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SHION  作者: ハルヒコ
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Phase 2 Pygmalion 03

 それから数日が経った。

 シロガネ(白銀)は一人、細い路地に立っていた。


「…………」


 夜は深まり、そろそろ0時を回る。

 ここ渋谷の、旧宮下公園付近の小区画は小さな飲み屋が密集していた。


 彼女の狙いは居酒屋で働くhIEだ。容姿の整ったhIEはこういった接客仕事にも重宝される。だから多少値が張ろうとも、看板娘代わりにする店も多いのだ。


「…………」


 シロガネは苛立たしげにカツカツと靴を鳴らした。

 渋谷駅へと向かう電車の音が、それをかき消す。


 いつもだったら、ちょっとした雑務だったり客を見送ったりするために外へ出るhIEがいる。それが、彼女が《《狩り》》をするタイミングだった。

 だが今日に限って、ほとんど外に出てこない。 


 シロガネは追い詰められていた。

 シオン(心音)を拾った3日後、修理に出していたマスク型端末が戻って来た。だがそのフィルターは彼女に効かなくなっていた。


 理由は明確だった。シオンだ。


 この数日間で、彼女はシロガネにとって大切な存在になっていた。彼女のおかげで、毎日の生活が少し楽しくなった。

 

 それからだ。バイザーにフィルターをかけていても、彼女の《《カタチ》》がそれを打ち消してしまう。hIEを壊そうとするとシオンの顔が脳裏に浮かんで、壊せなくなる。


 つまりは罪悪感だ。彼女と同じようなモノにさえ、アナログハックされてしまっているのだ。


 今月は残り5日。ノルマまであと12機。

 厳しい状況だ。もしノルマを達成できなければ、たとえ許されたとしても怪しまれる。今までこんなことはなかったから、なおさらだ。


「……!」


 ふいに、1軒の店の戸が開く。

 酒に酔って顔を赤くした初老の男が出てきた。スーツ姿だから会社帰りか何かだろう。


「それじゃあ、ごちそうさまー。また来るよー」

「ありがとうございます」


 男に続いて、ラフな格好をした女性が出てきた。店員と思われる彼女の顔は、ピンクのフィルターで塗りつぶされている。


「…………」


 シロガネの額を、汗が滑り落ちる。

 緊張していた。少し前まではただの単純作業だったはずなのに、今はそれがすごく難しいことのように思えた。


 男が去って行く。

 それをhIEは、笑顔で手を振りながら見送っている。


「っ……!」


 シロガネは自分にのしかかる色々なものを振り払い、hIEに突進した。

 重さ100キロのタックルに、ソレはなんなく突き飛ばされて転がる。


「……今度こそ」


 シロガネは見下ろし、山刀(マチェット)を抜いた。


 hIE店員は動かない。

 思わぬ故障や誤作動によって周囲の人間に被害を与えないよう、一定以上の衝撃を受けると緊急停止するようになっているからだ。


 時間がない。

 彼女はソレの首筋目がけて山刀を振り下ろした。

 だが。


 ――――オーナー。


「っ……」


 まただ。

 関節機構がさび付いてしまったかのように、手が動かない。少しでも斬り込もうとすると、彼女(シオン)の声がリフレインする。


 目の前に転がっているのは、ただのモノだ。魂もなければ、命ですらない。だから壊したところでカタチが損なわれるだけだ。

 

 だけどそのカタチが、シロガネに訴えかけてくる。

 ソレはシオンと同じモノだ、と。


 手が震えた。


「おい! どうした!?」


 店の中から呼び声がした。あれだけ大きな音を立てたのだから当然だ。


 本当ならすでに立ち去っていなければいけない時間だった。だがシロガネは山刀を振り下ろしかけたまま動けない。


「あちゃー、盛大に転んだなあ……」


 ついに、人間の店員が店の外へと出てきた。

 光学迷彩服に身を包んだシロガネに、気付かずに近づいてくる。薄暗いおかげで山刀は見えていないらしい。


 だがタイムアップだ。


「…………」


 シロガネは山刀を鞘にしまい、飲み屋街の狭い道を逃げ出した。


「……クソッ!」


 走りながら、叫ぶ。

 怒っているのではないし、悲しいわけでもない。

 どうすればいいのか、わからなかった。



 ***



『最近どうしたの?』

「いえ、何も……」

『だったらさー、なんで急にこんなになっちゃったわけさ』

「それは……」


 シロガネは口ごもる。

 やる気のない口調で、しかし問い詰めるように、頭の中で男の声が響く。


『先月はノルマ達成まで7機を残し、そんでもって作戦でもミスが2回。これ、どういうことかわかるかな?』

「……はい」

『《《こっち》》もさー、一応キミのことは評価してるわけ。だから上はキミを運用し続けるわけだし、賀上重工もサポートをしてくれる。でも義体維持費もなかなか馬鹿にならないんだわ』


 男が一度言葉を切る。

 通信越しに、退屈そうなため息が聞こえた。


『ま、そういうわけだから。そこんところ、よろしく頼むよ』

「……はい」

『それじゃねー』


 通信が切断される。


「…………」


 シロガネは天井を仰ぎ見て、深く息を吐く。


「……オーナー」


 シオンが心配そうな表情で手を握ってくれる。

 彼女の手の温もりに触れ、シロガネは顔をわずかにほころばせた。


「だいじょうぶ、なんでもない」


 シオンに、hIE破壊活動のことは話していない。

 彼女に心がないってわかっていても、自然とはばかられるのだ。


「最近、こんなことばっかりだ……」


 彼女と出会うまで、ここまで物事に悩まされることはなかった。

 それはきっと、シロガネがただの《《道具》》から《《人間》》に戻ったことの証明だろう。


 道具は、それ自身の意志を必要としない。


 だけど今、彼女は自分で考えている。

 シオンと出会い、衝動に突き動かされたあの日から、彼女は感情を思い出した。人間というものを思い出した。


 シオンのおかげで、彼女は人間でいられる。


「……シオン」

「なんですか、オーナー」

「…………」

「オーナー?」


 シオンが、彼女の顔をのぞき込んだ。

 彼女は目をそらして、呟く。


「……少し、甘えてもいいかな」


 少し怖かった。いつか、この生活が終わってしまうのではないかと。


「もちろんです。私は、オーナーのモノですから」


 シオンが後ろから、シロガネの首に腕を絡ませた。


「オーナー」

「……なに」

「私に心はありません。だから、オーナーが何を考えているのかはわかりませんし、ちゃんとその意味を理解することはできません。でも……」


 シオンが、シロガネの耳元でそっと呟く。


「オーナーが呼んだら、私はどこへでも行きます。ですから、好きなだけ私を使ってください」


 まるで心の中が読まれたようだった。

 心が通じ合っているような気がして、嬉しくなる。


「……ありがと」

「いいえ、私はオーナーの道具ですから」


 シロガネは笑った。


「私、何か変なこと言いましたか?」

「ううん……違う」


 そう言ってシロガネは手を持ち上げ、シオンの手にそっと重ねた。


「あんたを、拾ってよかったなって思った。ただ、それだけ」


 彼女の体温と体の柔らかさが、その存在を確かなものとしてシロガネに認識させる。


 この数日間で築き上げたこの関係性が、この温かさが、とても愛おしかった。この生活がずっと続いて欲しかった。

 彼女さえいれば、他には何もいらない。そう思った。


 ――だからもっと、彼女が欲しい。


 シロガネは振り向くと、シオンの華奢な体を床に押し倒した。


「お、オーナー? これは……」

「…………」


 シオンは明らかに狼狽したような表情をしてみせる。

 彼女の見開いた目を、シロガネはのぞき込んだ。


「……いい、かな」

「何を、ですか……?」

「セックス」


 hIEもhDEも、人間とセックスすることはできる。それはオーナーが異性だろうと同性だろうと関係ない。

 シロガネは、シオンのシャツに手を伸ばす。第二ボタン、第三ボタンと外していく。


「ちょっと、オーナー……!?」


 シオンが呼びかけるも、シロガネの手は止まらない。

 彼女はあの時と同じく、衝動に突き動かされていた。

 もっと彼女の熱を感じていたいという衝動に。


「……シオン」

 

 ついにボタンが全部外れ、彼女の体が露わになる。

 陶器のように白く、ハリのある肌。滑らかな曲線で構成された体の輪郭。ブラに覆われた乳房。

 シロガネは半ば引き寄せられるようにして、それに触れようとする。


 だがシオンは、


「オーナー、ダメです……!」


 そう言って、シロガネの手を払いのけた。


「シオン……?」

「確かに、私はオーナーのものです……でもその、オーナーに性サービスを提供することは、許可されていません……っ」


 彼女は顔を赤らめて言った。

 わずかだが、瞳が潤んでいるようにも見えた。


 そこでようやく、シロガネは理性を取り戻す。

 未成年がロボットによる性サービスを受けることは、法律で禁止されているのだ。

 だがそれよりも、自分がとても悪いことをしているように思えた。


「ご、ごめん……」

「いいえ……」


 シロガネは決まりが悪そうに目をそらし、シオンの上から退く。

 シオンもまた、気まずげに乱れた衣服を直す。


「…………」

「…………」


 もちろん、アナログハックだとわかっている。さっきの表情も、今の仕草も、シロガネを制止するためのものだ。

 それでも、なんて声をかければいいのかわからなかった。


「ごめん、シオン……。嫌がってるのにあんなことするなんて、どうかしてるよね……」


 あまりの気まずさに、シロガネは部屋を出ようとした。

 だがまたしても、シオンがその手を掴む。


「……シオン?」

「その……嫌では、ないです」

「え……?」


 思わず訊き返す。

 彼女は頬を紅潮させながらも続ける。


「さっき拒否したのは、あくまでもオーナーが未成年だからで……もしオーナーが18歳になったら、私はセックスもすることができます。ですから……そのときは、好きなように私を使ってもいいですよ……」

「……シオン」


 動悸が激しくなるのを感じた。

 だけどそれは苦しさを感じさせない。むしろ、ふわふわとしてどこか心地よさを感じさせる。


「……わかった」


 シロガネは、シオンの手を両手で包んだ。


「それじゃあ、それまで一緒にいよう。18になって、セックスできるまで。それから、その後も。ずっと」


 そうだ。

 この生活が続いて欲しいと願うのではない。終わらないように、自分で守るのだ。

 

「ずっと、2人でいよう」

「……はい」


 シオンは目を合わせ、優しくはにかんだ。






 だが。

 14歳の無力な少女からすべてを奪ったこの世界は、まだ彼女を見逃してはいなかった。

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