夕菅は待宵を愁い 02
思わぬ好機と言うべきか、温かく保たれた雛姫の寝室に招かれた。
単に寒い私室では申し訳ないと思った、彼女なりの優しい気配り。
俺は火鉢に凭れ寝話の如く語りかける。
殊更優しく低く響かせ、彼女の耳元に届けと。
褥の上に座す彼女はただ静かに聞き入っていた。
目蓋を閉じ黙って、文を読み上げるのに耳を傾けて。
その姿を見れば判る。
彼女に二心など聞くも意味無いとは重々承知。
しかし、これでは無防備にも程がある。
俺は成実ほど紳士ではないし我慢強くもない。
従兄弟同士で比べるのは尺に触るが、コイツの前では関係ない。
温かな室内は眠気を誘う、雛姫でなくても同様に睡魔が訪れる。
まどろむ様な気温と気配。
落ち着いた室内に仄かに薫香漂う。
傾きかけた雛姫の体を受け止め、優しく語りかけた。
「眠いなら、眠って構わない。
続きは明日にでも聞かせてやる……」
夢うつつの心境か、頤を揺らして頷き一気に弛緩させた雛姫の体。
抱き止めれば腕と肩に久方ぶりに感じる柔らかい体温。
笑いが生れる。
頼り切られて信用を裏切れないと。
雛姫の着る朱色の打掛、前を引き合わせて抱き込み静かに褥へ崩れる。
足元に畳まれた夜具を引き上げて包み、その隙間に俺は入る。
風邪でもひかれては、政景や成実に何を言われるかと。
* *
背後から抱きしめ腕を廻した雛姫の体。
寝首を掻かれる心配もなければ、媚びる痴態を見ることも無い。
愛しいと慕う女を抱きしめ、添い寝に留まる俺の理性を称賛してやりたい。
穏やかに睡魔が襲い始めた意識。
廻した腕先と、絡めた指が雛姫の心音を微かに拾う。
自分の心音より波打つ速度は速く、年下の従妹君の体温は幾ばかりか高い。
大人に為りきれない幼稚さが残っていると、今更ながら思う。
艶めいた色は確かに足りないが、危うい儚さと幼さが絶妙の配合。
「御互い服を着たままだが、このまま朝を迎えればどうなるか……。
お前や周囲の侍女達が驚く顔が容易に想像できる。
感が鋭い者は、これで俺が望む此の関係を理解し納得するだろうよ」
片肘を突いて身を起す。
眠る雛姫の顔を覗き込み、柔らかな頬を撫でて口付一つを其処に贈る。
白の項に視線を移し首元の黒髪を避け朱印を一つ鮮やかに残した。
此れくらいは真実味を帯びて欲しい物と、ほくそ笑む。
気付いた雛姫の反応。
指摘した周囲の動揺振りを想像して。
「さて、雛姫殿。
可愛らしい寝顔と起抜けの顔、明朝の俺にじっくり鑑賞されてくれ」
天井に視線を流し、常駐させている黒脛巾に言伝命じ要る。
明日は早朝の侍女の足止め、俺が何処で一夜を過ごしたが心配無用と家臣に伝えよと。
忘れず雛姫付きの紅脛巾にも申し伝え、起しに来る侍女を遅らせろと意向を伝えた。
遅かれ早かれこの事柄は、政景や成実に伝わるだろう。
噂は思わぬ速さで広がり耳に入るが、真実とは別の脚色が加わるものだ。
今まで俺は周囲を憚らず雛姫を連日訪問し、親密なまでの遣り取りをしていた。
既に、御当主としての過剰な行為は知れ渡っている。
成実との祝言を挙げぬ内に成った、雛姫と当主との醜聞。
従弟の婚約者を奪って室に迎えたと、事情知らぬ者に無体を騒がれるか…。
だが其れでいい、彼女自ら招いた失態。
それを悔やむであろうが、俺は否定せず逆に好機と便乗しよう。
「自ら摘めと言わんばかりの花、逃して為るものか…。諦めるんだな?」
優しく雛姫の耳元で呟いてやる。
久々に腕に抱く女の、柔らかな体温を背後から抱きしめて……。




