梅桃の佳人を待て 01
真上から照りつける夏の日差し。
火照った体に涼を求め、陰る屋敷内に逃げ込んだ。
滴る汗を拭取るのだが、この暑さでは手拭までも替えが欲しい。
畳部屋に寝転がり小袖の袷を弛め、筒袖の下着まで着崩す。
冷たい畳の感触は一瞬、その涼しさは持続しない。
手に持った蝙蝠(扇)で扇ぐのも億劫、真夏の茹だる暑さに辟易だ。
「政宗様、だらしないにも程がありますでしょう。
身形に人一倍五月蝿い貴方様がなんて格好をなさっているのです」
首を巡らせば、廊下に立つ小十郎が逆さまに写った。
真夏でも一分の隙も無く衣服を重ね着した姿。
見ている此方が暑苦しくなる。
皮肉気に鼻で笑ってやった。
「なんだ、小十郎か?
こう暑くては何の気力も湧きはしない、とやかく言うな……口煩い奴め」
「御言葉ですが政宗様、この暑さでも姫様は業務に勤しんでいらっしゃいます。
彼女の働きぶり、多少は見習われたら如何です?
鬼庭殿がいたく感心なされて居りましたよ」
「……雛姫を、か?」
片手を付いて起き上がり、だらけた襟足を扇で仰ぐ。
顎をしゃくり続く言葉の先を促した。
* *
簾越しに涼風が吹き、開け放たれた部屋を満たす。
漂うのは静寂。
微かに聞こえるのは、袖が紙を擦る音と紙を滑る筆のみ。
鬼庭様から預かった草案を私は清書する。
一字一句を集中して終え、硯に筆を置いて初めて息を吐く。
強張った筋肉を解すべく、無意識に左右の耳を交互に肩に寄せた。
「随分と精が出ますね、姫様。
御疲れではないですか、一寸一服しては如何でしょう?」
吐息を付いた私を、見計らったようにして鬼庭様が御声を挙げる。
同室に居ながら気配を消した存在。
文机から体を離し、私は向きを変えた。
「お心遣い有難うございます。
宜しければ、鬼庭様も休憩を御一緒願えませんか?」
「それは嬉しい御誘いですね。
姫様の御誘いを、私が断ろう筈がありません」
鬼庭様の祐筆とし、側近くに仕えて十日余り。
瞬く間に時が過ぎていた感がある。
未だ覚える事が多々在り、気が抜けない。
「白湯は私が、少々お待ちくださいませ」
「此れは……しかし、姫様御自ら御用意下さるとは」
恐縮する鬼庭様に頭を振って異を唱える。
私が休憩の同意を求めたのだ。
合せの膝下を押さえ、ゆっくりと立ち上がった。
米沢城内の構造にも大分馴れ、迷わずに出歩く自信は在る。
室内から滅多に出ない祐筆、顔馴染みの侍女は皆無。
途中擦れ違った侍女に頼めば事足りる。
だが、広い城内何処を探せば居るのか見当が付かない。
やはり、高森の居城とは勝手が違いすぎて困る。
幾度も廊下を渡り、私は厨を目指した。
「駒姫様では御座いませんか、如何為さいました?」
呼び止めるのは、政宗様の乳母にして片倉様の異父姉。
彼女を紹介され、言葉を交わして思った。
その雰囲気が美津を彷彿させると。
構えていた肩の力を抜き、緩やかに振り返る。
彼女の連れる侍女等にも後軽く会釈をし、用向きを伝えた。
「喜多さんでしたか。
休憩にと、白湯と水菓子を貰いに上がる途中なのです。
厨へ向かうに道は間違っていませんか?」
「ま、間違っては居りませんが……。
姫様が自ら白湯を用意されては、私達の立つ瀬がありません。
訪れましたら厨でも驚き困りましょう。
今後は私共に御命じて下さいませ、御願いで御座います」
「それは、それは……申し訳ない事をしました。
城内にも大分為れましたので、足を運んでしまったのです。
軽はずみな行いでした、以後気を付けましょう」
呆気に囚われたのは、喜多以下背後に控えていた侍女等だ。
「まぁ…」
御当主の従妹でもある。
更に従弟の成実様の婚約者、身分在る姫君。
噂ばかりが先行し、彼女の気性など先ず知らなかった。
その殊勝な物言いに居合わせた皆が目を見張る。
自分に非を認めて謝る姿など想像すら出来なかった。
「私共は侍女でしかありません。
ですが……姫様は違いましょう、 侍女ではなく御祐筆」
窈窕たる淑女。
穏やかに笑い頷いて謝罪した彼女へ、微苦笑を漏らした。
改めて私共に敬語は不要と喜多が断る。
「それでは喜多、鬼庭様と私の分なのですが白湯を所望しても宜しいですか?
水菓子も添えてくれると嬉しいのですが…」
「本当に姫様は慎ましくていらっしゃる。
御身分からして、いくらでも威高く振舞われても許される御立場でしょうに」
「其れは心外、私の立場は皆と同じ政宗様に御仕えする身」
言葉を吐息、聞いた喜多は心から笑んだ。
温かく人を気遣う姿に深く傾倒し、彼女に心寄せる当主の心内を悟って。
真に好い御器量の姫君。
成実様の婚約者、雛姫様は好逑の御方だと。
「直ぐに御用意いたします、部屋にてお待ちくださいませ。
部屋まで案内を御付けいたします。弘子、頼みましたよ」
「はい、畏まりました」
喜多の右手に控えた、歳若い女性が歩み寄って頭を下げる。
会釈して渡殿から踵を返し去っていく喜多等を、私と彼女は見送っていた。
梅雨明けして数日、今日は何時に無く暑い。
項に汗が流れる、襟元に汗染みが出来なければ良いのだが。
少しでも涼を求めたくなる、打ち水が欲しい。
揺らめく陽炎が庭先に見えた。
「御部屋まで御一緒いたします、参りましょう」
艶やかな黒髪、幼さが残る面差しが揺れる。
私と対しても目線は変わらない、同じ年頃だろうか。
ふと、父上が仰っていた、もう一人の行儀見習いを思い出す。
名前が、弘子様……?
「もしや、弘子様は芝多常弘様の御息女?」
俯いていた彼女が目線を合わせ微笑んで頷く。
ああ、良かった人違いでは無かった。
芝多様は人手不足の米沢城に、元服したばかりの御子息と愛娘を務めさせたと。
父上が仰っていた、当に御本人だったとは。
「はい、左様に御座います。
姫様と同じく最近行儀見習いに上がりました」
微笑んで頷き、彼女は部屋への案内のため歩き出した。
父上と親しく在る、芝多様の息女。
弘子様も姫と呼ばれて何の遜色もない御立場ではないか。
「同じ行儀見習い同士で御座いましょう、弘子様。
貴女様から“姫”と呼ばれてしまっては、私も弘子姫と御呼びしなくてはなりません」
「ええっ、あの“姫”ですか……この私が、姫!?」
なにやらアタフタと御手を交互に操り、弘子様が恐縮される。
上気なさった御顔と、困った様な面。
初心と言うか、品良く可愛らしい御方に笑んでしまう。
その風情が、別れて久しく会う事が出来ない高校の友人を思い出す。
憎気無い彼女だった。
美人なのに飾らない気性と言動、笑い合った日々。
「弘子様、私の事は“駒姫”でもなく、雛姫と呼んで下さりませんか。
同じ年頃の友人が居らぬ故、心寂しい思いをしていたのです。
是非とも仲良く、弘子様と御付き合いしたいのですが…」
私の申し出が意外だったのか、弘子様の動きが止まった。
呆気に囚われた表情で見つめ返される。
重なった視線。私は、首を傾げてもう一度問うた。
「私は弘子様と仲良くなりたいのです、駄目でしょうか……?」
御当主の従妹にして、その左腕とされる成実様の御婚約者。
身分高く在らせる姫君の他愛も無い御願い。
我が耳を疑ってしまった。
この私と仲良くなりたい、友になりたい等と。
小首を傾げて尋ねられる御姿は、梅桃の如く小さくて愛らしかった。
紅を刷いた口元は、同性ながらも赤面してしまうほど。
穏やかに問うてくれた彼女に、私は必死で頷く。
「雛姫様、とても嬉しい御言葉です。
私も新参者ゆえ心寂しい思いをしていました。
気心の知れた友人が出来れば御勤めも楽しくなりましょう」
「私こそ嬉しい御返事です、弘子様。
明日から仕事以外の楽しみがお互い増えますね」
「喜多様も申し上げていましたが、本当に雛姫様は慎ましい御方。
威高く振舞われても愛嬌と許されましょうに」
「其れこそ心外、父上在っての私です。尚更貶める様な言動は出来ません。
政宗様に御仕えする身は弘子様とて同じでしょう」
気取る事無い気安げな雰囲気を纏われる。
憧れを懐かずに居れない、穏やかな話術。
御気性と容姿に陶酔する。
「ならば、お休みの日には是非に気晴らしで遠乗りに出かけましょう。
負けず劣らずに、私もじゃじゃ馬で御座います。
御互いがきっと気兼ねなく走れましょう、思う存分と御一緒出来ますよ!」
「それは……嬉しい御誘いです、弘子様。
お忘れ下さいますな、休日となれば御屋敷まで迎えに参上しましょうから」
隣を歩く新たな友人、斜めから視線を交わし会話が弾む。
微妙な沈黙と声高な笑い。
肩を揺らしながら笑い合った。
梅桃漢字で、桜桃でも間違いではありません。サクランボの樹木を桜桃と呼ぶ県民のため“梅桃”の表記にしました。
芝多様の子息に姫君は、ネタ的な話題と妄想に事欠かぬ史実上の有名人物ですね。




