百合は蒼穹を仰ぐ 05
日暮れて涼やかな風が流れる屋敷内。
政宗様等が集う広間より退出して後、私は一息を吐く。
主の帰宅と急な来客が重なり、留守家の米沢屋敷は慌しい。
高森城から連れて来た侍女等をも駆り出し、夕餉の支度がなされている。
父上は未だ来客たる政宗様一行をもてなしていた。
先に下がった私は、今晩より住まう部屋で荷を解き始める。
私は、美津へ先程決まった事柄を伝えた。
「片倉様より正式に命が下ってね、三日後には城に上がる事になったよ。
父上が仰られていた通り、私は祐筆として仕える……」
「それは嬉しい事で御座います。
雛姫様が幼少の頃より熱心に書を学んだ成果で御座いますから」
「それと父上が敬愛する御当主から、直々に贈与を御約束頂いたよ。
とても雅な物腰の御方でね、戦場で刀や采配を振るう御姿は想像出来ないか、な?」
伴った重臣に付いて、あえて言葉を控えた。
高森から連れて来た侍女等らが、城下の雰囲気に馴染めるか些か心配し。
まあ、私としては美津の感想が直接と知りたい。
彼女は人を見る眼がある。
母上も侍女の人選や采配を一任する侍女頭。
「御姿と武勇の噂は一致しないと、姫様は申されるのですか。
ならば、御当主の従兄弟で在られる成実様も同様で御座いましょうか?」
「……さあ、それは分からないな。
残念な事に、本日はお会いする事が叶わなかったからね」
そう、許婚である成実様は同席していなかった。
父上を訪ねた表向きの用件は判らない。
推測だが、其々の別途用事向きが重なっての事と思われるが…。
しかし、重臣たる伊達三傑を二人も引き連れ、城下に出るのは流石に拙いだろ。
不用心とは言わぬが、城に残された人が哀れに思える。
* *
政宗様に御目通りが叶った事で、一つ試したい事が出来た。
そう、有名なアノ逸話である。
祝いの品に馬を願った事も在る、丁度良い悪戯だろう。
単なる約束の印として小指を絡める程度。
まさに、大人の戯れである。
茶目っ気を汲んで欲しいのだ。
「美津に頼みたい事がある。
屋敷内に馴れず申し訳ないのだが、探し出して欲しいモノがあるんだ。
父上が明日登城するまでに準備しのだが、御願いできるかな?」
入手してもらいたい品名を告げれば、案の定小首を傾げられた。
しかし、害にも毒にもならぬ、我が願いを聞きて渋々了承し、楚々と部屋を出た美津。
そして、程なくして頼んだ品を持ち戻って来た。
ただ渡すにしても味気ない……。
私は、括れた胴体に青の組紐を結わえた。
うん、形に見栄は悪くない。
「あのー姫様。何故にソレが必要なのでしょう?」
「うん、明日父上が帰宅なされば判ると思うよ」
納得が付かなぬ美津が様子だが……。
私と政宗様が理解出来れば其れで良いのだ、事足りるのだ。
一人悦に入る私を見つめ、美津は斜めと首を傾げた。
先程から玄関先が何やら騒がしい。
そろそろ当主様一行が御帰宅なさる頃合か。
「私は部屋に留まるよ。
美津は御当主様や重臣の方々を一目見ようとは思わないかい?
揃って御姿を見る機会等は早々無い、良い機会だ……いってらっしゃいな」
「……よろしいのでございますか?」
「私の事は気にしないで行っておいで。
後で皆に自慢したら良い。百聞は一見にしかず…と、思うしね」
美津が足早に去って行く。
以外に、彼女は野次馬根性逞しい。
是非とも若き御当主の感想を聞きたいものである。
彼等の姿をどう評価するか楽しみだ。
部屋に残り想いを馳せていたが、思い出す。
泣き虫で心配性の母上に文を書かねばと。
出立前に駄々を踏んだ母上、さぞ御心配しているに違いない。
無事に米沢へ入った事を報告しなければ。
明日にでも八房に頼もう。
文台に向かい硯箱を開け、墨を磨りながら母上宛の文面を考える。
道中の徒然、メインに伊達家御当主との対面か。
筆を持ち、父上に似た筆跡の文字を連ねる。
城に残った侍女が手を拱く前に、米沢城下や御当主の事も知らせるべきだろう。
文が大分長くなってしまいそうだと、紙に筆先を滑らす。
ふと、人の気配に私は振向むいた。
「何かありましたか?」
「御寛ぎの所失礼いたします。
殿が夕餉を御一緒にと御呼びになっておりますが……」
屋敷内の喧噪が静かとなっている。
既に御当主様方は御退出なされ様だった。
美津は間に合い御姿を垣間見れだろうか。
「直ぐに参ります、美津は後にでも来てくれるだろうか?」
廊下に控えた侍女に返答し席を立つ。
文は書き掛けだが仕方ない、父上を待たせるなど失礼極まりないから。
筆を置いて立ち上がる。
「姫様は伊達の御当主様と御面会なされたのでしょう。
どの様な御方でしたか……?
高森から参った者は目通り叶わぬ故、憶測で御姿を想像していたのです」
「やはり、御当主様が気になる?
私はとても優雅な物腰の御方だ……と、そう思ったけれど」
高森から連れてきた侍女が聞く。
興味津々の眼差しで、私が放つ言葉を待っている。
「優雅な物腰ですか、奥州の独眼竜と称される御方が?」
「本当に見目麗しい殿方だったよ、思った以上にね」
一見、長身で整った御容姿。
隻眼なのが勿体無いと感じる秀麗な御顔。
それは、逆にとても人目を引き印象深く脳裏に残った。
やはり父上の血縁者は美形だ。
此は期待しても良いのだろうか?
御両親双方が全て伊達の血族の、我が婚約者殿に。
少なくとも標準以上、彼の御容姿にも期待が持てそうである。
未だ見ぬ御当主の御容姿を想像する可愛らしい侍女、傍らにて私も微笑んだ。
* *
灯火で照された部屋に、食事の用意が整っている。
しかし、父上は一人廊下で佇み涼んでいた。
夜目にも判る高揚した御顔に疑問を持ったが、交わした言葉に納得する。
穏やかな父上が興奮気味と、饒舌に語る今日の珍事。
「雛姫、急な面会を強いてしまい驚いただろう…まぁ、私も驚いたよ。
あの気難しい政宗様が、終始機嫌良く会話をなさる御姿など滅多にない事だから。
お前との対面が余程楽しかったのか、後は益々饒舌になられてね」
「虎哉禅師と所縁ある私を、とても気に入って下さった御様子で……」
「虎哉禅師が絡んでらっしゃるのか?」
腕を組みホウホウと頷きながら座敷へと移動する。
侍女に白湯を運ぶ様頼み、私は御給仕をする。
後ほど彼女等と一緒に夕食を取るので、私は食べない。
食膳に座る父上へ、折敷と呼ばれる縁つきの角盆に載せた茶碗を渡す。
「父上は御忙しくてらっしゃる。
休まる暇など無いように思いますが、大丈夫なのでしょうか?」
「確かに疲労は感じるが心地よい疲れ具合だ、食も進むしね。
心労が重なる片倉殿に比べれば大した事は無い、私よりも鬼庭殿等が心配になるよ。
外交に内政、政宗様の世継ぎ問題で休まる暇も無いだろう」
黙々と御飯を咀嚼する父上、その御顔を凝視した。
成実様と私の縁談が急ぎ取り決められた原因は、御当主の事遭ってか。
此処で、蟠っていた一つの疑問が喉を突いた。
一つしか歳の違わぬ成実様が、今更に御正室を娶る事に付いてだ。
この縁談は唐突過ぎて、訝しいモノであると。
表向き実子として嫁ぐも、母上に知らせる事なく急に婚儀が決まった理由。
示唆される事柄と符合する背景。
反対を恐れたか、何かを隠すための工作か……。
視線を感じ、箸を休め私を見つめる父上。
「納得しました、一門の繁栄と安泰を考えれば……の、意味が」
「……雛姫は本当に聡くて困るな。
それを狙い縁談を持ち上げたのは、国分殿と鬼庭殿だ。
しかし、私と実元殿は一門の良縁を喜んだのもまた事実、成実殿が未だ一人身だからね」
「ならば、一つ確認させて下さいませ。
心積もりもあります故に、包み隠さず知りたく思います。
私は成実様の後妻で御座いましょうか……?」
空となった茶碗を父上は膳に置いた。
白湯の催促を受けて茶碗に注ぐ、その様子に眼を細め父上が息を吐く。
「……そうだ、雛姫は亡くなられた亘理氏の後に入る。
なぜ其れを知ったのかは聞かぬが、雛姫は本当に…聡い、怖いほどにな」
史実と微妙に違うにしても、母上の態度が最大のヒントだった。
私に婿を取り留守家を継がせる、それが約束だった……と、言い切っていた。
最も憤ったのは、私が後妻に入ると判ってからだろう。
正室であった留守氏の姫君が亡くなった為、母上は後妻として父上へと嫁がれた。
仕方無しに納得した母上の心中、約束を反故され憤った訳。
それなりの理由を考え、考え至るのは当たり前だ。
沈黙した私を見つめ、父上が口を開く。
成実殿と亘理氏が添ったのは僅か一年。
御子は居らず、御正室が病で急逝し来年で二年経つと。
「親馬鹿故に、雛姫を祐筆に推挙したのは……私だ。
しかし、それが成実殿との婚儀に結び付いてしまい一番悔やんだのも私」
「……私は、父上や母上の様な、人も羨む鴛鴦夫婦となれましょうか?」
「案ずるな、断言しても良いぞ。
成実殿は雛姫の事を大切にするだろうよ。
私に乙竹、祖父たる黒川殿までが常に目を光らせる…。
粗末に扱ったら直ぐにでも、手元に戻すと脅して来たからな」
情に深い留守家当主に家中の面々。
親子の感動的な会話を、控える侍女と家臣は黙って聞いていた。
だが、ある者は堪えきれずと、着物の袖で目尻を押さえている様子。
此処に虎哉禅師が同席したのなら、間違いなく畳に突っ伏し爆笑するに違いない。
人に説法をする高僧でありながらシリアスが苦手な御方。
私は心の中で一人泣いて滑稽だと独り笑った。
貴重な体験の数々。
混迷する私を支え、守ってくれた美津と喜助。
資福寺に匿ってくれた虎哉宗乙禅師、面倒を見てくれた寺の皆々。
私を養子に迎え、育ててくれた政景様と乙竹様。
「そうでした、私には父上や母上。
他に、留守家中の皆々が付いています。
なれば、心配や不安など恐れるに足りません」
父上に視線を置き、控える家中に心意気を唱えた。
先に侍女等が笑い出し、間を置いて父上と私も微笑む。
* *
就寝前に美津と伊達家臣の感想を話し合った。
確かに、心一物無く御当主第一の忠臣と断言し合って。
そうなのだ、史実でも大河ドラマでも言い切れる事。
伊達家は、政宗様は……本当に、有能な家臣に恵まれている。
その事実、その忠義が随所と。
家臣の名前は覚えていないけれど……。
確かに居るのだ、謀反を起こした実子を処罰し忠義を貫いた家臣が。
人質として敵地に残った家臣もいた。
忘れもしない、輝宗公に殉死した遠藤氏の姿。
そして、至誠の武人団が多くそろっている。
もちろん父上の留守政景様だってそう。
史実と多少食い違うこの歴史にしても、それは疑う必要の無い事実。
御当主様は本当に、人事に恵まれている……。
成実様の御正室・玄松院(亘理重宗公の女)




