥倖と偶然に俺は歓喜する。


 * *


 挨拶を草々に切り上げ、俺は間近に対面した奥城の支配者を拝した。

慎み深い言動に柔かな笑みを乗せ、雛姫さまが席を立つ。

 畳を擦る絹の音と渡る風、漂った伽羅の香。

視覚で追い、嗅覚で存在を無意識に追い求めていた。

懐かしげに庭先へと視線を這わせて、雛姫さまが唐突に口を開く。


「あれは十四の頃、夏の日でしょうか……。

 蝉と蜩の鳴き声に耳を傾け、ただ一心に羽織を縫う手を進めたのは」


「……私のためと、功名と無事を祈って御自ら針を持たれた羽織で御座いますね。

 藍色に銀が舞う見事な陣羽織を賜った事、忘れはしません。

 決して忘れるなど……致しません」

 

 潤む眼差しが振り返った己の瞳と交差した。

彼女の容姿、其の人柄に思慕の念を寄せるは今も同じ。

 東国随一の美貌、故に我が従兄殿が側室へと望んだ佳人。

過去の恋人は当主の御嫡男である宗利様の生母となっていた。

 その地位は重く決して軽んじられぬ存在。

城奥にて絶対の権力を持ち、政宗様の側にて咲く大輪の花王。

一門からも、臣下からも揺るぎない崇拝と敬い持たれる血脈の人。

視線を這わした……虚空に向けられて雛姫さまが、突と呟く。


「私が御産みした“宗利”様は成実様の御子なのです。

 親子は仲良く、亘理の家で暮らして居る………」

 

「では、“百助”は私の実子で御座いますね。

 雛姫さまが御生母の第二子。

 水沢の家を継がせるため、手元にて大切に育てている……」


「はい、父上が第二子は水沢の跡取りと望んだ御子」


 美しい柳眉が悲しみで崩れていった。

白皙の美貌、穏やかな御顔に似合わない愁色が表情に暮れている。

有り得た未来。

潰えた未来。

訪れていただろう、もう一つの世界と家族。

だが、夢と潰えた光景に思いを馳せて雛姫さまは静かに泣いていた。

居ても居られず思わずと立ち上がる。

躊躇し伸ばした指先。

触れた涙へと、俺は事跡の念に捕らわれた。


「雛姫……さま、供に歩めなかった事。

 それが、其れが私の生涯の……今生での悔やみで御座います」

 

 俯いた雛姫が泣き笑いの表情を浮べ、涙を流しはにかんだ。

俺の伸ばした指に頬を寄せ、雛姫は白い御手先を絡ませて。

 瞳に深い慈愛と親愛の情が表れる。

堪らず、愛しくて抱き寄せた。

昔懐かしい御互いの立場を昔を思い出して、今を忘れて。

従兄妹同士、婚約者同士の気安い間柄だったと。

彼女を室に迎える事を心待ちにしていた日々を。


「本当で御座いますか、信じて宜しいのですか?」


「俺は……俺は、心から雛姫を好いていたよ。

 知っているでしょ?昔も今も変わらずに、ずっと……」


「……うれしい。

 其の御言葉を聞け、幸せで御座います。

 恋慕っていたのは私だけかと思うて居りました。

 この世で果せぬ願いならば、きっと来世にて報われる……」


 絡ませた指に力が宿る。

儚い願いは今生にては生涯の悔やみ。

現代で果せぬならば来世では報われようと、御互いが思う願い。

雛姫が小さく呟いた『有難う御座います、成実様』と、咽び泣いて。


「その御言葉を糧とし、私は今生を過ごしたく思います」


 静かに告げられた詞華は、背後の庭先で鳴く蝉が一際高く響いて聞こえた。

腕に抱く雛姫の白い項に眩暈を起す。

悲観に暮れた夏の日。

不公平だと唱え、残された者達は祈りと願いを託すだけだと切に唱えた。


『功名や武勲は自らの力で切り開けるのです。

 しかし、祈る事しか出来ない“運”は酷く心許無く、その存在は残酷ですね』


 そう……苦しげに。

俺は雛姫の過去の言葉に想いを重ね、口乗せて続けた。

待つ事の喜び、何処までも待つ事が出来る、己の幸せ。

腕の中の佳人に言って聞かせるため、震える肩を抱きしめて……。

染渡る虫の鳴声に紛れ消える儚い誓い。


「人はね、過去に捕らわれても耐え忍んで今を生きる。

 そして、儚い願いと知りつつも望み祈るんだ。叶わないと知っていても……」


 濡れるような鳴声は夕闇に迫る蝉時雨。

被る鳴声は蜩、声音二つが室内に溺れる程に満ちていた。

今日の記憶は決して消えることは無く、生涯心に残るであろう。

迫る日暮れに隠れた、密かに時と思いに通じた恋心を。

 被害者なのだ……俺も、彼女も。

御互いが伊達の名に縛られ殉じる者同士として。

同等の立場、儚い逢瀬に俺達は今を……幸せを感じ入った。


-水沢-主人公の実家、水沢伊達家。父上の伊達政景様の所領。

-亘理-亘理伊達家。伊達一門第二席である伊達成実様と捉えてくださると嬉しいです。

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