7.不可思議な少年
食料の当てもついた。色々と牽制もし、味方とは言えないが言葉が通じる人も見つけた。前途多難ではあるが、とりあえず良い兆しである。
が、そんなアーシャの行く先に立ちはだかったのはちょっとした試練だった。
「……いや、ここ何処?」
食べ物の匂いを辿って大きな建物に入ったのは憶えている。今もその中にいるわけで。
本当に自然界にあるのか? と疑いたくなるくらいの真っ白い石で出来た床。横を見れば窓があり、ただ透明なだけではなく、何やら模様が描かれている。壁側には絵が飾られていたり、花が生けられていたり。
(ウンウン。これは私にもわかる。めっちゃ高いやつでしょ)
国のテッペンにいる人、王様がいる場所なんだからめちゃくちゃ豪華にするはず。その一点のみで、高価と断じているアーシャであった。ちなみにこの王宮全体に統一感があるな、とか、凄くキレイに整えてあるな、とかいう感想はあれど、美的センスそのものに関しては共感はない。
——とかゴチャゴチャと頭に浮かぶのだが、考えなければならないのはそんなことではなく。
「……迷った? 私が?」
そう、現在位置の把握ができていないのである。有り体に言えば、迷子。
名誉のために言うと、アーシャは草原で迷ったことなどなかった。確かに見渡す限り草しかない草原なのだから、迷うも何もないだろうと思うかもしれない。しかし、あの地でも迷子は普通に存在する。はぐれた他部族の人間を送り届けたことも一度や二度ではないし、逆に他部族に送られてきた仲間もいる。草しかないだけに目印がなくて、むしろ迷子が頻発するのだ。
そんな場所で一度も迷子になることのなかったアーシャは、自分は方向感覚に優れていると思っていたのである。だが、それは草原という限定された場所だけでのことだった。
晴れの日は昼間なら太陽の位置。遠くに霞む山々の形も頼りになる。夜なら月や星の位置。曇りや雨の日は季節ごとに吹く風の向き。その風に乗って漂ってくる微かな匂いなど。身に染みついた記憶と感覚が常にアーシャを助けていた。
けれど、ここは見知らぬ土地の初めて入った建物の中。頼りになるはずの日の光は窓の模様に遮られて複雑に跳ねている。真っ白い床や壁からは風がそよとも入ってこない……。
(どうしよう。あんな自信満々に啖呵切っておいて、納屋へ戻れませんだなんて……)
戻って納屋の場所を教えてもらうこと自体は全く構わない。こんな場合、矜持だの自尊心だのは何の役にも立たないのだ。命大事に。
ただ、先程の騒ぎの後だけに、尋ねたところで答えてくれる人間がいるかどうか。無視されるだけならまだマシで、もしかすると騙してどこかに押し込めようとする輩も出てくるかもしれない。
流石のアーシャもこの頑丈そうな建物の一室に閉じ込められては、脱走するのも一苦労だろう。
となると、自力で外に出なければならないわけで。
「とりあえず出入り口が見当たらないから、窓とやらを開けてみようかな」
人生で初めて触れる鍵のかかった窓に四苦八苦しつつ、どうにか開けることができた。開けた窓の外には地面が見えており、窓の高さはアーシャの胸くらい。飛び降りるのには苦労しなさそうだった。アッサリと脱出に成功する。
さて、一旦外に出てしまえばきっと何とかなるだろう。そう思って周囲を見渡すと——。
「わぁ……」
感嘆のような声が聞こえてきた。どうやら近くに人がいたようだ。声がした方を見ると、この王宮にはあまり似つかわしくない古びた衣服を着たひょろっとガリッとした少年と目が合った。
(珍しいな、私を真っ直ぐ見てくるって)
多分アーシャと年の頃は変わらない。ただ、吹けば飛びそうというか、今まで出会ってきた人の中で一番痩せっぽっちだった。金色の髪が艶もなくくすんでいるのは栄養状態が良くないからだろう。顔色も良くなく、草原にいたら生まれたてのウリ坊にも転ばされそうなくらいの華奢さだ。
何よりアーシャの目にはちょっと嫌な感じのものが映った。
(何だろう、あの黒いもやもや)
彼の首元に、まるで何かに繋がれたような黒い糸が見えたのだ。それは視界のどこかへ消えており、得体の知れぬ不安を覚えた。だがそんなアーシャの心情など知らない少年は、なんと話しかけてきた。
「あの、あなたが着てるのってデールですよね?」
デールというのは草原の伝統衣装の正式名称。この国では全く馴染みがないだろうに、わざわざ尋ねてくるなんて彼はかなり変わっていると思う。
「は、初めて見ました! ということは、あなたは北の草原の民ですか? すごい、こんなに鮮やかな色を出す染料があるんですね……」
適切な距離を取りつつも、彼はキラキラとした目でこちらを見てくる。
「うちの部族の染料はちょっと特別製だから鮮やかなのかもね」
「材料って虫ですか?」
「虫を使ってるのは別の部族ね。私達ウルナ族は山岳に生える花の種子を使っているわ」
久々の敵意のない視線になんだか毒気を抜かれてうっかり答えてしまう。といっても、別に秘匿情報でもなんでもないから構わないはず。
「そうなんですね! 文献ではそこまで書いていなかったから……。あ、でも、部族ごとに使っている色が違うっていうのは本当なんですね。うわーすごい」
好意というよりは、好奇心なのが窺える。それでも嫌味に感じないのは、彼自身の魅力というか人懐っこさのお陰だろうか。
アーシャは別に暴力が好きなわけでも、ケンカを売るのが好きなわけでもない。ただ、無礼には無礼で返し、暴力には暴力で返す主義なだけだ。こうやって好意的な目を向けられるのであれば、好意でもって返したいところである。
「ところでちょっと聞いてもいいかな?」
「あ。僕ばっかり喋ってすいません。何でしょう?」
「この辺りに崩れかけた納屋なかった?」
彼ならば、少なくともアーシャを閉じ込める選択は取らないだろうと思って尋ねてみる。すると、あっさり頷かれた。
「あ、はい。ありますよ。でも、ここからだと結構遠いです」
「遠いんだ……」
建物というのはどうしてこうも面倒なのか。気付かぬうちにずいぶん離れてしまったらしい。ちょっと遠い目になってしまう。だが、気落ちしている暇はない。食料が手に入るかどうかの瀬戸際なのだ。
「あなた暇? 案内できる? お礼になるかはわからないけれど、うちの部族のことならそれなりにお話できると思うのだけど」
「いいんですか!? わかりました。じゃあ案内の間たくさんお話聞かせてください!」
こうしてアーシャは敵意のないおしゃべり相手兼案内人をゲットしたのだった。
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