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58 神話の真実

 リリリリと虫が鳴いたようなかわいらしい声は空から降ってきた。

 驚いて振り仰げば、カミーユの頭上にカップ咲きのローザが一輪浮かんでいた。


「えっ! あっ、しまった!」


 天から落ちるローザの香料を逃さぬように慌てて瓶に納め、再度振り向いたカミーユはあんぐりと口を開けた。


 浮いているのはローザではなく、ドラグーニと同じぐらいの大きさの、人だ。

 いや、人といっていいのかわからないけれど、浮かんでいることと、サイズが小さいことを除けば、目、鼻、口があり、ドレスを着ていて、人と同じ姿をしている。

 美というものをヒト型で表せばこうなるだろうというほど整った顔だち。長い髪も肌も内側から光を放っていた。

 スカートはふわりと丸くひろがり、花びらが何枚も重なっているように見える。それがカップ咲きのローザに見えたのだと思う。

 アプリコット色というのか、やわらかな色合いのローザが頭が重くて下を向いて咲いているのにそっくりだったから。


「しゃ、しゃべる魔物……?」

 

 カミーユが呟くと、その存在は目を見開いた。


「まあ……! ほほほ、魔物と間違えられたのは初めてだわ」


 涼やかな笑い声が辺りに響いた。


「あああ、ごめんなさい。そうですよね。アナタは魔物に見えないもの。妖精さん……かな? でも羽はないね。あの、もしかして、ローザの精?」


 妖精が存在するとは知らなかったが、魔の森にはカミーユが知っているモノの方が少ない。光を放つこの存在は魔物には見えなかった。

 ふよふよと浮かんでいる存在はカミーユに近づくと、ぐるりと周囲を回った。


「あらあらまあまあ。花の精にしてはずいぶん大きく育ったことね?」

「えっ? 私が?」


 それはアナタじゃなくて?と頭の中で思いながら、カミーユは彼女を視線で追った。


「花の香がするのは貴女からよ?」


 カミーユは自分の袖をクンクンと嗅いだ。

 クリスタロスを呼んだときに、香料がかかったかもしれない。


「私は調香術師なので、たぶんそれで」


 目の前の存在はもっとカミーユに近づいて、再度カミーユの周りを回った。

 よく見れば鼻をうごめかしている。なんだか自分を見ているようで、カミーユはふふっと笑った。


「じゃあ、貴女はヒトなのかしら? それなのに花の香が天まで昇るなんて。不思議だこと」

「それが調香術ですから。グラシアーナでは香りは女神様に捧げることになっているので、たぶんそれでだと。……あの、アナタが花の精じゃないの?」

「まあまあ。調香術。まあ、興味深いこと」


 驚いて二人のやりとりを見ていたフィンたちは、ハッとしてカミーユの近くに急ぎ寄った。

 座り込むカミーユの側に同じように膝を付く。

 ゴクリと喉を鳴らしたフィンが、尋ねた。


「お尋ねする。あなたはこの泉を司る存在か」


 小さなヒト型は頬に手をあて、小首を傾げた。


「いいえ。この泉を司るのはあちらに」


 その顔はアーチーの方へ向いている。


「やはり」

「わたくしは神々の花園を管理する者」

「「「「神々の、花園……」」」」

 

 誰もが呆然と呟き、辺りを見回した。


「……他では見かけないローザがあるわけですね。ここが神々の花園なら」


 カミーユがほうっと息を吐き、頷いて言えば、花園の管理者は首を横に振った。

 

「神々の花園は天に。ここは、わたくしの仮の宿り」

「仮の……? あの、アナタはローザの精ではなく……?」


 アルバンが後ろからカミーユをつついた。


「カミーユ、ローザから離れろ。管理者殿だぞ? ローザの精なわけあるか」

「だって、スカートがローザみたいだしっ……!」


 カミーユがこそこそとアルバンと言い合っていると、ギャブが少し前に進み出た。

 地に膝を付き、頭は深く下げている。


「この国グラシアーナだけではなく、サウゼンド、シャンブリーの三国は聖なる山、アルタシルヴァを囲む地です。そこには一つの神話が伝えられております」


 緊張しているのか、ギャブの声はいつもより丁寧で固い。


「それによりますと、国の危機に花の女神様が大地に花を咲かせてくださり、大地に命が蘇ったと伝わっております。その女神様はアルタシルヴァの山の頂よりお力を揮われたとのことですが、天の花園はそちらにあって、管理者である貴女様はその女神様であられましょうか」


 ギャブの言葉に、他の三人は驚きに目を見開いた。

 六代王の治世に起こったことは、グラシアーナではだれもが知っている。子供の頃から耳にする一番有名な神話だからだ。その上カミーユにとっては奉納香を捧げる相手でもある。

 フィンはこの辺りの出身ではないが、祖母はシャンブリーの出。ここに住んでいることもあって、当然聞いたことがあった。

 だが、目の前の管理者がその神話の女神だというのだろうか。


「わたくしは女神ではないわ。わたくしは神々の使いの一人に過ぎません。花を美しく咲かせるのが得意で、それで花園の管理をお任せいただいたの。わたくしの花は特に女神方がお慶びになるのよ」


 そこまでは笑顔で得意げに言っていた御使いだったが、突然、うろたえたように視線を彷徨わせた。


「でも、ええと、そうね。その……、大地に花を咲かせたのはわたくしだと思うわ。ごめんなさい。その、ちょっと転んでしまったの。だって、あの山が高すぎるのだもの」

 

「……」

「ん……?」

「え……?」

「は……?」


 四人そろって首を傾げた。

 ギャブが一番最初に立ち直った。


「あの、我々の祈りが届き、窮状を哀れに思われて、お力を揮われたのでは……?」

「窮状……? ごめんなさい。天と花園のこと以外はよく知らないのだけれど」

「……? 『なんということ、大事な民が』とお嘆きになられた、と伝わっておりますが」

「ええ。それは本当よ。躓いたときに大事な種をばらまいてしまったのだもの。新しく造った女神の花園に蒔く予定だったのに」

「「「種……?」」」

「ええ、種。もったいないので咲かせたの。大地では天の花園と同じように咲かなかったみたいだけれど。種があちらこちらに大きく広がったから、天の神々からもきっと見えると思ったのよ。……でも、ここは特別ね。天と同じように咲くもの」


 小さな御使いは、くるりと小島を見渡した。

 カミーユたちは衝撃的な事実を聞いて、言葉もない。

 頭の中では、幼いときから聞いていた建国の神話が、花の女神の慈悲が、ガラガラと音を立てて崩れていた。


「きっと、生命の樹のおかげね」


 小さな御使いはアーチーの本体をほほえんでみている。


「……生命の樹?」


 その場にいた四人が顔を突き合わせた。


「フィン、聞いたことあるか?」

「いや。いかにも薬効がありそうな名だが」

「カミーユちゃんは? 知っていてあの枝を欲しがったのかしら?」

「いいえ。純粋に香りがすばらしくて」


 こそこそと声をひそめて話をする。


「あの、御使い様、生命の樹とはなんでしょうか。調香のために香料をあちらからもいただきたいと思っていて」

「まあ! 調香とやらをすると、また香が天に昇るのでしょう? 生命の樹の香は素晴らしいですものね。男神は森にお入りになるのがお好きなの。きっとお慶びになるわ」


 この御使い様はたまに質問を忘れ、言いたいことだけを言ってくる。


「あの、それで生命の樹って?」

「ええ。生命の樹は神威(しんい)の森の中央にあり、天界を支えているの。神々が生命の樹の子や孫たちを地に降ろし、大地に神々の力を分け与えることもあるの」

「神威の森……」

「天界……」

「大地に神々の力を、ですか……」


 四人はゴクリと唾を飲み込んだが、話の方はそう簡単に飲み込めるほど小さいものではなかった。


「あの、じゃあ、アーチーも?」

「アーチー? ああ、名を与えてくれたのよね。ええと、そうね……。そうかもしれないし、少し違うかもしれないわ。あの生命の樹は神々が降ろしたものではないの。もともとはわたくしの杖だったものなの。天の花園をお任せいただいたときに、女神方から生命の樹の枝をいただいたのだけれど、躓いた時に壊れてしまって。その破片があちらに。だから、わたくしにもわからないの」


 そう告げた途端、御使いが涙をこぼし始めた。


「ぐすんぐすん。いただいた杖を壊してしまって。天にも帰れないし。ぐすん。きっともう他の者が花園を管理しているでしょうね。せっかくお任せいただいたのに。ぐすんぐすん、うわーん」


 泣き出してしまった御使いを前に、カミーユ達は途方にくれた。

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