16.研究室へ
読み通り、夕暮れ時に女官長が自ら食事を持って現れた。僅かながらも仮眠を取ることができたアーシャが約束を守ってくれた事に礼を言うと、女官長は複雑そうな表情を浮かべながら、
「セフィス様にも大変申し訳なく思っております」
と、深く頭を下げた。
なんでも、セフィスに回すべき予算もまた横領されていたのだとか。
(いや、正直遅すぎよね。こんな、ガリッガリで服もペラッペラなんだから普通気付くでしょ)
アーシャは心の中だけで突っ込んでおいた。被害者はセフィスであり、彼が言うべきだろうと思ったから。あと、下手に口を挟んで騒ぎを大きくするのは得策ではないと判断したというのもある。
が、セフィスの反応はアーシャにとって意外だった。
「あなたにもあなたの立場がありますから。気にかけて下さって、ありがとうございます」
と、食事を受け取りながら笑みまで見せていたのだ。
(私が当事者だったら、絶対にケチョンケチョンに言うわ。絶対『ありがとう』だなんて言えないし、思えない……セフィスって凄い)
共感できるか、と問われれば否だ。
もし自分がこんな境遇にいたとしたら、相手の立場など念頭にないに違いない。
女官長もそんなことを言われるとは思っていなかったようで、一瞬困惑の表情を浮かべる。
だが、すぐにキリリとした顔で向き直ると、アーシャに然るべき部屋へ移動するよう要請してきた。勿論、キッパリと断ったけれど。
「絶対また来るよねぇ」
「ですね」
今日のところはお暇します、と女官長は去っていった。けれど、今後多忙の合間を縫って足を運んでくるだろうことは予測できる。
「やっぱ実行は数時間後よね」
「はい。女官長さんのスケジュールは僕も把握していません。けど、上の役職の方は早朝はきちんと休んでいるはずです。現れるとしても朝食の時間帯でしょうか」
「ってことは夜明けと同時に潜入、朝食の時間にはここに戻って来たいわね」
「はい。その作戦で頑張りましょう」
そんなこんなで食事をとって早めの就寝。余談だが、アーシャと同じ食事を持ってこられたセフィスは普段の食事との違いに結構ショックを受けていた。
(……あれだけ厨房で暴れたんだもの、豪華になるのも当然か。でも、セフィスは普段どんなものを食べていたんだろ。ちょっと気の毒になる。……できるだけここに居座って、彼の食環境を改善してあげたい。なんなら……)
アーシャはその先の考えを頭を振って無理やり追い出した。
(何考えてるの。私はドゥドクガ族じゃないってば)
ドゥドクガ族は草原に住む女しかいない部族だ。次世代へと命を繋ぐために、男を攫う。アーシャは誇り高きウルナ族だ、相手の意向を確認せずに連れ去るような真似は絶対にしない。
(そんなことより、しっかり体力回復しないとね。美味しいご飯も食べたことだし)
突然湧いてきた他部族的思考を追い出してしっかり完食し、決行に備えてそれぞれ休むことにした。
太陽が夜の終わりを告げる時刻に目を覚ましたアーシャが祠を出ると、ちょうどセフィスも小屋から姿を現した。無言で頷き合い、移動を開始する。
研究室と呼ばれる施設は想像していたよりも小さな建物だった。周囲の建物よりも歴史が浅いことが窺える。そして何よりも異質だったのは、あちこちに張り巡らされた糸だ。
「すごい、糸だらけ……あ、セフィスちょっと待って。真っ直ぐ向かうと引っかかっちゃう」
「え? 何にですか?」
「……あぁなるほど。これが魔力で、罠なのか」
セフィスの反応で、やっと気付く。普通の人間の目には見えない罠。これは思っていたよりも数倍厄介だ。アーシャはギュっと拳を握りしめた。
「もしかして、建物のこんな手前から罠があるんですか?」
「そうなんだと思う。……でも、あちこちほつれてるわ。手入れしていない、のかも」
糸は不気味な赤い色をしていた。これをもっと濃くすれば、セフィスと卵を繋いでいる糸の色になるかもしれない。
ただ、それらの糸は綿密に張り巡らされているわけではなく、ところどころが力なく垂れ下がっていた。
「研究員の方は人数がだいぶ減らされたって聞いていますから、もしかしたら手入れできる人がいないのかもしれませんね。とはいえ、機能している罠もあるんですよね」
「うん。ちょっと待ってね。見えなくても安全にいけそうなのは……こっちかな」
大きなほつれを見つけたので、セフィスの手を引いて歩く。
「え、わっ……」
「あ、ごめん。力強かった?」
思ったより大きな声に驚いて振り向くと、セフィスの顔が赤い。心配になって覗き込むと大きく首を振られた。
「だ、大丈夫です! それより、急ぎましょう」
「そうね。時間は限られてるもの。あ、そこ、糸が垂れてるから踏まない方がいいわ」
糸が見えないセフィスに気を遣いながら、なんとか建物まで辿り着いた。
「こんな糸だらけで普段はどうやって出入りしているんだろ?」
「多分、反応しないような仕掛けや、魔法があるんじゃないかと。少なくとも僕がこの場所を見張っていた時に不審な動作はありませんでしたから」
「内部の人間だけは除外、みたいな便利機能があるのかも。まぁあれこれ考えてもわからないだろうし、さっさと入ろう」
「あ、待ってください! あの、ここって扉の開け方も特殊なんです」
「そうなの?」
言われて立ち止まる。ここはどうやらセフィスに任せた方がいいらしい。きっと長い時間をかけてこの場所を観察していたのだろう。
「この扉、普通にノブを回して引こうとしても開かないんです。仕掛けが逆で……」
そう言って、セフィスはドアノブに手をかけ、回さずに軽く押す。すると、ドアは音も立てず横にスライドしていった。
「うわぁ、変な仕組み。でもわかってなけりゃ無理ね、これ。流石セフィス」
「あ、ありがとうございます。あの、急いで中を見てみますね」
「うん、頑張って。私は役に立てそうもないから見張りに専念するわ」
入口からざっと見渡した研究室内は、なかなかに荒れていた。整理整頓という文字を知らない人物しかいないらしい。逆に言えば、少しくらいモノが移動していても気付かれないだろう。
一緒に中へ入り、セフィスは奥の方へ。アーシャは扉の前に立って外の気配を窺う。
「……知識がないって、不便ね」
アーシャが文字を読めれば、セフィスに負担をかけずにすんだ。だが、こればかりはどうしようもない。任せるしかない歯がゆさを覚えながらも、アーシャは外へ意識を向けた。
ジリジリと太陽が昇っていく。
そろそろ朝一番の勤務がある者が動き出す時間帯、となったところでやっとセフィスはアーシャの元へ戻ってきた。
「セフィス、どう……どうしたの!?」
戻ってきたセフィスは冷静ではあった。しかし、その目元は赤く腫れ、頬にはまだ濡れた筋が残っていた。
「す、すみません。あの、あとで、話します……まずは、ここから出ましょう」
震える声で退室を促すセフィスに、アーシャはそっと寄り添う。何があったのか気になるものの、セフィスの言う通り今は脱出を急がなければならない。
問い質したいのをぐっとこらえて、その場を後にしたのだった。
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