2.アーシャが嫁に行く理由
「何言ってんの婆様。もしかしてボケた?」
婆様からの思いもよらなかった発言に、アーシャはつい口を滑らせてしまう。ちなみに婆様とは言っているけれど、馬もビャクも乗りこなし、今も狩りに出ている現役の女傑だ。近年は流石に白いものが黒髪に混じり始めたが、ボケるには早すぎる。
それでもこの血迷った発言が出るとなると、ボケを疑いたくもなるわけで。
「何を言っとるか、バカモノ。ちゃんと正気だよ」
「じゃあなお悪いじゃん。南の国って……アレでしょ?」
南の国、正式名称はトーア魔法王国。あの国を話題に出されて真っ先に思い浮かぶのは、こことは全く文化が違うということだ。国名に魔法の言葉を冠する通り、魔法至上主義。あちらでは火を起こすのも、水を汲むにも魔法を使う。魔力がない人間はゴミ扱い、という国だ。
歴史を辿ると、魔力のない王族だか貴族だかが徒党を組んでこの草原まで逃げてきた、などという話も伝わっている。個人であれば毎年のように脱走者が逃げ込んでくるのだと、頭痛を堪えるような表情をした婆様から聞いていた。
この草原に住む遊牧民は、基本的に魔法を使わない。
あちらでは、そんな魔法を使わないこの草原に住む部族をまとめて蛮族と呼び、蔑んでいることも知っている。そんな場所に突然嫁げと言われるとは思ってもいなかったのだ。まず、あの国に入国するだけで不愉快な思いをするに決まっている。
「実は前々から南の国がこの草原を侵略しようとしていてね」
「それはしょっちゅうじゃん。また手ぇ出してきたってこと? そろそろ五倍返ししたいんだけど」
あちらは蛮族とこちらを蔑むけれど、この広大な土地は欲しいらしい。度々やってきては喧嘩をふっかけてきているので、その都度応戦して撃退している状況だ。
「今この草原に男手が少ないと知ったんだろうね」
婆様が苦虫を噛み潰したような顔でそう言った。
普段、この草原には十数の部族が暮らしており、元気に抗争を繰り返している。「草原の覇者はうちの部族だ!」という主張を通すためだ。覇者は比較的安全な「草原の守り神」の加護がある場所に住むことができるので、参加する部族は皆真剣に抗争している。ただし、何事にも例外はあり抗争に参加せずに草原を駆ける部族、または珍しく定住する部族なんかもいた。
が、今は抗争も停止している。部族の戦える者達が不在なのだ。
理由は、北の山岳地帯に、先程アーシャが退治した火吹き蛇が大量発生してしまったから。草原の民は停戦して共同戦線を張り、草原の草を燃やし尽くさんとする火吹き蛇を全力で退治しにいっているのだ。
そして、南の国はそこを狙ってきたらしい。
「数ヶ月で帰って来れるだろうって思ってたけど、火吹き蛇めちゃ増えてるみたいだもんね。皆帰ってきたら解決しそうなのに~」
「おらんものはおらん。そして、今攻めこまれたら流石に被害が酷いだろう? だから、戦う以外の方法を探していた」
「いやまぁ理屈はわかるけど……」
「あちらさんの要求は、あっちの国に近い南の方で調査だとかをするらしいからその時に攻撃してこない保障、だそうだ」
「つまり人質よこせ!ってことね。……全部族がそれで止まるなら毎回元気に抗争してないんだけどねぇ」
「あちらさんが蛮族の文化に配慮なんかするもんかい。まぁそういうわけで、ある程度自衛ができるヤツじゃないとマズいのさ」
確かにアーシャはそれなりに強い。自主的に草原の巡回をし、現在草原の脅威となっている火吹き蛇を単独討伐できる程度には。
「色々穴があるなぁとは思うけど、あっちの国だしね。でもそれが何で『嫁ぐ』に繋がるわけ?」
「知らんよ。あの国らしい周りの国への言い訳だろ。私達は蛮族の長の娘を嫁にしてやる広い心を持つものである、とかなんとかね。どうせ人質って言葉が体裁悪いんだろうよ」
「うわー、あちらさんの考えそうなことねぇ。でもさでもさ、戦える女なら他にもいるじゃん。ドゥドクガ族なんて女ばっかよ?」
ドゥドクガ族は、女しか存在しない、少し風変わりな部族である。どうやって数を増やしているかというと、その辺りをふらふら一人歩きしている男をとっつかまえて……。侵略してこようとする他国の男など大変美味しい餌に見えるはずだ。正直この人質作戦を一番台無しにしそうな部族である。ただ、仲間意識はかなり強いので、人質が部族内から出ればおとなしく従うかもしれない。その前に人質を出すことにおとなしく従うか、という大問題があるわけなのだが。
「お前さんは口から先に生まれたようなもんだろ」
「それ、失礼じゃない?」
「口喧嘩じゃまず負けそうにない。腕も立つし、特別な目がある」
特別な目、というのは火吹き蛇との戦闘の際に見えたもののことである。他の皆はあれが見えないらしい。アーシャにしてみれば生まれた時から見えているので、逆に見えていない視界というがよくわからないのだが。今のところ、草原の守り神からの贈り物だろうということで落ち着いている。そのような異能がある人物が、この草原にたまに生まれることがあるらしい。
その点をつかれると、じゃあやるしかないか、という気分になってくる。
更に、婆様はトドメの一言を放ってきた。
「何より、ニーア族の占い結果がアンタを指してんのさ。人には見えぬ縁を辿ってこいとな」
「あーそりゃ私か。逃げられないね」
ニーア族は草原の民には極めて珍しい農耕を主体として暮らしている一族だ。どこに作付けし、いつ収穫するか。全てを占いによって決めているという。そうして彼らは天災に見舞われることもなければ部族間の抗争に巻き込まれることもなく、この大草原を今日まで生き抜いている。なので、彼らの占いの力には他の部族も一定の信頼を置いていた。
そんな一族の占い結果と言われれば、この草原の自由を守るためにも聞き入れないわけにはいかない。
「どのくらい経ったら帰ってきてもいい?」
建前上は嫁だそうだが、経緯から考えるにまともな嫁扱いなどしないだろう。だからこそ、さっさとトンズラできるように算段はつけておきたい。
「男どもが帰ってきたら南の国にも負けはしないだろうからそのくらいかね」
「それいつ?」
「わかってたら苦労せん。というか、わかってたらそもそもお前を嫁になどやらんだろう。わからんからこその苦肉の策だ」
「それもそうか」
ということは、アーシャは南の国で戦況を知ることができるように立ち回らなければならないらしい。
(めんどくさそう……。でも草原があの国の傘下に入るよりはいいか)
草原の民は基本的に自由を尊ぶ。どの部族が覇者になろうとも、その部族のやり方を押し付けることはしないのだ。
しかし、万が一南の国が覇権を握ったとしたら、そんな話が通用しないことは明らかである。あの国が蛮族のしきたりに頓着するはずがない。最悪この草原での暮らしを捨てなければならない事態も考えられる。それだけは絶対避けなければ。
そんなことを考えていると、婆様が声のトーンを一つ下げて話し始めた。
「それとは別件でもう一つ、お前に頼みがある」
「えっ!? まだあるの? 正直今のでお腹いっぱいなんだけど!」
かなりの厄介ごとのニオイがする。が、それも避けては通れなさそうだ。腹をくくって婆様に向き合うと、真剣な眼差しがぶつけられた。
「草原の守り神、ピーインのことだ」
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