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神聖都ノイエス養成学校エッセはブラッドとリルが通っている6階建ての学校である。様々な職種の専門学科が存在し、人材を育てるという目的で設立された。神聖都は大都市で学校も多く存在しているが、エッセ養成学校は治安も良く評判もいい。学歴よりも自主性を重んじていた学校の方針が、生徒達のオープンなスタイルの形成を成功させていたが、逆に出てくる素行問題に対して俗にいう大人の事情が介入してからは学歴要求に支配され、居場所とは言葉だけの学校となっていた。ブラッドが授業をサボっていたのはそんな背景が理由にある。ブラッドと学校の大人と対立関係にあり、それはブラッドの過去の経歴を知る大人達が、問題としてみなした事から始まったのだ。特に関係の悪い教師の授業は、積極的にサボるようにしている。
だが、今はその事よりも、別の問題が発生していた。屋上を後にした二人は先程の恋人同士の淡い雰囲気が嘘であるかのような雰囲気を醸し出していた。ブラッドは眉間にしわを寄せ、リルはただ下を向いて歩いている。
「ったく、何で起こさないんだよ?」
ブラッドは不機嫌そうにリルに文句をぶつける。
1時限目の授業をサボり、屋上にリルを連れて移動したブラッドはそのまま眠りにつき、現在は4時限目が終わりそうな時間帯であった。その事実を知ってブラッドは怒ってるのだ。それに対してリルも反論があり、すかさず言葉を返す。
「起こしたよ。でも、ブラッド全然起きないんだもの。そもそも、授業にちゃんと出席していれば、こんな事にはならなかったんだよ」
不機嫌な彼氏の一方的にぶつけてくる文句にリルも機嫌を損ね、不満そうに言い返す。
ブラッドは一度寝たら中々起きない。それに対してリルは手を焼いていた。無理やり起こしたら起こしたで不機嫌になるブラッドの応対にリルは自分が落ち込むのが嫌だったのだ。
「4時限も居眠りこいてたってテオリアにバレたら、面倒な説教聞かされる」
テオリアとはブラッドの担任であり、ブラッドの言葉からも分かるようにかなり真面目で、しっかりとした担任である。その担任との対応を考えると頭が痛くなりそうだった。回避方法はないかと考えたくもなったが、もはやその猶予もない。徐々に近づく教室へと沈んだ気持ちで足を運ぶ。
起こさなかった事の責任を少し感じ始めたリルが、前々から聞きたかった質問で沈んだ気持ちを忘れさせようと打ち明ける。
「ブラッドは将来の進路、決まった?」
「進路? 何、悩んでんの?」
ブラッドは質問の意図を問い返す。
「そうだよな。もうじき学校も卒業だからな」
時が経つにつれ、否応なしに実感する卒業するという事実。リルに質問され、改めて自分にもその時が訪れると実感させられた事にブラッドは感慨深いものがあった。だが、リルにとっての質問の真意は別にあった。
「私。ブラッドと一緒の進路に進みたいから」
照れ臭そうに告白するリル。しかし、彼氏の方は、嬉しそうな顔はしていなかった。
「リル。自分のやりたい事を考えて選ぶのが進路だろ? 同じ人間じゃないんだし、同じである必要もないんだし、違うからこそ個性は光る。そういうもんだと思うぜ? お互いがそれぞれ頑張る過程なんじゃねえかな」
リルの思いとは裏腹にブラッドの口から出てくる率直な見解にみるみる表情が落ち込んでいく。哀しい気持ちを必死で抑え、うつむく。
「…そうだよね。一緒にいたら窮屈だものね。進路って自分の将来の事だから、他の人がいたら気が散るものね」
小さな苦笑いで必死で哀しい気持ちを押し殺すリルであった。
「そういうわけじゃないけれど、まあ確かな事だよ」
現実を含めた見解をしっかりとブラッドは言ったつもりだった。幼い風貌であるが、大人としての自覚が身に付き始めている事を知り。リルは新たな焦りを感じ始める。自分が自立できるだけの器量があるのだろうか。一緒にいれたらと思うがあまり、そこにある問題に直視していなかった自分を恥じる。
「私、大丈夫かな…」
自信がなくなったリルが弱弱しく自分の不安を吐露する。
「頑張れば何とかなるって。悩むのは後にして頑張るだけ頑張ればいい」
「でも、うまくいかなかったらどうしよう…」
ブラッドは自分が言えるアドバイスを伝えたものの煮え切れないリルにやや呆れてながら続ける。
「わざわざ自分から複雑にするなよ。失敗するかもなんて分からないだろう? それにそうなったら、その時考えればいいんだって。今向き合わなければいけないのは、直視すべき今!」
「そうなんだろうけど…」
不安を払おうとブラッドなりに励ましたが、意気地のない態度を続けるリルに「だから~」と語気を強めるブラッド。そして、その話を遮る不穏な空気を階段から下りる所で感じ始めた。
「何だ? 騒がしいな」
階段を下り渡り、見えてくる3階の教室。ブラッドが向かっていた教室から少し離れた廊下付近で生徒達が騒いでいる。団らんという雰囲気ではなく、何か事件を思わせる。そんな様子であった。
何が起きているのか。その真相を知ろうとブラッドは足早に教室へと駆け寄り、リルも後に続く。そして、ブラッドは廊下前にいた女性教師に問い質した。
「テオリア。何かあったのか?」
女性教師は先程、ブラッドの気持ちを沈ませた担任だった。いきなり敬称を切り捨てた生徒からの呼ぶ声に即座に人差し指をブラッドの顔の前に指す。
「何度でもいう。敬語を使え。そして、きちんと先生を付けて呼べ」
眼鏡のレンズを輝かせながら、まるで決め台詞を言ったかのような姿勢でブラッドを注意する。この光景はいつもの事であり、その茶飯事に飽きていたブラッドは指された人差し指を手で握り、顔の前から下ろすとテオリアに教室の中の様子を再度質問した。
「テオリ…、いや。だから、何があったんだよ?」
「二人とも、いいか? 教室から離れるんだ」
再び呼び捨てで呼ぼうとしたが、その後の反応が面倒だと思ったブラッドは口に飲み込む。その様子を見ても気づかなかったテオリアの神妙な様子は、それだけ今緊迫していると示唆しての事だった。だが、考察を張り巡らせるよりも、好奇心に駆られ、自分の目で確かめたほうが早いと判断したブラッドは教室内に首を伸ばし視線を近づける。「コラ!」と小さな声でブラッドの伸びた首を引っ込めようと注意するテオリア。だが、そんな事は知った事ではないと教室内の出来事を目にする。
そこで見たものはブラッドも良く知る剣術教師であるゾーニング。もう一人は黒い布で全身を纏った謎の人物が確認できた。
「生徒達の話によると、彼奴はいきなり教室に現れ、立て籠もったらしい」
ブラッドの頭を掴みながらテオリアは騒ぎとなった経緯を簡潔に説明した。
「過激派の仕業か。それとも精神異常者の類か。いずれにせよ、ゾーニング先生がいれば大丈夫だろう。いいか、ブラッド? くれぐれも騒ぎが大きくなるような行動は慎んでくれ」
テオリアはブラッドにそう伝えると、彼の肩を持ち、教室から離れさせる事にした。だが、リルは気づいた。ブラッドはもはやテオリアの言うことを聞く気ではない表情をしている事を。
「…戦う」
突然、口にされた宣言。聞き取れないほどの声量であったが、リルには脳裏に刻まれる程に聞こえた。それはブラッドの侵入者に対する布告だった。
「あの感じは…」
ブラッドが何かを察した言葉の意味を、理解する事が出来るのか。怒りにも似た表情をするブラッドの今の気持ちを、これから彼が起こすであろう行動から気づいてあげられるのだろうか?リルもまた様々な気持ちを整理するのに精一杯になっていた。
教室内ではゾーニングが侵入者と対峙している。ゾーニングは剣術の顧問でブラッドも良く彼から授業を受けている。紳士で艶のある丁寧な口調が女性から人気で、ファンクラブまで出来ているほどだ。生徒達への理解も深く、教師としての評価は高い。
「聞きたい事は山ほどあります。ですが、生徒達を不安にさせているこの瞬間があなたの罪深さなのです。生徒達を危険に晒す一切のものから守るのが教師としての務め」
抜刀の構えを保ち、ゾーニングは侵入者を牽制する。
だが、侵入者は口から黒い吐息を吐いて瞳をぎらつかせ、あざ笑いながら、ゾーニングの言葉に耳を貸している様子ではなかった。
「やむを得ませんね。ここは教室。生徒達の聖域です。出来る事ならば、この場所を争いの血で染めたくはありません。外に移動しませんか?」
血戦になる事よりも、生徒達の想いを組んで配慮するゾーニング。だが、侵入者はやはりその言葉を解しているかは不明であった。だが、ふと廊下の方に何かを感じたのか、表情が変わる。
「ぶらっど、コロス!」
「あいつは、魔族だ!」
侵入者はブラッドに気づくと、まがまがしい翼を開き、無数のナイフに変える。同時にブラッドはテオリアの制止を撥ね退け、剣を抜き、教室へと侵入する。そして、次の瞬間、ナイフは教室から四方八方へと放たれる。リルを覆うように身を挺して倒れるテオリア。ゾーニングも即座に剣の一閃を放つ。
一瞬にして戦闘が始まった。