楪を重ねるが如く 02
城奥西殿にて一際に漂う芳香。
俺の鼻腔を擽るは春告げる梅の香。
雛姫の部屋に優しく漂い、確りと其の存在を主張していた。
花弁へと切な気に頬を寄せ、佳人は咲き始めた梅の一枝を抱く。
愛しげに触れ寄せる紅い口唇、俺が胸に抱く苛立ちには気付かぬ様相。
俯き加減の顔にて雛姫は密やかに呟いた。
「八重咲きの梅を頂いたのです、とても良い香り……」
「ほぅ、其れは誰に貰ったのだ?」
儚い喜びを抱いていると、鋭敏な感が内面を読み取る。
有り得ない程の感情を込めた言葉遣りだと、雛姫は気付いているのだろうか。
俺をゆるりと見上げ尚更と柔らかく名を告げる。
「成実様が帰還の挨拶に贈って下さったのですよ、綺麗で御座いましょう」
成実が贈ったとされる花枝。
自ら庭園を探し周り手折ったのだろう、想人の喜びを得るために。
思い通りに雛姫は愁い浮べて懐中に抱く。
春の知らせ、花兄たる梅を胸にして艶やかに。
* *
黒脛巾から事の知らせ受けて訪問した。
成実と交わした言葉を疑い、雛姫の前に仁王立つ。
俺の怜悧な思考と観察力が汲み取ったのは、秘めた隠し事。
滲み出る所作と隠蔽出来ない感情、未練がましい雛姫の想いを直感した。
忘れえぬ思慕、側室に献されて尚も求め彷徨う視線の先を見出す。
成実もまた同様と、彼女の幻を城内に探すのだ。
影に残香を求め彷徨い、雛姫の残像を追い求める。
託す様に互いを慕い祈るだけで満ちた二人の幸せ。
遠くから眺めて眼福と重ねる思慕。
馬鹿げた想いだと、心の繋がりだと俺は嘲り笑う。
眺望だけで足りる純愛など、何処が嬉しい……?
「よく覚えておけ、俺が絶対に頷かぬ事を。
御前の下賜を成実が願ったとしても、絶対に許さぬ事を確りと理解しろ!」
交わる視線と四肢を強引に拘束する。
己が力で姿を香りを、全てを被い隠し通そう。
俺だけの存在、所有物だと主張し皆の面前から隠蔽するのだ。
声も姿も、気配も体も皆全てが己が所有物だと宣言し脅す、醜い程の独占欲。
自由を奪った籠の鳥。
緩めぬ拘束は純粋な願望、我侭と言う名の稚拙な切望。
「……雛姫、心に記憶に然りと刻み込めろ」
腕中に捕らえた存在へ強く聞かせる。
俺の心は今や醜く燻り歪みきった偏愛だろうな。
奥底から彷徨い出る飢餓、乾きに空腹を満たしてくれ。
「安らぎと情、オマエの心全てを俺に向け与えろ。
命尽きる最期の時まで、オマエは俺の我侭に耳を傾けて叶える義務がある」
略奪した花に容認してもらいたかった。
俺が求めるのは純粋な愛情と、真直ぐ向ける思慕を知ってもらい。
「なあ、雛姫……」
望むのは無償の愛。
生母に似た雛姫の面差し。
伊達の血と最上の末席故に齎された縁の果て。
近しい存在ならば尚の事、幼き日に失った愛情を得たいと望むのだ。
傍らにて微笑み親愛を与えて欲しいと。
幾久しく永き年月、偕老同穴たる其の日まで……。
此れが我が望みだ。
「私は政宗様が側にて終生を御仕えいたします。
約束違えるなど決して、決して致しません……誓約を此所に致しましょう」
強張る体に怯え映す虹彩。
しかし、己が視線を然りと絡め彼女は誓約を口にする。
胸元から俺を見上げ、真直ぐに紡いた誓約に満足と頷く。
紅を刷いた口唇が告げた玉章。
俺は安堵を覚え吐息を放つ。
「嗚呼、確かに聴いたぞ……その言葉、決して忘れるな」
染入る誓約に気を緩め、肩の力を抜く。
ふと、腕中から幽かに芳香が鼻腔を掠めた。
成実の愛用する“梅香”を。
移り香に危惧をし、腕中の佳人を強く抱きしめる。
己が身を挺して力と体にて被い隠す。
決して渡さぬと含み笑いて。
「何時まで俺の心を煩わす積もりだ……」
悪足掻きは止めて貰おうか、花兄が香よ。
苛立つ嫉妬の念に、彼女が抱く枝を無理矢理に取り上げた。
見せしめと雛姫の面前にて、八重の梅枝を足蹴りする。
虚空へ潜む幻影と、香しい臭気に嘲り呟く。
憤る声音は低く静かに、室内へと響き霧散し消え入る芳香への脅し。
自らが好み焚き染めて纏うは“伽羅”の香。
富と地位、権力の象徴たる名香の名は一木四銘が柴舟。
雛姫の生涯を包み纏わせるは伽羅。
高貴な芳香を身に纏い侍らせる印。
そう、己が側にて生涯を共に、花の兄たる梅へ告げた。
花の兄(花兄)=梅の花。




