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イヴィルブラッド  作者: ヤマダネコ


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1/5

1.水晶の杜

 街一つがまるごと廃れている姿をはじめて見た時は、感傷以上にざわめく違和感を抱いた。自分が生まれ育った街であればまた心持ちも違ったかもしれないが、年に数度足を運ぶだけの『空鹿(あじか)』の地に、振り返る思い出も語れるうんちくもない。

 白線がまだらに剥がれた二車線道路に、枯れかけの街路樹、寂れた看板の並んだテナントビル。かつては人々の往来があった繁華の残滓が侘しく感じられるその場所で、白夜(はくや)は大きくあたりを見回した。自分以外の人影はなく、街のあちこちに蔓延る黒い結晶群が目を引く。

 幻想的で凶悪な『黒水晶(くろすいしょう)』──見た目は美しい水晶そのものだが、あれは鉱石ではない。この空鹿を満たす、悪夢の粒子が造り出す腫瘍に他ならない。

 

 ふと、視界の端をひらひらと過ぎ去るものがあった。指先ほどの大きさしかない、小さな黒い蝶だった。シジミチョウによく似た姿をしているが、その翅は後ろの景色が透けるほど薄くしなやかで、はためくたびにきらきらと小さな煌めきが舞う。

 白夜はスーツの内ポケットからガラス製の採取容器を取り出し、下から掬い上げるようにしてその蝶を捕えて蓋を閉めた。目線の高さまで持ち上げて、確かに容器に入っていることを確認する。


 ──これは珍しい。あいつが喜ぶな。


 容器をポケットの奥へしまい込みながら、白夜は蝶が飛んできた方向へと目を向けた。カラオケボックスと中華飯店が並ぶテナントビルの間に続く脇道に入ると、そこは日差しが入らない薄暗い路地になっていた。踏み込んで間も無く足が止まる。

 白夜の眼前には、道を丸ごと塞いでいる黒水晶の巨塊がそびえていた。高さは白夜の背丈の三倍以上、奥行きこそ見えないがこの規模なら数メートルはあるだろう。


 ──見事だ。

 もしも日の差す場所にできていたら、陽光を反射して眩い輝きを放ち、言葉にならない美しさだったろう。


 白夜が硬く滑らかな結晶の表面に指を滑らせると、その違和感に眉をひそめた。


(……これは)


 ポケットからもう一つの容器を取り出そうとした時だった。

 ──ドン、と地響きを引き起こす衝撃と共に、死に物狂いの悲鳴が二人分木霊する。白夜は辟易したように舌打ちした。

 この禁足区域たる空鹿の地に、また行儀の悪い人間が足を踏み入れたらしい。度胸試しのつもりなのか知らないが、稀にあることだ。管理側の立場からすれば、迷惑行為以外の何物でもない。

 白夜は抜きかけていた容器を手荒くポケットに押し戻し、踵を返した。




  水晶(すいしょう)(もり)




 水族館で展示される魚は、海からやってくるらしい。揺れるイソギンチャクの間からひょこひょこと顔を出すオレンジと白のクマノミを見つめながら、(れん)は過去に見たテレビ番組を思い出した。

 漁船の網に引っ掛かった、なんとかザメを水族館が引き取り、保護から展示に至るまでの奮闘が描かれたドキュメンタリー。あれはどこの水族館だったか、なんとかザメは今も元気にしているだろうか。

 このクマノミももしかしたら、珊瑚礁の鮮やかな暖かい海からやって来たのかもしれない。指先をガラスに滑らせてみても、クマノミは恋に興味を持ってはくれなかった。


「かわいいねぇ」


 幼く辿々しいソプラノが耳に届く。

 声のしたほうへ視線を向けると、栗色の長い髪が綺麗な女の子が、恋と同じように熱帯魚水槽をじっと見つめていた。

 話しかけられたのか、独り言なのか。どっちだとしても、子供好きな恋の対応は変わらない。恋は屈んで少女と目線を合わせ、目尻を下げた笑みで頷いた。


「ね。かわいいねー」

「うん。かわいい」

「どの子が好きなの?」

「あの赤と白のエビ!」

「エビ……?」


 幼いながらにマニアックな視点をお持ちのようだ。綺麗な熱帯魚が泳ぎまわる水槽で、あえてエビに目をつけるとは。

 気の利いた返事に困っていると、渦中のエビはちょこちょこと細やかなステップで岩陰の後ろに身を隠してしまった。女の子はがっくりと肩を落とす。


「逃げちゃった」

「好きって言われて照れたのかも」

「えーっ」


 女の子は小さな両手で口元を覆いながら声を上げて笑った。子供はかわいい。感情表現がまっすぐで無邪気だ。恋には姉がいたが、あたしも妹が欲しかったなあ、とたびたび思う。

 ところでこの子は一人なんだろうか。まわりをぐるりと見回してみる。子供を探している様子の大人はいない。

 「ママはどうしたの?」──恋が口を開きながら少女を見たが、そこにはチャコールグレーのタイルカーペットが敷かれているだけだった。

 いないやんけ。

 心の中で突っ込むと、ママ、とさきほどと同じソプラノが遠ざかっていくのが耳に届いた。ベビーカーを連れた女性の元へ、小さな後ろ姿が走っていくのが見える。迷子じゃなくてよかった。でも別れの挨拶がなかったのが、少し寂しい。


「あは、自由でかわいー」

「自由なのはあなたもですけど」


 恨めしそうな低い声。ぎくりとして振り向くと、冬柚(ふゆ)が腰に手を当て仁王立ちで恋を睨みつけていた。

 勝手に友人たちの傍を離れ、恋は一人この熱帯魚水槽にやってきた。少しくらい構わないだろうと思ったのだ。

 冬柚の艶々とした暗髪のツインテールが柔らかく揺れるのに、彼女の表情は口を真一文字に結び眉間に皺を寄せて、不満を露わにしている。


「勝手にどっか行かないでよ。さっき一人で喋っちゃって恥ずかしかったんだよ」

「えへ、ごめんね」

「軽。全然思ってなさそう」

夏目(なつめ)(うしお)は?」

「大水槽のほうに行ったよ。恋も行かないの? 水恵(ゆえ)さん見たかったんでしょ。今のところ気配ないけど……」


 屈んだときに少しよれたスカートの裾を手で直して、恋はフロア中央で蒼く輝く大水槽に目を向けた。

 この水族館の花形である大水槽は、千トン以上の海水と五十種類の海洋生物で満たされた大海のジオラマだ。海の中を照らす日差しのようなライティングが煌めいて、水槽を見上げる観客を一様に青く染め上げている。まるで海に落ちたような没入感が人気だった。

 恋は遠くからそれを眺めて、困ったように笑った。

 

「あれを目の前で見るのは、ちょっと怖いなあ。水恵さんが見られるなら最前列をゲットするのに」

「サプライズショーなんでしょ。偶然引き当てるのは難しいよ」

「ですよねー」


 恋はデニムシャツのポケットからスマホを取り出し、側面の電源ボタンを押す。ぱっと点いたロック画面では、明るい青い髪をリボンのように結んだ女性がこちらに笑いかけていた。

 白い肌にすっきりとした健康的な身体のシルエット、睫毛の長い大きな瞳にグロスで艶めく三日月のような唇。ああ、世界的な女優にも負けない美貌にいつだって見惚れてしまう。

 うっとりとスマホの画面に魅入られたまま、恋が言う。


「一応今月の第二土曜は有力候補だったんだけどな。そう簡単には会えないよねえ」

「どこ情報よ」

「インスタの水恵さんオタク」

「恋みたいな人がたくさんいるのね」

「そりゃそうよ。アロウズのアフロディーテですから」

「ア、アフロディーテ……」


 キツめの香水が鼻先を掠めたときのように、冬柚の口元が苦々しく引き攣る。

 一般人にはハードルの高い信仰心。俳優もアイドルも人並みな興味しか持てない冬柚にとって、恋の燃えるような憧憬は未知の世界だった。

 呆れ眼で熱弁を聞き流していた冬柚が、突然大きな声を上げて恋のシャツを引っ張った。驚いて彼女を見ると、頬を紅潮させてある方向を指差している。その先を見て、恋は息を呑んだ。


 巨大水槽の中で揺れる人影。見間違うはずのないシルエット。そう、決して、見間違うはずがない。

 御伽話から飛び出してきたような美しい青髪の人魚姫が、人工の海の中を優美に揺蕩っているのだった。

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