夕菅は待宵を愁い 01
歴史ジャンルから恋愛へ引っ越しました。
理由は方向性の問題で。
一雨毎に色濃く漂う晩秋の闇。
軒先に吊るし涼風を望む鈴音は既に形を潜めている。
代わりに屋敷内に響くは笛の音。
澄んだ空気が淡々と細い音色を紡ぐ。
柔らかい曲調に音域を広げるは、“呂”と“甲”。
交互に奏でる難曲の暗譜を試み、運指を体に教え込む。
『無意識の所作を雅となさい』
奏者としての心構えを説かれた。
笛の師と仰ぐ御方は、智に勇と人柄までが富んでいる。
力強く鋭い眼差しは深く広く、片倉様の気性と心構えを良く表す。
身に心に語る一句全てが思慮深く高潔。
憧れすら懐ける忠義の心は、真澄鏡の如く意を映す。
『難曲と聞く人に感じとられては、奏者の名折れですよ。
軽やかに奏で内情を気取られていけない。
苦労を悟られる事無く、穏やかに艶やかに聞かせる手が望ましいのです』
私は、寄せた笛の歌口に強く息を吐き“甲”を響かせ夜空を仰ぐ。
美しい満月は丸い鏡。
澄みきった曇りない月、心情まで映す真に澄んだ鏡なのだ。
肌寒く寂しげに過ぎる秋の夜は延々と続く。
寂しさと不安を紛らわす宵を過ごすための暇潰し、一人静かに。
「月を相手に笛を聞かせるとは、随分と物憂げだな……雛姫。
音色は心情を良く現してるじゃないか。
待ち人訪れず…と、憂いる哀愁は口で語る以上の情緒か?」
背後から掛かるは、聞き覚えのある声音。
驚き静かに篠笛の歌口を隠し、私はいざよう程に澄んだ待宵を睨めつけた。
近寄る気配に吐息と憂い、持った感情を消して流す。
その私に拍手を送るは、面差しに艶を浮かべる御当主の姿だった。
目に留まる緩やかに寛いだ蒼い服装と羽織姿。
廊下の柱に身を預け、宵闇に浮かぶ綻んだ口元に艶を映す。
色香漂う彼の君が面差しに、柳眉を寄せる。
「このような時刻に来訪とは……。
何か御理由在っての事で御座いましょうね、政宗様?」
戸惑い隠して軽く送る会釈。
軽はずみな行いは避けなくては為らない、己が身分と今の扱いに。
既に政宗様からの過剰な心配りが、在らぬ誤解と噂を既に生んでいる。
城内に住むが故に殊更気にし、お互いの立場と主従の距離を見誤ってしまわぬように。
父上や成実様に醜態を曝すなど御迷惑はかけられない。
「随分とつれない態度じゃないか、雛姫。
俺が訪問は歓迎されぬのか?」
「御自分のお立場を考え下さいませ。
在らぬ噂を立てられるは、政宗様だけでは無いのでますよ」
俺が放った言葉に眉逆立て、嫣然と見返り立つ姿。
月下の夕菅は、心の奥底まで見透かすような褪めた眼差しを返してくれた。
狂おしいまで抱くは、愛情と思慕の念。
熱の篭った思いを懐く己とは、対極の意思の持ち主。
内情を気取られず、その苦労を悟られる事無く行動に移すとしよう。
雛姫の心情を映すならば深い悲哀?
いや、粛然とした憤りか。
* *
廊下にて身構え、俺を睨む姿に笑み漏れた。
闇を照らす満月の光は煌煌と輝き、認識と体内の刻を遅れさせる。
片手を後頭部に掲げ、生むは溜息一つ。
月の下に寒々と冷えた空気が動く袖脇から地肌に刺さる。
「お前への言伝を運ぶに、ツレない態度を取られては……。
俺の折角の好意、全く報われないではないかぁ」
「政宗様が、言伝を態々?」
「嗚呼そうだ、驚く事ではあるまい」
上がった肩先、改めて警戒を解いた雛姫が一歩進む。
錦の色目と纏った打掛が彼女に合わせて動き、緩々と俺に近寄る。
篠笛が止んだ夜には静寂。
ただ衣擦れの音が廊下に生まれ、仄かと薫るは近付いた彼女に焚き染められた香。
「政景と月舟斎、成実からそれぞれ文と言伝を与った。
届いた文には戦況も含まれる内情を記した報告書。
素のままの文を雛姫へは渡せぬから、口で伝えるしかあるまい。
お前には抜粋し、事を読んで聞かせる程度になる……。我慢してくれ」
開かれた襖と外へと伸びる光は灯台。
細い灯りと影が照らし、廊下に漏れた灯りの元で俺は部屋へと誘う。
立ち話で済む内容ではない。
打ちかけの綾錦が光を弾き着る人を彩る。
「先程まで小十郎等と軍議を交わしていたんだ。
お前の都合も考えずに、遅くに訪ねて悪かったな」
「このような夜更けまで軍議を……。
明日も早いでしょうに、私の為に態々申し訳御座いません」
人目を忍ぶかの様に、交わすは声音を顰めて。
政宗様の突然の訪問を疑い警戒した自分を恥じた。
多忙の職務を片付け空いた時間に御越し下さったのに、申し訳ない物言いをしたと。
賜った私室に席を設けて上座に政宗様を導く。
「ええと、政宗様。飲み口熱くても怒らないで下さいませ。
侍女は既に下がっているので、私が白湯を用意いたしますから」
「本当か…って、雛姫が白湯を入れるのか?」
座った政宗様が発言に目を見開き、中腰の私に驚かれた。
この刻限では既に厨は火を落としている。
気遣い嬉しいが思い止まるように……と、口を突いた政宗様。
頭を振って私は答えた。
「何も驚かれる事など無いと思います。
寝室の火鉢にて鉄瓶が湯を沸かしてくれているのですよ。
運ぶだけです、横着だと御笑いくださいませ」
肩を竦めて、立ち上がった私は小首を傾げて笑い含む。
種明かしは意とも簡単な事。
私室の続き間である寝室、火鉢の鉄瓶で沸かした湯を持ってくるだけ。
秋口早くに火鉢が設えてあるのは体調を崩した私にと有難い心配り。
「なんだそんな事か、驚かすなよ」
肩を震わせ笑う声を背に、私は襖一つ隔てた奥の寝室に足を踏み入れた。
設えた床の両脇に火鉢が鎮座している。
美津の指図は過保護振りを示しているようで気恥ずかしい。
しかし、肌寒く感じる晩秋の夜に冷性の私としては嬉しい事。
フワリと火鉢によって温かく保たれていた空気が身を包む。
眠気を誘うような心地よい温度に、緊張と警戒までもが消えていく。
私は多忙である政宗様の御体調を気遣い聞いていた。
「政宗様、宜しければ此方にいらっしゃいませんか?
程よく火鉢が部屋を暖めてくれていますので……どうでしょう」
「其れは、嬉しい誘いだな。
無下に断るには惜しい、喜んでお邪魔させてもらおう?」
クスクスと口元を隠す政宗様の御手先。
寝室に誘う意味を私は失念、いや……全くもって忘れていた。
襖に手を掛けて私は寝室に手招く。
一瞬の沈黙の後、破顔し喜色を浮べた政宗様に非は無かったのである。
「二つの火鉢が場所を取り、部屋が狭くて申し訳ないのですが」
「……俺は、一向に構わないよ」
此れは、後先考えぬ自らの過ちだった。
私室から居場所を変え、政宗様を迎えた寝室内。
寝静まった周囲に気を遣って御互い声を潜めて。
火鉢に囲まれ褥の上で交わすのは、艶めいた恋とは程遠い会話。
戦況と鎮圧する土地の内情、父上と祖父の仕事振り。
成実様と最上様の長引く任について。
文と報告書が政宗様の低く艶を含む声音で読み上げられる。
坦々とした口調が温かな室内と褥の上。
それは、緩やかに二人を惑わせ睡魔を誘っていく。
-夕菅-山野に自生する百合の一種。
夕方に開花して翌朝には萎む、鮮やかで綺麗な黄色の花弁。
仄かな優しい芳香を放つ。




