夕菅は待宵を愁い 04
見慣れぬ侍女の申し出に伴われ、朝餉の支度から離れて向かう先。
政宗様の返事に一礼し入室したのは、雛姫様の寝室だった。
閉ざされた空間に薫るは、政宗様ご愛用の香。
そして、部屋の主が纏う香が混じり漂っていた。
暗に示すは、一晩を供に過ごされた……と。
すでに、疑う必要の無い事実に見受けられた。
廊下側に控える侍女二人に頷き、西殿周囲の人払いを命じる。
続く私室に留め置いた御用聞きの侍女は、腹心の三人。
皆の神経が襖一つ隔てた寝室に向けられる。
「お早う御座います。政宗様、雛姫様。御所望の白湯をお持ち致しました」
「……喜多、白湯を此方に」
褥の上に座す政宗様の腕中。
寝乱れた衣に包まれた雛姫様が、力無く収まっていた。
片手を伸ばされた政宗に、角盆へ乗せた白湯を差し出す。
一口喉を潤してから腕中へ閉じ込めた雛姫様に視線を落とされた。
様子を伺って後、御顔を上げて低い声音で命を出す。
「しばらく、喜多に世話役を命じる。
嫌な役所だが、雛姫が屋敷から連れてきた侍女達を遠ざけてくれ」
雛姫様が屋敷から連れてきた侍女。
彼女達は現在、喜多の権限で近寄れずに居る。
忠義心の強い彼女達の事だ、主の不運を知るや、身を呈して行動されては適わない。
己が一存で決めた事だったが、今や御当主の直命となっている。
安堵の溜息が漏れ出た、誰も決して逆らうまいと。
「差し出がましいかと思いましたが、既に対応を入れております」
「盾突く様子なら屋敷へ戻せ。構わない、俺が命と任せる」
腕中の雛姫の肩がビクッと跳ねた。
徐に面を上げ、政宗へ憤りを見せる。
逆立てた柳眉と怒りを露にする目元、強い眦で確と交わる瞳。
交差する視線に感情が溢れ、力なく垂れていた腕が俺との距離を保つように突っ撥ねた。
強張る体は拒絶の色が濃い。
恋慕う女からの拒否、正直俺とて辛い物がある。
打ち掛けを胸元で握り締めて、強い声音で雛姫は唱えた。
「私の乳母まで遠ざける御心算ですか。
政宗様が喜多を重用する様に、私も美津を拠所とするのを……」
「……判った、美津を側に置く事は許す」
溜息と供に、譲歩を雛姫へ入れていた。
そして、引き寄せた彼女の首筋に顔を埋める。
曖昧な推測など不要なのだ。
必要なのは、確実たる地位と信奉者。
部屋に広く渡る様、響く声音で俺は宣言する。
侍女頭である喜多を意識し、当主自ら命じた扱いを。
「伊達政景が息女を室に迎えた。
皆は此れより、米沢城の女主は雛姫と思い心尽くして仕えよ」
腕中で怯える雛姫の体温を感じる。
座り込む華麗な牡丹の存在、彼女を広く知らしめる。
慕う成実との関係を"純愛″に例えるならば、俺は"鍾愛″だ。
鐘は集める意味を持つ。
与えるのは、奥州覇者が寵愛する側室としての地位。
今は側室、だが……後に必ず、正室を退けて迎えるのだ。
心を開かぬ未だ蕾を優しく胸元に包み入れた。
廻した腕を宥めるが如く、彼女の背に這わせる。
緩やかな愛撫を贈って、ただ春を待つ。
今は未だ解けぬ蟠りを……。
* *
所用の為に室を離れた政宗様だが、朝餉は此方で取るとの事。
其れまで、雛姫様の御相手を命じられたが会話が続かぬ。
僅かばかり頭を動かし、喜多の問いに虚ろな眼差しが仰ぎ見てくれた。
痛々しい御姿を曝すのは政宗様の無体が祟っての事か…。
喜多は彼女の心情を考え、思いあぐねえた。
再度お尋ねする為に、情の籠もった言葉を口に載せる。
「無理やり枕を交わされ、酷く御傷心の様子。
姫様は政宗様を御嫌いなので御座いましょうか?」
自嘲気味に揺らされた綺麗な御顔。
儚い笑みを浮かべ頭をふる。
徐に消えかけた火鉢の炭に視線を這わせ、口唇を開かれた。
息を吸い込む気配。
続いて吐息と放たれた言葉綴りに、私は虚を突かれ胸を打たれる。
「暖を取るための温かい火、暗闇を照らす光明は皆が欲しがりましょう。
けれども、強すぎる炎や…劫火に恐怖を抱くのは人としての本能……と、私は思うのです」
「……政宗様が、炎?
業腹な仕打ちに、姫様は憤っているのでは無いのですか?」
静かに頭を振って御否定なされた。
感情の起伏薄い声音で細々と紡ぎ綴る其の御意向と心。
「身に余る業火だと、蒼い炎に恐れを抱き、手を差し伸べ難いと思います。
政宗様の纏う気配と影響力、権力と名声に私は全身で萎縮し怯えてしまう……」
殊勝な物言い、決して媚びぬ心。
政宗様への敬意と詞華を吐息と共に聞き、喜多は歓喜した。
穏やかな口調と謙虚な御心と姿に胸が震える。
深い好感を抱き陶酔と彼女を眺めた。
彼女を寵愛する当主の心内、今更ながらに伺い知り。
本当に好い御器量の姫君を室に迎えられたと、安堵が先立った。
「少しは気分が和らぎましょう、冷めぬ内に白湯をどうぞ」
気遣う喜多の手より、白湯の入った器を受け取る。
高温で焼成された炎が生み出した芸術品、熱を帯びた白い磁器。
薄い触りと白地に描かれた優美な装飾は、円やかな手触りで細い指先に治まった。
素早い対応と、即座に行動を示された政宗様。
一目も二目も先を読む先見の能力、流石は我が御当主様である。
相手を知り尽くし、計算尽くて絡め取られた彼の君。
儚げな姿と心には同情はするが、一族の娘ならば甘んじて受け入れるべき事。
幼少の砌より、多岐が心血を注ぎ育て上げた若君の望み。
今此所で一番の協力者とならずば、生涯歯がゆい思いをするだろう。
「美津を呼んで貰えますか。
私を一喝して欲しいのだと、伝えてください」
「誰か、美津殿を呼んで下さいませ。姫様が御寂しくてらっしゃる」
忘れえぬと、喜多の脳裏に焼き付く光景。
御正室との別居、政宗様との不和は侍女に原因が在った。
敵国の内通者だと知らず側近くに置き、重用した田村夫人。
侍女全てを手討とされ、正室としての信用と地位を同時に失い城から離された女性。
今は体面保つ為の名ばかりの御正室。
重臣であり、政宗様の後見を勤める伊達政景殿が息女である雛姫様なら……。
彼女ならば大丈夫であろう、当に理想的な御側室様となる。
正室を退き迎えるも、反対の声など挙がらないはずだ。
政宗様の挙動全てに反対する、御母堂の保春院様。
雛姫様の御生母は、最上氏と同族である黒川の御出身。
それならば、反対するほうが可笑しい。
容姿もさる事ながら、御血筋も御気性も優れている。
此れほどの縁ならば御親族方も納得しよう、歓迎されて当然であろう。
沸き起こった歓喜に、喜多は四肢を震わせた。
覚束無い足元で立ち上がり、歩く雛姫様の姿を視界に捉える。
慌てて支えの手を入れた。
気を利かせた侍女が襖を開けて待ち構える。
集った皆が下げた頭は響き渡る鐘。
上座に座り込む雛姫様を支え、零れ出た己が希。
唱えてしまう、望んでしまう。
「雛姫様、どうか政宗様の側で末永く供にお過ごし下さい。
私達は心より貴女様を御慕いし、お仕えする事を希といたします」
田村夫人の前例は苦い教訓になる。
其れを踏まえ、二轍踏むのを阻止する事は可能だ。
けれども、限界が在るのだ。
政宗様を支え、待望の嫡男を授けられるのは、心妻の存在が不可欠と。
寵愛する側室としての立場、安らぎの場所。
当主の心内を知るからこその願い、それは激しい渇望だった。
頭を上げた喜多の瞳が見たものは、佳人の見せた不透明な表情。
微かに歪む口元、痛みを堪えた悲哀の瞳、愁色の波。
愁いを帯びた潤む眼差しが、雛姫様に遭った。
鬼庭さんと喜多は異母兄妹、片倉さんと喜多は異父姉弟。
微妙に三者の思考が似通っている風を、文面に出したつもり。




