百合は蒼穹を仰ぐ 07
父上同様に、騎乗する成実様の姿は美しかった。
趣味の範囲としては十分と、思っていた私の馬術。
御二人は流石に戦場の勇、人馬一体の見事さに溜息が零れる。
お遊び程度の馬術で、軍馬である青墨を操るのは一苦労。
駿馬である石斛は勿論の事、成実様の御乗馬も年若く素晴らしい体躯である。
その差は開くばかり、開いた距離が力量全てを物語る。
馬が優れていても騎手が素人では……な。
青墨にとっては、不本意極まりない騎手であろう。
「父上と石斛を恨まないでくれ、乗り手が悪いのだから。
こうして青墨の背に乗れて私は嬉しいよ。
不甲斐無い私の為に、急がずに走ってくれないか……?」
手綱を緩めて、青墨の黒い鬣を撫でる。
初夏の野駆を楽しもうと、自身に言い聞かせて。
気を取り直し、離れてしまった距離を縮めるべく駆けだした。
遙か前方に開きすぎ距離を気にしてか、馬首を此方に向けた成実様が見える。
立ち止まり笑みを浮かべ手を振って。
「雛姫は、本当に馬が好きなんだね。
乗馬禁止なんて言わないから、俺は一緒の外出は大歓迎だしさ」
「本当ですか?今のは、冗談だった……なんて、私は嫌ですよ」
「いいんだよなぁ、俺。
惚気とか沢山言って、城の皆に自慢して回ってもさ……」
「……し、成実様?」
馬の歩調を合わせ、並んで会話を交わした成実様。
彼は親しみやすく、爽やかな人柄の男性だと思う。
秀でた武勇ばかりを評されるが、父上にも似た穏やかな雰囲気を御持ちだ。
話題に上げるのは、日々の日常を面白可笑しく語った物ばかり。
楽しむべきは野駆だが、会話に注意が向いてしまう。
「成実様も御忙しくていらっしゃるのでしょう?
お付き合い下さり有難いのですが、御疲れではありませんか?」
「いや、今日は殆ど仕事してないんだ。
政宗様から特別休暇をもらったからね……。
政景殿と遠乗りに出掛ける事を伝えたら、簡単にお許しが出た。
酸っぱい顔して嫌味を言う割に、優しい御方なんだよ……政宗様ってね」
父上もそうだが、成実様も会話の端々に政宗様を尊敬される節の言葉回しが多い。
叔父、従兄弟であるが故に一歩を引き、当主を守り立てる姿が容易に想像できる。
最も酸っぱい御顔は、多忙な責務の違いで生じた表情だと思うが……。
此処は知らぬ振り、敢えて言わないでおこう。
* *
田園には緑が広がり湿気を含んだ風が凪いでいた。
穏やかな風景が広がる米沢の地を馬上から眺める。
続いていた会話が途切れ、私は尋ねた。
「父上は、もう堂森善光寺に着きましたでしょうか」
「……多分ね。でも急がなくて良いんだよ。
青墨が雛姫に合わせて、無理なく走ってるんだからさ」
茂る木立を両脇に門前へと差し掛かる。
緑の濃い木々に囲まれた堂森善光寺が遠くに見えた。
隣を進む成実様が、訝しげと首を傾げて目を凝らす。
私の視力では、馬らしき粒が三つ並んで見えるだけだが……。
成実様は、誰か心当たりを認めになったのだろうか。
「御知り合いの御方でも御見えになりましたか」
「あ……嗚呼、そうなんだけれど」
成実様の眉間に皺が波打つ。
これが従兄弟感で表す、酸っぱい御顔なのだろうか?
米神に指を押し付けての独り言。
私には聞こえなぬ音量で、言葉を呟いていらっしゃる。
尋ねようにも眉間の皺で躊躇してしまったが。
寺に近付くつれ、私の視力でも容易に姿と状況を確認する事となった。
成実様が御顔を顰めた理由。
それが判ってしまい、思わず噴出していた。
「従兄君も人を驚かせたり、悪戯が御好きなのでしたね……」
「見る人が見れば、俺達って似た者同士?」
同じ人物を見据え、顔を見合わせれば笑いを生む。
成実様が手綱を引いて歩みを緩め、私も其れに習った。
前方に見えるは馬上で腕を組む、年若い御当主様の御方。
此所からでも悪巧みの成功を示す、含みのある表情が見て取れた。
やや顔を上げ、威圧感を漂わせる口角。
傍らには父上が居て、背後に片倉殿を従えて……。
「随分と遅い御到着だな、成実に雛姫?」
「何で、政宗様が此処に居るのです……」
訝しむ成実様の視線を受け流す。
飄々とした口調にて、伊達の当主様が肩で風を切った。
そして、堂々と言い放ったのは……。
「お前達の動向、黒脛巾によって筒抜けだからだ」
片倉様が背後で苦笑いを浮かべた。
黒脛巾組とは、伊達家専属の忍が集団。
忍が労力を使い私達の動向を調べさせたとは……。
なんとまぁ、随分と手が込んだ監視である。
戯れの野駆けが露見し、当主交えた本格的な外出に発展。
迂闊の一言で絞めるには、理解出ぬ顛末だ。
「領主自らが案内するも一興、そう思わないか?」
随分と押し付け的な申し出である。
有難いが、正直戸惑う気持ちが大きい。
何とも返答し難く、当たり障りの無い御礼句しか脳裏に浮かばない。
気の利いた台詞は無く、答礼は陳腐な言葉だった。
青墨の鞍から慎重に降りて頭を下げる。
「政宗様御自ら案内下さいますとは、身に余る光栄で御座います。
私ごときの為、御手に時を煩わせてしまったとは……申し訳ありません」
御礼を申し上げると、満足げに頷く政宗様。
対照的に成実様は無言のまま馬上に在り、自らの米神を再度片手で押していた。
戸惑う私を心配してか、青墨が手綱を取る肩に鼻面を寄せる。
黒々とした瞳で不安げに覗き込む。
回した腕で頬骨を優しく撫でて、落着かせてやった。
大丈夫、心配いらぬ……と、鼻面をかいてあげながら。
馬は神経質な生き物、大変気配に敏感なのだ。
丁寧に扱ってやらねば、不信感を抱かれてしまう。
「何か言いたげだな、成実」
「いえ、政宗様が本日は大変御優しい……と、万感の思いで」
「言いたい事は、はっきりと口にした方が良い」
馬上で従兄殿御二方の抗争。
言葉よりは雰囲気、醸し出される気配が怖い。
幼馴染の気安い間柄とは判っているのだが、立つ瀬無い思いを抱く私。
父上を見上げれば穏やかに微笑むだけ、窮してしまった。
見兼ねた片倉殿が仲裁に入ってくれる。
「政宗様、其れこそ時間の無駄で御座いますよ。
境内をくまなく案内すならば尚更でしょう。
早く馬上から御降りになって、手綱を預けてはいかがです」
門番と寺の馬番だろう、間違い無く。
手綱を受け取ろうと、下馬である門前で右往左往している。
軽く挨拶をすると、彼等は近寄り馬の手綱を受け取ってくれた。
最後に成実様が馬の手綱を渡す。
馬番に連れて行かれる青墨を眺めていると、側に成実様が歩んできた。
何事かと見上げる私に腕を伸ばし、頬に掛かった髪を掃う。
面食らって御顔を見つめてしまった。
慌てて視線を逸らし、自らも乗馬で乱れた前髪を手櫛で整える。
何気ない仕草だろうが、それは不意打ちだ。
父上にも似た優しさが気恥ずかしく、地面に視線を這わせ俯く私。
「大丈夫、大丈夫。心配しなくても雛姫は可愛いから」
「……あっ、あの……」
「随分と仲睦まじいではないか、成実殿?」
つまり、目撃されたらしい。
未だ走り足りぬと、足踏む石斛を宥めていた父上が……。
轡を引いて手一杯だったろうに、目聡いお人だ。
「政景様の愛娘を粗末に扱うなどしませんよ。
雛姫殿とは、人も羨む夫婦を目指していますから御安心下さい」
爽やかと成実様が父上に会釈を送り……。
苦味潰しを噛んだ様な表情の政宗様が、高く組まれた石段から見下ろしていた。
「いい加減にしろ、俺の貴重な時間が勿体無いだろうが!」
片倉様も手前で此方を見ている。
なんて事だ、御二人にも見られていとは!!
晒し者だ、気恥ずかしさが増し、俯き加減で歩む私だった。
「はいはい、失礼しました。雛姫、足下に気を付けてね」
父上と成実様から更に三歩下がり、後を付いていく。
慣れない青墨に騎乗した事で、私の下肢は疲れを覚えていた。
ゆっくりとした歩調で前を進む成実様の気遣いを嬉しく思う。
本堂へと続く石畳の両脇には、色取り取りの紫陽花が咲き誇っていた。
微妙な色の違い、株毎に房の大きさが異なる配列。
紫陽花に目を奪われ、気が付けば側には誰もいない。
「雛姫、先に本尊へ挨拶なさい。
紫陽花は後でゆっくり鑑賞できる、急ぎ此方に……」
板敷きで草鞋を解いていた父上に呼ばれ、足早に向かう。
一行が本堂に入れば、住職が歩み出て来た。
成実様と片倉様は御賽銭を上げるべく、懐を探っていらっしゃる。
父上が急な訪問を住職に詫びていたが、政宗様は止まらず堂内を先へと。
私も御賽銭を出そうとしたが、名を呼ばれてしまった。
「見せたい物は此方だ、案内してやる」
先へ進まれた政宗様、私は御姿を追いかけた。
目当ての本尊の前で片手を腰に当て、自ら御説明下さる。
「いいか、よく聞けよ。
堂森善光寺は大同年間(806~810)の創立だ。
大日如来を本尊とし、他に見返り阿弥陀如来(檜材の漆箔)立像を所蔵する」
背後に佇む父上や成実様は、勝手知ったる場所なのだろう。
改めて聞く必要など無い様に周囲を見渡し。
政宗様の視線を一手に引き受け、私は緊張の面持ちで頷いた。
住職と政宗様に案内され、続いて拝見したのは立像だった。
それは、横向きの見返り阿弥陀如来像。
大変珍しい御姿で、容姿は麗しく慈悲深い御心を顔に漂わせている。
俯いた御顔、救いの右手を差し出す御姿。
穏やかな表情に心が震えた。
「とても美しく、慈悲深い御顔立ちでいらっしゃる……」
指し伸ばされた救いの御手に、私は見入ってしまった。
穏やかな面差しに優美な肢体、優しく麗しい御姿。
溜息が漏れ、阿弥陀如来像から目が放せない。
そんな私を政宗様が見つめていた。
「此所は、祖父である晴宗公(輝宗様・政景様の父君)の娘、益穂姫に所縁の寺だ。
無論、御前にだって縁ある寺。
知らなかったでは済まされない事だ、覚えおくが良い」
「はい、勿論です。
御説明と案内を頂き有難う御座います、政宗様」
深く頷いて顔を上げれば、私の顔を覗き込む政宗様の視線と交わった。
目を見開く私から慌てて顔を逸らす。
天井を向いた御顔、何処と無く御耳が赤いのは気のせいだろうか。
「感謝される程の事じゃ……ない」
ボソりと呟かれた言葉は、やや聞き取り難かったが……。
彼の人の、心遣いと優しさは十分理解出来た。
腕を組み天井を見上げる政宗様に、私はもう一度改めて御礼を述べる。
成実様が側に移動なされ、下げた私の頭に手乗せる。
「我が従兄君も、雛姫が余程御気に召したと見えます。
よかったね、御当主が自ら説明下さるなんて滅多にない事だ。
似た者同士の悪戯に感謝しないと……ね」
「左様ですね、成実様。御当主様に感謝しませんと」
留守家の屋敷で交わした“見る人が見れば似てる”発言。
突と成実様が引合いに出された。
見る人が見れば、私達は似た者同士なのか?
政宗様と片倉様は首を傾げたが、父上は意を捉え微笑む。
片手を上げた成実様が切り出した。
「政宗様、本尊の御説明も終わった事です。
後は庭の紫陽花を、じっくり鑑賞と致しましょう?」
「……ああ、そうだな」
何とも腑に落ちない御様子の政宗様。
意気揚々と、先頭を歩く成実様を凝視していた。
傍らに歩む住職が、境内の紫陽花は今が見頃なのだと説明する。
父上の二歩後ろ、連なる末尾を私は歩く。
本堂から見渡す、咲き誇る鮮やかな花。
移ろい易い色から、紫陽花の花言葉は“移り気な心”だったか?
しかし、一房に咲き集う姿から“一家団欒・家族の結びつき”の意味もある。
父上と成実様の背を見上げ、梅雨空の晴れ間から差し込む光を浴びた。
青い夏空には未だ早い梅雨の頃、眼下に紫陽花は咲いていた。
* *
堂森善光寺からの帰路の事である。
政宗様と片倉様が加わった、賑やかな道中。
私の乗馬姿に眉を顰めた御当主が、今後の教師役を名乗り出られた。
戦々恐々と恐縮する私に、思わぬ逆風の声。
「丁度好い機会だよ。
政宗様は裸馬をも乗りこなす一門きっての騎手。
しっかり教えてもらいなさい、落馬などせぬようにね」
「御祝いに青墨を賜ったんだ。
乗りこなせなくては勿体無いよ、頑張れー雛姫!!」
当主様に、教えを請えと仰るのですか。
本心から御遠慮申し上げたいのだが……。
父上と成実様が、爽やかな笑顔で背を押すのです。
揃いも揃って、伊達一族の皆様は意地が悪い。
爽やかに微笑まないで下さい。
引き攣った表情を浮かべる私。
眺める彼の御当主様は、艶然嬌笑と含む口角。
申し出をお断りするなど、出来よう筈ないだろう!!
辞退しようも、後々が色々と在りそうで怖い。
喉から絞り出すは、後悔が滲む嘆願。
「ま、政宗様……宜しく、御指導下さいませ」
片倉様には、微笑ましい光景に映ったのでしょうか。
怜悧な目元に口辺が、若干下がっていらっしゃいません?
素知らぬ振りなさらず、私を助けては……下さらないのですね。
コレって、馬を強請ったのが仇となったのですね。
それとも、じゃじゃ馬だと灸を据えたられた?
嗚呼、多分そうなので……しょう。
賜った駿馬に満足気の父上と一緒、門前で当主ご一行を見送り、頭を項垂れた夕刻だった。
堂森善光寺は紫陽花寺として有名ですが、前田の慶次さん縁の寺でもあります。




