神出鬼没
私はアトリアを閉店した後、奥の黒いレバーを倒して鏡や衣装などを棚に出現させました。私は赤いウィッグを被り、濃いめの化粧をして店を出ます。
そう、今日は大衆酒場でのアルバイトの日です。
店に入ると、喧騒と共に、酒とたばこのむせかえるような匂いが漂ってきます。
酒場は今日も沢山のお客様でにぎわっており、繁盛しています。声が大きく、店内はうるさいくらいです。
私は毎度のように店内で配膳などの業務に携わりつつ、周りをサッと観察しました。新しい情報を仕入れられそうな人が来ているかこうしていつも探りを入れているのです。良さそうな人がいたら、一緒に飲んで会話をしたりします。
ただ、今日は何人かのお客様とお話はしましたが、めぼしい情報は手に入れることができませんでした。
残念ですね、なんだか今日は長居しても収穫はなさそうです。それならアトリアで新しい研究に少しでも時間を割いた方が効率がよさそうです。
そう思い、私は仕事を早めに切り上げて早々に帰路に就きくことにしました。
外に出ると、夜風が心地よく吹いています。私は大きく伸びをすると、冷たく新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込みました。
「今日は良い夜ですね」
空を見上げるとキラキラと星々が美しく瞬いています。満点の星空を少し眺めていると、背後から声が聞こえました。
「うん、そのとおりだ」
私はハッと驚き、即座に振り向きます。
暗闇に紛れて人影がありました。目を凝らすと、店の入り口から漏れ出たかすかな灯りからうっすらと顔を判断します。
お師匠さま……?
いえ、この顔は……レイバーです。
一瞬、挨拶をしかけましたが、私は止めました。
私は今、別の女性ベリーシャを装っています。この女性はレイバーと面識があるわけではないのです。
私は、冷静を装ってニコリと帆笑みかけました。
「あら、お客さんかい? 店ならまだ夜遅くまでやっているよ。」
すると、レイバーは顔色一つ変えず、こう返しました。
「いいえ、僕は店ではなく、貴方に用があるのです」
「私にかい?」
少しひやりとした感覚を覚えますが、顔に出さないようにしつつ様子を見ました。
「ええ。つかぬことをお聞きしますが、誰かと似ているなと言われませんか?」
「似ている?」
「はい。なんていうか……こう、あなたの雰囲気というか、纏う空気感というか……知人に似ているんです」
「そう、なのかい?」
「情報屋のフィリーというのですが、ご存知ありませんか?」
「あ、あぁ。知っているよ。たまにお客さんを紹介することもあるねぇ。あの人と似てるだなんて、面白いことを言うねぇ」
「とても似ています。前から似てるなって思ってたんです。」
「前から?」
レイバーとベリーシャは初対面のはずです。
「僕は旅商人なのですが、この街に来たばかりの時に、一度だけこの店の前を通りました。そこで店の前にいる貴方に目がいきました」
「よくそんな一瞬の人物に目がいくね」
「ええ。そうですよね。でも、何故だろう。その時に貴方を見て、なんだか底知れぬ違和感を覚えたのです」
「違和感?」
「ええ、とても美しく完璧で……作り物のように感じてしまったのです」
作り物。まぁ、変装しているのであながち間違いではないでしょう。
すると、レイバーは「ふーむ」と言うと何かを見定めるように黙りました。
これ以上の長居は危険そうです。この観察力なあるレイバーなら特に。
「さっきから面白いことを言うんだね。まぁ、顔なんてものは化粧でどうとでもなるからね。話があるならまた今度にしておくれ。私は用があるからもう帰らせてもらうよ」
私は話を切り上げようと、手をヒラヒラとさせて歩き始めました。
レイバーはついてくることもなく、その場で会釈をしました。
「ああ、引き留めてごめんなさい。そうですね、貴方が何者であろうと僕には関係ありません。そう、僕にとって有益な人物であるならば」
そう残して、レイバーも店の中へと入って行きました。
◇◇◇
翌朝、私はいつものようにアトリアを開店しました。
開店と同時に近所のおばあさんがやってきます。お薬を処方しながら、普段通りの雑談を始めたところで、ふとおばあさんは心配そうに聞いてきました。
「最近、たまに店を閉めているようだけど大丈夫なのかい?」
たしかに、最近は貴族街の方に向かうことが増えて、こちらを不在にすることが多くなりました。
きっと街の人には不自然に見えているでしょう。そういえば、お師匠さまは貴族からの依頼があることは、皆さんに隠してはいませんでしたね。むしろ、お貴族の依頼があると愚痴を言っていたような記憶もあります。
秘密にすることは無さそうですが、今後詮索されないように適度に情報を開示する必要もありそうです。
「最近は、偉い人からたまにお仕事の依頼が来るんです。」
おばあさんは察したのか目を丸くすると、「ああ、そうなのかい。ついにあんたも私達には分からない賢い仕事をするようになったんだね」と頷きました。
そして、「あんた達の恩恵を受けて平和に暮らさせてもらってる身でいうのも忍びないけど、あまり無茶をするんじゃないよ? 命令だからなんだか知らないけど、あんたのお師匠さんも同じようなことで行方不明になってるんだから」
貴族関係だとすぐに分かったのでしょうね。
表では領地のなんでも屋として、調査や有識者という立場で関わっていると思われてはいたので、ついに難しい仕事を請け負うようになったのだと察したようです。
心配そうな顔のおばあさんを見て、私は申し訳なさを感じる反面、なんだか胸が暖かさで満たされているような感覚を覚えました。
「はい、気を付けますね」
心配してくださる人がいることは本当にありがたいことです。少し人の温かさを感じているのでしょう。
私は精一杯の笑顔で、おばあさんを見送りました。
手を振っていると、「そうだよ、気を付けないと」と後ろから聞こえました。
驚いて振り向くと、レイバーが立っています。
この方は本当に神出鬼没です。
「びっくりしました。あなたって本当に急に現れますよね」
「驚かせるつもりはなかったんだけど。でも、知らせしに来た方がいいかなって思ってさ」
「知らせる?」
「うん」
そういうとレイバーはそっと北側を指さしました。




