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華胥の国に遊ぶ  作者: 柴舟
参章
31/51

夕菅は待宵を愁い 07

 閉めた板戸が吹き荒ぶ風で鳴っている。

薄い衣一枚で座す私に、迫るのは寒気だけでは無い。

悴んだのか正座で痺れたのか、寒さで鈍っているのかも判断に苦しむ。

火鉢が二つ並んでは在るが、この広い室内では役に立たない。

寒い非常に寒い。

いや、もしかしなくともコレは悪寒か。


「……寒い」


 両手を擦り合せ暖を取ろうとしたが、思い出して手を休めた。

思い出す事柄が在ったからだ。

歌舞・演劇の世界で、男女の縺れや濡れ場を演じる際の逸話。

臨場と哀れみを演出するため、態と手を冷水に漬けて熱を取るのだと……。

 西洋の社交界にデビューする令嬢デビュタントの愛用品にも見られる話だ。

初めての夜会は緊張で手が汗ばむ為、可憐な姿に風情とは言い難い事実となる。

其れを予防し麗しい淑女を装うに、手を冷やすための道具があるのだ。

ペーパーウェイト、素直に文鎮って訳だが、そのサイズに加工した水晶や硝子製の“ハンドクーラー”が其れだと聞いた。

薄い素材で柔らかい色合いの艶やかな生地、淑女の小さなドレスのポケットに忍ばせるに最適の大きさ。

コッソリと恥ずかし気に、細い手先と掌を冷やす様子を想像し和んでしまう。

物慣れない初心な女性が恥らう様、緊張に惑う姿はなんと微笑ましい事だろう……。

 儚げな風情と姿は、男性の好みとして万国共通なのだろうか?

男性の情欲を誘うに好ましい、そんな演出効果になっているのか。

政宗様も同様と、情誘われ嫋やかな姿に心打たれるだろうのか……。

鬱々と悶々と小賢しく計算をしてしまう自分に嫌気がさす。

 以前に仕入れた知識、噂話で耳年増の私は諾々と時間を潰した。

走馬灯の様に記憶と雑学が流れては消え、思い出しては隅へ追いやる。

気遣わしげに私を見つめる視線は美津と喜多。

うん、何かとても言いたげだな。


「…はぁ……」


「大丈夫ですよ、雛姫様。

 政宗様は……本当はとても御優しい御方なのです。

 思いやりに溢れて居られます、私が申し上げるはおこがましいと御思いになれましょうが……」


 漏れた吐息に反応を示し、喜多がおずおずと言葉を発つ。

曖昧な笑みを喜多へと返して、政宗様贔屓の侍女を改めて認識した。

それは、教育を任された乳母として当然の心指し。

 政宗様の御渡りを待つのは当人以外に、隣に控える侍女に付人たる家臣。

ドラマさながら、現実と思うと逃避したくもなる現場。

 随分と夜が更けても、ただ一人を待ちも続けてるは正直苛立つ。

当主が身の安全が第一で、親族が女と云えども用心とはな……。

 プライバシーは存在しない。

閨の終始に回数を隣の部屋で聞かれるかと思うと悪寒がする。

あれ、其れは大奥の話だったか?

しかし、日本家屋には存在しないのが密室だ。

鍵の掛からない部屋、防音設備など皆無。

不快と嫌悪羞恥が胸に渦巻く。

夢見る様な洞房花燭。

迫った現実には、浪漫の欠片すら無いのだな。

 慕う思いは絶望と潰えた。

今更の悪足掻きは諦めの彼方。

寒々とした白の単衣に身を包み、身体を強張らせる。

私は薄い胸元の合わせ目に腕を這わせ、待宵を愁いる。


 * *


 廊下を擦る数人の足音。

宵闇に遊ぶ灯りを先導に、西殿へと近付く気配がした。

手燭の光が揺ら揺らと闇に遊ぶ、吹き込む風に惑わされた細い炎。

視線が廊下へと移り察して居住いを正す、部屋の住人。

畳と擦れる着物の音が、冷めた気配を私の耳元へ確実に届けたのだった。


「政宗様が御渡りで御座います」

  

 続き間控えから声が挙がり、静かに襖が開けられる。

冷気が流れ込み、私は緊張と強張りが頂点に達し血の気が引いた。

屏風越しに顔を向ければ、政宗様の視線と交差し逸らすのを忘れ凝視する。

見開かれた私の瞳には戸惑が映されているだろう。


「待たせたか?」


 逸る内面を隠し、俺は穏やかに微笑を口角へと乗せ言葉を紡ぐ。

屏風の合間から視線を落とせば、白の単衣に身を包んだ雛姫が所在無げに座っていた。

己の視線に捕らわれ雛姫が途方に暮れて愁色を浮べる。

 今に至る思いを反芻していた。

足掻かれ逆われても捕らえると誓った存在。

秋口近くより、警戒の色濃くし距離を保たれて苛立った原因。

性的な欲求を一方的に懐き、一身に焦がれたため気取られていた。

密かな思いは成実にまで感付かれていた事実に、自嘲気味に笑うしかない。

けれども好機に恵まれた。


「よ、宜しく御願い致します」


「しおらしいにも程があるだろ……雛姫。

 なぜだか、俺は悪役にでもなった気分だ」


 教えられての作法だろう、雛姫は畏まり正座して俺へと頭を下げる。

部屋の中央を屏風で仕切り据えられた真新しい布団の横で。

膝を突き雛姫の傍らに胡坐を掻き、俺は座って眺めた。

取敢えずは、緊張を解そうと殊更優しく冗談めかす。


「午後から厩舎へ出向いて、青墨に挨拶はしたのか?」


「……はい、とても丁寧に扱って下り、大変安心致しました。

 けれども青墨は、厩舎に閉じ込められ窮屈だと主張して……」


「青墨は窮屈と苛立って嘶いたか?

 気晴らしに、野駆をしたいと雛姫は思っているようだが…其れには頷けぬ」


 冷酷だがキッパリと望む先の要求を撥ねる。

其れなりの理由は過去に有るのだ、硬い根雪で足場が悪い米沢の地。

怪我をされては、この俺が心穏やかでないと。


「お前の腕前で冬の野駆けは辛いだろう。

 落馬で怪我でもされたら気が気でない、冷たいようだが野駆は春先まで待ってれ」


「政宗様の…心遣いに言葉は最もですね。

 私の足取りが心許無いと、先程も侍女から注意されました。

 野駆は春まで御預けが宜しいですね」


 消沈した様子に罪悪感を抱き、絆されて掌。

己の失態、負の一部を雛姫へと告白した。


「お前にだから話すがな……。

 俺は過去、冬場に落馬して足の脛を骨折した事があるんだ。

 約一ヶ月の湯治と引き換えにし、奥州の平定が大分遅れた事実。

 一日も早い天下泰平を願った俺が犯した、恥ずべき過去と失態の一つ」


「…ま、政宗様が落馬?!」


 驚き露にして雛姫は俺へ面を向ける。

信じられぬと言いたげな眼差し。

骨折した足の脛へ視線を向け、マジマジと眉を寄せて呟く。

 緊張が薄れた様子に俺も綻ぶ笑みを乗せ耳元へ囁く。

 

「興味が湧いたなら、後でじっくり見せてやるが……」


「えぇ…あの、御遠慮申し上げたく思うのですが」


 無意識の所作だろう、震える指先で胸元を押さえ俺を見上げる。

頬に走った一瞬の朱色は意味するソレを悟ったが為。 

 喉笛を震わせて笑う俺。

素直な賞賛を雛姫へと贈った。

聞き分けと諦めの良さは、彼女が持つ最大の美徳と。

目上の存在に逆らう事無く、その意に従う気質。

波風立てぬ配慮と愛嬌、聡い思考を持つ女。

 側室として置くには惜しむべき人柄だ。

聡明な知性称える瞳、姿と所作までも全て彼女を物語る。

被る睫毛が深い陰影と愁いを現し、俺を伺う様相に情欲が沸き立つ。

艶やかな黒髪が乳白色の面差しを彩り、己の欲情を触発し誘うのだ……。

 手を伸ばして、柔らかな頬と温かな肢体に触れた。

喉が渇きと飢餓が胸元まで迫り上がるを自ら認識し。


「お前が言ったのだからな?

 永遠と満たされない虚ろな欲を抱えていると。

 為らば、満たされぬ飢餓を潤すために御前を貪る……」


 華奢な肢体が薄い白い単衣に隠れている。

酷く艶かしい身体、不釣合いな媚態を醸し出す容姿に隠匿して。 

冷えた空気が満ちる寝所にて秘める蕾、望んだ花。

 俺は両腕を伸ばして捕らえた。

強張り畏まる体を抱き寄せて低く囁き……。

真新しい褥に押し倒した。

悲鳴と抵抗の声を防ぐに、その柔らかな紅の口元を閉ざして嬲る。









速攻で誤字発見(汗)

-政宗様の骨折-天正十七年二月二十六日、年齢的には二十六歳ですね。

遊びたい盛りでヤリたい盛りですか?米沢にて落馬し左足の踝上を骨折して小野川温泉で約一ヶ月間の湯治。遺骨に骨折の跡があったって。



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