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イヴィルブラッド  作者: ヤマダネコ


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9/9

9.貴焦

 ロールスクリーンに映し出される映像を、夏目は信じられない気持ちで見つめた。

 見知らぬ女性の攻撃を受け止めているのも、自らをイヴィルだと語っているのも、終始不遜な態度で好き勝手しているのも、すべてが確固たる証明として夏目の目に飛び込んでくる。

 十数分の映像記録を見終わったとき、夏目は油をさしていない金属のような動きで振り返った。


「……これ、マジであたし?」

「マジであんた」


 恋の力強い首肯に、夏目は意識が遠のいていくような気持ちになった。





 貴焦(あこがれ)




 

「潮、うまくやってるかなあ」


 春の柔らかな青空を見上げながら恋がつぶやいた。

 アロウズの事件から早五日。人生のターニングポイントと言っても過言ではない大事件を経ても、地球は廻るし陽は登る。すっかり日常に希釈されつつあった。

 弱い風がテラスを吹き抜け、冬柚は弁当箱の下に敷いたランチクロスの端がひっくり返りそうになるのを手で押さえる。

 夏目は母親手製の卵焼きを口に運び、「うーん」と唸ってそれを飲み込んだ。


「今が一番忙しいんじゃないの。なんか戦闘班の偉い人がパートナーみたいだし」

「あの人相悪い人ね。なんだっけ、トトロギさん?」

等々力(とどろき)さん、だよ」


 潮は今、学校に来ていない。アロウズに所属しているため、休学中だ。

 頻繁に連絡はとっているし、その日にあったことや美味しかったご飯を教えてくれるけれど、毎日顔を見て話していた相手が突然いなくなるのは、やはり寂しい。

 それに──、


「ちゃっかり、二人までアロウズで働く約束なんてしてさ」

「いやあ、ちょうど事務の増員考えてたんだって。あたしもバイト探してたし、やるしかないでしょ」

「水恵さん目当てなくせに」

「おっとバレてましたか」

「夏目はどうするの? まだ返事してないんでしょ」


 冬柚の指摘に、夏目はうっと息を詰まらせた。

 戦闘員にスカウトされたのは、潮だけじゃない。夏目もまた、戦闘員としてアロウズに誘われていた。

 武術の心得もない素人に務まるわけがないと思いつつ、ダミーがいるなら足手纏いにはならないだろうという他人任せな考えもある。

 しかし、身体は紛れもなく自分のものなわけで。怪我をしたら痛いのは自分だし、なにより他の戦闘員とちゃんとやっていけるのか不安だ。


「私たちみたいな事務とは違うんだし、断ってもいいと思うよ。千早さんだって、無理しないでいいって言ってたじゃない」

「それは言われたけど」


 先日の記憶を掘り起こす。

 うちで働いてみないか、と千早に打診され、その場で即座に首を振った。

 「無理です」「大丈夫よ」「あたし超一般人だし」「一般人はうちの戦闘員と戦えないわ」「それはあたしであってあたしじゃないっていうか」「でも同一人物でしょ」「とにかくだめです、できません」

 頑なに断り続けると、千早は言葉の散弾を切って俯いた。夏目が安堵の息を吐くと、がっと力強く夏目の両肩を掴み、寒気がするほど綺麗に笑って言った。


 ──『無理はしなくていいのよ? ほんとに。でも、あなたなら充分うちでやっていける。研究室で一番えらーい室長の私が推薦しちゃう。ね? その辺でバイトするより何倍も稼げるわ。ぜひ考えてみて……夏目ちゃん』


「……有無を言わせない笑顔だったよあれは」

「まあ、夏目……というか、ダミーに興味津々だったもんね。職業病ってやつなのかな」


 冬柚が苦笑いする。

 恋はメロンパンの最後の一口を頬張ると、大きく身を乗り出して夏目を見つめた。


「あのさ、うちら明日の土曜が初出勤なの。夏目も一緒に行こうよ」

「アロウズに?」

「うん。潮にも会いたいでしょ」

「それは、もちろんそうだけど」

「じゃあ決まり! あとで電車の時刻表送るよ」


 また風が吹く。麗らかな陽気に、気持ちのいい春風が肌を撫でていく。

 こんなに穏やかな日であるのに、潮は今、戦うための準備をしている。それは遠い世界のことのようにも感じるし、すぐ隣で立ち昇る非日常の狼煙のようにも思えた。

 嬉々としてスマホに予定を入れる恋を頬杖をついて眺め、夏目はたなびく髪をおさえた。




  *

 



「あら? ずいぶん早いですね、みなさん」


 おそるおそる研究室の扉を開けると、近くのデスクにいた六花が三人に気がついた。

 恋が「あっ、六花さん」と明るい声を上げ、歩み寄ってきた六花に、冬柚と揃って頭を下げる。


「おはようございます、今日からよろしくおねがいしまっす! 出勤の前に、ちょっと潮に会いたくて」

「ああ、なるほど、潮ちゃんですね。今はトレーニングルームにいるんじゃないかなあ。等々力さんの指導を受けてると思いますよ」

「行ってみます。ありがと六花さん!」

「危ないから中には入っちゃだめですよー。終わったら戻ってきてくださいね」

「はーいっ」


 元気に手を振る恋につづき、研究室をあとにする。夏目がいることに対して、六花は何も言わなかった。それがありがたくもあり、申し訳なくもある。一度は断っておきながら、今さら迷っているんだから。

 自分で決めなければいけない。

 どうすればいい。あたしは、どうしたい?




  *




 フロアマップを確認しながらすれ違うスタッフに道を訊ね、ようやくたどり着いたトレーニングルーム。そこで目にした光景に、夏目はまばたきすら忘れるほど見入ってしまった。


 五日前と同じ観察室から見下ろす、無機質な大空間。

 しかし、この前と決定的に違う景色。空間の中には、何十──いや、何百もの蝙蝠が、黒い嵐のように飛びまわっていた。

 その蝙蝠たちは次々とその中心に立つ人物へと襲いかかる。黒い双刃刀がくるりと廻り、鋭利な刃先が蝙蝠の身体を滑る。小さな身体が真っ二つに割れて、次々と地面に落ちては黒い煙になって消えていた。


 見違える、というより、まるで別人だ。


 潮は今まで見たこともないような鋭い眼差しで、ただひたすらに蝙蝠を打ち落としつづけた。

 それを壁に寄りかかって見つめているのは、白夜だ。一文字に結ばれた口元は開かない。助言などはなく、ただ潮の一挙手一投足に意識を集中させているようだった。

 

 少しくらい話ができればと期待していたのだけれど、とても声をかけられる雰囲気ではなかった。恋と冬柚も同じ気持ちなのか、何も言えずにそれを見つめている。


 ──潮はすごいな。いつだって、すごい。


 スピアを振るうたび蝙蝠の数は減っていき、やがて最後の一頭が落ちると、潮は百メートル走を全力で駆け抜けたときのように息を荒げ、身体を折って膝に手をついた。

 服の袖で汗を拭った潮がこちらに気がつく。

 目が合うと彼女は人が変わったように笑顔を浮かべ、白夜に何かを語りかけると、走って視界の外へ消えた。まもなく階段を駆け上がる音が聞こえ、振り向くと潮がひょこりと顔を出していた。


「みんな!」

「潮! いいの? こっち来て」

「はい。ちょっと休憩もらいました」


 ずっと動いていたせいか、潮は頬を紅潮させて三人に近づく。

 見慣れぬその格好に、わあ、と冬柚が手を打った。


「潮、制服似合うね」

「ええ? そうですか?」


 白のインナーに黒いショートジャケットを羽織り、スラックスでかっちりと着込んだ潮は、ブレザーの学生服を着ていたときより何倍も大人びて見える。

 潮はジャケットの裾を片方広げて言った。


「戦闘員は黒いジャケットを着るのが決まりなんだそうです。それ以外は自由でいいって言われたんですけど、おかしくないですか?」

「全然! めっちゃかっこいいよ」

「ふふ、ありがとう」


 恋と冬柚の言葉に顔を綻ばせる潮の表情が以前よりも明るくなったように感じるのは、気のせいじゃないだろう。

 忙しくしているとは思ったが、つらいわけではなさそうだ。むしろ、アスレチックで思う存分遊び倒す子供のような無邪気ささえ感じる。

 一時はどうなることかと思ったが、どうやらいい着地点にたどり着けたらしい。

 夏目が訊ねる。


「トレーニングは順調?」

「順調……だといいですね。とにかく等々力さんが鬼指導で……二色さんと凍花さんが言っていたとおり」


 ため息混じりに潮が言う。一週間も経たないうちに、ずいぶんとここに馴染んでいるようだ。

 二色と凍花……確か、水族館で夏目たちを助けた二人組の名前だ。あとから聞いた話だが、あの二人は半年前アロウズに仲間入りしたばかりの新人だったらしい。新人であの手腕かあ、と改めて絶望する。やはり自分には務まらない。

 ほんの少しの寂寞を笑顔の下に隠し、夏目は言った。


「期待されてんだよ。がんばれ」

「夏目は来てくれないんですか?」

「おまえまでそんなこと言う……」

「だって、一緒に仕事ができるかもしれないのに……お給料いいですよ。危ない仕事だから」

「最後の一言で入る気なくすわ」


 夏目が突っ込むと、潮は残念そうに肩を落とした。

 恋が腕の時計に目をやり、あっと声を上げる。


「あたしたちもう行かないと。ロッカーの場所も確認しないといけないし」

「そっか、二人は今日から研究室の仕事なんですね。研究室は優しい人ばかりですから、きっとうまくやっていけますよ」

「がんばるね。終わったら一緒に帰ろ。またね、潮」

「はい、また」

 

 部屋を出ていく恋と冬柚に手を振り、観察室には夏目と潮の二人だけが残る。

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