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華胥の国に遊ぶ  作者: 柴舟
弐章
19/51

梅桃の佳人を待て 03

 騒々しい蝉の鳴声、響き渡る広い屋敷内。

真夏の昼下がり茹だる暑さに職務を投げ出し、御簾越しの風を感じながら話を重ねていた。

上座の御当主が、滑らかに雅な口調にて言葉を紡がれる。

笑いを堪え、私は言の端に頷き返す。

休憩に届けられた水菓子を傍らに置き、話術巧みな四方山話に耳を傾けた。


「これは虎哉禅師の受け売りだがな。

 一般的なのは“つくづく惜しい”や“つくづく憂い”だろうと」


「政宗様は本当に博学、いえ……風雅でいらっしゃいますね。

 その様に蝉の鳴声を言葉に拾うとは、私は思いも付きませんでした」


「……まぁ、私的に蝉ならば “美しい、佳し”かな?

 ミンミン蝉は“見う見う”で、“会いたい、会いたい”と…、耳に聞こえる」


 途切れた会話に休息を告げる温む風。

緩やかと、御簾を揺らし部屋を渡る。

方膝を突き脇息に寄り掛かる政宗様が、含む笑いを浮かべ此方を眺め呟いた。


「俺には庭先の蝉が、特にそう聞こえるんだがなぁ……」


 小首を傾げての不思議顔。

私はサラリと軽く受け流し、意を返した。


「離れて御住まいの御方様を思い、尚更そう聞こえになられるのでしょうね」


 袖端を目元に宛がい嘯く私。

唱えた意味は、御冗談も戯れも大概に為さって下さいませ、だ。

私よりも大切に扱うべき御方様(正室)がいらっしゃいますでしょうに。


「鈍感なのか、冷めているのか」 


「え、何か……?」


 政宗様の仰った言葉の意味。

多分、私の返答が冷淡だと言いたいのだろう。

 もう、連続し六日にもなる。

職務に励む私を引っ張り出しては、休憩と称した彼の御方が茶話に付き合わせ。

既に鬼庭様も半ば諦め、私を政宗様が元へ送り出す始末。

祐筆として御仕しているのか、側付きの侍女と仕えているのか?

いや……茶飲み仲間?

嗚呼、もう処遇が酷く怪しまれる。

苦笑いを浮かべる父上は兎も角、遠目に感じる成実様からの視線が背に痛かった。

当主様に表だって楯突くには、理由が温く事を荒立てるも出来ぬ。


 * *


 政宗様の眉間に皺が寄る。

先程まで饒舌な会話を為されていた時とは、当に雲泥の差。

事の始まりは、明日の夕刻に催される宴に私が欠席の申し入れをしたが為。

父上や成実様が挙って出席の反対を唱えては、その意に従うしか無いのだ。

返答に御断りを申し上げた直後、政宗様の顔立ちが一変。

コレでは、平に許しを請うしか無いだろう。


「も、申し訳御座いません。

 父上と成実様から出席を控えるように、重ねて言葉を受け取りました。

 私の意では宴に出席する事叶いません。

 どうか御理解を、何とぞお許しを下さいませ……」 


 怒りを露にし激怒なさる政宗様に、私は畳に額づく叩頭礼で謝罪を述べる。

しかし、御心には届かずして再度怒りを仰ぐ事になっていようとは……思いもしない。

部屋に漂う彼の君が覇気に、我が身が縮む。

威高く発せられたのは問う声音。


「御前は俺に仕えてる、忘れた訳ではないんだよな?」


「も、勿論です……」


 上座からやおら立ち上がる。

怒り露に足にて掃われた休息が音を立て、部屋の角まで勢いよく転がる。

弾かれた物音に驚き、御用聞きのため廊下に控えていた侍女が悲鳴を上げた。

身動ぎした私の手前に近寄り、腰を落とした政宗様が両手首を掴み挙げる。

小さく悲鳴を上げる私。

強張る体が前のめりに倒れこむのを、寸前で受け止めたのは蒼い肩先。


「おい、そこに控えている侍女、弘子ともう一人。

 火急の用件だ!今直ぐ政景と成実、小十郎を探し此処へ集まるように伝えろ。

 直ぐに行け、急いでだ!!」


 浅く息を呑む気配に続き、女性特有の上ずった短い返事が返る。

硬直した私の背を引き寄せ、空いた腕を伸ばしす政宗様が頭上で命を発するのを聞く。

宴の欠席に御不満有りとは理解出来た…が。

この所業、対応は酷過ぎでは無かろうか?

捕らえられた両手首、込められた力加減に痛みを堪えた。

己の骨がミシリと鳴り、堪らずと漏れ出た呻き。

身動ぎ一つ出来ぬ程に強く押さえ込まれ、私は驚きを隠せない。

子供の癇癪より質が悪い、女性を力で捻じ伏せるなとは……。

火急の用件と命ぜられ、慌てふためき去って行く侍女の気配を待たぬ内。

私は堪らずと涙が溢れ出た。


「見上げた根性じゃないか、雛姫。俺の誘いを断るなんて?」


 涙を見られまいと、俯く私の顎を強引に捉える手。

秀麗な半身の御顔立ちで覗き込んだ政宗様が動きを止めた。

 唖然と戸惑い。

御顔に浮かぶ表情は、その二通りだろう。

醜い泣き顔をマジマジと見られるのは、私としては早々に勘弁願いたい。

涙が溢れたのは、男女の差を見せ付ける行いに腹が立ったから。

威厳ある御当主の呆けた顔を拝見するのも、同時に御遠慮申し上げたい気分。

整った御顔立ちが勿体無い。

 手首を戒めていた政宗様の御手元。

一気に力が抜け出るのを感じ、私は身を突き放し懐中から離れた。


「御無体はお止め下さいませ、政宗様」


「あ……ぁ、泣いて?」


 呆気に取られ、然として佇む政宗様に背を向けた。

私は袖端で顔を隠し、胸元の懐紙で零れた涙を掬う。

 全く笑えない冗談、出来事だ。

御当主様とも在ろう御方が、怒りで我を忘れて力加減を誤るなどと。

所業を許せる許せないは、個々の女性の判断に任せる。

私だから騒ぎ無く得ただろうが……。

 彼の所行が表立っては不味い。

悪評が政宗様に立ってしまう、尾ヒレを付けて。

繊細故に御気性が見え難い……と、以前父上が評されていたのを思い出す。

まさか、御正室との不仲の原因は此れなのだろうか。

子供並みの癇癪と、夫婦不仲が判別出来ずに?

乱暴者と、忌み嫌いて軽蔑して別居に踏み切った、のだろう。

御正室の田村夫人は、そう思われたのだろう……。

背後を振り返り見れば、その場膝を突きて呆けた御姿を曝す政宗様が居る。

残念な美形、阿呆面に苛立ち募る。

怒気を孕む声音で優しく囁いた。


「虎哉禅師より、幼少の頃から言われませぬでしたか?

 言動一つ一つに責任と自覚を……と、再三注意されませんでした?」


「嗚呼、そうだったな」


「今後はまた一層と、行動に注意し自覚をお持ち下さい」

 

「悪かった、謝る」 


「御理解を頂ければ嬉しゅうございます、政宗様」


 御側へと膝立ちでにじり寄る。

赤く痣の付いた両手首を政宗様の面前に差出し、私は厳重に注意を促した。

女性の腕に痣を付けるなんて、加減を誤るなんて……!!

暴力反対、ドメスティック・バイオレンスな男は消滅しろ。

男の風上に置けぬ奴だ、視界から抹殺してやる。

名門伊達家の当主にあるまじき行いだ、言語道断の所行と言って弄ってやる。

相当懲りたか、堪えたのか……殊勝な謝罪と物言いが帰って来た。

私の口辺にも笑みが戻る、溜飲下がり安心と溜息一つ。


「政宗様のお誘いを断るなと、失礼極まりないでしょうが……。

 父上や成実様の言い分を良く御聞き下さってからに、御判断下さいませ」 


「……はい、わかりました」


 限りなく棒読みだが、色好い返事に安堵して立ち上がる。

私は勢い良く転がった休息を、自ら部屋の角まで取りに向かう。

幸いにも高価な茶器には当たらず、安堵と胸を撫で下ろした。

上座に座り直した政宗様の脇を設え、今から集まる重臣方の邪魔にならぬ様に端かに座り直す。

居心地悪に、そっぽを向かれた政宗様が呟かれた。


「コレは独り言だから、黙って話を聞け。

 政景に近々長期任務に当たらせる心算だ、覚悟しろ」

 

 下座から真直ぐに、己を注す視線を受け止める。

俺は強い視線で雛姫を見つめ返す。

明日の夕刻に催される宴の前、家臣らを集めて今後の進軍を明かす予定だった…が、まあ良いだろう。

重臣等の反対意見が予想される故、今から此処で叔父である政景や成実に意見を仰ぐのも在りだ。

頷く代わりに頭を下げた雛姫に呟いてみた。


「……少しは、消沈してみせろ」


 裏の意味など理解出来ようもない。

だが、言葉一つに柳眉をさかだてる雛姫が可愛らしかった。

 あーっ全く調子が狂う女である。

我が従妹殿は、見ていて飽きない。

多少脅かしてやれは泣き出すと思っていた。

己に許しを請うかと思えば、可愛げ半分に涙目で俺に説教を垂れる。

儚く可憐なのは、外見だけなのかと疑いが生じよう。

 泣き暮れて身を儚む位の女なら、威高く気丈に振舞う方が好ましい……が。

女の身で在りながら、虎哉禅師に傾倒し学を身に着けたなどと、全く笑い話にも為らない。

美姫や美女を己の側に置きたいと望むが、教養や品格無くては花も興も直ぐに色褪せる。

本当に、小賢しいのも考え様。

度を過ぎた女には辟易するが、花咲く前の新たな蕾を望んで何が悪い。

芽吹く前から俺好みの姿に成型するためだ。


「お呼びした重鎮方がお揃いの様子です、此方に向かって随分と急がれておりますよ」


 廊下近くに控えた雛姫が耳を欹て己に囁く。

俺は休息に肘を突いて、乗せた口端を引き上げて笑みを浮かべた。


「此れは少しばかり、戯れの脅かしが過ぎたかな? 

 まぁ……、急ぐに越した事は無いが」


「政宗様に御自覚が御在りでしたらば、是非とも今後は御控え下さいませ。

 要らぬ心配に不要な命など、この世には御座いませんから……」


 余程根に持たれたらしい。

未だに溜飲下がらぬ相の顔が見え隠れする。

己の傍らにと望む気高い蕾は、苛烈華麗さをも秘めているらしい。

可愛らしい怒りではないか?!

子猫が爪を立て、毛を逆立てる様に似通っていて。

心地よい笑いが己が胸に生じた。


「上等だ、どう足掻いても逃げ出せない様に捕らえてやる。覚悟しておけ」


 廊下に視線を這わす座る雛姫の姿。

彼の常夏に向けた呟きは、己に課した決意に酷似している。

耳に届かぬ呟きが、温風に掻き消され途絶えた。




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