1.猫捜し
(怪談収集家・山中理恵)
紺野さんから、珍しくメールが届きました。
幽霊、お化け、妖怪の類が大好きで、怪談を集め、分析の真似事をするのを趣味にしている私を、紺野さんが頼るケースで一番多いのは、なんといっても怪談話の調査です。
『~ようなタイプの怪談が、~の地域で囁かれていたりはしませんかね?』
なんで、そんな調査を依頼してくるのかというと、それが紺野さんの研究しているナノマシン・ネットワーク(略してナノネット)と深い関わりがあるからです。ナノネットは、ナノマシンを体内に取り込んだ人間の精神に影響を与え、幻覚を見せたり、或いは、行動をコントロールし、時にはその人間を憑き殺したりもします。そのナノネットの性質から、ナノネットが活発に活動をすると怪談が生まれ易いので、ナノネットを見つける際の目印にする為、紺野さんは私にそんな依頼をしてくるのです。
今回の依頼内容は、少し面白いものでした。
『猫が人間に取り憑く怪談が、南関東の何処かで噂になってはいないでしょうか?』
猫が憑く?
しかも、範囲が南関東とは少々、広すぎです。紺野さんが、こんなに漠然としている内容で依頼してくる事は滅多にありません。いつもは、怪談の内容も、範囲ももっと特定されています。
何があったのでしょう?
私は怪談好きの仲間達の集まるインターネット上の掲示板に、取り敢えず、猫と憑き物がキーワードになっている、最近になって生まれた怪談が南関東辺りでないか、あったら教えて欲しい、と質問を書いておきました。そのサイトの人達とは付き合いが長い上に、プライドにかけて偽の情報はできうる限り排除しようとするので、信頼ができるのです。取り敢えずは、これでいいでしょう。合致しそうな内容を私は知らなかったし、本格的に自分で調べ始める前にもっと詳しく話を聞かねばならないとも思ったので、私は紺野さんへメールを返信しました。もちろん、もっと詳しく話を聞きたい、という旨のメールです。すると、直ぐに返答がありました。その内容はこんなものでした。
『なら次の日曜日に、星君も来るので、その日に研究所の方に来てはもらえませんか? 同時に説明をしてしまいたいので』
星君。
星君とは、今年の夏に、紺野さんの研究所で会った大学生で、ナノネットに憑かれ易いという、とても珍しくも羨ましい体質を持っているので、紺野さんから頼りにされたのです。私はこの子と一緒に前回は調査を行ったのでした。星君が呼ばれるという事は、また星君の憑人としての体質を頼りにしたい、という事でしょう。ならば、元より私の体質の方にも期待して、紺野さんはメールを送って来たのかもしれません。
私は、私で、実は特異体質を持っているのです。星君とは全く反対の体質。つまり、ナノネットにとても憑かれ難いという非憑人体質… 結果的に、ナノネットの影響を受けないので、安全にナノネットと関わる事ができ、それで、紺野さんの方で何か手を放せない事があったり人手が足りなかったりすると、ナノネットの調査、或いは退治に、私が呼ばれるケースがあるのです。私は、不思議な事柄や奇妙な体験が大好きなので、喜んでそれに参加するのですが、できれば、星君のような憑人として参加してみたいので、実は自分の体質に対しては複雑な思いがあって、少し残念に感じていたりもするのです。
さて、話を聞けるのが次の日曜日となると、少々時間ができてしまいました。私は、紺野さんに会って詳しく事情を聞く前に、もう少し自分で調べておいても良いかと思い、インターネットを繋げると考え始めます。話から察するに、今度の調査は猫絡みと観てまず間違いないでしょう。しかも、憑く、ときた。
猫が憑く。
いわゆる、“猫憑き”は、古くから言われている猫に纏わる怪異の一つで、猫をいじめたり殺したりすると、その猫の霊が人に障るというものが一般的です。
ですが、恐らく、紺野さんの言う猫が憑くとはそういった類でないでしょう。何しろ、ナノネット絡みなのですから。因みに、ナノネットと付き合うのには、ある程度のそういった怪異に関する知識も必要です。どうして、そんな知識が役立つのかというと、調べた結果得られた怪談がナノネット絡みと特定できなければいけないからです。比較する為には、一般的な怪異の知識がなくてはならないのですね。
ナノネット絡みの“猫憑き”というと、やはり猫の体内にナノマシンが入った場合の何か、なのでしょうか?
そして、その猫が人に何かする。結果的に、猫に憑かれたようになってしまう。
ならば、その話は、猫憑きというよりも、むしろ猫又かなんかの化け猫に近いものなのかもしれません…… そこで、私はこんな空想をしてみました。
『もしかしたら、化けて家人を騙し、その家のお婆ちゃんに成りすまして暮らしている“小池婆”みたいなタイプの化け猫かも』
もちろん、それが有り得ない事だというのは、私だって充分に分かってます。幾らナノネットが絡んでいたとしたって、流石にそこまではないでしょう。ちょっと空想を楽しんでみただけでです。
ただ、そんな風に空想を遊んでいる内に、私は思い出したのです。
“小池希美”という女性に関して流れた猫の怪の噂話を。
完全な心神喪失状態であったという理由で、名前は一般には公開されなかったのですが、この女性、最近起こった殺人事件の犯人だとされています。ネット上に流れた噂でその名が挙がっただけですので、真偽の程はかなり怪しいのですが、心神喪失状態でこの女性がした行為とは、殺した男性の肉体を、近所の野良猫達に餌として与えていた、というものです。猫憑きでもなさそうですし、化け猫でもありませんが、猫に関する怪談ではあるでしょう(だから、この私の耳に入ったのは言うまでもありません)。
私は、その猫餌殺人事件の事が詳しく載っているページを開きました。
その女性の状態が知りたかったからです。
もし、その女性が、ナノネットにコントロールされていたと仮定するとどうでしょうか? そして、その状態こそが“猫憑き”であったとしたら。
もしかしたら、本当に今回の猫の妖怪は“小池婆”なのかもしれません。ただ、流石にそれが分かるほど詳しく状態が書かれた内容は発見できませんでした。ネット情報ですから、やはり限界があります。ただ、代わりと言っては何ですが、私は別の気になる情報をそこで見つけました。
“この事件の第一発見者は、二人の民間人だったらしい。一人は探偵で、被害者の男性への浮気調査をしていた。その調査が発見に結び付いたのだ。もう一人は、科学者で、何故かその探偵に同行していたのだという”
科学者?
もしかしたら、紺野さんの事でしょうか? 実は紺野さんには藤井さんという探偵の知り合いがいて、ナノマシン絡みの何かがあると、その人がよく紺野さんを頼りにするのです。この事件に紺野さんが関わっている? 私はなんだか、少しだけ興奮しました――。
「――正解です。実は、“小池婆”なんですよ」
日曜日。
ナノマシン・ネットワーク研究所。
私がその事を問い質すと、紺野さんは困ったように笑いながら、或いは誤魔化すように笑いながら、そう言いました。
星君が、それを聞いて不思議そうな顔になります。星君は、背はそれほど低くないものの、少年のようなあどけなさを少し残していたりもするので、そんな表情がよく似合っています。
「小池婆? って、なんですか?」
怪談の説明ならば、と私は口を開きました。
「昔話の一つで、猫のお化けの話です。多分、似たような話は星君でも知ってると思いますよ。帰り道の途中で、男が狼の群れに襲われる。男は木の上に逃げるが、狼達は肩車をして、木に昇ろうとする。ところが、あと一匹分というところで数が足りない。それで狼たちは“小池婆”を呼ぶのですが、それが大きな猫で、男はその猫を斬りつけてなんとか難を逃れます。で、家に帰ると主人の母親が怪我をしている。怪しい、という事になって殺してみると、その正体は大きな古猫だったという…… まぁ、そんな話です」
それを聞くと星君は頷きました。
「ああ、なるほど。子供の頃に、似たような話を聞いた事があるような気がしますよ」
しかし、それから止まります。
「ちょっと待ってください。それで、その話の何が正解で、何が小池婆なんですか?」
紺野さんは戸惑う星君を見て笑っています。今度は誤魔化すような困った笑いではなくて、本当にただ純粋に笑っているようです。
「いえいえ、今回捜し出して欲しいナノネットの正体の事なんですがね」
「ナノネットが、小池婆?」
星君は、それでもまだ不思議そうな顔を見せましたが、徐々に紺野さんがどんな事を言っているのか、その意味を察したようでした。
「ちょっと待ってください。じゃ、その『猫餌殺人事件』って……」
星君が言いかけると、紺野さんはそれを手で制します。
「慌てないでくださいな。順を追って説明しますから………。
そもそも、この話は、探偵って事で分かっているとは思いますが、例によって藤井さんが持って来たのですよ……」
『単なる浮気調査のはずだったのに、なんだか様子がおかしい』
藤井さんはそう言って、紺野さんの許を訪れたらしいです。元々は、藤井さん自身が受けた仕事ではないとの事でしたが、あまりに不気味なので藤井さんが探偵仲間から頼られたそうです。紺野さんへのコネクションを持っているので、妙な話があると、藤井さんは仲間から相談を受けたりもするのです。
『どうか、手助けをしてはくれませんか?』
珍しく、藤井さんは少し脅えた様子だったそうです。詳しく事情を聞くと、夫が帰ってこないと妻から浮気調査を依頼され、不倫相手先の家を突き止めたまでは良かったが、どうにも様子がおかしいらしい、とそう説明をしたそうです。
『猫が、いるんですよ。その家の近所に、ウジャウジャ、と』
男がその家の中に居ることは、ほぼ確かだったらしいのですが、その男が中々、家から出てこない。もう、一週間ばかりも篭っている。女性だけが時々出かける。そして、その間に猫の数はどんどんと増えていく。それだけじゃない。女性は集まって来た猫達に、何かの肉を与えている。
私はそこまでを聞いて、呟きました。
「もしかして、その肉って……」
紺野さんは頷きます。
「はい、そうです。その被害者の男性の身体ですね」
つまり、出てこない男性は、家の中で殺され、ミンチにされ、猫の餌になっていた、という事らしいです。どうも、噂は本当だったみたいです。
「私は初め、相談を持ちかけられた時、相手にしていなかったのですが、いえ、あの人の相談を全部受けてたら、キリがないでしょう? でも、どうにも相当に深刻な様子で、しかも、藤井さんはその男性が病院で、数日前にナノマシンの投与を受けていた、と調べまでして来たので、見逃せなくなったのですよ。しかも、その投与されていたというナノマシンが問題で。P―NGFF型のウィルス駆除用ナノマシンだったのです」
P―NGFF型 って、なんでしょう?
私にはナノマシン方面の知識はないのです。見ると、星君も疑問符を投げかけるような表情を見せています。その私達二人の表情を読んでか、紺野さんは説明をしてくれました。
「主にウィルスなどの病原体駆除目的で開発された型で、病原体の駆除を行いつつ、人間の精神に刺激を与え、免疫力の向上を図るという、とても便利なナノマシンですよ。しかし、効果的でもあったのですが、その一方で致命的な欠陥もあった。何故か、突然変異が起こり易く、突如として人間に悪影響を与えるようなモノに変異してしまう可能性のある代物だったのです。と言っても、それは過去の話で、最新版のモノでは心配はない、という事に一応はなっています。その男の人は、どうも高熱でしかも重要な会議が迫っているとかで、P―NGFF型の使用に踏み切ったようです。いずれにしろ最近の話ですから、最新版でしょうね」
「なんだ。それなら、大丈夫なのじゃないですか?」
私はそう問い掛けました。すると、紺野さんは首を振ったのです。
「変異を起こさない、というのは、何か特別な影響がない限り、という条件付きです。例えば、過去に生産されたナノネットが何処かで繁殖していて、触れ合い、その影響を強く受ける、といったような状況下になれば、どうなるかは分かりません」
それを聞くと、星君が言いました。
「つまり、それが起こってしまった、という話ですか?」
「いえ、飽くまで可能性の段階で、まだ、断定はできません。P―NGFF型自体には問題がなく、繁殖していたナノネットが判断をミスった可能性もある」
「判断をミスとは?」
「この男の体内にあるナノマシンを利用すれば、ナノネットを拡大できる、と勘違いをしてしまった」
もう、それだけ聞けば、話の大体は分かりました。
「要するに、その浮気相手と言われる女性の家に集まっていた猫の何匹かには、ナノネットが形成をされていて、そのナノネットが女性を操り、男性の体内のナノネットを摂取させる為に、その肉体を猫達に餌として与えていたって、そんな話なんでしょうか?」
紺野さんは、それを聞くと、ゆっくりと頷きました。
「はい。言うまでもなく、私達が乗り込んだ時には、既に手遅れでした。このナノネットは、かなり凶暴な手段で繁殖を行うタイプのようです。何処でどう学習をして、そんな手段を身に付けるに至ったかは分かりませんが、早くに見つけ出さなくてはならないでしょう。
ただ、見つけようにも、その移動範囲の特定ができない。それで、山中さんには怪談の方を調べてもらって広範囲をカバーし、星君には可能性のありそうな街の調査をしてもらいたいのです」
「可能性のある街?」
「かつて、P―NGFF型が大量に使われた記録のある、代表的な地域をしらみつぶしに調べて欲しいのですね。ナノネットにも色々ありますが、今回のものは、同タイプのナノマシンを取り込んで勢力の拡大をしようとするようです。移動するのなら、P―NGFF型が繁殖している地域に、でしょう。今回は、危険な可能性が高いので私が同行しますよ」
私はそれを聞くと、少し考えて、
「あの、それなら、その可能性のある地域に限定をしてしまえば良いのじゃないですか? 調査するのを」
と質問をしました。私も同行したかったのです。紺野さんは即答します。
「いえ、ナノマシンの繁殖地域は移動します。散布された場所とその地域が同じであるとは必ずしも限らない。山中さんには、かなりの広範囲をカバーしておいてもらいたいのです。ほぼ確実に特定できそうな話があったら、直ぐ私に報告して下さい」
私はやや不満でしたが、それを聞くと、仕方なしに頷きました。