1.草原の民、アーシャ
連載はじめます!本日は3話更新予定です。
今日も風が草原を駆けていく。遥か続く草が風で大きくうねっている。肩で切りそろえた黒髪を軽く押さえながら、アーシャは『波』とはこんな感じだろうかと見たことのない海にふと思いを馳せた。
ここは、外からはヴォーム原野だのヴォームステップだの言われている場所だ。けれど、この地に住む遊牧民族であるアーシャにとってはただの草原である。多くの部族がいつだって小競り合いをしている雄大な大地は、今はほんの少し静かだった。
「一雨来てくれたらアレも巣に帰りそうなんだけどなぁ。信心深い御老体なら『守り神様がいないからだー』って言いそー……」
ブツブツと呟くアーシャの視線の先には、近年この草原に増えまくっている火吹き蛇がいた。成蛇すると人間の倍くらいの大きさになり、名前の通り火を吹いて攻撃してくる。火だけではなく噛みついてきたり、長い巨体で巻き付いてきたりと厄介な相手だ。一匹であればそこまで脅威ではないものの、数匹群れて襲ってきた場合が非常に面倒くさい。
幸いなことに、この周辺にいるのはアレ一匹のみのようだ。はぐれたか、それとも偵察か。草原に住む者であれば、たかが蛇と侮ることは絶対にしない。グネリ、グネリと奇妙に体を揺らす姿を睨みつける。
「一撃でいければいいんだけど……ねっ」
アーシャはその辺りにあった石ころを手に取ってから、背負っていた弓矢を構えた。キリキリと音を立てて弦を引く。
火吹き蛇はその音を拾ったらしく、巨体とは思えぬ速度でこちらへと向かってきた。
みるみるうちに距離が変わる。けれど、アーシャは動じずに矢を放った。矢は狙い通りの軌道を描いて、火吹き蛇の眉間へ吸い込まれるように刺さる。
「キシャアアアア!」
しかし、それだけでは倒されてくれないようだ。攻撃を受けた蛇は耳をつんざくような金切り声を上げた。純粋な殺気を向けられて、ゾワリと肌が粟立つ。
そして火吹き蛇は、いきなり鎌首をもたげた。
アーシャの目には火吹き蛇が周囲の空気から、赤い何かを吸い込んだように見える。
「やっぱそうするよね!」
火吹き蛇の行動パターンは知り尽くしている。ピンチになればなるほど彼らは火を吹くのだ。そして、その際に絶対に「何かを吸い込む動作」をする。そこに邪魔を、例えば拾った石などをぶつけたりすると——。
「ァガッ!?」
火吹き蛇は調子を崩すのだ。
そこが、最大の隙になる。
「あなたの恵みは、ありがたく使わせてもらうからね」
そう呟きながら、腰に下げていた錘を振り上げ、火吹き蛇の頭部に振り下ろした。ゴキリという音が錘から伝わり、アーシャよりも大きな蛇の体がズシンと地面に倒れ込んだ。
だが、仕事はそれだけでは終わらない。懐から手早く短刀を取り出し、首にある太い血管を狙って突き刺した。先程まで感じていた爽やかな草の香りに、鉄に似た臭いが加わる。
「……大物すぎるのよね。一人で運べないこともないけどさ」
ここに放置したとしても、野生の動物や魔物が喜んでこの恵みを美味しく頂いてくれることだろう。
けれど、仕留めたのはアーシャである。タダで振舞ってやるのは業腹だ。さて、どうしたものか、と悩んでいると、草原ではあまり見ない鮮やかな色が目に入った。
夕陽に映える紅布と特有の羽飾りは、アーシャと同じウルナ族の者だ。
「いいところに! オーイ! ちょっと手伝って~~!!」
「アーシャ!? 全く、遠くまで来すぎよ。婆様が探してたから迎えにきたの」
「えぇ? 私巡回行くって言ったのにぃ」
「それがちょっと緊急事態っぽいのよ。だからすぐ戻ってちょうだい」
「げー。今以上にヤバいってこと?」
今は人手が少ないからと張り切って見回りにきたのだが、それよりも緊急性の高い事態が起こったようだ。
「詳しくは婆様から聞いてちょうだい。とりあえず、アーシャのビャクはどこ?」
「相棒ならあっちの方でご飯食べてると思う~」
相棒とはビャクという魔物のことだ。山羊のように乳を出し、ロバよりも荷を運ぶことに長け、ヤクのような素晴らしい毛を持つという特徴がある。
温厚な魔物だが、雑食でなんでも食べる。そして、餌付けをすると上手くすれば懐いて飼うことができるのだ。ただし、マイペースすぎて言うことを聞いてくれるかというと微妙である。今も飼い主の戦闘そっちのけで草をモグモグしていた。
「おーい、行くよー?」
声をかけるとノシノシとやってきた。
「これつまみ食いしていいから、おうち帰ろう」
「ブモー」
「あんたらマイペースすぎなのよね。切り分けたら、半分私のビャクに持ってもらいましょ」
火吹き蛇を二つに分けて、相棒達にくくりつける。負担も半分なので、彼らが無駄に疲れることも防ぐことができた。そうして、天幕のある場所へと戻っていったのだった。
「ただいまー!」
大きな声で帰還を告げると、幾人かはこちらを振り返って狩人への礼をとってくれた。ビャクが背負っている獲物が見えたのだろう。その事に少し誇らしさを感じる。
緊急事態、と言われた割には一族の天幕は普段と変わりなかった。皆がそれぞれの役割をきちんとこなしている。天幕の補修や水運び、動物達の世話もいつも通りだ。常と変わらぬ皆の様子に、アーシャはホッと笑顔になった。
「コレの解体してあげるから、あんたは急いで婆様に顔見せにいってちょうだい」
「いいの? ありがとー! このお礼はいつか、五倍返しで!」
草原には『草原の女は、恩も恨みも五倍返し』という格言のようなものがある。実際、草原の女達は愛情深く嫉妬深いのだ。
「そんなんいいから! 早く行っといで!」
先程の火吹き蛇は彼女によって捌かれて、今日の夕飯担当だったり素材班の元へと向かうのだろう。
今日の夕飯はちょっと豪華だといいな、などと考えながら一番大きな天幕に向かった。
「婆様~。なんか呼ばれてるって聞いたけどー?」
天幕の中の一番奥。この一族をまとめる人物、族長が座る場所だ。そこに大柄な女性が居心地悪そうな様子で腰を下ろしていた。婆様である。
「遅いよ、馬鹿者。族長の娘がフラフラしてるんじゃない」
アーシャは婆様が言う通り、族長の娘である。だが、族長不在の今、代理として動いているのは目の前にいる婆様だ。ウルナ族のナンバーツーとして度々留守を任されているのだが、いつもは「尻の据わりが悪い」などと言って、その席に座ることはない。
にもかかわらず、嫌な顔をしながらも座っている。それだけで何かがあったことが察せられた。
「えー? なになに? シリアスな感じ?」
だからこそアーシャは明るく言葉を返した。暗くなっても良いことはないのだ。だが、そんなアーシャを待っていたのは、予想もしていない言葉だった。
「アーシャ。お前南の国に嫁に行け」
このお話が面白そう、いきなり嫁?と思った方は、是非評価とブクマをお願いいたします!
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