09話ニザヴェリルの百穴5 ……おい、そろそろ殴るぞ
メディエイターはこめかみに青筋を浮かべ、銀の瞳に剣呑な光を点して俺を面罵した。幼い顔立ちをした美少女に剥き出しの怒気をぶつけられると、さすがの俺も何かしらの性癖に目覚めそうになる。
怒りの主題は遠征の失敗で、今回の依頼は未達で終了した。ペナルティは参加者全員に科せられ、俺の懐も随分と寂しくなった。
所持金:金貨0枚
銀貨827枚(-469)
名声:176,420pt(-1,450)
序列:753位(+39)
吸血鬼を二体倒しておいてこうなのだから、討伐の報酬がなければ目も当てられなかったに違いない。戦死者は五十名を超えたそうで、ペナルティを支払いながらも俺の序列は急上昇していた。
名声値は兎も角所持金があまりに不足しており、今回もソウルやタレント、装備強度の強化は見合わせざるを得なかった。
俺のソウル量でいうと、次に1上昇させるために所持金だけでゴルドの単位を必要とする。827シリルが全財産とあっては何も出来ず、むしろ日々の生活に困る水域に達していると考えられた。
メディエイターの解説するところによれば、百穴を奪還できなかったことにより、ニザヴェリル王国は国土の実に二割をモンスターに占拠されてしまったのだという。恐るべし吸血鬼軍団、というわけだ。
怒れるメディエイターに俺が提供を求めた情報は主に三つ。まず戦死した者はどこへ行くのか。
「理解不能です」
次に、剣闘士の補充方法。
「ミッドガルド及び八王国で広く公募されています。今回は戦死者が多数出ましたから、公募だけでは足りずに強制的な徴用があるかもしれません」
最後に、序列リストが見たい。
「どうぞ」
俺は目の前に羅列された情報を隈なく読み取った。記されている上位陣の内、ほとんどは見知った名前であった。中にはリアルのプレイヤーを知る者もいる。
これは収穫と言えた。
彼らとコンタクトをとろうにも、アドレスを知らないためにすぐの実現は難しかった。まず接触から始めるために、彼らが参加すると思しき依頼に合流するか、はたまた行動パターンを予期して先回りすることが求められる。
この世界の謎を説き、現実へ戻ることを命題とするならば、他のプレイヤーキャラクターとの情報交換は何より優先されるべき事柄に思えたが、俺は敢えて遠回りをしてそれを決着させると決めた。
どうにも手持ちの路銀が少なく、この世界で今少しの時間を過ごすにも難儀するものと思われたからだ。
「あのな」
「何ですか?まだ何か話があるのですか、軟弱者?」
「金がない。何か依頼を紹介してくれ」
「Non。現在公募はありません。……あったとして、血吸い怪人に負けるようなみっともない剣闘士に紹介したくはありません」
「俺は、二体倒したが」
「何百人で寄ってたかって、全敵を駆逐できなかったのだから同じです。情けない。底辺労働者。モブ」
「なら序列上位陣も引っ張り込めば良かったじゃないか。わざわざ序列三桁番を中心に集めなくても」
「恥を知ってください。自分たちの手で解決できないからといって、直ぐに他人様を頼る。それでもオーディン様の剣闘士ですか?惰弱極まりない。寝言はヘルヘイムの女王に永遠に寝かされてから言いなさい」
「……他のプレイヤ……剣闘士にも、君はそんな態度なのか?俺が紳士だから良いようなものの、そんな様子じゃすぐに喧嘩になるぞ」
俺の嫌味がさらに機嫌を損ねたか、メディエイターは美しい少女然としながらにチッと強烈な舌打ちをかましてきた。
「私はあなた専属のメディエイターです。好きで選ばれたわけではありませんが、弱者筆頭のあなたを鍛え上げるしかないのです。ああ可哀想な私」
「……?マイルームはここ一室しかなかったように思えたが?」
「部屋の中は多重次元に繋がっています。他の剣闘士も同じ空間の別次元で、それぞれ担当のメディエイターと面会しているのです」
「そうか……。俺にロリコン趣味はないんだが、メディエイターの顔面偏差値にだけは恵まれたってわけか。性格は腐っているかもしれんが、多少は我慢しよう」
「私の職務ですから。恵まれている点が皆無とはいえ、投げ出すわけにはいきません。顔も、能力も、やる気もない三ナイ人間が相手でも、万全を尽くします」
「……おい、そろそろ殴るぞ」
「殴ったら、名声値100,000pt引っこ抜きますから」
物騒な返しを受けてげんなりし、俺はマイルームと城を辞去した。
公募以外の依頼は個別に探さねばならないらしく、この辺りはゲーム中のメディエイターよりサポート範囲が狭い。現実であれば、プレイヤーにはゲームに費やせる時間の限界があるため、大方の依頼は条件指定の上メディエイターがリストアップしてくれる。
どうせ依頼をこなすなら、ニブルヘイムにオードリー女王の顔でも拝みに行くか。
そう思いつくと、少しだけ元気が湧いてきた。絶世の美を有する、高慢な女王。
こちらのメディエイターがゲーム中の無機質なキャラクターより造形美において遥かに優れている点からして、オードリーの容姿にはますますもって期待できる。
リルハにせよシャーリーにせよ多分に漏れず美女であった。もしかするとプレイヤーの願望が最大限に反映されて、この世界の女性の外見は須らく最大値で形成されているのかもしれない。
人間の生理もそのまま採用されているようだし、ことによるとオードリーと仲良くなれたりするのではないかと、彼女に寄せる思慕が俺の中で勝手に膨らんでいった。
俺のソウル量は百穴から帰還した時点で一割強減少していた。腹も空いていたので、回復目的がてら西の露店市場へと足を運んだ。
10シリルも出せば定食屋で食事とソウルの小回復が済ませられ、連続した来店こそ制限されているものの当面の行動に差し支えはなくなった。
ソウル:343(+35)
所持金:金貨0枚
銀貨817枚(-10)
魚の煮物と野菜炒めの定食は妙に現実味があり、味付けもいい塩梅であった。舌鼓を打った俺は、ヴァルハラでニブルヘイム行きの依頼を受けるか、はたまたニブルヘイムの王都ノルンまで顔を出して、そこで依頼を探すものかと思案した。
何気なくすれ違う市民に目を向けると、十人十色、皆が違った顔立ちや服装・体型をして、それぞれ異なる会話や仕種を再現している。これらをゲーム中のノンプレイヤーキャラクターだと断じるには、コンピューターのCPUやらAIやらの性能がどうにも現実的でないように思われる。
試しに一人、話し掛けてみることに決めた。
そんな行動に出たのは思い付きからであったが、何が起こるものかと少しの期待もあった。商人や依頼主のようにゲーム上で役割を与えられているキャラクターと違い、いわゆるモブキャラクターには定型文以外のコメントが用意されていない。
少なくとも「オーディン・グラディエイター」において、一般市民のメッセージウィンドウには選択肢など現れず、言葉のキャッチボールをする場面は想定されていない。
「こんにちは。ちょっと、いい?」
俺が声を掛けたのは若い女性で、白いワンピース姿に緑草を編んで作られた額冠のよく似合った利発そうな子だ。
「はい?」
「俺は剣闘士のサラシナ。実は女の子向けのアクセサリーを探していて、どこか流行りの店を教えてくれないか?予算は100シリルくらいで、君の着けているような可愛い髪飾りが欲しいんだ」
「……へえ。ナンパかと思った。いいよ。その女性、髪は何色?」
俺は一瞬考えた。特に誰と言う想定があったわけではなく、まず浮かんだのはオードリーの金髪で、そこからリルハの美麗な金髪が連想された。
「……金色。綺麗な、流れるような金の長髪だ」
「あっ、それ美人系だ。銀細工が絶対似合うよ。ミス・ベッキーのお店にこの間新作が入ったんだ。あたしはほら、茶色の髪だから合わなくて」
「銀細工か。予算、足りるかな?」
「100きっかり?」
「手持ちは827。この後ニブルヘイム王国に渡らなくちゃならないから、すっからかんは困る」
「了解。せめて200以内には収めて見せるよ。ついて来て」
「頼む」
「私はエマーリエ。よろしくね、サラシナさん」
港で乗船手続きを済ませた頃には日も沈みかかり、空と海が一面茜色に染まっていた。
ニブルヘイムまでの船賃が20シリルと、銀細工の簪が190シリル。それにエマーリエとのお茶代が15シリルかかり、いよいよ財布の底が見え始めてきた。
所持金:金貨0枚
銀貨592枚(-225)
結局ヴァルハラで依頼を受けることは叶わず、無計画にニブルヘイムを目指すこととなった。通常のプレイでは頻繁に訪れているものの、こうして世界に血肉の与えられた今、かの王国がどういった風情であるのか一抹の不安が残る。
設定上、八王国は独立国家となるが、ミッドガルドとの間には明確な主従関係が存在していた。オーディンが神であるのに対し、八王国の国王は「神族」という一段下の扱いとなっていた。
対モンスターの有事には、ミッドガルドの剣闘士が救援という名目で各王国に派遣されるというのが基本路線だ。
八王国もノンプレイヤーキャラクターとしての私有戦力を擁するのだが、はっきりいってプレイヤーキャラクターのサポート役がせいぜいで、吸血鬼やグリフォンといったボスモンスターを相手に戦えるレベルにはなかった。
比較して、有志の剣闘士が結成した「騎士団」は戦闘力が高かった。それは後から仕様が追加されて公式となったシステムであるが、加入に際し厳しい条件設定のあるため、当然の成り行きだ。
俺は未だニブルヘイムの騎士団入りを果たせていないのだが、巷で噂されているハードルは序列1,000位・ソウル250・武器のタレントレベル8といったところで、それらを凌駕したパラメータを有している。これで俺は全剣闘士の中で「上の中」くらいの戦闘力は持ち合わせており、このままこの世界で生きていくと仮定したならば、それなりの功績を残せる自信もあった。
漁船に毛が生えたような安普請の客船を選んだので個室などはなく、俺は甲板にうずくまって航海の労苦に耐えていた。金さえあれば、もう少し揺れない船をチャーターできたのだろうが、ここでそれを口にしても始まらない。
徐々に頭がくらくらしてきて、吐き気は飛躍的に増してくる。この苦痛がヴァーチャルであるのなら、もはやリアルとの境はなくなったと言って差し支えない。
リルハ。俺はもう少しだけ頑張ってみるよ。
その呟きは波へと飲まれ、あっという間に大海原に霧散した。
波と風へ悪態をつく他にやれることもなく、寄港まで後は堅忍不抜の精神で凌ぐだけであった。