前編
この作品は霊式兵器シリーズ 霊式戦闘機迦楼羅と世界観を共有していますので、そちらを読んでいると更に理解が早いと思います。
1945年8月。世界を焼き尽くす大戦は、奇妙な静寂の中にあった。
大日本帝国は米英との早期講和を締結。大陸からの撤退、満州国半分のユダヤ共和国へと割譲という苦渋の選択と引き換えに、国体と南洋の権益を辛うじて繋ぎ止めていた。
だが、その「緩やかな敗北」を許さぬ領土欲にまみれた巨大な影が迫る。
8月10日、ソビエト連邦が大日本帝国に宣戦を布告。
疲弊しきった日本軍に、もはや広大な戦線を支える余力はない。千島、樺太、満蒙。各地で絶望的な戦闘が続く中、ソ連は帝国の息の根を止めるべく、超重爆撃機ツポレフ・マール(日本側ではマレと発音)を投入する。高度2万メートルを飛行し空飛ぶ収容所として政治犯やドイツ兵捕虜数万人分の命を呪いに変えて振り撒く超空のグラーグが帝都を狙う。
1. 徳を積む翼
帝都郊外、名も無き飛行場
霊式十八試局地戦闘機『震電改』
機首に内蔵された人工結晶マニ車が、高周波の駆動音を立てて回っている。
「……坂本さん、また何か余計な事を考えましたね。2番の霊素噴出孔が『嫉妬』の色をしています」
整備員の少女・ナミが、油に汚れた手を作業服で拭いながら少し呆れたように話しかける
彼女は機体と対話し、その魂を整える「霊素調整官兼整備員」だ。彼女は、マニ車が刻む「徳」を色として読み取れる稀な感応能力者だった。その特別な感応能力ゆえに還俗し軍属として、この「震電改」の開発に携わっている
「すまない、ナミちゃんの泣きぼくろが可愛いなぁ〜なんて思って飛んでたら、発動機がヤキモチ妬いちゃったみたいでね」
テストパイロット、坂本中尉はひょうひょうと笑い、滑走路の端でナミと向かい合った。
「もう、坂本さんったら、冗談ばっかり言ってるとお昼ご飯抜きですよ!」
「そりゃ勘弁してくれよ、最近じゃ増加食も減らされて腹ペコなんだぜ?」
格納庫に機体を押していく整備兵達が、笑いながら声をかける
「坂本さん、ナミちゃん、夫婦喧嘩は他所でやってくれよ」
ナミが赤面しながら取り出したのは、乏しい配給から内緒で工面した、大きな塩むすび二つ。
「これ、食べてください。中に、私特製の梅干しが入っています」
「はは、それは効きそうだ。……なあナミちゃん。もし、この空が本当に晴れたら……二人で、世界を回ろう。軍服も、袈裟も脱ぎ捨ててさ」
坂本は握り飯を頬張り、その素朴な塩気に一瞬だけ目を細めた。
戦時中とは思えないほど坂本の周囲が幸せに包まれていた。
2. 戒の咆哮
警報が空を切り裂く。
高度2万メートル。ウラル山脈の秘匿飛行場から飛び立ったソ連の超重爆「ツポレフ・マレ」が、数万人の死霊を纏って帝都へ迫る。
日本海上空では、迎撃に上がった霊式戦闘機隊が成層圏に辿り着けず脱落。
現在、日本軍に残された高高度迎撃が可能な兵器は、開発中の震電のみ
しかし現行の震電『改』では、その怨念の壁に届く前に霊式エンジンが呪いによって沈黙する。
「お国の為などとは言いたくない……坂本、行ってくれるか。私を恨んでくれていい、憎んでくれていい……」
基地司令が、震える手で出撃命令書を渡した。
その先にあるのは、南方で、大陸で、散っていった空の英霊達の戒名を刻み込んだ狂気の機体、『震電戒』
「司令、そんな顔しないでくださいよ。どうせ俺しか乗れない、じゃじゃ馬なんですから?飛行機枕に見る夢は、可愛いナミちゃんの泣きぼくろ…なんてね?戻ったら明日の昼は、ラボール巻キ…期待してますよ?」
坂本は不敵に笑い、機体に乗り込んだ
坂本が離陸した後、
総員防空壕への移動を下令したのち
執務室で基地司令は静かに軍刀を抜き放つ
「……この腹一つで。あいつらへの詫びにもならんがっーー」
司令は古式ゆかしい作法で自らの腹を真一文字に割った。参謀の介錯を「貴様まで汚れるな!」と怒鳴りつけ、溢れ出る内臓を抱えながら、苦しみ抜いて絶命する。
それが、一人の若者を死地に送った男の、精一杯の「けじめ」であった。
『戒』の加速力は凄まじかった。カウルに刻まれた死者たちの「未練」が炎となって機体を押し上げる。
高度1万8000メートル成層圏
機体の各所から響きわたる戦友達の無念の叫び声に耐えながら坂本は操縦桿にしがみつく
機速が920km/hから900、890、と落ちていくが、脳に響く絶叫は激しさを増していく。
「うるせぇな!もうすぐそっちに行くから少しは黙っててくれよ!」
喋り続けていなければ気の狂ってしまう怨嗟の絶叫が急な破裂音でピタリと止まる。
感じるのはレシプロエンジンの息切れに喘ぐような震動だけ。
もう何も聞こえない
坂本の耳から噴き出す鮮血が頬を伝う
高度は1万9000
「しまった…」
ソ連の巨大な呪いの塊の前に霊素変換器の理が打ち消されたのだ、英霊達の戒名が掘り込まれた外装も赤黒く焼け爛れている
「あと少し、あと少しだったのにっ」
照準器からはみ出す程の巨体が遠のいていく。
機首に装備された4挺の30mm機関銃が一斉に火を噴き「マレ」の胴体に30mmの曳光弾が吸い込まれていく、数秒後に白い煙を吐き出したが、撃墜には至らなかった…
坂本の声にならない絶叫をかき消すように「マレ」が悠々と飛び去っていく
その夜、帝都はかつてない業火と怨念に包まれ、都市の大半を焼失、振り撒かれた呪いによる霊障被害も甚大であった。
燃え盛る帝都を眼下に坂本は無念の帰還を果たす。
エンジンは焼き付き、人工結晶マニ車は膨大な呪いを受け黒く濁り、外装は焼け爛れ、坂本自身の受けた傷も深く、両鼓膜の破裂に深刻な低酸素症
普通ならパイロットとして2度と空を飛べないはずだった…それが平時であったなら
ニッチなファンタジー架空戦記です。




