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華胥の国に遊ぶ  作者: 柴舟
壱章
14/51

百合は蒼穹を仰ぐ 06

 

 湿気を帯びた風、漂い梅雨の気配がした。

何処の屋敷もそうだろう、朝は慌しく過ぎるものだ。

 留守家の米沢屋敷は、増えた家臣を養うべく厨も広く足されていた。

高森の侍女達に指図する地元の台所番は大忙しで、誰某構わず用向きを言い渡す。

料理の盛り付けや膳の運搬、朝餉の給仕を私も一緒に手伝う。

一段落した頃を見計らい、厨から抜け出して玄関先へと向かう。

登城する間際の父上にソレを差し出すために…。


「是非、これを御持ち下さいませ」


 角盆に乗せ布を掛けたソレに首を傾げる。

クビれた胴体に青の組紐が結ばれた、小振りの“瓢箪”。


「……雛姫の願いならば勿論だが。しかし、その理由は何であろう?」


「この瓢箪は、大変な縁起物なのです」


 訝しげる馬上の父上、眉間にシワが寄っている。

説明が怪しいらしい。

もう一声か、理由を付け足そう。


「当主様が御覧下されば、即座に理解頂ける御品」


 昨晩、政宗様と交わした約束だ。

戯れの祝いを下さるにしても、態々呼び止めて下さり。

一晩位で忘れるハズは無い。

物欲しげに強請る姿を、笑って頂くが狙いだ。


「雛姫がそうまで勧めるのならば、政宗様に御見せしよう」


「吉報をお待ちしています」


 私は侍女達と屋敷の門前まで見送った。

半信半疑な馬上の父上が、数人の家臣と共に登城なさる。

帰宅は不定時らしいが、御帰りになられたら政宗様の反応をお聞きしたい。


 *  *


 父上が登城し一刻経った頃だろうか……。

俄と急に屋敷内が騒しくなった。

御帰宅であれば騒ぎの予想が出来るが、それにしては時間が早すぎる。

さては来客か、物売りだろう……と、私は止めた筆を再開した。

母上宛の手紙は今朝早くに、八房へ頼み高森へと運んでもらっている。

今認めているのは、虎哉宗乙禅師への文。

御当主の政宗様との初対面、行儀見習いに上がった旨を伝える内容だ。

 騒がしい屋敷内に全くと興味を示さない私。

やはり不審に思ったのか、乳母である美津が席を立つ。

部屋に控えているのは、残った侍女一人。

私は彼女の纏う気配に微苦笑し、言葉を続けた。


「来客ならば父上の不在を知って諦める。

 もし、物売りならば珍しい品を扱っているだろう。

 私に構わず先に行っておいで、構わないよ……」


 軽く頭を下げ小走りに駆け出す侍女の姿を横目に、私は筆を進めた。

馬上から眺める程度だが、城下は商業都市として物流がよく発達していた。

広く整えられた道幅、立ち並ぶ商店に集う賑やかな人の流れ。

高森では見かけない専門品を取扱い、業者が一挙に集う特徴的な町並み。

父上の許しが出たら、是非とも町を歩き回ってみたい。

品揃え豊富な小間物屋や呉服屋などは、侍女達でなくても興味はある。


「雛姫様……!」


 廊下より上がったのは、美津の声だ。

先程の侍女も小走りに部屋に戻ってきた。


「雛姫様、殿がお客様と一緒に帰宅為されましてございます。

 急ぎ御出迎えと挨拶のご支度をなさいませ」


「……それよりも姫様、早く御覧下さいませ!

 殿が立派な御乗馬を賜りまして御座います。

 それは、それは見事な葦毛の馬なのですよ!」


 顔を高揚させ一気に話す侍女、私は頷き立ち上がる。

父上の御帰宅が騒ぎの原因だったか…。

耳を澄ませば、微かに馬の嘶きと人の感嘆。

下賜された馬を連れての帰宅ならば、客人の来訪にも納得だ。

侍女に先導され、私は部屋を後にした。

 騒ぎの中心たるは中庭だろうか……。

対面する廊下に、屋敷内から人集りが出来ていた。

馬上が父上の御姿を見つける。

即と視線が絡み、私から声を掛けた。


「お帰りなさいませ、父上。随分と立派な馬に御座いますね」


「雛姫が持たせた瓢箪から駒が出たのだよ。

 大笑いした政宗様が“振ってみよ”と、仰せになられてね。

 この馬を下賜くだされた、見事な駿馬だろう」


「それは好き事、お目出度い事ですね」


「……何を申す、雛姫の手柄で賜ったのだ。

 祝いの品に“青墨が欲しい”強請ったのだろう?

 これは是非とも、賜った馬の名前を御前に決めて貰わねば縁起が悪かろうな」


 白い毛に濃褐色の色が混じった、見事な葦毛。

青墨と同様に高い知性を感じる黒々とした瞳、年若い駿馬を見つめ思案する。

集まった家中の目が私に集中していた。


「ならば、“石斛せっこく”とは、如何でしょう?」


「ほう、石斛か……確か、蘭の名前だね?」


 頷いて駿馬を見つめる父上。

それに吊られ、軍馬を見上げる私。

見事な体躯に知れず二人で笑みが零れ出た。


「えぇ……ゴホン、政景殿?

 愛馬の命名と由来はさて置きですね。

 早く其方のお嬢様を、私に紹介していただきたいのですが……」


 馬上の父上の直ぐ脇。

後手に馬の手綱を持つ、年若い男性に気が付く。

連れているのは体躯優れた栗毛の馬、設えたれた馬具は見事な拵えだ。

服装と身形に至っても、父上の御客人であるのは間違いない。

一角の武将たる御方に失礼遭ってはならない、私は姿勢を正し指を付いた。


「挨拶もせず大変失礼いたしました、私は雛姫と申します」


「こんにちは雛姫殿、成実です」


 声も出ずに、面を下げたまま固まってしまった。

家中の目が私と成実様に一瞬集中して後、一斉に皆膝を付き頭を下げた。

日焼けした肌に銅色の御頭髪を揺らし、父上に似た体躯の美丈夫は眼を細めて笑う。

父上も成実様に続き声高気に御笑いになられた。

 

「雛姫は誰だと思ったのかな?」


「………も、申し訳ありません」


 返す言葉が見つからない。

父上は予告もせず、二度も私を驚かすのか。

昨晩に続き今日もとは、本当に人が悪い。


「あー、突然で驚かせたよね?」


 私を見つめ返す視線と砕けた笑い。

細面の顔立ちに真直ぐな鼻梁、涼やかな左右対称の目元。

御当主の従弟、この御方が成実様か。


「成実殿、紹介が遅れまして申し訳ありません。

 コレが娘の雛姫、政宗様に馬を強請った“じゃじゃ馬”で御座います」


「……政宗様も、政景殿も本当に悪戯好きですね。

 じゃじゃ馬で小賢しい、小生意気な娘って説明は何なんですか!

 変な想像しちゃいましたよ、二人で俺の反応見て楽しんでたんでしょう?」

 

「おやおや、成実殿。我が愛娘は期待ハズレで御座いましたか。

 では早急に、御気に召す新たな縁談を探さねば為りませんな……。

 実元殿と姉上(阿清)に縁談破棄の申入れをし、今から良い縁を探しても」


「わーっ、政景殿!!

 違いますよ、好い意味でのハズレです。

 雛姫殿は母上や祖母(裁松院)似の美人、東国一の美少女で!」


 私が乙竹様や、裁松院様に似ているとは一体?

父上から留守家の実子として嫁ぐと聞いてはいた、が。

だが、成実様は私が養子である事を知らないのか?

 私を引き取る際に、資福寺の虎哉宗乙禅師と父上が交わした約束。

それは、確かに“実子としての養育”だった……。

真実を知ならない、成実様。

それでは、親族を欺く事になるであろう。

見開かれた私の目、父上が深く頷き口を開く。

意味するのは静止であり、黙秘か。


「裁松院や姉上に似てるとは、言われて嬉しいですが……。

 男親の私に似ているのは、精々筆跡と食べ物の好み位でしょう」

 

「でも、あの政宗様が気に入ったって事は……。

 政景殿に面差しや雰囲気が似てるからでしょう。

 俺も政宗様も雛姫とは従妹の間柄だからね、縁者同士仲良くしないと」


「親近感を、懐かれたのでしょうか?

 確かに見る人が見れば似ていましょうが……。

 雛姫の容姿や気性は、我が妻にソックリですし」


 父上は何故、そうまでして私を実子と偽る。

御考え合っての故か……?


「俺の従兄妹達って、揃って容姿が派手だ」


 違う、私には伊達家の血など流れていない。

この体は足利一門、三管領を勤めた斯波氏の者。

清和源氏の流れを汲む、奥州探題である最上一族の実父。

そして、同じ斯波の派流である黒川氏の実母から生るのだ。

政宗様が最も苦手とする、於東の方様と祖を同じくするモノ。

最上氏と近しい生まれ、伊達の血は全く入っていない。

成実様とは、従兄として全く血が繋がらない。

事実を知れば私を遠ざけるのだろうか?

成実様は私を嫌うだろうか……。

私は深く息を吐く。


「例えば……で、御座います。

 書が達筆で筆まめ、手先が器用で凝り性。

 人を驚かせる様な悪戯や話題が御好きでしょうか?」


 私が唱えた言葉に父上と成実様が噴出した。

後ろに控えた侍女と家臣達までもが破顔し、頷く有様。

成実様は片手で顔を覆い肩を震わせ、御側の父上は満面の笑み。


「それって、何気なしに俺や政宗様、叔父たる政景様にも当て嵌まるね?」


 後世に残る貴重な資料として、成実様の日記が挙げられている。

其処から御聞きするに、成実様も負けず劣らずの筆まめで凝り性なのだろう。

狙った心算は無い。

只、二人乃至三人の共通点を挙げるとこの様な具合なのだろうと述べただけ。


「雛姫、成実殿と野駆を約束したのだが、一緒に来るかい?

 青墨に騎乗すれば付いて来れる、御座所たる米沢の地を案内しよう」


 成実様を見上げれば微笑んで、頷いてくれた。

猫を被らずとも構わぬとは有難い。

父上の提案に異を唱える婿殿は、即ち失格か。


「もちろん御一緒させて下さいませ!!

 今直ぐ着替えて参ります、少々お時間を下さい」


 母上以上に人目を気になさる父上。

最近は遠乗りの御誘いは無く、米沢への道中も好い御顔をなさらなかった。

まさか、この地で野駆へとお誘い下さるとは……。

養子の事で不安に駆られていたが、思いがけない僥倖が忘れさせてくれた。

 侍女を連れ、急ぎ自室に戻る。

小袖の下に袴を着、美津に髪を結ってもらう。

逸る気持ちを抑え、小走りに廊下を進む。

馬番が鞍を置いた青墨を連れ、庭先で待っていてくれた。

鐙に足をかけ騎乗すれば、その背から高い視界が広がる。

私が普段乗る馬は小柄である。

軍馬の青墨や石斛と比べれると、優に体高差は20cm位。

振向いて私を見つめる馬首は、普段とは別の人物を気にしていた。


「青墨、今日から宜しく頼むね」


 父上達が待つ門に手綱を取るが……。

聡い馬故、先に意を汲んで緩やかに動き出す。

流石は名馬だ、下手な指示は不要と態度で示されてしまった。


「お待たせしました父上、成実様。参りましょう」


「堂森善光寺に行くつもりなのだよ。

 別名は紫陽花寺と言ってね、初夏のこの時期は紫陽花が見頃だよ」


「堂森善光寺ですか、それは楽しみです」


「では……成実殿、馬の足慣らしに出発しよう。

 雛姫は急がずとも好いぞ、青墨に任せてゆっくり駆けておいで」


 颯爽と馬首を巡らす父上。

後に続いて駆け出す成実様と彼の愛馬。

御手本の如き其の姿を、私は思慕の思いで追いかけた。


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