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華胥の国に遊ぶ  作者: 柴舟
壱章
16/51

百合は蒼穹を仰ぐ 08

 案の定と言うべきか……。

昨日の野駆けで、私の体は筋肉痛に陥った。

目覚めた瞬間より、足腰が悲鳴を上げたのである。

緩慢な動作で朝餉の支度を手伝う私、侍女達は不信に思ったのだろう。


「本日より登城なさるのに、体の具合が悪いのでは……」

 

「殿に事情を説明してお休みくださいませ、心配でございます」


 美津や侍女達は本当に心配性だ。

綺麗に配膳された食器を持ち上げ、大丈夫だと頭を振って否定する。


「昨日の野駆けが、思いのほか体に残ってしまっただけだよ。

 心配しなくても大丈夫、ただの筋肉痛なのだから」


 御櫃を持った美津と連れ立ち、父上の待つ部屋へと向かった。

侍女の言葉通り、私は今日から祐筆として御仕えする。

野駆けが原因で体調を崩し休むなど、屈辱この上ない。

成実様は御心配下さるだろうが、政宗様には鼻で笑われるだろうよ。 


 * *


 米沢城は、別名を松岬城と称する。

城の東に最上川(松川)、北西には堀立川が流れる平城だ。

二つの川を挟む事で物流の便に恵まれた、米沢の下町。

十五代晴宗様(政宗様の祖父)より、本拠地として三代が居城としている。

 城の本丸・正門は北に在り東側は裏門、通常裏門は閉ざして正門より入城するのが常。

父上は縁戚、譜代の家臣として伊達家に御仕えする御身である。

重臣として騎乗しての登城が許されているが、私を連れのため徒歩の通いになってしまった。まさか親子揃って騎乗の登城は拙いだろうと。

石斛は勿論の事、青墨も徒歩小姓に手綱を引かれている。


「今日は初日、先ずは気負わず御仕えなさい。

 祐筆は部屋に篭っての仕事、不用意に出歩くな。

 もし、何か有れば私か成実殿が間に立つからね……安心しなさい」


「私は方向音痴ですものね、城内できっと迷子になります」


 正門を潜った辺りから、私の緊張はピークに達した。

伊達の家臣達から注目され、城内を進めば侍女等が興味深気に覘く。

確かに、見知らぬ娘に視線が集まるのは当然の事。

父上と連れ立って歩いているのが責めてもの救いだ、留守家に縁ある娘と判る。

歩んでいた足を止め、私を心配気に見下ろす父上。

自覚はしていたが、やはり強張った表情を浮かべていたらしい。


「随分と緊張している様子だね。まあ、分からないでもない。

 こうも皆から注目を浴びてしまってはね」

 

「はい、その……皆様に御迷惑をお掛けしない様に努力いたします」


 集められた視線は苦痛を与える。

私に至らぬ点があるのなら是非、御教授を願いたいものだ。

服装はもとより、身形にも気を配って支度した筈。

なぜこうも人目を引く……。


「私の仕事部屋に着いたら暫く休もう、白湯を運ぶように手配するから」


 父上の有難い案に頷き、緩々と廊下を進む。

緊張で胃が痛くなり、米神を締め付ける頭痛さえもする。

湿気を含んだ生温い風が助長し、この身に纏わり付くのだ。

不快感は早々拭えるものでは無かった。


 * *


 受け取った口当たりの優しい白湯を飲み込んだ。

くすんだ雲間から僅かに覗く色合い、夏には未だ早い空を仰ぐ。

座敷から見上げて、緩く息を吐いた。


「申し訳ありません、成実様。御心配をお掛けして」


「注目されるのも仕事の内、初日だから仕方ないよ」


 柔らかな朱鷺色の小袖を身に纏う人。

恐縮して頭を下げるは、俺の婚約者である。 

白い肌には緊張の色が濃く、浮かない表情だ。

黒々とした瞳が伏目がちに輝き、睫毛が目元に濃い影を映す。

朱を刷いた口元から幾度も謝罪が漏れた。

 人目を引く可憐で儚げな風情、全てが華奢で優しげな従妹。

政宗様が俺に嫉妬し、邪魔したのも今なら頷ける。

こうも愛らしく、麗しい婚約者ならば尚更だ。


「落ち着いたら政宗様に挨拶に行こう?

 他の重臣達にも目通りしなくちゃいけないから、さ……」


 勿論、体調が心配で彼女の側に居るのだが……。

実のところ、謝罪の意も含んでいる。

雛姫の事を昨晩、皆々に自慢したのは軽率だった。

彼女が政景様と登城するや否や、城中の注目が的となり。

伊達家中は話題の人を一目見ようと好機に群がった。

寄せられた好奇の目、緊張の余り体調を崩してしまった彼女の心中を察する。

 後で政景殿に何を言われるのか、俺はとても心配だった。

政宗様の嫉妬より怖いです、未来の舅殿ですから。


「政宗様の従妹だからね、雛姫が注目されるのは当然だよ。

 俺の婚約者だと知れ渡っているしね。

 なんせ、馬を強請った逸話で益々と有名人だし」


「今更ながら後悔しても遅いのですが、御願いです。

 瓢箪の事は、もう決して言わないで下さい。

 本当に出来心で、悪戯からの思い付きなのですから」


「催促にしても“瓢箪から駒”は傑作だったよー!

 俺も政宗様も大爆笑、あの鬼庭殿も吹き出した位だしね」


 あの鬼庭殿が堪え切れず、噴出した姿は見物だった。

思い出しては笑ってしまう。

 傍らに座り、恥ずかしげに俯く雛姫を俺は愛でた。

髪を結い纏めるのは、小袖と同色の髪紐。

緩々と頭を振る度、朱鷺色が背後で揺れる。


「今となっては、思い出すだけで恥ずかしいです……」


「政宗様がね、流石だって褒めてたよ。

 女の身で虎哉禅師の一番弟子は雛姫に相違ないって、凄い笑ってた」


「へそ曲がりの一番弟子でございますか。

 其れは、何と御礼述べるべきか、困ります……」


 ちょっと困った表情を浮かべ、はにかむ雛姫。

部屋を訪ねた時よりも大分顔色は良い、解れた様子に安堵する。

口数も増えた事だし、そろそろ頃合だろう。

何時までも部屋に留まっていては、皆に迷惑がかかる。


「挨拶、行けるかな?」


 俺の問いかけに小さく頷く。

小袖の裾を片手で払い押さえ、雛姫は緩やかに褥から立ち上がった。

洗練された淑やかな所作に目を細める。


「大丈夫です、成実様。挨拶に向かいたく思います」


「うん、じゃあ行こうか」


 雛姫を伴い廊下を歩く。

美人の立ち居振る舞いを花に譬えた諺。

 『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』

そんな言葉が脳裏に浮かぶ。

 彼女の細く儚げな立ち姿は、純潔無垢な風情と合いまって純白の百合を彷彿させた。

美貌と匂うが如き威厳、佇まい。

それは、従兄の贔屓目にしても奥州一を賞する容姿だろうと。

俺って幸せ者だと改めて実感し、二歩後ろの雛姫を振り返る。


「落ち着いたら城内を案内してあげる。

 政宗様自慢の庭や、俺が秘密にしている場所なんかもね?」


「……秘密の場所?」


「うん、凄く本格的な物を作ったんだよ。

 迂闊に入ると罠に落ちるから、俺が必ず同伴してあげる」


 私を気遣い、安堵させようと成実様は手を尽くして下さる。

涼やかな目元を細めて、他愛の無い会話を紡ぎ。

 多分、悪気は無かったのだろう。

瓢箪を話題に出されたのは……。

いや、もう……顔から火が出そうだった。

浅はかだった、軽率だったと後悔しても、もう遅い。

恥ずかしい事この上ない噂が、城内に流れてしまったのだろう。

何故こうも注目されたのか、皆の視線の訳が理解出来た。

打ち消す様に、何度も頭を振ったが状況は変わらないのだ。

人の噂も七十五日だったか?

早く忘れてほしいものだ……と、自嘲気味に寂れて笑う。

 廊下を曲がった先で待ち構えていた人影。

俯き考え事をして歩いていたためか、その存在に気付かなかった。


「具合はどうかな“駒殿”、緊張し体調を崩すなんて、当に繊細なじゃじゃ馬ではなか?」


 御声を拝聴し、先ず成実様が立ち止まる。

それに習い、私は淑やかに廊下に膝を着き頭を下げた。


「政宗様、脅かさないで下さいませ。

 気配を消されて待ち伏せなさるなど、悪趣味でございます。

 それでなくとも、私の小さな肝が潰れるかと思いました」


「それより政宗様“駒”って、何です……?」


 頭を垂れる私を庇うかのように、成実様の御足が見えた。

そう、私も気になっていた“駒”とは何だ。

嫌な予感が過ぎるが、それを思い過ごしと流したい。


「じゃじゃ馬に灸を据える、丁度良い名前だろう。

 なにせ瓢箪から“駒”だものな、お強請り上手な従妹殿?」


「うはぁ……政宗様、貴方は鬼です!」


 当主様の一瞥が、成実様の抗議を遮った。

内情含む彼の人が眼光、薄い口辺には含む笑い。

成実様の反応を愉快と流し、名付けの裏面を語る。


「本名は親族だけに呼ばせろ、一族の特権としてな。

 だからな雛姫、今日からは駒姫と名乗るがいい……了解したか?」

 

 平伏したまま、只頷く事しか出来まい。

因りによって“駒”駒姫とは、何の因果か……。

過去に知り得た知識から、二重の意味で加重を受けた。

政宗様は知らないのだ。

その名前の意味と、彼女が顛末を。


「政宗様が自ら付けて下さりました御名、有難く頂戴致します」


 単なる偶然なのか、それとも必然か。

私は史実とは異なる世界に存在する。

女児として、既に系図に記され組み込まれて。

流れも経緯も違う、史実とも違う世界。

既に伊達の臣となり、義を尽くされる武将方。

それは、最上様に佐竹様を筆頭と……。


「言っておきますけどね、政宗様。雛姫の婚約者は俺です」


「……早く来い、皆に紹介してやる」


「全く、聞いてやしない!」

 

 廊下に跪く私に、成実様が屈んで御手を差し出してくれた。

小さく御礼を申上げ、御借りして緩りと立ち上がる。

視線を上げた、私を見つめる二つの御顔。

満面の笑みを浮かべた成実様。

眉間に皺を寄せた政宗様。

逸らされぬ強い視線に、対照的な御二方の表情。

思わず、私は戸惑い尋ねた。


「あの、私が何か……?」


「「何でもない」ないよー」


 二つ重なり返ってきた答え。

目を見開く私の視線を避け、真っ先に背を向けた政宗様。

御気分を害されたかと小首を傾げると、成実様に先を促される。


「雛姫は気にしないで…ん、じゃ参りますかー?」


 御二方の背を見つめて、自問自答を繰り返す。

明かす事の出来ぬ、異なる世界の史実を御存じですかと。

知らずに名付けたのなら偶然。

それは、必然でしょうか……?

私の通称は思い付きですか、と……。

為らば因果応報、戯れに運んだ命なのか。

私は廊下を経て遠い空を仰ぐ。

雲間から僅かに覗く、蒼穹の天を。


駒姫とは、最上義光と大崎夫人(正室)との娘。

東国一の美貌と謳われた伊達政宗の従妹。関白となった秀次の強い所望で聚楽第に上がりますが、実質的な側室となる前に他の側室や御子様方達と処刑された悲劇の佳人。『功名が辻』にも駒姫(通称は於伊満、お今)が秀次の側室として出演、さりげなく辞世の句も流れていた。

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