61 後始末 (グレン)
『ギャブ』となったグレンは、カミーユの工房を訪れた。
「おはよう。カミーユちゃん」
「おはようございます『ギャブ』さん」
扉を開けたカミーユはにこりと挨拶をした後、声をひそめた。
「どっち……?」
「ぶっふう」
やはり見分けはつかないらしい。
吹き出したことにむくれられながら、工房に案内された。
「それで、クリストフ様はもう王都に向かわれたんですか?」
「ええ。マーキス・サウゼンドを携えて出航したわ。朝早くから悪かったわね。アマナットを取りに『グレン』が寄ったでしょう?」
「ああ、大丈夫です。多めに作ってありましたから」
カミーユにはそのアマナットが王の口にも入るだろうことは告げていない。
クリストフには『グレン』としてギャブが同行しているのだが、王への謁見もあって、大きなため息を吐きながら出かけていった。
森でカミーユと一緒にいたのがギャブだから、お互いこの配置には納得している。
ギャブの方が細かなところまで目が届き、諜報にも強い。王都で渡り歩くのに適材だとも思うのだが、恨めしそうに見てくる気持ちもわからなくもない。もともとはギャブがここに残ることになっていたのだから。
わかってはいても気が重いんだろう。
「そうですか。売り込みがうまくいくといいですけど」
「売り込み……。まあ、そうね。美味しくできているもの、きっと大丈夫よ」
「それで『ギャブ』さんは、残っていてもいいんですか?」
カミーユは手を止めずに右へ左へと動き、作業台に瓶などを並べている。
「ええ。オウジには訓練が足りていないもの。ドラグーニとして一人前にしないとね。だからしばらく通わせてね。『ギャブ』だから変な噂は立たないだろうし、夜はフィンのところでお世話になるから」
「ええと、すみません。お手数をおかけします」
グレンを振り返ってそう言うと、カミーユは斜め上を見上げた。
「ん? それってフィンさんに噂が立つんでは?」
「いいのよ。フィンには噂ぐらいあった方が。色気が足りないんだもの。それに裏から出入りさせてもらうし」
「そ、そうですか」
「じゃあ、ちょっと裏の扉にオウジ用の細工をさせてもらうわね。あー、ティアレ様も使うかしらね……」
扉にドラグーニ用の小さな扉を開けるのだが、そこに御使いたるティアレも通していいものかとグレンはため息を吐いた。
グレンが裏庭の扉を開けると、ティアレとオウジが飛び込んで来た。
「カミーユ」
『ピャィユー』
「……甘納豆はおやつまでなしよ? いただいたストロウベッリーを食べたばかりでしょ」
「まあ、違うわ。オウジじゃありませんもの」
『ピィィィユッ! ピュイピュウピュウ!』
ティアレに抗議するオウジを、グレンは慌てて遮った。
「ありがとう。カミーユに大事な話がありますの」
「ん?」
「生命の樹を庭に植えて欲しいの」
「えっ。生命の樹を? ……植えるっていっても、アーチー以外に苗木があるの? アーチーは持ってこれないでしょ」
「その一枝でいいのよ」
ティアレは作業台の上に飛んだ。
生命の樹から香りを抽出する用意だったらしく、そこには昨日取って来た枝が並んでいる。
「挿し木ってこと? うまく根が出るかなあ」
「問題ありません。わたくしがいるのですから。この園はあちらの木が海風を遮っておりますが、植物には少し苦しいのです。生命の樹が地に力を与えるでしょう」
「海風? ああ、そっか。塩害ってことかな? ……ええと、庭に差すだけでいいの?」
「ええ、そうね。この枝を。この子がその役を担いたいと」
「そう」
カミーユがティアレに指示された一本を手にして、裏庭へ出た。
ティアレは花々の間の小道を通り皆を海側の端まで先導すると、ある一点を指差した。
「ここがいいわ」
「オウジ、もっともっと深くよ」
『ピャイピュッ』
グレンが園芸小屋からシャベルを取ってくる頃には、オウジが穴に頭を突っ込むようにしてその場所を掘っていた。
『ピャイピュッ。ピャイピュッ。ピャイピュッ』
鳴き声は弾み、地上に突き出た尻尾も左右に振られている。
楽しいらしい。
「オウジ、ほら、おいで。シャベルで掘るから」
『ピャイユゥ?』
「そう。おいで。ああっ、もう。ダメダメ。土だらけで抱き着かないで」
カミーユが両手で捕まえると、オウジはカミーユに向かって鼻に詰まった土を吹きかけた。
『ピユッ。ピュウィー』
「ぶはっ。もうっ! オウジ! こやつめ、くすぐりの刑だっ! こうしてやるっ!」
『ヒャヒャヒャヒャヒャヒャ』
ずっと世話をしてきた自分よりもカミーユに懐いているようなオウジに少しの淋しさを感じながら、グレンは穴を掘り続けた。
腕ほどの長さの枝を植えると、ティアレが上空に浮かびあがった。
「この小さき花の園に神々の崇高なるお力を」
ティアレが枝の上を一周するように飛ぶと、瞬くような光の粒がこぼれ落ちてくる。
その粒が枝に触れたとたん、まるで息を吹き返したかのように葉がうごめいた。
「さあ、根よ、育て。芽よ、育て。伸びやかに。おおらかに」
「うわあ。ああ、すごい! この香り。濡れた土と木と。うわあ」
カミーユが目を閉じ、すっと息を吸う。
グレンも息を呑んだ。
カミーユではないが香りが素晴らしい。生命の息吹というのだろうか。みずみずしい香りが辺りに満ち、木は光をまといながら見る見るうちにぐんぐんと伸びていく。
目の前で起こっていることは、神の慈愛が降り注いだと言われる彼の時と同じなのではないだろうか。
「こ、これはあの、花の女神の……」
震えが止まらなかった。
挿された枝は太い幹となり、空に向かって腕を伸ばしたかのように枝が広がる。
やがて、隣との垣根の高さを越えたところで成長が止まった。
「このぐらいでいいでしょう」
満足そうなティアレの声がする。
「うえっ。えっと、ええっ? これが神々のお力? うわあ、はんぱない……」
「……すごいわね」
カミーユと二人で啞然としていると、ふふふっとティアレが笑った。
「カミーユ、貴女にもそのうちできるようになるわ」
「はっ? まさかそんな、何を。ムリムリ。無理に決まってます」
カミーユは慌てて頭を横に振っている。
「これでこの花園は守られるでしょう。でも、神々が降ろした枝ではないから同じようにはいかないわ。せめてわたくしの杖ほどの力があれば、あちらの森のようになるのでしょうけど」
ティアレは手を頬にあて、残念そうにため息を吐く。
頭を振っていたカミーユがピタリと止まった。
「あ、あちらの森って……?」
「あの、ティアレ様。あちらの森は、もしかしてティアレ様の杖があってあのようにできたのでしょうか」
「そうですよ。力ある森となったでしょう? ああ、カミーユ、心配しないで。森のようにはならなくとも、この花園はきちんと守られますからね」
ティアレは嬉しそうに笑っている。
「あ、ありがとうございます……?」
チラリとカミーユを見れば、ほっとしたように息を吐いている。
そうだろう。裏庭は確かに守られた。魔の森とならなかったのだから。
アルタシルヴァの森は、宝の森だ。「魔獣に魔植物? 上等だ。それだけの素材が取れるのだから」と、近くに住む者は森に入る。
だが、まさかそれが『杖』から始まったとは思ってもいなかった。
グレンは冷や汗をそっと拭った。
「ほんっとうに良かったわ……」
街に魔物があふれることにならなくて。
「ああ、これも報告案件ね」
グレンの脳裏でギャブがふっと笑った。
ああ、今ならギャブの気持ちがよくわかる。
グレンは何から報告すべきかと、大きなため息を吐いた。




