21.ただいま!
「もしかして、魔力切れ!?」
慌てるセフィスの声が、まるで水の中から聞こえているようだった。触れているはずの地面すらも膜一枚隔てた向こう側のように感じる。
(急がなきゃ……でも、なんのために……?)
視界は歪み、頭の中がまるで靄がかかったようにぼんやりとしていた。
(草原の覇者ピーインに出会えた。それだけで良いんじゃ……)
けれど、どこかで警鐘が鳴り続けていた。
立ち上がれ。
守れ、と。
「アーシャさん、失礼します!」
そんな声が聞こえたかと思うと、ぬくもりが伝わってきた。祠の中に満ちていた土と草と風、ピーインの魔力の気配に混じって、セフィスの、人間らしい匂いがする。思いがけない感触がやっと脳みそに届いて、アーシャの意識は覚醒した。
「ごめん……ね」
気づけばセフィスがその細く頼りない腕で、それでも懸命にアーシャを抱え上げようとしていた。
「アーシャさん、目を覚ましたんですね! 大丈夫……大丈夫です! 僕が、守りますから……!」
セフィスの緊迫した声の向こう側で、騒がしい物音が聞こえる。
ピーインの卵が孵ったことが伝わったのだ。
「やばっ! ……あ、あれ」
咄嗟に弓を構えようとするが、体に力が入らずフラフラする。視界もまだ歪んだままだ。
セフィスが、アーシャを庇うように立つのがわかった。
(これが、魔力切れ……こんな時に)
心の中で盛大に舌打ちをしていると、ピーインが大きく鳴いた。
「キュアアア」
「ピーイン。話したことを覚えてる? 僕達はここから脱出して、君の故郷に帰りたいんだ」
「キュア!」
承知した、と返事をするようにピーインはフワフワの幼毛のまま羽ばたく。すると、緑色の光が躍るように辺りを漂ったかと思うと、ふわりとアーシャとセフィスを包み込んだ。草原の風の匂いがする。感動しているうちに、そのままピーインの背中まで運ばれた。今ならアーシャにもわかる。この緑の光がピーインの魔力なのだ。
「すごい……」
「ピーイン! いける!?」
「キュアア!」
セフィスの魔力をずっと貰い続けていたからか、ピーインはセフィスに従順だった。フワフワの幼毛の翼を羽ばたかせると、先程二人を持ち上げた緑の光が周囲で舞い踊る。それは今まで見たどんな魔力よりも力強く、キレイだった。
ピーインの背がとても暖かく、その温もりにアーシャは場違いにもホッとしてしまった。草原の覇者としてだけでなく、仲間として、ピーインは確かに二人を守ってくれている。
フワリ、と体が浮く感覚がした。
「いたぞ! 捕らえろ!」
その瞬間、無粋な声が割り込んでくる。同時に何かが広げられているのが見えた。どうやらバカでかい網のようである。
アーシャは矢をつがえようとしたが、まだ上手く体が動かなかった。それに、動けたとしても網に対して弓ではどうしようもなかっただろう。
万事休すか、と思った時、鋭い鳴き声が響く。
「ギュアアアアアアア!!!!!!!!」
それはまさしく、草原の覇者に相応しい威嚇の鳴き声だった。ピーインの威嚇に周囲にいた兵士達は軒並み尻もちをついている。中には這ってでも網を使おうとする剛の者もいたが、何故かそれを押さえ込む人間が現れた。仲間割れだろうか。理由はわからないが、こちらにとってチャンスなのは間違いない。
「ありがとう、ピーイン。今のうちです!」
「キュアッ!」
セフィスから声をかけられると、ピーインは先程と打って変わって嬉しそうに鳴き、大空へと羽ばたこうとする。
アーシャは最後の気力を振り絞って、弓を構えた。
「セフィス、支えて、お願い」
「あ、はい!」
セフィスの腕の意外な力強さを感じながら、我を取り戻した兵士達に威嚇射撃をする。
矢はヒュンと音をたてて、兵士達の足元に突き刺さった。その反動でグラリと視界が揺れる。けれども、恐れはなかった。絶対にセフィスが支えてくれると信じていたから。
めまいを押し隠してアーシャは声を張った。
「我が名はアーシャ! ウルナ族、族長が娘! あなた達の言う『蛮族』らしく、草原の覇者と王子は奪わせてもらうわ!」
◇◆◇◆◇
それから。
ピーインは草原を目指して飛び続けた。途中、孵化したばかりの体を慮って何度か休憩を促したが、聞き入れなかったらしい。それほどまでに草原へ帰りたかったのだろう――とは、セフィスに聞いた話だ。
啖呵を切った後、アーシャの記憶はほとんどなかった。セフィスとピーインのぬくもりに包まれて、気を失うように眠り込んでしまったのだ。失った魔力を補充するために必要な休息だ、とは言われたけれど。
「……かっこ悪い」
「そんなことありません! 物凄くかっこよかったです!」
「そんなこと……」
「本当です。アーシャさん、奪ってくれてありがとう」
「セフィス……」
真っ直ぐに見つめてくる瞳に、アーシャも目を離せなくなった。見つめ合って、そして――。
「キュアア!」
唐突にピーインが鳴き声を上げた。
いつの間にか夜が明けて、大地に陽が射し始めている。風にうねりながらどこまでも続く緑の波。キラキラと輝く川。そして、天幕の群れ。
「セフィス、見える? あれが――」
言葉が喉の奥で詰まり、胸が熱くなる。目尻がじんとするのを感じた。
故郷の草原。そして、セフィスが共にいる未来が広がっている。それが言葉で表せないほどに嬉しい。
風が背中を優しく押し、心を静かに洗い流していく。アーシャは目を閉じて深呼吸をした。
そして、そっと口を開いた。
「これからもよろしくね」
セフィスは少し驚いた顔をした後、照れくさそうにはにかんだ。
その笑顔に、アーシャの胸が温かなものに満たされていく。
「キュアア!」
ピーインがまるで祝福するかのようにもう一度高く鳴いた。
その声は、草原の風に溶けて、空の彼方へ消えていく。
――風が変わる。何かが終わり、何かが始まる音がした。
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