14.手がかり
(憑人・星はじめ)
手がかりがありませんでした。
「おかしいですねぇ」
紺野さんは珍しく、困った顔で思案していました。どうやら紺野さんは街全体を覆っているナノネットから、何らかのコンタクトがあるだろうと考えていたらしいのです。そして、それを突破口にして、協力を得ようと計画していた。しかし、コンタクトは全くなかったのです。これでは、流石の紺野さんでもどうしようもないようで、頭を抱えていたのでした。
「もちろん、道具を揃えさえすれば、どうにでもなるんですがね。これだけ、相手の存在がはっきりと分かっているのですから。例えば、くまさんを頼って、ハッキングをするとか。しかし、今は時間がない。一刻も早く、猫ナノネットを見つけなければ、更に犠牲者を出してしまうかもしれないんです」
くまさん、というのは、森里佳子ちゃんという少女に憑いているナノネットなのですが、紺野さんとは妙な協力関係にあって、時折、紺野さんはこのくまさんに、ナノネットのハッキングを頼む事があるらしいのです(僕は前の事件で、二度ほどこのくまさんに会っています)。
「それとも、急がば回れ、で道具を取りに帰るべきでしょうかね…」
「あの、どうして、街のナノネットは、コンタクトをして来ないのでしょうか?」
はじめは、あんなに簡単に接触を図ってきたのに。それを聞くと紺野さんは、渋い顔になりました。
「ま、恐らく、警戒されていて、信用もされていないのでしょうねぇ。一度の接触で、こちらの目的や能力を予想して、関わらない方が無難と判断したのかもしれません。思ったよりも、かなり慎重なナノネットですね」
僕らは数日の間、なんとか手がかりを見つけようと街と森のナノネットの調査を行い続けていました。もちろん、本命は街のナノネットがコンタクトを取ってくる事を期待していたのですが、もしかしたら、猫ナノネットを見つけられるかもしれないですし。実際、その最中で、紺野さんは何度か妙なナノネットの存在を発見していました。街のナノネットに与しない、他の土着少数派のナノネットかもしれませんが、その反応の特徴は紺野さんの予想していた猫ナノネットと似ていたので、紺野さんはやはり、この街の何処かに猫ナノネットが存在している、と考えたようでした。そして、それは、猫ナノネットがこの街の何者かにターゲットを絞っているだろう事を裏付けてもいます。もちろん、それは人間である可能性もかなり大きい。前回と、同様に。
「長時間滞在している、とするのならば、そう考えるべきでしょう」
紺野さんはそんな事を言っていました。だからこそ、時間がないと判断しているのでしょうが。
僕らが主に調べたのは、森の周辺でした。森が一番怪しいのは明白で、猫のナノネットを見つけられるとするのなら、その辺りが一番可能性が高そうだったからです。その過程で、紺野さんは不自然に森の中から外へと伸びる、か細いナノネットのリンクを発見しました。
「猫ナノネットのモノですか?」
期待してそう問い掛ける僕に、紺野さんは首を振ります。
「いいえ、違います。森のナノネットのモノですね」
そう答えた後で、しばし止まります。その表情に落胆の跡は見られませんでした。多分、何かを考えている。
「しかし、妙ですね。一体、何処へ伸ばしているのでしょうか? 目的が分かりません」
そう独り言のように呟いた後で、紺野さんは車の中、コードで繋がった僕に目をやりました。それから、こう言ったのです。
「少し、この街の記録を調べてみましょうか? 森の中で、何か事件が起こっていないか。もちろん、ナノマシンが散布された時期の前後に」
どうやら、紺野さんはそのリンクに興味を持ったようです。確かに、このまま街のリンクからのコンタクトを期待して待っていたって埒があかないかもしれません。
図書館に行って、新聞を調べてみると、ナノマシンが散布されていた時期に、女性が一人、あの森の中で行方不明になっている事が分かりました。松野という苗字の女性です。しかも、病魔に侵された心神喪失状態で、自分の娘をさらいかけたとその記事には書かれてあります。
「確か、星君は森の中で、女性の姿をしたナノネットを見たと言っていましたよね?」
神妙な顔つきでそう問い掛けてくる紺野さんに、僕は頷きます。
「はい。しかも、あの時に喚起された感情は、この“娘をさらいかける”という内容と合致するように思います」
あの、切なくて、護りたいのに届かない、といった想いは。さらうのじゃ、まるで逆のように思うかもしれませんが、僕にはそう思えたんです。
とても苦しかった。
「ほぼ、間違いありませんね。この女性が、森の中のナノネットの元になっている。では、森のナノネットは一体、何処へリンクを伸ばしているのでしょうか? 観察した限りでは、森のナノネットは自分の世界、つまり、森の中に閉じこもっているように思います。しかし、例外的に少数ながらリンクを外に伸ばしている…」
直ぐに僕は気が付きました。
「娘、ですかね?」
森のナノネットは、今も娘に会いたがり、娘の許へリンクを伸ばしている。
「そうかもしれません。しかし、リンクの方向を観る限りでは、どうもそうとばかりも言えないように思います」
記事には、女性の住んでいた凡その場所も書いてあったのですが、どうやらその場所は、リンクの伸びていた場所と違っていたようです。
それから僕らは車へと戻りました。紺野さんは、コンタクトを取る相手を、街のナノネットから森のナノネットへと変えようとしているのでしょうか。確かに、森のナノネットならば、森の中の様子を探るのに最適です。
車の中で、僕は再び調査を行う為のコードを身体中に取り付けます。何にせよ、まだ調査は行うのでしょうから。しかし、そうしてコードを繋ぎ終え、紺野さんが電源を入れた後です。紺野さんは、突然に口を開いたのです。
「星君」
妙に緊迫感のある声でした。
「猫、です」
猫?
「まだ、近くにいます」
紺野さんは慌てて車を発進させました。目が真剣です。
「一体、どうしたんですか?」
「猫ですよ。猫。猫のナノネットが、我々を監視していたのです。そして、星君へアクセスをしていた。痕跡が残っています。先の、図書館で調べた情報を盗まれているかもしれません。油断していましたね。車を離れるべきではなかったかもしれないです」
紺野さんは必死で街を巡り、辺りを探しましたが、やがて車を路肩に停車させると、「ふーっ」と息をもらして、
「見失ってしまいました」
と、そう呟きました。
この車の装置では、細かな場所の特定は難しいみたいですし、それが動き回る猫であるならば尚更です。無理もないでしょう。
「迂闊です。まさか、こちらが逆に監視されていたなんて思いもしなかった。情報が盗まれてしまったのは、かなりまずいですね」
「でも、あれくらいの情報が、それほど役に立ちますかね?」
森のナノネットの元になっている人格は、娘をさらいかけて行方不明になった松野という女性のもの。その程度の事が。
「分かりません。しかし、相手も危険を犯している事を考えると、それなりの価値があると判断してもいいかもしれません。猫は、森の中で自由に行動したいと考えているでしょう。それを考えると、あの森のナノネットの情報は重要だという可能性は捨て切れない」
紺野さんはそれからしばらく考え込みました。
「どう、しますか?」
考え込んでいる紺野さんに、僕はそう問い掛けます。沈黙に耐え切れなくなってしまって。
「森のナノネットが、リンクを伸ばしている辺りを調査しましょう。森のナノネットについて、更に何かが分かるかもしれない。もしかしたら、もう時間がないのかもしれませんから。もし、猫のナノネットが殺人を犯すとするのなら、あの森の中でしょう。人目と、街のナノネットの目の両方を避ける為には、森の中しかない。あの森の内部の情報を知る為には、森のナノネットの協力が必要です。少々、強引なやり方でも、この際仕方ない。今は、森のナノネットの情報が重要です」
それから、紺野さんと僕は、街を長時間徘徊し続けました。しかし、頼りなく伸びた森のナノネットのリンクは辿ろうとするには余りにも弱く、しかも街のナノネットの影響も受けているので、肝心なところで精度が悪く、今一つというところで、リンク先は分からなかったのです。しかし、ちょうど夕刻を過ぎた辺りだったでしょうか? 森のナノネットからのリンクに変化があったのです。
「移動している」
そう、紺野さんが何気ない口調で呟きました。その口調があまりに普通の調子だったので、それに重要な意味があるとは僕は少しも思いませんでした。森のナノネットからのアクセス先が、どうも移動を開始したらしいのです。
「こちらもそれを追いかけますか?」
僕のその問い掛けに、紺野さんは沈黙で返しました。
間。
「どうしました?」
「大まかな場所しか、どうせこの装置では把握する事はできません。ならば、それは結局、今までと同じでしょう。――追いかけても、無意味かもしれません」
「では、どうするのです?」
今度も、僕の質問には答えないで、紺野さんは地図を広げました。街の地図です。
「星君。もしかしたら、リンク先は小動物の脳かもしれませんよ」
そして、それからそう言ったのです。
「小動物の?」
「はい。しかも、それは誰かに飼われている可能性が高い。無意味なモノに森がリンクを伸ばすとは考え難い。生き物じゃなければ、わざわざ森の外にリンクを伸ばす意味はないでしょう。目も耳も脳もないものにリンクを伸ばしたって、何も情報を得られません。しかし、それは人ではない。リンク先は何日間も大きくは動いていません。人とは考え難い。なら、それは家の中だけで飼われているなんらかの動物かもしれない。
非常に大雑把な推理ではありますが、ね。しかし、そうだとすると、移動した辺りに注目すべき建物があります」
「建物?」
「動物病院です」
動物病院?
「つまり、飼っている動物が病気になって、その飼い主が病院へ向かったかもしれないって話ですか?」
紺野さんはゆっくりと頷きます。
「他に、移動した先に、何か可能性のある施設があるか探したのですが、どうも、他には見当たりません。もちろん、こんな考えはほぼ単なる思い付きです。ただ、思い付きですが、しかし、何も手がかりがないよりはマシでしょう。確かめてみるだけの価値はあります」
僕はそれを受けると少し考えてから尋ねました。紺野さんは、その間に携帯電話を取り出しています。
「で、どうするんです? 動物病院の先生に質問でもしてみますか?」
携帯電話の番号を押しながら、紺野さんはそれに答えました。
「正体不明の男が、いきなりそんな質問をしたって不審がられるだけですよ。第一、患者の情報を簡単に渡すはずがないでしょう」
「じゃあ…」
と言いかけて、僕は口を噤みました。紺野さんが何処かへ電話をかけていたからです。
「――柏木さんですか? 先日はどうも。紺野です。渡してもらった資料は役に立っています。ありがとうございます。実は、少しお頼みたいしたい事がありまして。身勝手は承知で……」
一体、紺野さんは誰に電話をしているのでしょう? 電話が終わるのを待ってから、僕は尋ねました。
「あの… どなたに電話したのですか?」
「知り合いに、獣医がいるのですよ。柏木さんという。知り合いと言っても、つい先日、P―NGFF型のナノマシンの散布場所の資料を貸してもらいに行っただけなんですがね。この方、他の獣医の方々に顔が広いんで、もしかしたら、何とかコンタクトを取ってもらえるかと思いまして、一か八かでお願いしてみたのです。幸い、快く承諾していただけました。直接の知り合いではないので、少し時間はかかるそうですが、私達を紹介していただけるみたいです。
取り敢えず、電話があるまではどうにも動きようがありません。一旦、ホテルに帰って、待機していましょうか」
僕はそれを聞いて、もちろん、驚いていました。何処まで顔が広いのでしょう?この人は。いえ、これは、顔の広さが新たな交流を生み出して、更に広くなっているのでしょうか?
紺野さんが中核となっている人間関係のネットワークは、生きて、成長を続けているようです。しかも、それは今回のように、とても有益なものでもある。
針の穴のようなチャンスですが、もしかしたら、なんとかるかもしれません。僕はその時、無根拠にそんな事を思ったのです。