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それでも。  作者: 林来栖
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 ******


 手術の日。 急な仕事が入ってしまったと、同行してくれるはずだった母親にドタキャンされ、優也は一人で病院へ来た。

 未成年の手術は、親権者かそれと同等の成人の同意書がなければ出来ない。ので、急遽同居の叔父が仕事場から駆り出されることとなった。


 叔父が来るまで待ってくれ、と受付の女性事務員に告げ、優也は総合病院の広い待合ロビーの長椅子に腰を下ろした。

 最近建ったばかりの病院は、ロビーの奥がガラス張りになっており、中庭の緑が見える。 

 歩行訓練用なのか、両側に手摺りのついた、少々カーブのついた歩道があり、その向こう側にはパラソルの下にカフェ用のテーブルがある。

 中庭には他にもいくつかベンチがあり、見舞客と車椅子の患者が談笑しているのも見えた。

 痛い左肘を撫りつつ、ぼんやり景色を眺めていた優也の耳に、突然、覚えのある声が入って来た。


「おおっ!? 少年っ!!」


 元気な少女の声に釣られて振り向いてしまった。

 ロビーから病棟へと向かう廊下の一番端に、白とピンクの水玉模様のパジャマを着た、あの少女が手を振っていた。


「あ……、う……?」


 ——真っ昼間っから、幽霊っ!? しかも病院っ!?


 びびった優也は、どんどんと近づいて来る少女を凝視したまま、固まってしまった。


「おっどろいたっ!! 少年と現実で会うなんて!!」


「げ……、現実?」少女の言葉に、優也は混乱する。


「そうっ。我輩、少年は夢の中の人だと思っていたのだよ。まさかまさか、実在する人間だとは思っていなかった!!」


「——はあ?」


「あれれ? まだ気付いてないのかな? 我輩の右脚に?」


 混乱し過ぎて、少女の顔ばかり見ていた優也は、言われて改めて、少女の頭の位置がソファに座った自分と同じであると認識する。

 と同時に、少女が車椅子であることに気が付いた。

 パジャマの右脚は膨らみがない。


「……あ」確かに見たものの意味を、脳が遅れて理解する。


 トレーラーとの事故で右脚を切断してしまったという話は本当だったのだ。


 ——じゃあ、この間俺が出会ったこの()は、生き霊……?


 怖い筈の真実だが、優也はなぜか先日のような恐怖は感じなかった。

 逆に、苦いものが、唐突に胸を突き上げた。


「少年は、通院で来たのかな?」


 少女の問いに、優也はハッと顔を上げた。

 にっこり笑った顔は、『夢』の少女と変わりない。

 どう答えていいのか分からなくなって、優也は違う、と言う意味で首だけ振った。

 少女は、ふーん、と優也の顔を覗き込んだ。


「じゃ、手術かな?」


「……まあ、そう」

「親御さんがいらっしゃらないけど? いいのかな?」


 ——なんか、すげーバアさんと話してるみてえ。


 少女の言葉遣いから、優也は田舎の祖母を連想してしまった。


「あ。もしかして、我輩の言い回しが年寄り臭い、とか思っているな?」


 なんで考えてることが判るんだよ、と内心で驚きながら、優也は少女を見返した。

 少女は再び、にっ、といたずらっ子のような笑顔を見せた。


「我輩、ずっと海軍軍人だったお祖父さまと暮らしていたので、言葉グセがうつってしまったのだよ。ので、友達から頂いたあだ名が『我輩美少女』」


 まさしく、とは思うが。


「び……、美少女は、余分なんじゃ……」


 いや、確かに可愛いけど。


「何か、言ったかな?」


 わざと睨んでくる少女に、優也はなぜか顔が熱くなった。

 少女は軽く笑んで、言った。


「——我輩、これでも陸上部だったのだよ。種目は1500m。タイムも悪くなかったので、それなりに期待もされてたのだ。けれど、少年にも告げた通り、一ヶ月前に事故に遭って、右脚がこうなってしまった」


 少女は、中身の入っていないパジャマのズボンの右脚部分を摘み上げた。


「何だか……、不思議な気分なのだよ。今まであったものが無い、というのは」


 その声が悲しげに聞こえ、優也は問うた。


「その、痛く無いのか? ……辛い、とか?」


「うーん」少女は少し考えるように首を傾げる。


「痛いのは、まだ痛い。でも、辛いかと問われれば、そうだな……、そんなでも無い」


 意外な答えに、優也は「え?」と問い返した。


「だって、脚、無くしてるのに? これから歩くのだって、大変だろ?」


 と。

 少女は笑顔で片目を瞑り、チチチ、と右人差し指を立てて振った。


「現代科学、とりわけ医療は日進月歩であるのだよ少年。我輩が歩けるように、いやいや、走れるようになるのは、そんなに先のことでは無いのだ」


「は……、走る……?」


 障害者スポーツが今や盛んなのは優也も知っている。

 だが、義足を着け走れるようになるには、相当な訓練が必要だろう。

 目の前の少女は、その過酷なトレーニングにこれから挑もうとしているのか。


「何を惚けているのだ少年?」


 相当間抜けな顔をしていたらしい。

 少女は、あはは、と声を上げて笑うと、続けた。


「人間万事塞翁が馬、だろう? 難事も良き事と思えば好転する。少年の怪我も——」


 少女が言い掛けた時。


「あーかーねーっ!!」数人の女子の声が、病院の入口の方からした。


 バタバタと、高校生らしい少女達がこちらへ走って来る。

 彼女達は、『夢』の中の『我輩美少女』が着ていたものと同じ、紺地に緑と赤のチェックのベストと、共布の襞スカートを着ている。

 その時になって、優也は彼女達の制服が、自分の高校のすぐ近くにある女子校のものだと思い出した。


「調子どう?」


 仲間の少女が自称『我輩美少女』に尋ねる。


「順調順調っ!! この分だと、もうすぐにでも筋トレだよ」


「そっか。さっすが我が麗桜女子高陸上部の星っ。——っと、ところで、隣の男子は?」


 少女の素性が知りたくて、黙って聞いていたのが運の尽き。

 逃げ損ねた、と思った時には、逆に自分のプロフィールがバレた。


「あーっ!! 創英高校野球部のエース、山崎優也くんっ!?」


 真正面に立っていた、パーマのかかったおさげの女子が優也を指差した。


「いやーっ!! どーしてここにこんな有名人がっ!?」


「私、市営球場に応援に行ったっ!!」


 騒ぎ出した少女達に、他の通院患者や病院関係者が怪訝な顔でこちらを見る。


「負けちゃったんだよねー。もー、残念っ。市立東のピッチャー、ブスメンのくせにっ」


「あ……、あの、俺……、そんなに有名人じゃ……」


「そーそー。やっぱ山崎くんが一番イケメンだよねー」


 誰も聞いてない。

 本来静かにしていなければいけない病院の待合室で、どうにかしてこの騒ぎを止めなければと思うのだが、女子達は、優也の顔を見ているようで見ていない。


 受付事務員らしい制服の女性が、こちらを睨んでいる。 完全に不味い。


「あ、あのさ……」


「あー、君達、我輩のお見舞いに参じてくれたのではないのかな?」


『我輩美少女』が、友人達の嬌声を搔き消すような大声で、言った。


「病院内での大声は禁物、である。……話なら中庭でしようではないか?」


 女子高生達は教師に諭されたように「はーい」と元気よく返事をすると、中庭へ出られるドアへと向かって行った。


「済まんね、しょ……、いや、山崎優也くん」


『我輩美少女』こと、あかねは、「じゃ」と手を差し出して来た。


 優也は、あかねの手を握った。


「我輩の名は川田朱音。先ほどみっちゃん……、もとい、渡辺美波さんが言ったように、麗桜女子高等学校の三回生である。——山崎くんの手術の成功を祈るよ」


 握手を解こうとした朱音の手を。

 優也は咄嗟に強く掴んだ。


「心配じゃないのか? その……、もし、義足とか、ダメだったりしたら?」


 ——自分は、何を聞こうとしているのか?


 いや。

 優也自身が、自分の不安を朱音に押し付けているのかもしれない。


 朱音は、優也が聞きたがっている『本当のこと』を、話してくれた。


「最初は、それはそれは不安だったよ。目が覚めて、右足が無いって分かった時、泣いて喚いて暴れまくったよ。 ——けれど、お祖父さまのお言葉を思い出したんだ。「戦いで死ぬ者は多い。だが、我輩はその中で生かされた。生かされた以上、歯を食いしばっても生きなければならない。それが、人に生まれたということだ」と。

 それで決心したんだよ。我輩も立ち上がろうと。何が何でも。こんなところで絶望していてもどうしようもないんだと。やれることは、全部やってみようと」


「……強いな、川田さんは」


 優也は、ゆっくり力を抜いた。

 すると、今度は逆に朱音が優也の手を強く握った。


「我輩が強いと思うなら、我輩の強さを抜いて見せたまえ、山崎くん」


 朱音は、にっ、と白い歯を見せて笑うと、手を離す。

 器用に車椅子を回転させた。


「手術は成功するっ!! そして君は、腕を治して、またボールを投げるっ!! うまく行かなくても、それでもきっと、また投げるっ!!」


 朱音は左手の親指を立てると、友人達が待つ中庭へと去って行った。

 朱音の、揺れる長い髪を、優也は呆然と見送る。


 ——『また投げるっ!!』 か。


 朱音は正しい。

 優也は、何があっても野球が好きだ。

 中庭で友達と談笑する『我輩美少女』に、優也は自然と笑みがこぼれた。


 ******


「今日はバーガーが食べたいぞ」


 草が多少伸びた堤防の細道を歩きながら、朱音が言った。


「練習で腹が減った」


「いいよ」優也は朱音の手を取りながら、頷いた。


 不思議な出会いから二年。

 本当に偶然なことに、優也はR大へ一般性として受験して合格、朱音も障害者特待生として受験して同じ大学へと進んだ。

 猛勉強した甲斐があった、と思えたのは、入学式で車椅子の朱音と偶然再開できた時だった。


 付き合ってくれ、と、式の後に申し込んだ優也に、朱音は、「義足の猛特訓に付き合ってくれるなら」という条件を提示した。


 以来、優也は野球部の練習を終えた後、ずっと朱音の歩行訓練に付き合った。

 朱音は、病院で宣言した通り、一年で義足歩行をマスター。二年目には陸上ランナー用の義足の訓練も順調にこなしている。


 大学には特別なトレーナーが居るので、優也がしてやれることは応援することぐらいだ。

 それに、つい先日、優也は野球部の一軍ピッチャーに抜擢された。

 お互い、忙しい日々になりつつある。

 それでも、lineでやり取りし、時間を合わせてこうして堤防の道を二人で歩く。


「足、もう慣れた?」新しい義足に先日変えたばかりの朱音を、優也は気遣う。


 朱音は、いつものにっこり笑いを見せた。


「まだだ。それでも、これで走れるのだから、頑張る」


 そっか、と、優也は頷いた。

 義足は自分に合わせるまでの微調整が大変だ。しかも、馴染むまでにも時間が掛かる。

 それでも。

 何があっても。

 己の夢を諦めない朱音が好きだ。


「俺、ダブルバーガーにしよっかな」優也は藍色に染まり始めた空を見上げた。


「おっ、ずるいぞ自分だけ。我輩にもダブルバーガーを食べさせろ」


 タタッ、と、優也の前へ回り込んで来た朱音とぶつかりそうになり、優也は慌てて彼女を抱き締める。

 長い黒髪をふわりと靡かせ、朱音は優也の胸に顔を付けた。

 あははっ、と嬉しそうに笑う朱音に釣られて、優也も声を上げて笑った。

えー(汗)

これまで書いたことの無いさわやか青春モノで、結構難儀しました。

なら書かなきゃいいのに、と思いつつも、なんとなくここのところ戦闘モノがうまく進まないので、つい。

ありきたりな話で捻りも何にも無いですが、読んでいただいてありがとうございます。


次は、きっちりファンタジーを仕上げようと思っとります。

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