06話ニザヴェリルの百穴2 聖都のメディエイター
そこだけがまるで世界の位相を異としたかのような、電脳感溢れる作りになっていた。
ヴァルハラの城内に位置するマイルームはファンタジー世界のイメージにありがちな石や銀製の建て込みではなく、完全なる闇に覆われた室内を白光の線が十重二十重に走って無限とも思える升目を形成していた。その中央に全天型のコックピットらしき球体をした機械が浮かび、中にはヘッドセットを装着した銀髪の少女が収まっている。
メディエイターと呼ばれる、ゲーム内の総合オペレーターである。
「……総じて理解不能ですね。ですが、ニザヴェリルの百穴へは向かうことをお勧めします。本日現在のあなたの序列は792位ですので、義務が生じます。今夕までに800位より下にランクダウンすれば免れますが、現実的な選択ではありません」
「だから。依頼の強制なんて規則にはなかったはずだ。そもそも、ログイン出来ない事情なんていくらでもあるだろう?俺だって出張やら接待やらでイベントを諦めたことくらいある。ニートでもない限り、誰だってそうさ」
「Non。言っていることが理解不能です。全ての剣闘士は序列により恩恵を受け、序列により義務を負います。主神オーディン様が提唱せし、ノブレス・オブリージュの原則に従っているのです」
「話にならん。……俺以外のプレイヤーにアクセスがしたい。メッセージを送る。検索してみてくれ。Star☆ベイダーとか、シャンバラ大佐とか。乾杯猫娘でもイカリング・ナイトでもいい。頼む!」
半ば錯乱気味に、俺はメディエイターへと懇願した。現状を如何に説明してもメディエイターは「理解不能」を繰り返すだけで、根本的な解決には至らなかった。
それでも、この空間の「ゲームらしさ」はやはりヴァルハラの中で突出しており、メディエイターにだけはすがりつくのを止められなかった。
十代半ばの少女に見えるメディエイターは、ゲーム中と同じくポニーテールに括られた銀髪に銀の瞳、異常に白い肌という無機質な容姿をしており、黒で統一されたゴシックロリータ・ファッションで小柄な身を包んでいた。職務であるオペレートを淡々とこなす様はプレイヤーの保護欲をそそり、リアルでは八王国の女王に比肩する人気を博していた。
だが、今の俺にはメディエイターの冷静で機械的な対応が鼻につき、あらゆる返答に噛み付きたくなる欲求を抑えきれないでいた。
「今挙げられた何れの剣闘士のアドレスも保有していないようですが。あなたがアドレス保有しているのは、リルハとミナミ・ミナミの二名のみです」
「アドレス?……あのアルファベットと数字の妙な羅列か?そんなもんじゃなくて、プレイコードはどうした?ベイダー……沢崎とはリアルでも繋がっているんだ。奴らのプレイコードを消去している筈はない」
「Non。理解不能です。他の剣闘士と連絡を取りたいのであれば、アドレスに記載された居住地を訪ねるか、偶然遭遇する以外にありません」
「なら俺のアドレスとやらはどこにある?見たことも聞いたこともないぞ!」
「あなたがアドレス設定をしていないからです。邸宅所有はありませんから、よく使用する旅亭やホテル、酒場などを設定すれば宜しいかと。言っていただければ設定します」
「なあ……本当に、俺が現実に戻る方法を知らないのか?これはテストプレイの類じゃないのか?」
「理解不能です。過度な錯乱状態を確認。それと、異常な興奮による脈拍の上昇が見受けられます。必要であれば診療所を紹介しますが」
「……必要ない」
「差し出がましいことを申し上げますが、今ここで公募への参加を決定してください。先の依頼を完了した後、あなたは所持金と名声値を自らの成長に割り振られませんでした。その態度に公募の参加拒否が続くと、主神の印象を悪くする恐れがあります。序列の急降下を招きかねませんので、どうかご決断を」
心が折れるというのはこういう状態を指すのだろうか。
メディエイターに主張の悉くを否定された今、俺は確実に気力を失いかけていた。それでも腹は減り、朝から飲まず食わずだったせいなのだが、そういった生理現象のあることが酷く俺を憂鬱にさせた。
それはつまり、ここがもう一つのリアルであるということを意識せざるを得なくなるからだ。
所持金が心許ないので、西の露店市場で定食屋を冷やかすことにした。ゲームをプレイしている時とは違い、料理の趣向やら過ごし易さやらを吟味した。
どの店も一人前10シリルに固定されているので、その設定に関しては親切だと思えた。昨晩は性懲りもなくホテルに泊まってしまい、合わせて310シリルを消費したことになる。
所持金:金貨1枚
銀貨282枚(-310)
夕方以降は遠征の途につくことから、取り敢えずは金貨を取り崩す心配はなかった。
依頼を受けると決めた以上準備は万端にせねばならないわけだが、先の古戦場の依頼をノーミスでクリアしたために、所持アイテムの補給は必要がなかった。回復薬の類は所持上限である3個ずつを揃えており、定宿のホテルは高級なこともあって水や保存食を一定量持たせてくれた。
気掛かりな点として、メディエイターにも問い詰めたが、俺以外のプレイヤーが存在するのかどうかという問題がある。
旧知のプレイヤーが俺と同じ状況に陥っているなら、是非とも合流して共に対策を立てたいところであった。この世界にプレイコードが存在しない点は諦めるとしても、プレイヤーキャラクターの存在しない証拠はまだ見つかっていない。
そういえば、メディエイターにプレイヤーズランキングを見せてもらうのを忘れていた。序列上位に位置する剣闘士の名はほとんど記憶しており、その中にはゲーム中やリアルを問わずやり取りをしている者がいた。
もう一度城へと戻るのは癪だったので、次回に検索すると誓って、取り敢えずはリルハのアドレスを紐解いた。
メディエイターにアドレスの読み方を教わっていたので、それに倣ってヴァルハラの市街を歩いてみた。
オーディンの城を中央に据え、東西南北を市場が取り囲んでいる。港湾地区は西の市場の外れにあたる。
アドレスに従うと、西と南の市場の中間、それもヴァルハラの外縁寄りにリルハの居住地はあるようだ。
日中から完全武装をしていては暑苦しくて我慢がならなかった。そういえばシャーリー・テンプルも軽装でBARを訪れていたし、剣闘士もプライベートでは意外とお洒落などを楽しんでいるのかもしれない。
脳内で装甲を外す処理を選択すると、これまた不思議なことに一式がきれいさっぱりと消え失せた。瞬く間に俺は短衣姿となり、見た目にも身軽になった。
手持ちの荷物袋に収まる所持金やアイテムもそうだが、どうやらゲームと同じように戦場マップ以外では所有物の重量や存在が負担にならない仕様らしい。これは実に便利だ。
歩くにつれ、どうにも景観が宜しくなくなって来ていると感じた。都市の外縁部に近付くにつれて建物は目に見えて粗雑になり、無駄に生い茂る樹木が光を遮り始めた。
市場を歩いていた市民は姿を消し、どうにも食いっぱぐれたような老人やこども、それとガラの良くない剣闘士らしきごろつきがそこかしこにたむろしていた。
あのエルフがこんなところで暮らしているものかと思うと、少し背筋が寒くなった。
「おい、兄ちゃんよ」
やはり来たか。ごろつきが三人、敵意を隠しもせずに堂々と喧嘩を売ってきた。空かさず先頭の髭面のパラメータを確認する。
バディントン(オーディンの剣闘士)
種族:人間(男・34歳)
剣闘士タイプ:斧戦士(ソウル:149)
装備:鋼鉄の斧+1、鋼鉄の甲冑+1
タレント:斧
トレジャーハント
格闘技
序列:9,255位
ただの雑魚だ。ふざけるんじゃないよ。
プレイヤーキルのルールとして、「オーディン・グラディエイター」では一対一以外の対戦を認めていない。そしてチャンスとしては依頼の最中、フィールドマップ上だけが該当するはずだが、どうやらこの世界では日常においても許されるらしい。
現実でいうところの闇討ちが成立するというわけだ。
前者、一対一の理念だけは生きているらしく、斧戦士が下剋上宜しく一人で俺に突っ掛かってきた。対抗せねばと武装を意識すると、いつの間にやら俺の手には剣が収まり、装甲一式も装着されていた。
喧嘩を売られたからには容赦はせず、俺は圧倒的な実力差を見せつけようと斧戦士に撃ちかかった。二発を決めた時点で相手のソウルが半分を切り、俺に1ダメージすら与えられない点に恐慌を来したか、三人組は這う這うの体で逃げ去った。
所持金:金貨1枚
銀貨296枚(+14)
格下の挑戦を受ける側に、プレイヤーキルでの名声値の増加はない。その代わり、撃退した際に相手から一定の所持金を毟り取ることが出来た。この額からして、今のごろつきが金に困っていることは疑いようもなかった。
なんだかんだ言って、俺はこの世界では強者の部類にあるのだと改めて実感した。
今のごろつき共がどこをどう見て勝てると踏んだのかは謎だが、俺を格上と知って挑んできたことは間違いない。要するに、俺はこれで多くの剣闘士から狙われるべき位置に立っているというわけだ。
少しだけ気を良くして、目当ての集合住宅まで大股に歩いた。
そこは木造建築二階建ての典型的なアパートで、ヴァルハラの中心区画の街並みからは想像も出来ないあばら家と言えた。
「あっ……サラシナさん!ようこそいらっしゃいました。狭くて汚いところですが……どうぞ」
リルハは一階右奥の部屋に在室で、言葉通りに一部屋だけの狭い室内に俺を招き入れてくれた。部屋の隅には布団がきれいに折り畳まれており、洗濯物は窓外に干してある。
エルフだというのに妙に生活感のあることが可笑しくて、俺はくすりと声を上げてしまった。
「あの、何か……?」
「いや。質素な暮らしぶりなんだな、と思って。エルフって森の中とかで優雅に生活しているイメージがあったから」
お茶を出してくれたリルハは顔を真っ赤に染めて俯いてしまった。
「その、私の序列で贅沢はできませんから……。パーティーに入れてくれる方も、そうはいませんし」
「ミナミは友人ではなかった?」
「ミナミさんともあの依頼がはじめてなんです。依頼を受ける場にたまたま居合わせて。……二人とも魔術師タイプでしたから、サラシナさんが加わってくれて本当に助かりました。その節は有難うございました。」
こうまで感謝されると悪い気はしなかった。これが現実世界であれば生活援助の一つも考えたいところであったが、ミッドガルドにおいて所持金や名声値を譲り渡すことは不可能とされている。
可能な支援策としては、俺がそうしたように報酬分割の際に自身の取り分を放棄することや、フィールドマップ上で得たアイテムの所有権を放棄して相方の実入りを増やすことが挙げられる。
ここで一つ、思い浮かんだ疑問をぶつけてみた。
「あのさ、変なことを訊くけど。俺はどういった経緯でリルハたちとパーティーを組んだのだっけ?ちょっと記憶が曖昧でね」
「……はあ。私たちが依頼を受けてすぐに、サラシナさんもあの商人のところに顔をお出しになられて。それで一緒に行こうとなったのですが、現地に着かれてからご気分が優れないと横になられて……」
「……なるほど。そこは繋がったよ。ありがとう」
ミナミから暴言を吐かれて、その当たりでログインというかこの世界に転移したことは記憶に新しい。
俺はリルハとひとしきり雑談を楽しんだ後、ふと思いついて彼女をニザヴェリルの公募依頼へと誘ってみた。
彼女のレベルに対して苦しい依頼ではあっても、得られる報酬は彼女の生活を楽にさせること請け合いであった。道中は俺が守ってやればいいわけで、そこはそれ元序列三百番台の自信もあった。
夕刻、出発の時を迎え、俺はリルハと連れ立って港湾地区から船出した。
行先は女王シギュンの治めしニザヴェリル王国であった。