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イヴィルブラッド  作者: ヤマダネコ


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5.ボウ・アンド・アロー 2

「そこ座って。ごめんね、あまり時間はかけないようにするから」

「いえ、時間はお構いなく」


 連れてこられたのは、研究室の一角にある、磨りガラスで仕切られた会議室だった。白いミーティングテーブルに椅子が四脚ずつ並び、艶のあるフィカス・ソフィアが部屋の隅で葉を広げている。奥の壁には黒いモニターが掛けられていた。

 千早は研究室から持ってきた一枚のクリアファイルをテーブルに伏せ、潮の正面の椅子を引いて腰を下ろす。白夜は立ったまま壁に寄りかかって腕を組んだ。


「本題に入る前に、まずはあなたをここに連れてきた理由から説明するわね。今日任務に出向いた二人……二色(にしき)凍花(とうか)には、今回までモニターを一緒に飛ばしていたの。普段は新人の様子を確認するためのもので、民間人に目を向けることはないんだけど……」


 千早は言葉を切り、白夜に目配せをした。白夜がその先を続ける。


「私が偶然モニタールームにいたんだ。その時、おまえたちを見た。様子がおかしかったんで、千早と相談して私が行くことにしたんだ」

「様子? 私、おかしなことをしていましたか」

「……私からすればな。だから、その場でアーカイブを探った。すぐに出てきたよ」


 白夜がそう言うと、千早は伏せていたファイルから一枚の紙を取り出し、潮に差し出した。


「あなた、うちで顕質検査(けんしつけんさ)を受けたことがあるわね。これがその報告書」


 テーブルに置かれたそれに、潮は目を落とした。名前、年齢、性別。そして、潮を縛る数字と言葉の羅列。


「──シビアスコア95.0。顕質様式(けんしつようしき)はハクドウ。この内容に間違いはない?」

「はい。間違いありません」

「……スコアは、イヴィルの構築分子であるブラッドセルの体内保有率を示すもの。その数値が高ければ高いほど、その人は人間よりもイヴィルに近い存在として定義される。うちの戦闘員でさえ、スコアの平均値は73.2。それを20以上オーバーしているのに、あなたは……」

「じゃあ、どうすればよかったんですか」


 潮が語気を荒げた。その目には薄らと涙の膜が張られ、瞬きをすれば零れてしまいそうだった。

 千早が憐れむように眉を寄せ、口をつぐむ。


「病院の先生からも言われました。コントロールはただの抑制薬だから、いつか限界が来るだろうって。じゃあどうすればいいのか訊いても、先生は答えてくれなかった。イヴィルとして暴走すれば、私はあなたたちに捕まって処罰される。危険分子として記録が残る。学校も将来の仕事も、全部台無しになってしまう。好きでイヴィルブラッドになったんじゃない。それなのに、私はいつか必ず道を踏み外す。家族や友達を傷つけるかもしれない。でも捕まるのも嫌だ。私は、どうしたら……」


 潮は俯き、膝の上で拳を握りしめた。

 毎日毎日、朝目が覚めるたびに自分の手を見る。肌が炭のように黒くなっているんじゃないか、異常に爪が伸びているんじゃないか。洗面所で鏡を見て、昨日と同じ自分の顔が映っていることに安堵する。友達を傷つける悪夢だって何度も見た。夜中に飛び起きて、そこから眠るのが怖くて寝不足のまま夏目たちに会い、顔色が悪いとまた心配させる負のループ。

 もう嫌だ、と何度も泣いた。地獄の入口が足下で口を開けている。逃げ場なんてなかった。

 千早は目を伏せて、ゆっくりと口を開いた。


「……あなたの言うとおりよ。あなたは遠くない未来に必ず暴走して、アロウズに捕縛され処罰を受ける。仮に釈放されても、あなたほどのスコアの人間を野放しにはしない。一生監視体制をとるわ。友達と同じように、普通の人生を送らせてあげることはできない」

「やっぱり……」

「だから今日、あなたをここに呼んだのよ」

「……え?」


 潮は顔を上げ、唖然と千早を見つめた。

 千早の野心をたたえた眼差しと交わる。三日月のような笑みを浮かべる唇に塗られた赤いリップが、やけに鮮やかに目に映った。


「知らないかしら。アロウズはイヴィルの制圧と同時に、研究の第一線を担う機関なのよ。研究室が目標の一つとして掲げているのは、コントロールによる一時的なスコアの抑制ではなく、スコアそのものの低下、もしくは体内に保有するブラッドセルの完全排除。まだ道のりは長いけれど、いつか必ず達成する。私の人生すべてをかけて約束するわ」


 潮は息を呑んだ。

 彼女の瞳に宿る、鮮烈な橙の輝き。自らの胸に手を当て、成し遂げると誓った未来を誇る言葉の重み。

 本気で言っているのだと思った。潮が想像もできなかった、自分がイヴィルブラッドではなくなる未来。


 ──信じていいのだろうか。

 私がこの先、家族や友達と生きることを許される、普遍的で最上の未来。そんな夢物語を。


 心が打ち震えた。自分には届かないところにあると諦めていた小さな星が、遠くで光を放ち始める。


「ここからが本題。あなたを、アロウズの戦闘員としてスカウトするわ。イヴィルブラッドの暴走というのはね、日常的な抑制によって鬱憤を溜め込んたブラッドセルがそれを一気に発散する行為なの。戦闘員として活動すれば、ブラッドセルのフラストレーションも軽減できるし、コントロールもうちの特別製を支給する。コントロールの支給だけで様子見という手もあるけれど、それで安定化が期待できるのはせいぜいスコア80程度まで……。あなたには、それを上回る一手が必要なの。……考える時間が必要なら、返事は待つわ。何か質問は──」

「みんなとは、会えなくなりますか」


 潮が訊ねた内容は、千早の予想とは遠く離れたものだった。

 みんな、とはおそらく先ほどの友人か。家族も含まれているかもしれない。

 千早は脚を組み直して言った。


「もちろん仕事のあとは家に帰っていいし、休みの日は好きにしていいけれど……潮ちゃん、ずいぶん仲の良いお友達がいるのね。白夜から聞いたわ。連れてくるとき苦労したんだって」

「ふふ。みんな、優しいから。……あの三人とは、小学校からの付き合いになります。うちの学校、小中高一貫の私立なんです。中学の時イヴィルブラッドになって、私のスコアを知っても、ずっと友達でいてくれた。それどころか、私が"普通に"過ごすためのサポートまで手を尽くしてくれて……縁を切られても仕方がないと思っていたのに、そんなことは考えもしなかった、と。その言葉に、どれだけ救われたと思いますか。恩返し、なんて言うと大げさですけど、みんなにはちゃんと報いたい。何年後、今日と同じ顔はさせたくない」


 潮は唇を引き結び、決然と千早を見据えた。


「話を受けます。私を、アロウズに入れてください」


 千早は驚く顔を見せず、代わりに柔らかな微笑みを浮かべた。


「いい返事がもらえて嬉しいわ。……ねえ、潮ちゃん」

「はい」

「私ね、じつはすごく驚いたの。中学から今日までの数年間、あなたほどのスコアの子がどうやって過ごしてきたのかしらって。理論だけで言えば、あなたは中学を卒業する前にこうなっていても不思議じゃなかった。それでも今日まで暴走せずにこられたのは、きっとあの三人と一緒に過ごした時間があったから。精神的に強い支えがあったことで、あなたはブラッドセルにも負けなかった。素敵な友達を持ったのね」


 それは、なによりも誇らしい言葉のように思えた。堪えていた涙が、さっきまでとは異なる意味を持って再び込み上げる。


 身体を張って守ってくれようとしたみんなに、私はこれから報いることができるでしょうか。つらいと涙を流すとき、傍にいてあげることができるでしょうか。


 叶わないと思っていた未来を描きながら、潮は「ありがとうございます」と一筋の涙を零した。


「よし! 話もまとまったところで、少しだけこれからの話をしましょう。まず、潮ちゃんが所属するのは戦闘班。イヴィルと戦うための部隊。危険なことも多い仕事だけど、研究室も全力でバックアップするから一緒にがんばりましょうね。戦闘班のリーダーはそこの等々力白夜(とどろきはくや)。愛想はないけど、とっても頼りになるわ」


 白夜は千早をじろりと睨んだあと、潮に向かってわずかに頭を下げた。たしかに愛想は期待しないほうがよさそうだ。潮は慌てて「よろしくお願いします」と白夜の五倍深く頭を下げた。


「戦闘員は基本二人組で行動することになる。潮ちゃんのパートナーはこれから探すことになると思うけど、うまい組み合わせを考えるのにちょっと時間がかかりそうでね。一時的なものになるけれど、教育も兼ねてしばらくはそこの白夜と組んでもらうわ」

「えっ」

「は?」


 潮と白夜の声が唱和した。


「待て、いつ決めた」

「今。直感」

「私は他に仕事があるんだ。そんな時間はない」

「ある」

「千早」

「時間なんてつくるものよ。戦闘班のトップがそのくらいできないの?」

「千早」


 白夜が語気を強めた。寄りかかっていた壁から背を離し、テーブルを叩いて千早に詰め寄る。低く唸るような声色には苛立ちが滲んでいた。


「何のつもりだ」

「意地悪で言ってるわけじゃないわ。てかあんた以外の選択肢ある? 他はみんな組んでるもの。パートナーが見つかるまで候補生止まりだなんて宝の持ち腐れでしょ。違う?」


 睨み合う二人を、潮は狼狽しながら交互に見た。互いに毛頭譲る気のない、苛烈な火花が散る。


 ──私と組むのが、そこまで嫌なのかな。なにも目の前で言い争わなくてもいいのに……。


 しょんぼりと肩を落とした潮の様子に気がつき、千早が白夜の腕を小突く。白夜はバツの悪い表情を浮かべながらも、離れ際に千早の額を指で弾いた。「痛ッ」


「上の名前は」

「あ、相良です。相良潮です」

「立て、相良。案内するから」


 その言葉に、潮は不安そうに白夜を見上げた。


「でも、ご迷惑に」

「それ以上言ったら本当に断る。気が変わらないうちに早く立て」

「は、はいっ」


 潮は椅子を弾く勢いで立ち上がり、傾いた椅子を慌てて押さえた。白夜が、何をしているんだと言いたげな胡乱な眼差しを寄越す。

 その黒い瞳を見返して、潮は不思議と呼吸が楽になった気がした。自分に向けられている感情は、決してポジティブなものではないはずなのに、その瞳の奥に仄かな光が視える。正体はわからない。厚い雲の向こう側を覗くような感覚。けれども雲の向こう側にあるのは、あたたかい太陽だと知っているような──。

 ぱちん、と額に鋭い痛みが走った。


「あいたっ」

「人を勝手に見透かすな」

「え!? な、何の話ですか」

「……おい、こいつ顕質(けんしつ)の扱いもわかってないぞ」

「そりゃそうでしょ、一般人だもん。義務教育に顕質の扱い方なんて含まれてないわ」

「子守から躾まで私に丸投げか」

「よろしくね!」


 完璧なウインクとピースを飛ばした千早に、拳の一つでもくれてやろうかと思った──のちに白夜はそう語った。


「あ、そうそう潮ちゃん。最後に一つだけ」

「はい?」

「お友達の夏目ちゃん……あの子、コントロールは飲んでる?」


 突然夏目の話を振られ、潮は困惑しつつも頷いた。


「はい、飲んでいると思います。でも、イヴィルブラッドってスコア60以上の人を指すんですよね。夏目は50にも満たない数値だったと思いますけど」


 そう言うと、千早は顎に手をあて黙り込んだ。嫌な予感が胸をざわめかせる。

 コントロールはブラッドセルの抑制薬だ。たしかに夏目はそれを飲んでいる。しかし潮よりもスコアの低い彼女は、コントロールの服用だけで充分安定しているはずだ。


 なぜ、夏目がコントロールを飲んでいると思ったのか。私の付き添いとして指名したのも、研究室で名前を訊いたのも夏目だけ。一体、なぜ……。


「50以下、ね。わかった、ありがとう。じゃあまたあとで……」

「夏目に、何かあるんですか」


 潮の声が、警戒と敵意を滲ませる。

 返答次第では前言撤回も辞さないと言わんばかりの剣幕に、千早が困ったように眉を下げた。


「それは……」

「室長! 開けますっ」


 部屋の外から六花の慌てた声が聞こえ、曇りガラスの扉が勢いよく開いた。三人の視線を一斉に浴びてたじろぐ六花に、千早が促す。「構わないわ。聞かせて」

 千早の前に、六花は二枚の紙を並べて置いた。

 

「夏目さんの結果出ました。これって……」

「夏目の?」


 潮が前のめりに声をあげ、千早の後ろに回ってその紙を覗き込んだ。六花が止めようとしたが、千早が何も言わないのを見てその手を引っ込める。

 二枚の紙はどちらもスコアの測定報告書だった。名前も年齢も性別も同じ二枚、ただ一箇所だけが異なる数字を示している。

 潮は目を見開き、「うそ」と呟いた。


「何かの間違いです。そんなはずない。だって夏目は今まで……」

「白夜」


 潮の弁明を遮り、千早が白夜に顔を向ける。


「トレーニングルームを使う。手伝って」

「わかった」

「六花ちゃん、みんなをそこへ連れてきてくれる? 私は部屋の準備をしておくから」

「はい」

「千早さん、待って。夏目に何をするの」

 

 潮が切羽詰まって声を荒げると、椅子から立ち上がった千早は潮を正面から見つめた。

 今まで瞳に浮かんでいた優しさの色は息をひそめ、アロウズの人間としての矜持が潮を鋭く射抜く。


「潮ちゃん、あなたも一緒に来るの。あの子のことは、あなたが一番知るべきなのよ」

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