15.セフィスの夜(セフィス視点)
壁にもたれかかり目を閉じるアーシャを見て、セフィスは言われた通り自室へと戻った。
確かにアーシャの判断は正しい。明朝、それも明け方に潜入するのであれば体力の回復は大事だ。特に彼女は今日この王宮に到着したばかり。しかもトラブル続きだったことが窺えるので休息は必須だ。
頭ではわかっている。
けれどアーシャは、セフィスにとって初めて対等に話してくれる相手だった。笑いかけ、問いかけ、時に自分の考えは違うと新たな価値観を教えてくれた。
「もっとお話、したかったな」
物がほとんどないガランとした自室に、セフィスの独り言は思ったより大きく響いた。気配に敏感なアーシャなら聞こえてしまったかも、と慌てて自分の口を押える。
幸い耳に届かなかったらしく、彼女が動く気配はなかった。
ホッと息をついて、部屋に帰った時のルーティンを始める。
セフィスの部屋は狭い。部屋に入った途端、空気が淀んでいるように感じた。壊れかけのベッドと軋むテーブルが、今日も変わらずそこにある。一応棚らしき物もあるが、その中身は空っぽだ。最初は親切な研究員がくれた絵本や、野草を飾れるような小さな花瓶があったのだけれど、全て壊されてしまった。それ以来、自室には何も置かないようにしている。「帰る場所」のはずなのにどこか牢獄めいて見えるのは、私物がないせいだろうか。
そうやって自衛していても、嫌がらせは尽きない。
入口に張っていた侵入者発見用の糸は、切られることなくそのままになっていた。それでも油断はできない。昨夜は枕の下にナメクジがいた。今日は何もない——それがむしろ不安だった。罠は、油断した頃に仕掛けられるから。
ほとんどない家具の裏側にまで目を通し、やっと安心してベッドに腰掛ける。
「嫌がらせに飽きてくれたらいいのにな」
毎日そう願うものの、その願いは叶ったことなどない。むしろ平穏で何もない日々が続くと、その反動を恐ろしく感じた。
「魔力がないのは、僕のせいじゃないのに」
そう言ってみたところで、誰も手を差し伸べてはくれなかった。
トーア魔法王国。この国は、魔法の腕があれば成り上がることができる、魔法使いにとっては夢のような国である。……世間ではそう認識されている、らしい。特に他国では子どもに魔法の才能があるとわかると高い入学料を払ってでも、この国の魔法学園へと入れるのだとか。
けれど、この国は君主制であり、厳格な身分制度が存在する。魔法を学ぶだけであれば確かに良い環境なのかもしれないけれど、この国で成り上がるにはどうしたって身分が立ちはだかるだろう、とセフィスは考えている。
とはいえ、王子という身分はセフィスを守ってくれなどしないが。
それでも王宮で耳をそばだてていれば、身分の低い者達の愚痴が聞こえてくる。
「魔法の才は遺伝する。だから高位貴族は才能ある人間をどんどん囲っていく。ポッと出の奴なんかはそうやって淘汰されてくんだ」
「平民や下位貴族の成り上がりなんて所詮夢物語。より良い血統を残すための駒扱いがせいぜいだ」
「そうでなければ夢を見過ぎず木っ端役人や下っ端研究者で満足するしかないさ。ここはよその国より随分生活水準が高いわけだしな。草原の野蛮人どもが此処にきたらひっくり返るぞ」
身分制度への不満と、その不満のはけ口に北に住む遊牧民を蔑む声ばかり。彼らの言葉を、図書館にあった本が裏付けている。
『魔法の才は血に宿る』
それがこの国の絶対的な真理だった。図書館の文献にも、歴代王家の魔力量が細かく記録されている。なのに、自分にはどうして魔力がないのか。読み進めるたび、紙の上の事実が、セフィスの胸を締め付けた。
(どうして僕は王の魔力を継げなかったんだろう……)
セフィスは母親を知らない。物心ついた時には既に姿はなく、侍女に育てられていた。いや、育てられた、と言っていいものかはだいぶ怪しい。それでもとりあえず、命だけは繋いでいた。恐らくは、国王が気まぐれに手を付けた身分の低い女性の子どもだったのだろう、と推察している。
たまに「母に魔力がなかったから自分も魔力がないのでは」という考えがよぎることもある。けれど、この国で魔力のない者が王の目に留まるとは思えない。王宮に入るどころかまともに生活することさえ難しいだろう。よしんば本当に魔力がなかったとしても、セフィスに母を恨む気持ちはない。出産が女性にとって文字通り命がけであることを、長じて学ぶ機会を得たからだ。
(やっぱりあの人のお陰だよね)
知識を与えてくれたのは祠に来ていた研究員達だ。その中に一人、セフィスの境遇に同情したのか、特に親身になってくれた人がいた。名をワーモッドと言い、白髪の目立つ穏やかな人物だった。彼がいなければ今のセフィスはいない。
彼は、何もわからぬセフィスに文字を教え、知識を与えてくれた恩人だ。そして、セフィスの研究室への侵入という無謀な行動を大いに叱った人物でもある。
「死にたいのか!」
温厚な彼の目が、本気で怒っていた。肩を掴まれて揺さぶられたのも、その一度きりだった。
どのようにやったのかはわからないが、セフィスの図書館への入室許可をもぎ取ったあと、彼の姿は見えなくなった。
(きっと僕が侵入したせい、なんでしょうね。でも、彼は僕に図書館を残してくれた)
責任をとって、どこかの部署に移されたのかもしれない。彼はセフィスと違い凄腕の魔法の使い手だった。だから、研究員の職を失ってもこの国のどこかで生きている、とは思うのだけれど。
(あなたが与えてくれた図書館で、僕はこの世界の残酷さを知りました。でも、それだけじゃない。僕はそこから、自分で考える力も得た。だから……ごめんなさい。僕はあなたの戒めを破ります。あなたに教わったことを、知識を、ちゃんと使いたいから)
幼少期からずっと一緒だった御神体。
この祠の近くにいると、少しずつ何かを吸い取られている感覚があった。だから入室許可を得てからは図書館に籠もっている。
だが、ずっと図書館にいると、何故だかあの岩に呼ばれているような気がしてしまうのだ。モノ言わぬ岩なのにも拘らず、話しかけて応えてもらった気がすることも度々あった。
(知りたい。知らなきゃいけない。僕はどうして、あの岩の傍にいるように言われたのか)
「人にあらず」の自分を生かしていた意味、それがきっとあの岩の正体に繋がるはずだ、という確信がセフィスにはあった。
「もしかしたら、知らない方が幸せなのかもしれないけれど……」
それでも、セフィスは外の世界を知った。
魔法に囚われない生き方、考え方。知らなくてもいい知識だったかもしれない。けれど、知った後の世界の方が鮮やかだということを理解してしまったから。
「休もう……何を知っても、動じないように」
精神的疲弊は、思考をマイナスへと向かわせてしまうという知識も得ている。だからセフィスは、固いベッドに体を横たえ目を閉じる。そして、何度も浮かんでは消える自身の心の声に乱されながらも、頑なに目を瞑り続けるのだった。
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