ある龍の話
ある日、一匹の龍は一人の男に出会った。
「こんな森の奥深くに、人間が何の用だ」
竜は男に尋ねた。
この時、竜は男を殺すつもりで問いかけた。
この森に竜が住むことを知らずに来る人間は今までいなかったからだ。
人間が竜に会う目的など昔から決まっていたし、竜には嘘を見破る力があった。
もしこの男がくだらない嘘をつくようであれば、頭から丸呑みにしてやるつもりだった。
「アナタと話がしてみたかった」
竜は、男の答えを気に入った。
どこにでもいるような平凡な男だったが、その言葉に嘘はなく、酷く穏やかなものだった。
男と龍は沢山のことを話した。
龍は男の語る内容に一々難癖をつけ、男は龍の語る内容に一々驚きを見せた。
「なぜ、お主は我と会話などしようと思った? 龍は貴様らにとって純金のようなものだろう」
龍は尋ねた。
今までの人の思考とは異なる男に興味が沸いたからだ。
「……それは、僕にとって金がもう意味のないものだからだ」
男は聖人ではない。
元々は商人として、あらゆる手段を用いて金を稼いでいた。
売れるものは何でも売ってきた。
それこそ人を騙して金を得ることなど日常茶飯事のことだった。
「そんな僕に、バチが当たったんだ」
男は不治の病に侵された。
あらゆる手段を用いても治すことは出来ず、彼の周りにいた人間たちは彼に遺産の継承を求めた。
「分かってはいたことだったけど、彼らは金が欲しかっただけで、僕になんて興味はなかった」
男はその時になってようやく、自分の人生が酷く虚しいものであったことに気がついた。
「金を稼ぐことは今でも悪いことだなんて思ってない。でも、それだけしか見えないのは駄目だったんだと思う」
自分の死後、自分を想う者は誰もいない。
そんな事実に打ちのめされた。
「……ふむ。それで、人に覚えてもらえぬのならせめて、バケモノに覚えてもらおうと?」
「……いや、それは少し違うんだ」
男は死ぬ間際になって、子どもの頃の夢を思い出していた。
「僕はね、龍とトモダチになってみたかったんだよ」
それは子供の抱く幻想への憧れだ。
どうせ死ぬのなら、龍に食われるのも変わらない。
そう思い男は龍の下へ訪れた。
「お主は我の友になりたいと?」
「うん。……僕は身も心も腐ってしまった人間だから、その資格があるのかは微妙なところだけどね」
男は自嘲気味に笑い、龍は笑わなかった。
「ふん、人間など多かれ少なかれ腐った性根を持ち合わせたものだ。根から清廉潔白な人間など我は知らぬ」
龍は知っている。
人間とはたやすく善悪どちらにでも転ぶ弱い生き物だということを。
男の人生は悪人としてのものだったのだろう。
もし男の体調が万全で龍の下を訪れたのなら、間違いなく争いが発生していたに違いない。
だが、男は自分の生を悔いた。
死ぬ間際の感傷だとしても、それを否定する気は龍にはなかった。
「……龍の友など、人には過ぎた夢だな」
「……うん、僕もそう思う」
ただ、この男が死ぬくらいまでは側に置いてやろう。
そんな気持ちが龍にはあった。
それはきっと龍の気紛れでしかなく、いずれ時が経てば男のことなど忘れ去る。
だが、この一時だけは友人として男と龍は寄り添った。