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3.迷子の子猫ちゃん

 (中学生・松野モコ)

 

 光はなかった気がする。

 (どちらかというと)

 わたしは、何も見えない中にいた。でも、その場所はとても温かかった。それだけはいえる。わたしはその温かさの中で丸くなっていた。そして、とてもとても安心をしていた。とても優しくて安心のできる世界がわたしを包んでいた。

 でも、

 その世界は、ある瞬間にわたしを裏切った。突然に、攻撃をしてきたのだ。

 そのキッカケがなんであったのか、わたしにはもうよく分からない。でも、世界が私を裏切った事は確実だった。世界に、わたしは攻撃をされている。世界がわたしを殺そうとしている。わたしは拒絶をされたのだ。それは、自分の全存在を否定されるのと同じだった。激しいショックと喪失感を覚えた。絶望。自分は間違った存在なのだと感じた。

 わたしは泣いた。

 許して欲しくて。助けて欲しくて。

 わたしは、生きていてはいけないのでしょうか?

 『ニャー、ニャー』

 (ごめんなさい、ごめんなさい)

 必死に。

 『ニャー、ニャー』

 (ごめんなさい、ごめんなさい)

 それは、依存から生じた助けを求める甘え声だった。以前は、この声を上げれば、世界は私を優しく包んでくれたのだ。だから、世界にあった安心を取り戻そうと、わたしは必死にその声を張り上げた。しかし、その安心は返ってはこなかった。どんなに許しを請うても、世界はわたしを殺そうとし続けた。

 『ニャー!』

 ニャー?

 なんで、わたしはニャーと泣いているのだろう? ニャーと声を上げるのは猫じゃないのだろうか?

 しかし、

 そう。

 どうやら、わたしは猫だった。いつの間に猫になったのかは分からない。しかし、わたしは猫になっていた。しかも、子猫に。

 猫だからニャーとしか言えない。視界も鮮明じゃない。だた耳は鋭敏だった。

 『フーッ』

 明らかに攻撃色のある声が、下から迫っている。それが分かる。それは巨大で無慈悲で、わたしを憎み、そして殺そうとしていた。

 それは、わたしの母猫だった。

 母猫が、わたしを殺そうとしているのだ。

 なんで?

 わたしはそう認識をすると、再び裏切られた哀しみと、否定をされた喪失感と、自らの価値に対する無意味さを強く思った。

 わたしは傷だらけだった。既に何度か母猫から攻撃をされているのだ。その所為で、ボロボロに傷ついている。わたしは木の上に逃げていた。それでも母猫は、わたしを殺そうと、わたしを狙って木を昇って来る。

 わたしは、それが間違いなのじゃないか、ともう一度疑ってみた。

 あの優しかったお母さんがわたしを殺そうとするだなんて有り得ない。

 でも、

 攻撃の意志のあるツメが、わたしを殺そうと下から攻撃をしかけてきた。当たらなかったけど、当てようとしていた。

 何かの勘違いじゃない。

 お母さんは本当にわたしを殺そうとしている。

 『ニャー』

 わたしは、もう一度、許して欲しいと叫んでみた。助けて欲しいと。だけど、やっぱりお母さんの殺意に変化はなかった。それどころか、お母さんの攻撃色はますます強くなった。

 幼い子猫の力では、もう、これ以上逃げ延びる事は不可能だった。わたしは、殺される。そう思ったその時だ。

 お母さんの姿が消えた。

 木の下から、悲鳴の後に、威嚇の声が聞えた。お母さんは、何かと闘っている? だけど、それから直ぐに、植木の中を何処かへか走り去る音が聞えた。多分、お母さんが逃げたのだ。

 そして、その後、直ぐだった。

 再び、わたしを温かい世界が包み込んだのは。嗅いだ事のない臭いが、その温かい世界には溢れていた。ぎこちなかったけど、それでも、その世界が、わたしに対して優しいのだという事は直ぐに分かった。

 それは、安心をしていい世界だった。

 わたしはしばらくの逡巡の後に、その世界に甘えることをした。

 

 ――朝。

 起きた時、自分がどうして泣いているのかが分からなくて、わたしは少し混乱した。

 えっと……

 頭の中を整理しようとしてみる。

 夢を見ていたはずだった。でも、それがどんな夢だったか、わたしは思い出せなかった。なんだか酷い夢だった事だけは覚えてる。その後味が気になってしょうがなかったわたしは、それを思い出そうとするうちに、どうしてか、幼い子供の頃のことを思い出してしまっていた。

 そこは病院で、わたしは一人で騒いでいた。滅多に来ない病院にいることで興奮していたのに、やる事がなくてとても退屈だったのだ。

 お母さんは、そんなわたしを困ったように見つめ、何度かたしなめ、ついに限度の超えた大声を上げたわたしを、ピシャリと叩いた。わたしはびっくりして一度声をなくしたその後で、やっぱり大声を上げて泣いた。

 『痛かった~!』

 傲慢で自己中心的。子供の頃の事を思い出すと、そんな自分の姿ばかりが浮かんで来る。でも、そんなわたしをお母さんは、優しく抱きしめてくれた。

 『ごめんなさい。痛かったね』

 自分が悪い事は分かっていた。わたしは、そのお母さんの言葉で静かになった。自分が悪いのにお母さんに謝らせてしまった。その事が、自分をとても悪い子供だと思わせた。

 ……けっきょく、夢の内容がどんなだったかわたしは思い出す事ができなかった。仕方なしに温かいベッドの中から外へ出、着替えを済ませる。学校に行く準備をしないといけない。二階にあるわたしの部屋から居間に降りると、いつもの事だけどお父さんは既に仕事に出かけていて、味気ない朝食の準備だけがテーブルの上に用意してあった。

 わたしの家に、お母さんはいない。

 わたしが小学校三年の頃に、事故… いや、事件があって、死んでしまった。具体的には、病気で死んだのだけど、それだけじゃない。あれは、わたしにとって、最悪の思い出。わたしのお母さんは、当時、流行し社会問題になっていた病気にかかり、精神まで侵され、そして…

 私は朝食を食べると、直ぐに学校へ向かった。朝はそれほど時間の余裕がない。学校へ向かう途中に猫を見かけた。見た事のある猫だったような気もするけど、気の所為かもしれなかった。猫の見分けなんて、見慣れていなくちゃあまりつかないだろう。だけど、学校について、ホームルームが始まる段になると、それをキッカケにしてわたしは思い出したのだ。

 そういえば、わたしが見た夢は、自分が猫になっていた夢だった、と。

 わたしはなんでか、夢の中で子猫になっていて、そして母猫に殺されかけていたのだ。寸でのところで、何かに助けてもらったまでは覚えてるけど、その何かが何者であるのかまでは分からない。子猫だったわたしの視界は不鮮明で、目に頼った知覚は酷く頼りなかった。

 母猫…… つまり、お母さんに殺される夢。その夢で、わたしは泣いていた。

 嫌だな、とわたしは思う。

 「どうしたの? 元気ないね」

 不意にそう声が聞えた。見上げると、そこには可奈ちゃんがいた。杉村可奈ちゃんは、わたしの小学校以来の親友で、わたしの昔をよく知っている人間の一人だ。

 「ちょっと今朝、変な夢見ちゃって」

 笑って答えたが、可奈ちゃんはわたしの瞳に微かに残っている涙の痕を見逃さなかった。

 「お母さんの夢?」

 そう尋ねてくる。

 「いや、いや、それが、なんでか猫になってる夢だったのよね、自分が」

 わたしは誤魔化すようにそう言った。半分は本当だけど、半分はウソだ。猫の夢だけど、それだけじゃない。

 「猫?」

 それを聞くと、可奈ちゃんは不思議そうな顔をしてわたしを見た。

 「そう。猫なのよね、何故か」

 「って事は、失恋の夢?」

 「なんでそうなるのよ」

 飛躍し、急展開する可奈ちゃんの話にわたしは脱力をした。

 「涙で、猫とくれば、モコちゃんの場合、それくらいしか連想できないのよね。南海センパイ、猫好きだったじゃない」

 ああ、そーいう話か、とわたしはそれを聞いて納得をする。

 南海圭一先輩。

 今はもう高校に上がってしまっているこの先輩の事を、中学二年の頃、わたしは好いていた。という言い方には語弊があるか。正確に言うと今でも好いている。いや、憧れていると言った方がいいかな?

 この先輩、少女漫画に出てきそうな線の細さとそれにあまり似つかわしくない屈託のない明るい性格とを持った、だけど、だからこそ、嫌味のない、とても接し易い男の人で、ま、少なからず人気があり、わたしの他にも憧れてるという女生徒の噂をチラホラと聞いたりする、そんな先輩だ。

 その南海先輩は、猫好きで有名だった。この辺りには野良猫がとても多いのだけど、その野良猫に餌をよく与えていた事で、南海先輩はしょっちゅう先生から怒られていたのだ。

 「知ってるんだからね」

 わたしがいつもの元気を取り戻しかけているのに安心したのか、可奈ちゃんは続けて、少し悪い冗談を言うような口調で、こう言って来た。

 「モコちゃんが、南海センパイが卒業をした後もけっこう、センパイと会ってるって事」

 わたしは赤面する。

 「って、なんで知ってるの?」

 わたしの反応に可奈ちゃんは、にまぁっと笑う。わたしはその笑いを見て、弁明をするようにこう返した。

 「でも、なにも、特別な何かがある訳じゃないのよ? ほら、校庭の裏に、親子の猫がいるでしょう? センパイ、あの子達がどうなってるのか気になってるらしくて、それで、わたしに聞いてくるってだけなんだから」

 「はいはい。でも、それだけなら、何もモコちゃんじゃなくてもできるってわたしは思いますけどもね」

 そう言われて、わたしは何も返せなかった。言葉が見つからなかったのじゃない。嬉しかったからだ。否定したくなかった。

 そうなんだ。それだけなら、何もわたしじゃなくたっていいはずなんだ。話題は、相変わらずに猫のものが大半だけど、それでも先輩は、わたし相手に猫の事をとても嬉しそうに語る。このあいだも、とても大きな古猫を見たって喜んでいた。ここらじゃ見ないから、きっと、他からやって来たのだろうって。あんなのは珍しいって。そんな先輩の笑顔を思い出しつつわたしは微かな期待を想う。もしかしたら、先輩は……。

 でも、その時にわたしはちょっと不吉な連想をしてしまった。猫で、夢を思い出したのだ。母猫に、子猫が殺されかけるあの今朝の夢を。

 もしも、あの夢と同じ様に、校庭の裏の子猫達が母猫に殺されていたらどうしよう?

 ほとんど、何の根拠もない想像だけど、それでもわたしは、少しだけ、心配になった。急に顔色を変えたわたしを、可奈ちゃんが不思議そうに見た。

 「どうしたの?」

 「ううん。なんでもないの」

 わたしは誤魔化すように、そう返した。気にするような事でもないのかもしれない。でも、やっぱり気になってしまう。

 

 ……休み時間になったら、見に行ってみよう。

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