Phase 3 trash and trash, and love 02
「組織に売られただけのお前にはわからないだろうけどな、人類共同戦線はあの人形が憎いんだよッ! オレは、夢を奪われたんだ……!」
男の声が路地に響き渡る。
感極まって、今にも泣き出しそうな声だった。
「オレはガキの頃からずっと、役者を目指していた。必死に努力して、あと一歩のところまで行った……でも、hIEがこっちの業界にまで侵食してきたせいで、その夢は叶わなかった……」
ビルに四角く切り取られた鉛色の空を、男は見上げた。深く息を吐き、高ぶった心を落ち着かせているらしい。
ここ数年、hEDやhIEによるエンタメ分野への参入も盛んになっている。技術力の向上により、役者のような表現力を問われる職業でさえ、下手をすれば人間以上にこなせるようになっているのだ。
だけど彼の私情など、シロガネには心底どうでもよかった。彼が話している間、シオンのことしか頭になかった。
「お前はオレたちを裏切った。だから相応の制裁は受けてもらわないと、腹の虫がおさまらねえ……それに上も上で、情報が洩れたら困るみたいだしな。だからこうして、お前は捨てられる。《《あのhDE》》も破壊される」
「っ……! シオンに手を出すな……!」
シロガネは地面に手を付き、周囲を巻き込むように脚を回転させて立ち上がる。
男が後ずさった隙に、山刀を取り戻した。
「シオンに何かしてみろ、あんたたちを皆殺しにしてやる……!」
シロガネの中で、かつてないほどの怒りが渦巻いていた。それはとてつもなく熱くて、凶暴な感情だった。
だが対称に、男は楽しそうに口元を歪める。
「何がおかしいっ!」
「いや、申し訳ないな、って。お前が新宿新市街に着いた頃には、もう俺の仲間がお前の家に向かったからさ。きっともう、スクラップになってるぜ……今までお前がしてきたみたいにな」
気付いた時には割れたマスクを投げ捨て、走っていた。
「殺す……!!」
山刀を振り下ろす。持てる限りの感情をすべて刃に乗せて、男の頭を叩き割ろうとする。
だが次の瞬間、彼女の体は宙を舞っていた。
何も複雑な技術を使われたわけではない。ただシンプルに腕をつかまれ、突っ込んだ勢いそのままに投げ飛ばされたのだ。
普段なら、こんな手は食らわない。
彼女は焦っていた。
「隙だらけだ」
スローモーションになる意識の中で、男の声が鮮明に聞こえた。体がひっくり返った。曇り空が見えた。
全身に強い衝撃。重さ100キロの身体が、地面に叩き落とされた。
「がっ……」
すぐさま男の足に顔を踏みつけられ、汚い地面に押しつけられる。
酷い臭いだった。
人間としての尊厳まで、踏みつぶされたかのような気がした。
「少し、憂さ晴らしをさせてもらうぜ」
そう言うと男は、仰向けに倒れた彼女の右腕を思い切り引っ張った。
「あ……あぁっ……!」
肩の関節機構が軋み、歪んでいく。痛覚信号が濁流のように脳に流れ込んできた。
彼女は気が狂いそうな苦しさの中で喘ぎ、叫ぶ。
涙が出た。
どうして自分がこんな目に合わなくてはいけないのだろうと、目の前の男を呪いたかった。
ようやく右腕が外れ、それを男は投げ捨てる。
「はぁ……はぁ……さすが戦闘サイボーグ。一筋縄では抜けないな」
彼は他人事のように吐き捨て、シロガネの山刀を拾った。それを彼女の眉間に突きつける。
痛みの嵐から解放されたばかりの彼女は、ほとんど放心状態のまま刃先を見つめた。
「……それじゃあ、そろそろ終わりにしてやる」
男が山刀を高く掲げる。
シロガネの身体は動かない。できることなら、今すぐにでも目の前の男を殺してやりたかった。
それでもこの機械の身体は言うことを聞いてくれない。そのことにとてつもなく腹が立った。悔しかった。
だけど振り下ろされる刃先を見たとき、もうダメだと思った。
それは諦めなんかじゃなくて、ただの絶望だ。
だからせめて、1度でいいからシオンの顔が見たかった。そうすればまだ、諦められるような気がした。
「……シオン」
だがそのとき、頭上で金属の低く鈍い音がした。
まるで何かを殴り付けるような音だ。
「え……?」
音は二度三度と鳴ってから止んだ。
彼女は目を見開く。
「そん、な……」
最初、彼女はその光景が信じられなかった。夢かと思った。
なぜなら、さっきまでシロガネと戦っていた男が気を失っていたから。
そして何より、とっくに死んだと思っていた彼女がいたから――
「遅くなって申し訳ありません、オーナー」
シオンが、シロガネに手を差し伸べていた。その顔はどこまでも優しかった。
だからだろうか。その声を聞いて、嬉しさのあまり、再び涙がこぼれそうだった。
「あんた、生きてたんだったら……なんで教えてくれなかったの……」
「申し訳ありません。家の方が暴徒に襲われてしまったので応戦していました。その際に、通信系統の一部を損傷してしまったようです」
「戦うって……シオン、そんなことできたの……?」
「はい。O-108型をはじめとした高級hDEの多くは、SPとしての機能も果たせるよう、あらかじめ簡易戦闘プログラムが組み込まれています」
そう答えた彼女の手には、わずかに凹んだ鉄パイプが握られていた。服もボロボロで、ブラウスやジーンズの一部が破れてしまっている。
それでも彼女は無事で、目の前にいた。
「なんだ……よかった……」
安心したせいか、笑みがこぼれた。
シオンはそんなシロガネの横に寄り添う。
「これからどうしますか、オーナー。警察に助けを求めますか?」
「……それはできない」
「でしたら、どうします?」
「そうだな……じゃあ、シオン」
少し考えてから、シロガネは左手だけで上半身を起こし、シオンと目線を合わせた。
「一緒に、逃げようよ」
「逃亡、ですか?」
「うん。この街から、2人で逃げるの。警察も、《人類共同戦線》もいないどこかへ」
天涯孤独の彼女に、あてなどない。やがていつかは義体が朽ち果て、死んでしまう。
どうせ死ぬのなら、少しでも彼女と一緒にいたかった。
「どう……?」
「前にも言いましたが、私はオーナーのhDEです。オーナーが行くとおっしゃったなら、どこへだってついて行きます」
シオンは考えるまでもなく答える。
彼女に意志がないことはわかっているけど、やっぱり嬉しかった。
「ありがとう」
シオンの手を握り、立ち上がる。
「それじゃ、もう行こ。きっとすぐに追手が来る」
「わかりました」
こんな状況だというのにシロガネは気分が高揚していた。まるで、初めてシオンと会った時のようだった。
彼女となら、どこへでも行けるような気がした。煩わしいものを全部捨て去って、彼女と2人で暮らす。そんな生活が早くも楽しみだったのだ。
だから雨が降りだしても、表通りに向かう2人の足取りは、場違いなほどに軽かった。