4.一人暮らし
(中学生・樹拓也)
ぼくはこの家に一人で住んでいる。
両親は三年前に離婚をした。それからしばらくは、ママと一緒に暮らしたけど、半年くらい前に仕事が忙しくなった所為で、別々に暮らし始めた。もちろん初めは、一緒に暮らす予定だった。今のぼくの家も、本当は引越し先が確定するまでの仮の住まいのはずだったんだ。だけど、引越し先は中々決まらないで、先延ばしに先延ばされ、辛抱を切らしたぼくは、遂に自分の方から「別居でいいよ」とママにそう言った。ママは、ぼくがそう言うと電話の向こうで安心した声を出した。
「ごめんね。時々は帰るから」
“帰るから”その言葉がとても空しくぼくには響いた。
少なくとも、“帰る”じゃない。
仕事が忙しい理由は大体分かる。きっと、パパだ。ママはきっと、パパに負けたくなかったんだ。喧嘩別れで離婚したパパとママは、仕事上のライバル関係になっているらしい。詳しい事情は知らないけども、それでママはどうしてもパパに勝ちたいのだろう。意地になっているママにとって、ぼくの存在は、ハンディキャップくらいにしか思えないのかもしれない。
叔父さんが、時々ぼくを見に来てくれる。そして、多分、叔父さんは、ぼくの様子をママに報告している。きっとママは、ぼくと電話で話すだけじゃなく、誰か他の人の視点から、つまり客観的な視点から、ぼくを判断したいんだろう。
ぼくは、それほど駄目になっていない。と、自分では思ってる。
掃除や洗濯もしている。親がいなくなると、誰にも依存できなくなる所為か、却って自分から家事をやった。レトルト食品や出来合いの物に頼る事も多いけども、料理だってしてる。初めのうちは、慣れなくて戸惑ったけど、一ヶ月もすればそれなりにこなせるようになった。
ぼくの家は、とても小さい一軒家だ。一階には、台所と居間とトイレとお風呂があって、二階には一室だけ部屋がある。そこを自分の部屋にして、後は適当に使ってる。もちろん、元々は仮の住まいの予定だった場所だから借家だ。この家を借りる事になったのは、家賃がとても安かったから。とても小さいとはいえ、一軒家とは思えないような料金でこの家は借りられた。それには理由がやっぱりちゃんとあって、それは、家賃が安い理由としてはとても有りがちな例のヤツだった。つまり、お化けが“出る”かららしい。
お化けが出る。
なんでも、この家を建てた当初の持ち主はここで、自殺をしてしまったらしい。首吊り自殺。しかも、不気味な遺書を残して。
“私には、もう身体は必要なくなった”
その遺書の内容が何を意味するのか、誰にも分からなかった。だけど、それからというもの、ここに引っ越してくる人は、決まって何か恐ろしい心霊体験をするようになったとかいう話だ。
夜中に誰かの話し声が、聞える。
二階の窓の外を誰かが、歩いていた。
カラスが何故か、集まってくる。
はじめは、もちろん、それを聞いてぼくは怖くなった。自分の住んでいる場所が怪談の現場だなんて、怖がって普通だろうと思う。でも、怖かったのは、実際に、そのお化けと出会うまでの間だけだった。そう。なんとぼくは、お化けに出会い、そしてある種の契約を結びさえしてしまったのだ。実は、それが「別居でいい」とママに言った理由の一つでもある。契約を守るためには、ぼくは、この家を離れる訳にはいかなくなってしまったんだ。
この家に、暮らし始めてしばらくが経つと、少しずつぼくは別の存在を感じるようになっていった。噂通りに、何かいる。そう思えた。その時期が一番、怖かった。その存在が“いる”という認識は次第に強くなり、ぼくは遂には、明確に場所が分かるまでになってしまった。
外。
その存在感は、外に感じられた。その場所は、ぼくの部屋から見下ろせる直ぐの所。庭の一部分。
ぼくには庭のその部分が、何故かとっても気になったんだ。小さな家にしては広めの庭で、そして日当たりの良い庭の半分くらいは、耕したような、というよりも、耕した畑を放置した後のような具合になっていて、柔らかい地面に雑草がチラホラと生えていた。もしかしたら、本当に畑だったのかもしれない。自家農園というには、大袈裟過ぎるかもしれないけど、以前に住んでいた人が、ここで野菜を育てていた可能性は充分にある。ぼくはその気配のある場所を、そんな風に考えた。お化けの噂からして、誰かの死体が埋まっている、と想像しないでもなかったけど、それとはちょっと違う気もした。第一、自殺した人の死因は首吊りらしいし。
――そして。
この庭には何かある。そう思い続けたある日だった。ぼくはカラスに話しかけれらたんだ。カラスに。
庭に生えている木に、カラスがとまった。枝が揺れて、カラスのシルエットが木に見えたので、そうだと分かった。そのカラスは、庭を見ているように思えた。不自然に、庭を凝視しているように。庭が気になっていたぼくは、当然、その不気味な関連に怖くなった。このカラスには、何かが分かるのかもしれない。そう思ったんだ。それで、気になって見続けてしまっていた。そうしたら、不意にカラスが話しかけて来たんだ。驚いた事に。
『ほぅ お前には、庭が分かるのか』
カラスが口を利いた、訳じゃなかった。カラスは何も鳴き声を発していない。しかし、ぼくの頭の中にその言葉は直接響いた。そしてそれは、カラスからのものであるように思えた。
「なに?」
ぼくは、軽いパニックになった。なんで、カラスが人の言葉を?
カラスは続けて言った。
『おまけに、私の声も明瞭に聞ける。これは、都合がいいな』
都合がいい?
ぼくはそれが自分の幻聴であるかどうか、疑いながらも、その言葉に疑問を感じていた。都合がいいってどういう事だ?
もしかして、このカラスがお化けの正体?
依然、混乱し続けているぼくに向かってカラスは更に語ってきた。
『なに、怖がる事もないさ。私はナノマシンの作り出すネットワーク上に存在する自我だ。お化けなどではない。お前は、ナノネットと同調し易い性質を強く持っているので、私と会話ができる。人間が、その神経ネットワーク上に自分自身を保持しているように、私はナノネット上に自分自身を保持しているのだ』
話の内容の意味の全部は分からなかったけど、少しは分かった気がした。ナノマシン・ネットワークの話は、前に少し聞いた事があったからだ。まさか、本当にあるだなんて。それが、今、目の前にいる? ぼくは自分の好奇心がうずくのを感じた。そして、その興奮はぼくのパニックを不思議と静めてくれた。
「つまり、そのカラスの中に入っているナノマシンが、あなた自身ということ?」
ぼくの質問を聞くと、カラスは笑った。
『正確には違うな。このカラスの中にももちろん、ナノマシンが存在し、そして、それと通じるネットワークが、私を形作る一部になってはいる。しかし、それを言うなら、お前の体内に混入しているナノマシンだって同じだ。私にとってこのカラスは端末に過ぎない。わたしの本体がいるのは、ほら、お前が気にしていたその庭だよ』
「庭?」
『そうだ。その庭の土壌の中で繁殖しているナノマシンこそが、私の本体だ。しかし、それも本当を言うのであれば、正確ではない。実は、私自身も、この街全体に拡がる、ナノマシン・ネットワークの一部でしかないのだ』
ぼくはその話で、再び混乱した。
どーいう事?
カラスは、そのぼくの心を読んでいるかのように(実際に、読んでいるのかもしれないけど)、説明を重ねてきた。
『ナノネットにも、様々なタイプがある。私が取り入れられているナノネットは、広域に広がり、そして、その必要性から、核を多数持っているのだ。そして、その核の一つが私だ』
ぼくはそれを聞くと、しばらく考えた。分かるようで、分からない。でも、なんとなく、イメージできないでもなかった。
「サツマイモの草はたくさんあるけど、それは地面の中で繋がっている、みたいな感じ?」
『少し違うが、それで分かり易いというのなら、そう理解してもらっても構わない。私は他の仲間と連携をする、一部だ』
ぼくは考えるとまた言った。
「もしかして、あなたが、この家で死んだという、最初の持ち主ですか?」
『そうだとも、そうじゃないとも言える。私は以前、この家の主だった。その記憶は、わずかながら私の中に残っている。しかし、この家の主と自分のアイデンティティーは継続していない。恐らくは、家主を元にして生まれたナノネットが、この私という存在、というのが正しい言い方だろう』
ぼくはその説明を聞いて、訳が分からなくなった。アイデンティティーがなんだって? 面倒くさいので、幽霊のようなものだと考える事にした。
カラスはぼくの質問が終わると、ぼくにこう尋ねてきた。
『お前は、この家にずっと住み続けるのか?』
その当時は、まだママと別居する事は決まってなかったので、ぼくは分からない、とそう答えた。
『しかし、その可能性はあるのだな?』
ママが中々、引越し先を決めない状況下では、頷くしかなかった。もしかしたら、ぼくはここに長い間住む事になるのかもしれない。
『――では、頼みがある。
この庭の土を生ゴミ処理機の中に入れ、よく混ぜ合わせ、二、三日置いたら、それをまた庭に戻す、という作業をここに住んでいる間、行ってもらいたいのだ』
え?
ぼくはちょっと戸惑った。
なんで、そんな事を?
『なに、別に、不思議な事はない。実は、この庭の中で繁殖しているナノマシンの勢力が衰え始めているのだ。ここのナノマシンが消えてしまえば、私の存在も消えてしまう。だから、お前にナノマシンを補ってもらいたい。この頼み事はただそれだけのものだ。ここの土を、生ゴミと混ぜればナノマシンは繁殖することができる』
理由は簡単に納得がいった。でも、やっぱりぼくは躊躇した。怖かったからだ。ナノマシンなんて、増やしてしまって良いのだろうか? 悩んでいるぼくを、カラスはしばらく黙って見つめていたけど、それからぼくの思いを察しているのか、
『もちろん、お前がそれをやってくれるのであれば、その代わりとして、私達はお前を護る。お前は私達にとって重要な存在になるのだから、それは当然の事だ』
なんて、語りかけをしてきた。
それは逆をいえば、もしも協力しなかったら、ぼくを敵と見なす、という意味かもしれない。少なくとも、仲間だとは思わないだろう。
……それからぼくは、仕方なしに、カラスに協力する約束をした。ここから直ぐに逃げられるのじゃなければ、隣人とはうまくやっていかなくちゃ駄目だろう。例え、それが人間じゃなくても。いや、人間じゃないからこそ、か。
そして、それから数日後の事だった。ぼくが、ママに「別居でもいい」と告げたのは。ぼくははじめ、自分で、どうしてそれを言ったのか分かっていなかった。
カラスとの契約があったから?
そうかもしれなかった。でも、それは多分、言い訳だと思う。いや、理由の一つでしかないと思う。一人暮らしが決まってしばらくが経ってから、ぼくはこう考えた。ぼくはきっと、ママに見捨てられたと思う事が嫌だったんだ。だから、自分からそれを告げて、見捨てられてないと思い込もうとしたんだ。
それが分かった理由は単純だった。
一人暮らしが、とても寂しかったから。
ぼくにとって。