令嬢の雲隠れ6
後日、オリバーが契約料を持ってアトリアにやってきました。
「引き受けてくれてありがとう。それで、進捗はどうなんだ?」
私が黙って首を横に振ると、「そうか……」と少し残念そうな顔をしました。
そこで、私は渡されたお金の3分の1を差し返しました。
「……多かったかい?」
「いえ、この分のお代をお返ししますので、協力して欲しいことがあるのです」
「協力? 僕にできることかい?」
「はい、オリバーさんにしか出来ないことです」
オリバーは首を傾げました。
「別に、返金しなくても僕もできる限りの協力はするつもりだが……一体どうしてほしいんだ?」
「私を貴族街に連れて行ってください」
「……なんだって?!」
◇◇◇◇◇◇
アトリアをお休みするとこにしました。名目は旅に出ることにしておりますが、実際は貴族のお屋敷に入るためです。
オスカーさんに頼み、私は新人メイドとしてミラージュの実家である家の屋敷に同行しました。
「やあ、執事長。今回は突然の訪問にも関わらず、快く迎え入れてくれてありがとう」
「いえ、オリバー様のためですから」
オリバーは執事長に挨拶をすると、屋敷へ入って行きます。
「して……、ミラージュの行方については……やはり、僕には何も教えてくれないのかい?」
「……非常に申し訳ございませんが、情報が無く、まだ何も申し上げられないのです」
「そうか……」
執事は少し残念そうに返事をしました。あの様子では、正面切ってはまだ情報をつかめられそうにないですね。
仕方ありません。少し強硬手段に出ます。
オリバーが挨拶をしている隙に、私は使用人の目を盗み、他のメイドに扮して中に潜入しました。
門を越えれば、あとはこちらのものです。私は生垣で変装すると、お屋敷を渡り歩き始めました。今回の私はこげ茶色の髪で、顔にはそばかすを加えています。
広い屋敷の中で、まず厨房近くに向かうことにしました。大抵、噂好かきな方が多いのは厨房や洗濯の場所ですので、この近辺にいると、美味しい話が飛び込んでくるはずです。あわよくば、ミラージュの話の他に貴族の噂も仕入れられたらいいななんで、少し期待しつつ向かいました。
屋根の上で移動していると、途中、建物の渡り廊下が現れました。
仕方なく侍女に成りすまし通路を歩きます。
すると、程なくして向かい側から女性達が歩いてきました。ドレスを着た夫人が一名。使用人と思われる人物が二名。恐らく、この屋敷の奥様でしょう。怪しまれないように、颯爽と歩くことにしました。
ーーしかし。
「あらあなた!」
前方からこちらに向かって、呼び止める声が聞こえました。
少し緊張が走り、私の周りの空気が一瞬にして張り詰めます。
ちらりと周りを確認すると、呼び止めたのは夫人のようです。明らかにこちらを見ている上、前方向に貴女と言われる人物は私しかいません。私は覚悟を決め、ゆっくりと顔を上げました。
すると、夫人が私を見てこういいました。
「そう、そこのあなたよ! お客様が来ているので空き部屋を掃除して頂戴」
どうやら、本当のメイドだと思ったらしく、仕事を伝えたかったようです。声をかけられて驚きましたが、上手く侍女に成りすましているのが分かり、少し安心しました。
「はっはい!」
私はぺこりと一例すると足早にその場を離れました。しかし……
「ん……? あなた……見ない顔ね」
一人のメイドがすれ違いざまに言いました。
「え?」
「名前は?」
「あ、あの、私……」
突然名前を聞かれ、咄嗟に言葉が出ません。
「あら、新人でも入ったんじゃないの?」
少し困っていると、夫人が不思議そうに言いました。夫人のナイスフォローに内心ホッとしたものの、もう一人のメイドは私を訝しげに見つめ始めました。
「私、この屋敷の使用人は把握しているのですけれど……新人の追加なんて記憶にないですわ」
「え……」
勘の良いメイドがいたようです。
「ねえ、あなた。本当に新人? 私、こう見えて新人研修もするから把握してないはずがないのだけれど」
「え、あの……?」
私は黙ってもじもじとしました。早くこの場を離れる必要があるため、当たり障りない態度を取り続けます。あわよくば気弱な新人メイドとしてかわせないかと思いながら、逃げるタイミングを見計らいました。
しかし、このメイドは逃してはくれませんでした。
夫人の「新人だから萎縮してるだけじゃないの?」と言う呟きに対して、私に向けこう答えたのです。
「では……あなた、なんで指定の制服と”似た服”を着ているの?」
「!?」
そうです。制服は各屋敷毎に異なっており、正確なものがまだ入手できなかったのです。私の脳内事典に貴族関係の情報が欠けている弊害です。
そのため、似たもので補っていたのですが……
迂闊ですね。もう少し誤魔化せると思っていたのですが、見つかるのが意外と早かったようです。
さて、どうしましょうか。逃げるか、対抗するか……
私が脳内でシミュレーションしている間にも、メイドは確信をついてきました。
「あなた、もしかして侵入者?」
本当に勘の良いことです。
こうなっては仕方なありません。
「……とんでもないですわっ!」
私はそう発すると同時に一目散に駆け出しました。屋敷を囲う壁に向かって走ります。
後ろではもう一人のメイドの声でしょう。急に飛び出した私に驚き、叫び声が聞こえてきました。
ーー失敗しました。何も情報を得られないまま、門をでることになりそうです。後でオリバーに謝っておきましょう。
なんて考えながら走っていると、どうやら衛兵に囲まれたようです。目の前に迫る壁の高さは推定10メートル。今から可動式の紐を使って上に登っても、昇る段階で撃ち落とされてしまいそうです。
さて、どうしましょうか。
オリバーは混乱してしまい、向こうで心配そうに見ているだけです。
仕方ありません、私は咄嗟に脳内辞書を開こうとしました。
神経を脳内に集中させようとします。
その時、突如建物の方向から私を呼び止める声がしました。