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華胥の国に遊ぶ  作者: 柴舟
弐章
17/51

梅桃の佳人を待て 01

 真上から照りつける夏の日差し。

火照った体に涼を求め、陰る屋敷内に逃げ込んだ。

滴る汗を拭取るのだが、この暑さでは手拭までも替えが欲しい。

畳部屋に寝転がり小袖の袷を弛め、筒袖の下着まで着崩す。

冷たい畳の感触は一瞬、その涼しさは持続しない。

手に持った蝙蝠(扇)で扇ぐのも億劫、真夏の茹だる暑さに辟易だ。


「政宗様、だらしないにも程がありますでしょう。

 身形に人一倍五月蝿い貴方様がなんて格好をなさっているのです」

 

 首を巡らせば、廊下に立つ小十郎が逆さまに写った。

真夏でも一分の隙も無く衣服を重ね着した姿。

見ている此方が暑苦しくなる。

皮肉気に鼻で笑ってやった。 


「なんだ、小十郎か?

 こう暑くては何の気力も湧きはしない、とやかく言うな……口煩い奴め」


「御言葉ですが政宗様、この暑さでも姫様は業務に勤しんでいらっしゃいます。 

 彼女の働きぶり、多少は見習われたら如何です?

 鬼庭殿がいたく感心なされて居りましたよ」

  

「……雛姫を、か?」


 片手を付いて起き上がり、だらけた襟足を扇で仰ぐ。

顎をしゃくり続く言葉の先を促した。


 * *


 簾越しに涼風が吹き、開け放たれた部屋を満たす。

漂うのは静寂。

微かに聞こえるのは、袖が紙を擦る音と紙を滑る筆のみ。

鬼庭様から預かった草案を私は清書する。

一字一句を集中して終え、硯に筆を置いて初めて息を吐く。

強張った筋肉を解すべく、無意識に左右の耳を交互に肩に寄せた。


「随分と精が出ますね、姫様。

 御疲れではないですか、一寸一服しては如何でしょう?」

 

 吐息を付いた私を、見計らったようにして鬼庭様が御声を挙げる。

同室に居ながら気配を消した存在。

文机から体を離し、私は向きを変えた。


「お心遣い有難うございます。

 宜しければ、鬼庭様も休憩を御一緒願えませんか?」 


「それは嬉しい御誘いですね。

 姫様の御誘いを、私が断ろう筈がありません」


 鬼庭様の祐筆とし、側近くに仕えて十日余り。

瞬く間に時が過ぎていた感がある。

未だ覚える事が多々在り、気が抜けない。


「白湯は私が、少々お待ちくださいませ」


「此れは……しかし、姫様御自ら御用意下さるとは」


 恐縮する鬼庭様に頭を振って異を唱える。

私が休憩の同意を求めたのだ。

合せの膝下を押さえ、ゆっくりと立ち上がった。

 米沢城内の構造にも大分馴れ、迷わずに出歩く自信は在る。

室内から滅多に出ない祐筆、顔馴染みの侍女は皆無。

途中擦れ違った侍女に頼めば事足りる。

だが、広い城内何処を探せば居るのか見当が付かない。

やはり、高森の居城とは勝手が違いすぎて困る。

幾度も廊下を渡り、私は厨を目指した。


「駒姫様では御座いませんか、如何為さいました?」


 呼び止めるのは、政宗様の乳母にして片倉様の異父姉。

彼女を紹介され、言葉を交わして思った。

その雰囲気が美津を彷彿させると。

構えていた肩の力を抜き、緩やかに振り返る。

彼女の連れる侍女等にも後軽く会釈をし、用向きを伝えた。


「喜多さんでしたか。

 休憩にと、白湯と水菓子を貰いに上がる途中なのです。

 厨へ向かうに道は間違っていませんか?」


「ま、間違っては居りませんが……。

 姫様が自ら白湯を用意されては、私達の立つ瀬がありません。

 訪れましたら厨でも驚き困りましょう。

 今後は私共に御命じて下さいませ、御願いで御座います」


「それは、それは……申し訳ない事をしました。

 城内にも大分為れましたので、足を運んでしまったのです。

 軽はずみな行いでした、以後気を付けましょう」


 呆気に囚われたのは、喜多以下背後に控えていた侍女等だ。

 

「まぁ…」


 御当主の従妹でもある。

更に従弟の成実様の婚約者、身分在る姫君。

噂ばかりが先行し、彼女の気性など先ず知らなかった。

その殊勝な物言いに居合わせた皆が目を見張る。

自分に非を認めて謝る姿など想像すら出来なかった。


「私共は侍女でしかありません。

 ですが……姫様は違いましょう、 侍女ではなく御祐筆」


 窈窕たる淑女。

穏やかに笑い頷いて謝罪した彼女へ、微苦笑を漏らした。

改めて私共に敬語は不要と喜多が断る。


「それでは喜多、鬼庭様と私の分なのですが白湯を所望しても宜しいですか?

 水菓子も添えてくれると嬉しいのですが…」


「本当に姫様は慎ましくていらっしゃる。

 御身分からして、いくらでも威高く振舞われても許される御立場でしょうに」 


「其れは心外、私の立場は皆と同じ政宗様に御仕えする身」


 言葉を吐息、聞いた喜多は心から笑んだ。

温かく人を気遣う姿に深く傾倒し、彼女に心寄せる当主の心内を悟って。

真に好い御器量の姫君。

成実様の婚約者、雛姫様は好逑の御方だと。


「直ぐに御用意いたします、部屋にてお待ちくださいませ。

 部屋まで案内を御付けいたします。弘子、頼みましたよ」


「はい、畏まりました」


 喜多の右手に控えた、歳若い女性が歩み寄って頭を下げる。

会釈して渡殿から踵を返し去っていく喜多等を、私と彼女は見送っていた。

梅雨明けして数日、今日は何時に無く暑い。

項に汗が流れる、襟元に汗染みが出来なければ良いのだが。

少しでも涼を求めたくなる、打ち水が欲しい。

揺らめく陽炎が庭先に見えた。


「御部屋まで御一緒いたします、参りましょう」


 艶やかな黒髪、幼さが残る面差しが揺れる。

私と対しても目線は変わらない、同じ年頃だろうか。

ふと、父上が仰っていた、もう一人の行儀見習いを思い出す。

名前が、弘子様……?


「もしや、弘子様は芝多常弘様の御息女?」


 俯いていた彼女が目線を合わせ微笑んで頷く。

ああ、良かった人違いでは無かった。

芝多様は人手不足の米沢城に、元服したばかりの御子息と愛娘を務めさせたと。

父上が仰っていた、当に御本人だったとは。


「はい、左様に御座います。

 姫様と同じく最近行儀見習いに上がりました」


 微笑んで頷き、彼女は部屋への案内のため歩き出した。

父上と親しく在る、芝多様の息女。

弘子様も姫と呼ばれて何の遜色もない御立場ではないか。


「同じ行儀見習い同士で御座いましょう、弘子様。

 貴女様から“姫”と呼ばれてしまっては、私も弘子姫と御呼びしなくてはなりません」


「ええっ、あの“姫”ですか……この私が、姫!?」

 

 なにやらアタフタと御手を交互に操り、弘子様が恐縮される。

上気なさった御顔と、困った様な面。

初心と言うか、品良く可愛らしい御方に笑んでしまう。

その風情が、別れて久しく会う事が出来ない高校の友人を思い出す。

憎気無い彼女だった。

美人なのに飾らない気性と言動、笑い合った日々。


「弘子様、私の事は“駒姫”でもなく、雛姫と呼んで下さりませんか。

 同じ年頃の友人が居らぬ故、心寂しい思いをしていたのです。

 是非とも仲良く、弘子様と御付き合いしたいのですが…」


 私の申し出が意外だったのか、弘子様の動きが止まった。 

呆気に囚われた表情で見つめ返される。

重なった視線。私は、首を傾げてもう一度問うた。


「私は弘子様と仲良くなりたいのです、駄目でしょうか……?」


 御当主の従妹にして、その左腕とされる成実様の御婚約者。

身分高く在らせる姫君の他愛も無い御願い。

我が耳を疑ってしまった。

この私と仲良くなりたい、友になりたい等と。

小首を傾げて尋ねられる御姿は、梅桃の如く小さくて愛らしかった。

紅を刷いた口元は、同性ながらも赤面してしまうほど。

穏やかに問うてくれた彼女に、私は必死で頷く。


「雛姫様、とても嬉しい御言葉です。

 私も新参者ゆえ心寂しい思いをしていました。

 気心の知れた友人が出来れば御勤めも楽しくなりましょう」


「私こそ嬉しい御返事です、弘子様。

 明日から仕事以外の楽しみがお互い増えますね」


「喜多様も申し上げていましたが、本当に雛姫様は慎ましい御方。

 威高く振舞われても愛嬌と許されましょうに」 


「其れこそ心外、父上在っての私です。尚更貶める様な言動は出来ません。

 政宗様に御仕えする身は弘子様とて同じでしょう」


 気取る事無い気安げな雰囲気を纏われる。

憧れを懐かずに居れない、穏やかな話術。

御気性と容姿に陶酔する。


「ならば、お休みの日には是非に気晴らしで遠乗りに出かけましょう。

 負けず劣らずに、私もじゃじゃ馬で御座います。

 御互いがきっと気兼ねなく走れましょう、思う存分と御一緒出来ますよ!」


「それは……嬉しい御誘いです、弘子様。

 お忘れ下さいますな、休日となれば御屋敷まで迎えに参上しましょうから」


 隣を歩く新たな友人、斜めから視線を交わし会話が弾む。

微妙な沈黙と声高な笑い。

肩を揺らしながら笑い合った。







 梅桃ゆすらうめ漢字で、桜桃でも間違いではありません。サクランボの樹木を桜桃おうとうと呼ぶ県民のため“梅桃”の表記にしました。

 

 芝多様の子息に姫君は、ネタ的な話題と妄想に事欠かぬ史実上の有名人物ですね。

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