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54 クリスタロス ②

 なにかの気配に、カミーユは薄っすらと目を開けた。


「うぅ。もう、朝……?」


 まだ夜明け前だ。

 東向きに窓があるカミーユの寝室は、日が昇ってから寝ていられる部屋ではない。というより、鎧戸を閉めずに太陽を目覚ましにしている。


「あと少しイケる……」


 薄い布団を掴んで顔を隠すようにひっぱり上げた時、トントンと音が響いた。


『ピィューゥ』


 カミーユはガバリと起き上がり、布団を跳ねのけた。

 あのかわいい鳴き声を忘れるわけがない。


 再び、トントン、ピューと聞こえ、急いで窓に駆け寄った。

 たぶん下から聞こえている。

 窓を押し上げ、顔を裏庭に突き出すと、工房の前にふよふよと浮かぶ小さい影があった。


「ドラグーニ」


 カミーユの姿を認めると、ドラグーニはパタパタと羽を動かして上がって来た。


『ピュイューッ』


 嬉しそうに一声鳴いてずり落ちるドラグーニに、カミーユは慌てて両手を差し出した。


 

 とりあえずベッドにドラグーニを置いて、着替えることにした。

 どこへ知らせるにしても着替えは必須だ。

 

『ピュウピュウピューイ? キュウキュウキューイ?』


 カミーユを見つめ、小首を傾げて甘えるドラグーニは、凶悪なほどかわいい。

 それなのにかわいいと言わせてもらえないなんて、ドラグーニは自分をわかっていなさすぎる。


「ふふふん。私はドラグーニビギナーだけどね。言いたいことはわかっているよ」


 話し続けるドラグーニを抱え、カミーユは工房へ降りた。



『ピュウピュウピューイ?』

「はいはい、これでしょ?」


 カミーユはドラグーニを抱えたまま、片手で鍋を開けた。


『ピュウウ!』


「だあめ! 飛び込んだらべたべたになるでしょ」


 もがくドラグーニをなだめて、鍋から噛みつき豆をすくいあげた。


「はい、どうぞ。王子(プリンス)。アナタの下僕めが作っておきました」


 一つ渡すと、ドラグーニは両手で持って大きく口を開けた。


 工房に常備しているカミーユのおやつは、噛みつき豆を甘く煮含めたものだ。

 いつもは塩ゆでにするが、忙しい時に毎日煮るのもめんどくさいし、シロップで煮れば常温で長く置いておける。

 そして何より、甘いのはおいしい。

 ドラグーニもそう思ったのだろう。


 

 昨晩、あのあとすぐ、カミーユは依頼された作業に入った。

 香料抽出には花がフレッシュであればあるほどいい。

 魔の森の素材ということで魔力酔いを心配されたが、海近くで採取されたためかほぼ普通の樹木で、そちらには問題なかった。


 問題があったのはドラグーニだ。

 工房でカミーユのおやつを齧り、シュガーデビューを果たしたドラグーニは、すごい勢いで食べつくした。

 もうないと知ると食堂まで飛んでいき、噛みつき豆を莢ごと咥えて戻ってきた。もちろん莢に噛みつかれ、ギャウギャウ騒いでいたが。

 カミーユが作ったと知ると、ドラグーニは胸元に貼り付いた。

 上目遣いですり寄られ、尻尾を振られ、誰がノーと言えただろうか。



「ここにいるってお知らせしないとね。隣にいるのはギャブの方だったかな」


 帰りたがらないドラグーニのため、ギャブの『グレン』がフィンの家に泊まったはずだ。


「さ、そろそろ終わり。甘くておいしいよね。でも、これは少しずつ食べるのがいいんだよ」

『ピィィィユッ!』

「ピィィィユじゃないの。次になさい」

『ピュウゥゥゥ……。ピュウピュウピューイ?』

「うっ。その上目遣いは卑怯だよ。……あと、一粒だけ、ね?」


 カミーユがドラグーニに負け、砂糖はお高いが依頼の報酬を砂糖でもらって、また作ってあげようと思い始めたころ、裏庭でキョロキョロと見回す、男性のままのギャブの姿が見えた。





『ピィ キュゥ ピィ ピィ キュゥ ピィ』


 首元に配達の鞄を巻いたドラグーニがごきげんで飛んでいる。

 この鞄はドラゴン便に所属していることの目印で、見かけても手出し禁止という意味があるらしい。


「カミーユさん、どうしてドラグーニが?」


 クリスタロスがいるという湾に向かう途中、ジーンがこっそりとカミーユに尋ねた。

 ドラゴン便は知られていると思ったが、珍しいのかもしれない。

 今日は十数名の探索者が集まっているが、チラチラとドラグーニに視線を向けている。


「うーん、なんといったらいいか。フィンさんの旧友のギャブさんにドラゴン便が来て、ちょうどその時うちにいたんですよ。で、うちで食べたおやつがおいしくて、ドラグーニがそのご褒美目当てで手伝ってるって感じ?」

「そうですか……」


 ジーンが何だかよくわからないといった顔をしている。


「まあ、そういう反応になりますよね」


 ドラグーニは帰りたがらなかった。

 ギャブも、サウゼンド側では見たことがないというクリスタロスを見たがった。

 そこが一致したので、一人と一匹がフィンと共に同行している。

 森に入るというので、ギャブはフィンの服を借りているが、探索者の恰好なのに女性にしか見えない技術は本当にすごい。


 先導していたアルバンとジャックが止まった。


「ここっす」


 森のギリギリまで海が入り込んでいる。

 歩いた時間からして、アーチーのいる泉からもさほど遠くはなさそうだ。


「さあ、カミーユ。やるか」

「はい。……ドラグーニ、瓶をください」


 そう。この瓶の配達がおやつとの交換だ。

 

『ピュウウ!』


 ドラグーニがギャブの肩からカミーユの腕にすべり飛んだ。


「……はい。ありがと。報酬は私の仕事が終わってからからね?」


『ピュウウ!』


 ドラグーニは了承の声を上げた。


「さて、じゃあ、やりますか。ええと、海の方に香りを広げればいいんだよね?」

「ああ、そうだな。ほら、その辺りがちょうどこの花が咲く木だ」


 アルバンが近くの岸辺を指した。


「うーん、ちょっと海風があるけど大丈夫かな」

「カミーユちゃん、私が手伝うわよ」


 カミーユがじっとギャブを見た。

 この人はギャブの『ギャブ』だ。ということは。


「ああ! 風魔法! それはありがたいです。お願いします」


 カミーユが瓶を構えると、フィンとアルバンは、カミーユとギャブの隣に陣取った。

 探索者たちも周囲に散らばった。


「いいか! ぬかるなよ!」

「海側もだ!」

「気を抜くな!」


 厳しい顔で辺りを警戒している。


「……甘くないから、マルモッタも蟻もドラグーニも来ないと思いますけどね。まあ、始めます。水よ! 霧となり海を渡れ。『ミスト』」


 シュウと白い霧が瓶から飛び出し、濃厚な花の香りがカミーユに纏わりついた。

 柔らかな風が頬を撫で、香料の霧を海上へと運んでいく。



「……魚、飛びませんね」

「うーん。これでもダメか」


 アルバンは顎をさすり難しい顔をした。

 周囲の探索者たちも心配の声を上げる。


「今年はだめってことか?」

「産卵の失敗は、数年先まで響くんじゃねえか?」


 岸に近寄って水面を透かすように見ていたフィンが、振り返った。

 

「来るぞ」

「ホントか!」


 最後の香料を送り込み、そのまま待つ。

 水面に輪が広がり、魚が飛び出した。

 

「きたっ!」


 飛び上がったクリスタロスは握りこぶしぐらいの大きさで、色は透き通って鮮やかな海の青。

 ひらりひらりと尾びれを動かし、身をくねらせて、宙を泳いで森に入っていく。

 次のクリスタロスはピンクだった、その次が黄色、緑、紫、赤。何匹ものクリスタロスが海から空へと舞い上がり、後に続いた。ゆったりとしたその動きに合わせて光が反射して、空に虹色のさざ波が立つようだ。


「見事なものだな」


 フィンが隣に戻っていた。


「初めて見たんですか?」

「ああ。クリスタロスは知っていたが、移動を見るのは初めてだ」


 クリスタロスを守るように、探索者たちも動き始めた。


「食べられないとわかって残念でしたけど、これだけ綺麗ならまあ、皆が気にするのは当然ですね」


 呆れたような視線がフィン、アルバン、ギャブから降って来た。


「カミーユ」

「なんですか?」

「あれは食べられない。だが、素材になる」

「そうね。サウゼンドにはいないけれど、名前は聞いたことあるわ。有名よ」

「そうだぞ。探索者が綺麗だからって出張るわけねえだろ? 素材のためだ」

「えっ?じゃあええと、捕まえないんですか? 飛んでっちゃいますよ?」


 アルバンが森を指した。


「行けばわかるさ」


 カミーユはコクコクと頷き、泳ぐクリスタロスの下を歩き始めた。

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