5.厨房襲撃
「すいませーん」
声をかけたのは厨房らしき場所だ。案内もされていないので「らしき」としか言えないが、少なくともここでは食べ物の匂いが強く漂っている。何人も働いているようだし、王宮で暮らす人、もしくは勤める人の胃袋をここで満たしているのだろう。
なんとなく故郷の料理番達のことを思い出して懐かしくなってしまった。
だが、そんな気持ちも声をかけてから待つこと約1分程すると消えていく。この間、全員がこちらを見ることはなかった。
もう一度声を張り上げる。
「すいませーん!」
なかなかに大きい声だったからだろうか。何人かがチラリとこちらを見た。しかし、その視線はすぐに逸らされる。やはり、歓迎されないようだ。
道中の様子から予想はついていたけれど。
しかも、耳を澄ますと、「蛮族風情が」という声が聞こえてくる。
(表立って喧嘩売ってくれたら五倍返しするんだけどな~)
一応、こちらが先に礼を失するわけにはいかない。
ケンカは売られて買うものであり、こちらから売るわけにはいかないのだ。
「すいません、今日来たばかりの者なんですけれども、食べ物と飲み水を分けてもらえませんか?」
穏便に声をかける。だがしかし、返ってくるのは当然のように無言だ。アーシャなどいないかのように振る舞い、皆それぞれの仕事をしている。
とはいえ、現在時刻は夕食のピークを過ぎた頃。後片付けの方が多そうなのが見て取れた。そこまで忙しいはずがないのだ。忙しくて相手ができなかったと言われないようにこの時間を選んだのだから。
(散歩で時間潰すにも限界ってあるじゃない。あんまり遅くなりたくないし。万が一配給しに来てくれた人がいたとしても、不在だったら持って帰っちゃうかもしれないしさぁ)
ちなみに、あのボロ小屋の近くに、見たことのない植物が繁殖しているのを確認している。おそらく『庭園』とかいうものだろう。どのような植物でも育成には水が欠かせないはず。最悪、そこで水は失敬できるのではないかというのがアーシャの見立てだった。
だが、一応の配慮として、いきなり盗みを働くことは避けてこの場所に来たのだが。
「えーと、無視するってことは、私の存在がないと同義ということですよね。では、失礼しまーす」
キッチリ宣言してから厨房らしき場所に立ち入っていく。生憎と、ここで泣いて帰るような精神は持ち合わせていないのだ。あと、昼抜きなので結構お腹が空いて苛立っている自覚もある。
ズカズカと入り込み、いい匂いがする方向へ最短距離で向かう。おそらくは、ここにいる皆の賄いとなるものだろう。即座に手を伸ばし、そのまま食べた。
その場にいた皆が絶句した空気を感じる。
(手づかみで食べるとか、草原の民だってしないけどさぁ。今は緊急事態だものね。飢えたくないもん)
当然だが、遊牧民が皆手づかみで食べるわけがない。だが、カトラリーを持っていないし、場所も知らない。声をかけてもどうせ返ってこないのだから仕方ないではないか。そう開き直って手づかみで食べやすそうなものを選び、腹を満たしていく。
「おい貴様、何をやってるんだ!」
「ちょっと衛兵を呼んできて!」
硬直していた面々が我に返り、口々に騒ぎ出す。
「めんどくさいなぁ。何度も無視したんだから最後まで貫きなさいよ」
モグモグと食べ続け、ついでに水差しらしき物体から直で水を飲む。今お腹を満たしておけば最悪数日食べなくてもなんとかなるのだから遠慮などない。
ついでに皮肉を言うと、こちらに非難の目を向けていたうちの一人がいきり立って向かってきた。
「貴様、優しくしてやれば調子に乗りやがって!」
「この国では無視することを優しくって言うんですね。勉強になりました」
「ここは貴様みたいな汚い蛮族が入っていい場所じゃないんだよ!」
「汚いですか? それはあれですね、私をここに連れてきた時に洗濯場に案内しなかった人達に言ってください。私のせいじゃないですよ。十日も旅すりゃ誰だってこんなもんですって。文句を言うなら、案内をサボった兵士さんにお願いします」
なんかごちゃごちゃうるさいので、倍くらいの勢いで返す。
それから、目の前にあった大きな干し肉の塊を手に取った。アーシャの顔より大きい骨付きの加工肉だ。これを持ち帰れば暫く持ちそうである。
ついでに大きめの水差しも拝借していこうかと辺りを伺っていたところ、逆上したらしい男が殴りかかってきた。
「なめんじゃねえ!」
声もガタイも大きな男ではある。
だがやはり、厨房に勤める者であり、全く戦闘をしたことがないことが丸わかりだ。ひょいと横にずれるだけで、勢いのまま男は自爆してスッ転ぶ。だが、その自爆した先が悪かった。アーシャが手づかみで食べていた賄い料理に突っ込んでいったのだ。
アーシャが次に手を付けようと楽しみにしていた料理までまとめて台無しになってしまった。もったいない。
だがこれはアーシャのせいではなく自業自得だと思う。幾人かの悲鳴が上がったが、知ったこっちゃない。
「あらあら。大地の恵みを台無しにしたらダメですよ」
わざと大きな声で煽れば、周囲の人間達が非難の声を上げ始める。騒ぎがどんどん大きくなってきた。
(これでそれなりに話ができる人が来てくれたらいいんだけどな)
この王宮という場所はとてもたくさんの人間がいるようだ。これなら部族全員が顔見知り、という遊牧民とは違って余所者が一人や二人紛れ込んでいても気づかれにくいだろう。いわゆる「間諜」というヤツである。
そして、この国は人質のアーシャに「王の嫁」という名目を与えるほどに見栄っ張りだ。なのに、到着初日からコレ。騒ぎを起こせば起こすほどこの国の体面は悪くなっていくとアーシャは読んでいる。それなりの地位にいる人間の耳に届けば、この状況はまずいと思ってくれるはずなのだが……。
そんなことを考えていると、騒ぎを聞きつけたのか鎧を着た人物が入ってきた。
「貴様、何をしている!」
「無視されて、蛮族だなんて言われたので、じゃあ蛮族らしく強奪でもしてやろうって思って実行してます。あなたは私にご飯やまともな寝床を提供してくれますか?」
「何をたわけたことを言っている!」
言葉と同時にブンと拳を振り上げた。
一応、アーシャの住む草原とこの国の言葉は共通なはずである。しかしながら、どうしても話が通じない。問いかけたら「たわけたこと」と言われてしまった。しかも暴力のおまけ付き。
無論、アーシャはそんなものを受け止めてやる義理もないので避けるけれど。
流石に厨房の人間とは違って、避けられた程度でバランスを崩したりはしない。だが、プライドが傷つけられたようで睨みつけてきた。
「この国の人って、質問したら暴力に発展するんですか? てことは、質問もできない窮屈な国なのか」
「貴様、つけ上がりやがって! 蛮族のくせに!」
兵士らしき人物はそう叫ぶと、何やら呪文のようなものを唱える。その手のひらには、火吹き蛇との戦闘時に見たような、赤いモヤモヤが浮かんでいた。
(あれは良くない)
そう直感したアーシャは周囲を見渡し、ぶちまけられていたナッツ類を手に取って、そのモヤモヤの発生源へ向かって投げた。
「ううう……!」
石じゃなくとも、何かがぶつかればあのモヤモヤは消えるようだ。兵士はというとモヤモヤが逆流したのか苦しんでいる様子である。
それにしても、この人物も話が通じそうにない。一応ギリギリ正当防衛として言い訳できるラインを見極めつつ行動してきたつもりなのだが、何せ一人として話が通じないのだ。
どうしたものかと途方へ暮れそうになったところ、厨房に更なる人物が現れたのだった。
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