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イヴィルブラッド  作者: ヤマダネコ


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7/8

7.鏡面 2

 夏目が物音に振り返ると、壁面のシャッターが口を開けていた。しかしそこには誰もいない。

 暗い空間の奥から猛獣が出てくるんじゃないか、そんな妄想さえ浮かんでくる、おどろおどろしい雰囲気の黒い洞。夏目は唾を飲んだ。


 ふいに、気配を感じた──背後から。

 振り返ると、黒いスーツの人物が、水族館で見た黒い武器を夏目に向かって振りかざしていた。光を反射して輝く長い刃先が、空気を切り裂いて夏目の眼前に迫る。


「え──」


 頭で考える時間など微塵もなく、夏目は反射的に目を強く瞑った。

 ブツン、と意識が途切れる。





 痛いほどの沈黙が、部屋に満ちた。

 恋も冬柚も目を見開いて口を覆い、六花は強張った顔で息を呑んだ。千早と白夜だけが冷静にそれを見守る。


 どうして気がつかなかったの。一体いつから、あなたは。

 悪夢を見ているのだと思いたかった。強く拳を握りしめると、爪が皮膚に食い込んで鈍い痛みが広がる。

 現実なのだ。これは、決して夢などではない。


 夏目。

 あなたは──私と同じ、イヴィルブラッドなんだ。





 夏目に武器を向けた人物──史織は、目を見開いた。

 黒い双刃刀、スピアの刃先は夏目の首に届くことなく、ピタリと動きをとめていた。素手でそれを受け止めた夏目の手は薄いヴェールを纏ったように黒く染まり、人の手とは思えない硬度、そして膂力がある。

 スピアがまるで動かないことを認め、史織はスピアを早々に手放すと、無防備な横腹を目掛けて回し蹴りを放った。それさえ見切った夏目の姿をしたものは、天井に届きそうなほど高く跳び上がる。

 黒い指先の靄が揺らぎ煙のように拡がると、つららのような結晶針が幾百も降り注いだ。

 史織は驚嘆しながらもその軌道を見抜き、踊るようなステップでそれを躱す。広範囲に渡る結晶針の雨は、史織を部屋の端まで追いやった。

 

 数メートルの高さから難なく着地した夏目が、攻撃をすべて躱されたことに目を丸くする。

 そして少しだけ愉しそうに、口角を上げた。





 呆然と成り行きを見つめていた潮が我に帰る。慌ててあたりを見回した。

 千早と六花が立つその後ろに、下へ続く階段があった。それがあの部屋へ通じているかはわからない。それでも、このまま黙って見ているわけにはいかない。

 足を踏み出した潮の腕を白夜が掴んだ。


「どこに行く」

「夏目のところです! とめないと……」

「おまえが? どうやって」

「どうって……」


 言葉に詰まる。具体的な解決策なんて浮かばない。ただ、あんなものを目の前にして、じっとしていられるわけがなかった。

 白夜が続ける。


「おまえにできることがあるなら行けばいい。ないならここから動くな。史織の邪魔になる」

「……でも……」

「二度は言わない」

 

 そう言って、白夜の手は潮から離れた。引き留めるものがなくなっても、潮はそこから動くことができなかった。


 行っても邪魔になるだけ。その通りだ。

 もしも自分が行ってさっきと同じ結晶針が来たら、彼女のようには避けられない。

 夏目が私に傷を負わせることになる。

 誰よりも優しい彼女に、そんな事実はいらない。


 窓に目をやる。旧友と同じ姿の、違う人。いや、人ですらないだろう。

 どうして黙っていたの。それとも知らなかった?

 夏目に直接確かめなくちゃいけない。

 だから、どうか、戻ってきて。

 潮は祈るように、駆けつけたい衝動を必死に堪えるように、きつく拳を握りしめた。




 

 床に突き刺さった結晶針はすでに霧散しかけており、蹴れば砕けるほど脆い。二人は足場を気にすることなく剣戟を繰り広げた。

 史織のスピアと夏目が生成した黒い短剣が交わっては弾かれる。史織には擦り傷一つなく、夏目もまた無傷だった。

 不毛な剣戟に史織が眉を寄せ、一際大きくスピアを薙いだ。それを短剣で防いだ夏目が目を瞠る。スピアの勢いに押し負けた短剣の刃が、欠けた。

 その隙をつき、史織は後ろに飛び退き距離をとった。夏目は手の中の欠けた短剣を一瞥して放り、胡乱ながらも鋭さを孕む眼光を史織に投げつける。


 ぞくりと背筋が戦慄いた。人のかたちをしたものが、人ではない何かによって動いている。

 史織が体勢を低くして身構えた。『なるべく相手を傷つけないように』──千早の言葉を反芻しながら、相手の次の挙動に神経を張り巡らせる。

 しかし──。


 夏目は両腕を大きく天に伸ばすと、「んー」と渋い顔で唸りを上げた。まるで狭い部屋から抜け出したみたいに、首を左右に鳴らしたり肩を回したりしてストレッチを始める。

 

「はあ……久々にこんな動いた。ずいぶん手荒な真似で呼び出して、私に一体何の用?」

「……な」

 

 ──意思の疎通ができる!


 史織が動揺を隠せずに観察室を見上げると、同じく唖然とした表情の千早と目が合った。彼女は我に帰ったように肩を揺らして、身振り手振りで何かを伝えようとする。史織は真顔で顎を引いた。


 ──何を伝えたいのかまったくわからない。

 なんだ、アヒルの物真似か? アヒルを校舎裏に呼び出せと。あ、違う? そんなに手を動かしたら下のコントロールパネルに指をぶつけそうだ……ああほら、言わんこっちゃない。大丈夫か?

 あれ、何か持ってきた。手持ちのホワイトボードだ。黒いペンで文字を走り書き、それをこちらに向けて見せる。

 『会話して。可能ならこのあと話したい』──ああ、なるほど。ようやく理解した。


 史織は警戒を続けながらも、会話の継続を試みた。


「きみは、イヴィルなのか」

「……はあ?」


 夏目は心外だと言わんばかりに目を細める。


「私はそうだよ。でも、夏目は違う。あいつは人間だ」

「きみとその宿主は別の存在だと?」

「私に限らないだろ。人間とイヴィルは同一じゃない。おまえたちが言うところのイヴィルブラッドだって、一つの身体に二つの存在があるだけだ」


 会話ができるどころか、あまりにも明確な意思と思想がある。

 これでは、まるで人間じゃないか。

 史織は息を呑み、最後の質問を投げかけた。


「まだ戦う意志はあるか」

「ないね。てか、けしかけて来たのそっちだろ。私は愉しかったけど」


 その返答に、史織は観察室の千早に目配せをした。千早が頷き、部屋の奥へと消える。まもなく階段を下ってここへ来るだろう。

 史織はスピアを床に置いた。その手から離れた途端、スピアは黒い靄を放ちゆっくりほどけていく。

 史織は正面から夏目を見据えると、両手を腰の横に付け頭を下げた。夏目が怪訝な眼差しでそれを見下ろす。


「手荒な真似をしてすまなかった。話ができるのなら、きみのことを訊かせてほしい」

「私のこと?」

「宿主のスコアを改竄したのは、きみだろう」

「……ああ、なるほどね。あれでバレたのか」


 夏目は思い当たる節に辟易し髪を掻き上げながら、「いいよ。話してもいいと思える範囲なら」と頷いた。

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