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11.匂い

 (中学生・松野モコ)

 

 いつも通り、

 それは、いつも通りの朝のはずだった。

 着替えを済ませて、居間に降りると朝食の準備と共に、珍しくお弁当が用意してあった。お父さんだ。どういう風の吹き回しだろう?わたしは昼食代を貰っていて、大体はそれで購買部のパンを買って昼食にしている。娘との交流が少ないことに、不安でも感じたのだろうか?

 こんなの効果ないよ、お父さん。と思って、お弁当を開けてみると、これが意外と効果があった。中身にハンバーグが入っていたのだ。ハンバーグはわたしの好物だったりする。お父さんはそれを知っていて、入れてくれたんだ。で、不覚にもわたしは笑顔になってしまった。我ながら子供っぽく単純だと思うけども、何故か特に今朝は、ハンバーグが食べたくて仕方なかったんだ。

 なんで、ハンバーグが食べたいのか、わたしはその時は大して気にもしないでいた。ただ、ハンバーグを見た瞬間に、わたしは自分がハンバーグを食べたかったことを思い出していた。そう。思い出していたんだ。

 なにか、おかしい。

 そう思いかけたことはかけたのだけど、その感覚は、あともうちょっとのところで、疑問にはならなかった。朝は忙しい。学校へ行かなくちゃならないし。だから、それが妙な感覚である事にはっきりと気が付いたのは、学校でだった。体育の前の休み時間。わたしは、体育で使う道具を用意する当番で、早目にグランドに出なくてはならなかった。

 「かったるいわねー」

 杉村可奈。可奈ちゃん。彼女も一緒だ。彼女は本当にかったるそうな感じでそう言った。

 「本当よねー」

 全く同意見だった。何故、生徒が体育の授業の準備をしなくてはならないのだろう?

 グランドに出ると、まだ早い時間帯なので、前の時間にグランドを使っていたクラスの子が数人残っていて何やら言い合っていた。

 「これ、誰のタオルかしら?」

 どうも、誰かのタオルが落ちていて、それが誰のものなのか話し合っているらしかった。見てみると、無地の味気ない白のタオルで名前も何も書いていない。恐らくは、前にここで体育の授業をやっていたクラスの誰かのものなのだろうけど、体育の授業は二クラス合同でやるので、誰のものなのか見つけ出すとなると少し面倒くさい。どちらのクラスに届ければ良いのか分からないからだ。

 「このままにしておけば? 忘れたって事に気付いたら、きっと取りに来るって」

 そう可奈ちゃんが言った。その通りだと思う。でも、その時だった。何かの知っている匂いがわたしの鼻孔をかすめたのだ。そして、ほぼ反射的にわたしはこんな事を言っていた。

 「樹君のじゃない? ソレ」

 皆が、驚いた顔をしてわたしを見た。わたしは皆の驚いた顔を見て、はじめて自分が言った言葉に驚いていた。

 「どうして分かるの?モコちゃん」

 可奈ちゃんがそう尋ねてくる。興味津々な顔だ。というか、樹君って誰?って、そんな顔だ。

 「どうしてだろう?」

 本当にどうしてだか分からなかったので、素直にわたしはそう答えた。――どうして、樹君のものだなんて思ったのかしら?

 わたしは彼をそれほど深く知らない。もちろん、彼のタオルだって見た事がない。それが彼のものだなんて分かるはずがないんだ。

 「一応、届けておくわね」

 同じクラスの子がいたらしく、そう告げる。ちょっと面白そうな表情で。でも、わたしはそんな表情なんて気にならないくらい、どうして自分がそのタオルを樹君のものだと思ったのか、その疑問にとりつかれていたのだった。そして、

 ハンバーグ。

 わたしは、今朝のハンバーグを思い出した。

 夢の中。

 そう。確かわたしは、夢の中で、酷くハンバーグを欲しがっていた。自分を護ってくれている大きな人が、ハンバーグを食べようとしているのを見て、ワガママを言ったんだ。「食べさせて、食べさせて」と。でも、大きな人は、ハンバーグをくれなかった。

 そして、その大きな人の匂いが、樹君の匂いと同じだったんだ。いや、それだけじゃない。おぼろげな記憶だけど、夢の中で、大きな人は自分を樹と名乗っていたように思う。

 わたしは、そう思い至ると、不気味な予感に襲われた。もしかしたら、わたしは夢の中で子猫になっていて、そして、しかも、樹君に飼われているのかもしれない。顔から血の気が引いていくのが分かる。

 「ごめん。可奈ちゃん」

 わたしがそう言うと、可奈ちゃんは不思議そうな表情でわたしを見た。わたしの様子が普通じゃない事に気が付いたんだ。

 「ちょっと急用を思い出しちゃって。直ぐに戻ってくるから、一人で体育の準備しておいてくれない?」

 「え? なに? どうしたの? モコちゃーん?」

 「後で、なんかおごるからぁ!」

 わたしはほぼ何も考えずに、駆け出していた。もしかしたら、樹君、彼は、今あの空き地にいるかもしれない。猫に餌をやる為に。あの空き地にいるのなら、体育の授業が始まるまでに帰ってこれる。わたしは、どうしても確認しておきたかったんだ。彼が、本当に、子猫になった時のわたしの飼い主かどうかを。

 後姿が見えた。

 案の定、彼はいた。校舎裏の空き地、前に見た位置に。間違いはない。樹君だ。

 わたしはそれを見て、ギクリとなった。確かめたかったけど、それと同時に怖くもあったから。彼を目の前した途端、恐怖の方が浮かび上がり、急に色濃く感じられたんだ。

 その恐怖が、別に存在している自分がいる、という不思議な事実を認めなくてはならない、という緊張からやって来ているのか、それとも、人間の状態で、大きな人… つまり、樹君と会うことに緊張を感じているからなのかは分からなかった… いや、多分、その両方なんだろうと思う。

 わたしは途中から、忍び足になって、恐る恐る彼に近付いていった。忍び足になんてなる必要はない。でも、そうしない訳にはいかなかった。

 「今日も餌をあげてるんだ」

 もう、彼の直ぐ後、餌を食べる子猫達の物音が分かるくらいの距離になると、わたしは意を決してそう話しかけた。樹君は直ぐに振り返ってわたしを見たけど、あまり興味がなさそうな感じで、「うん。そう」と、味気なく返してくる。挨拶も何もなしだ。いや、それはわたしも同じなのだけど。

 わたしはその様子を見ると、あわてて考えた。彼が子猫になった時のわたしの飼い主であるかどうかを確かめなくちゃいけない。でも、一体、どうやって? その時、瞬間的にわたしは思い付いた。

 「ハンバーグ」

 咄嗟に、そう一言声を出した。

 「なに?」

 「わたしのお弁当の中に、今日、ハンバーグが入ってるのだけど、この子達食べないかな?」

 多分、昨晩、彼が子猫のわたしにハンバーグをあげなかったのには理由がある。彼は、猫の身体に毒になる食べ物についてよく知っているようだったから、きっとその辺に事情があるんだ。すると、案の定彼は即答した。

 「それは駄目だね」

 「どうして?」

 「ハンバーグの中には、玉ねぎが入っているだろう? 玉ねぎって、猫にとってかなりの毒なんだ。赤血球を溶かしてしまうらしいよ」

 「へ、へぇ…」

 わたしはそれを聞いて、自分の心臓の音が高鳴っていくのを自覚した。ハンバーグ(というよりも玉ねぎ)は、猫にとって毒になる。だから、樹君は、わたしにハンバーグをくれなかった。意地悪をしていたのじゃない。それが嬉しかった、というのもあったかもしれない。けれど、この興奮のほとんどの原因が、今、目の前に突きつけられた驚くべき事実にあるというのは明らかだった。

 間違いない。樹君は、夢の中でわたしを護ってくれている大きな人だ。つまり、それは、猫であるわたしが、夢の中でなく、現実に存在している事を意味している。

 わたしは、それで、軽く混乱してしまった。もしも、猫である自分に会う事になってしまったらと思うとゾッとする。その後で、どうしていいか分からなくなったわたしは、その場から逃げ出してしまった。多分、樹君は、そんなわたしを変な風に思っただろう。……冷静になって、後悔をした。わたしに残っている夢の中での記憶が確かならば、わたしは彼に自分の名前を告げている。先のわたしの態度と、そして、もしわたしの名前を彼が知っていたのなら、或いは知ってしまったのなら、わたしと何か関係があると思うかもしれない。

 もし、わたしが子猫モコなのだと知られたら…… 別に、何がどうなる訳でもないかもしれないけど、なんだか、とっても恥ずかしい気がする。猫の時も人間の時も、お互い気まずくなってしまうのじゃないだろうか?

 「で、樹君って何なのよ?」

 体育の授業になんとか間に合ったわたしに可奈ちゃんは、当番を一人でやってあげた代わりだと言わんばかりに、そう尋ねてきた。

 「何でもないわよ。ただ、彼、猫に餌をよくあげてて、それで知り合ったの。わたしも、猫の様子をよく見に行くでしょう?」

 「ふーん」

 可奈ちゃんはそう聞くと、なんだか疑わしそうな顔をしたが、事実は事実だ。表面上は、彼との間にこれ以上の関係はない。まさか、夢の中でわたしが猫になった時の飼い主かもしれない、なんて馬鹿げた事を言えるはずがないし。

 放課後。

 可奈ちゃんが、妙な表情でわたしに近付いてきた。なんだか、ニヤニヤしている。また、この子はどうしたのだか。なんて思っていると、彼女はそのままの表情でこんな事を告げてきた。

 「樹君。放課後になると同時に、ちょっぱやで帰っちゃったらしいわよ」

 「それがどうしたの?」

 「別にー」

 なんで、樹君を知っているんだろう?

 ま、多分、わたしから話を聞いて、どんな男子だか調べたのだろう。暇なんだから… だけど、わたしは可奈ちゃんからその話を聞いた後で、自然と微笑んでいる自分に気が付いていた。

 ちょっぱやで帰った。

 多分、樹君は、子猫が心配で、つまり、わたしが心配で、それで直ぐに家へ帰ったんだ。

 

 夜、寝る前に、わたしはやっぱり、夢の中で猫になる事を想って、少しだけ怖くなった。でも、猫になった時の感覚はそれほど悪いものでもない。なんだかのんびりできるし、それに、樹君はとても優しいし。複雑な気持ちだったけど、最後には楽しみに思う気持ちが少し勝っていたかもしれない。それに、最近はなんだか、疲れを感じる事が多くて、それでなのか、あっさりとわたしは眠りに就いてしまった。

 

 『樹君』

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