05話ニザヴェリルの百穴1 BARでシャーリー・テンプルと出会う
BARのカウンターで一人酒をあおっていると、いずれ隣のストゥールに腰掛けた美女から話を振られるのではないかと期待が膨らむ。そうして会社の愚痴など会話している内に酒は進み、もう一軒、そして遂にはタクシーへと一緒に乗り込む。
そんな夢想は大概裏切られるわけで、現実の俺の隣に美女など影形もなく、それどころかカウンターに他の客は見当たらなかった。俺はちびりと蒸留酒を口にするが、胸は熱く焼かれども一向に酔いが回ってこなかった。
アルコールが効かないのは、気分の問題だ。
背中からはボックス席に陣取るカップルの小さな嬌声が聞こえ、対して前方のマスターは黙ってグラスを拭いていた。
俺は一人だった。真に一人だ。
よく磨かれた黒光りのするカウンター上に、重厚感あるクリスタルの四角い花瓶が飾られている。挿されているシンプルな花よりも、花瓶に映る俺の顔にこそ注目すべき事情があった。
よく見知った俺の顔。目鼻立ちはわりかしシャープで、まだ髪にも腰があることから二十八という年齢以上に若くみられがちだ。
見る人によっては「覇気は感じられないけれどそこそこ美男子」だとか、「存在感はあまりないけど、よくよく見ると多少は整っている」といった微妙に好意的な感想を寄越してくれる。
「サラシナさん。良いのですか?」
「何がだい?マスター」
「昼に市場ですれ違った馴染みの剣闘士が、明日大きな公募があるって言っていましたよ」
「……なんだろうな」
「二日酔いで欠席なんて、メディエイターの雷が落ちるのと違いますか?」
「ヴァルハラの、メディエイターね……」
おれがヴァルハラに来てから、もう四回目の晩を迎えていた。
結局、寝ようと何をしようと夢から覚めることはなく、こうして所在なしに酒をかっ食らっていた。現実の俺はやけ酒など数えるほどしか経験していないが、ヴァルハラでは三晩連続でこうして暴飲に励んでいた。
所持金は減る一方であった。あれからホテルに二泊とBARに三度入り浸り、そうして日中はあてもなく市場をぶらついて定食屋などに世話になった。
所持金:金貨1枚
銀貨592枚(-970)
銀貨は底が尽き掛けており、虎の子の金貨とて1枚があるのみである。
これには理由があり、俺のように序列三桁番台のプレイヤーは、金貨を二桁枚数所有しているのが平均だと思われる。ところが、俺はタレントを鍛えるのに過度に通貨と名声値を注ぎ込んでおり、その結果手持ちの路銀が心細い有り様となっていた。
財布の中身が寂しくなりつつあっても、俺はまだ現状を全面的に受け入れてはいなかった。その理由が花瓶に映った顔なのである。
剣闘士のキャラクターをメイキングする際、こと外見においてプレイヤーの意思が反映される度合いは少ない。髪型や髪色、体型において大雑把なテクスチャを選択する程度のもので、種族や剣闘士タイプ、装備品と掛け合わせても特段個性が際立ったりはしない。
だが、今の俺の顔は見紛うことなく現実そのままで、ゲームキャラクターのそれではなかった。疑ってかかれば身体つきもそうで、背は元来高く、筋肉量はいいところ一般的なサラリーマンと同程度だ。
理由など何も分からないが、俺は現実世界の肉体・記憶と連れ立って「オーディン・グラディエイター」内のこの場に存在しており、それでいて能力・設定は全てゲーム上のパラメータに依存していた。
こんなカオスな状態を現実と呼べたものか。真面目な話、助けてほしい。
ふざけるんじゃないよ。
「あ、シャーリー・テンプルさん。いらっしゃいませ」
来店客があり、マスターと顔見知りのようで挨拶は軽快であった。
「マスター、来ちゃった。……カウンター、借り切りじゃないわよね?」
「違いますよ。でもシャーリー・テンプルさんがお座りになれば、今夜の繁盛は間違いなしです」
「お上手なんだから」
カウンターに着いたのは、肩までの赤い髪を内側にカールさせた二十歳前後と思しき若い女で、フリルの付いた白いブラウスと黒の膝丈スカートというシンプルな着こなしが端麗な容姿を引き立てていた。店内の薄明かりでもはっきりと分かる目鼻立ちの整った美女で、長い睫毛や清涼な瞳は見ていて引き込まれそうになる。
まさに造形美の見本と言えた。
俺の視線に気付いた女が、白い歯を見せて快活な笑みを寄越してきた。黙っているのも失礼に当たろうと、俺は軽く会釈を返した。
「シャーリー・テンプルさん。こちらはサラシナさんです。同業者ですよ。サラシナさん、ご紹介します。シャーリー・テンプルさんです。常連さんなんです」
マスターが双方を紹介してくれたことで、女ことシャーリーがストゥールを二つ分左に詰め、一席隔てた隣に移ってきた。
「はじめまして。シャーリー・テンプルと言います。マスターはああ言っているけど、大酒飲みってわけではないの。剣闘士たるもの、情報収集は大事だから」
「了解した。俺はサラシナと言う。酒は好きだ」
まるで映画のワンシーンのような会話を交わしたものだが、明らかに物騒な点が目に留まった。垂涎のくびれを持つシャーリーの腰には、顔と服装に似合わぬ長剣が差さっていたのである。
俺は「オーディン・グラディエイター」プレイヤーの職業病とでもいうべきパラメータ検索を実行した。これだけは、この四日間でも欠かしていない。
シャーリー・テンプル(オーディンの剣闘士)
種族:人間(女・19歳)
剣闘士タイプ:召喚士(ソウル:314)
装備:鋼鉄の剣+4、革の軽装甲+4、<幻日>、革のブーツ+3
タレント:Unknown
序列:370位
タレント情報がUnknown。俺は右隣りのシャーリーを見た。
シャーリーは紅玉の瞳でこちらを真っすぐに見返してきた。
「フフ。プロテクションはね、相手がパラメータ検索をかけてきたかわかるの。タレントサーチで破られたときも判別できるから、意外と便利だったりして」
「……なるほど。無粋で悪かった。つい癖で」
「それはお互い様。序列三桁番目は何かと苦労が多いから」
「プレイヤーキルが一番盛んなランクだからな。君も絶えず周囲を警戒してる口か?」
「プレイヤー……キル?なあに、それ?」
「……何でもない。こっちの話だ」
プレイヤーキル。すなわちここがゲームの中だということを示すワードにはやはり反応しなかった。この質問もこの四日間でひたすら試したものだが、誰一人としてここが仮想空間であると認めた者はなかった。
シャーリー・テンプルというのはアメリカで有名な子役女優の名だが、日本ではカクテルのネーミングとして認知されている。ジンジャーエールにざくろのシロップを加えるというのが一般的なレシピで、ノンアルコール故に女性が好んで飲むカクテルだ。
そのことからも、彼女のプレイヤーは女性であることが想起されるのだが、少なくとも目の前で不思議がる所作に嘘偽りはないように思える。
翻って、シャーリーのキャラクターは序列以上に警戒に値した。
タレントを非公開とするタレント・プロテクションを身に着けており、これにより彼女の闘法や実力は判然としない。さらには装備欄の<幻日>である。
「ヘルヘイムの騎士と出会ったのなんて久しぶりだ。あそこの女王は強面だからな」
「サラシナさんはどこの王国派なの?セオリー通りにオードリー=ニブルヘイム?」
「正解だ。あと、サラシナでいい。俺もシャーリーと呼ばせてもらう」
「了解。でもやっぱりね。男の人は皆ああいうの好きよね。ゆるふわな見た目と、ギャップのある気高い言動。でも実は心優しそう……みたいな」
「永遠の憧れ、だな」
「見たところ、ニブルヘイムの騎士にはなっていないのね?」
「資格がないだけさ。序列三桁といっても、俺は792位で君には及ばないから」
ミッドガルドの外に領地を有する八王国にはそれぞれ女王が君臨しており、その信奉者たちが結成するゲーム内の公式ファンクラブを「騎士団」と呼んだ。騎士となるには幾つかの資格が必要とされ、だいたいは女王の課す依頼を一定のレベルまでこなさないと与えられない。
俺が好き好んで逗留するニブルヘイムの騎士団加入には、オードリーの七獄試練と呼ばれる依頼を五つ目までクリアすることが最低条件であった。
晴れて騎士団の一員として認められると、剣闘士には女王より褒美として王具と銘打たれた武具が下賜される。それは各王国の特性に応じた武具で、シャーリーの装備する手甲には「幻」という文字が見られ、ヘルヘイムの象徴である「死と幻」を体現しているものと推察された。
ニブルヘイムであれば「氷」であり、その名を冠した装備が見当たらないため、シャーリーは俺を騎士でないと指摘したことになる。
序列の話は少々生臭いので、俺はマスターから聞きかじった公募に関して話を振ってみた。
「明日、大きな公募があるんだって?」
「……そんなことも知らないで。サラシナはどうやって生活しているの?ニザヴェリルの百穴で集団の吸血鬼が見つかったそうよ。大規模な討伐隊が編成されるわ」
「大規模って、百名くらい?」
「もっとよ。吸血鬼も五体や六体じゃないって」
「もっとって……吸血鬼相手じゃ、序列四桁はきついだろうに。三桁番台で百名以上なんて、そんなにアクセスが集中したりは……」
シャーリーが目を丸くしたので、俺は口を閉ざした。固定イベントにどれだけアクセスが集まるかなどという話は、今ここでしても始まらない。
それにしても、吸血鬼とはでかい獲物だ。俺が勲章を持つグリフォンほどではないにせよ、中級から上級にかけてのプレイヤーとて苦戦必至のモンスターで、雑魚とは違い集団で臨むのが基本線となる。
それが複数体同時の攻略となれば確かに百以上のプレイヤーも必要になろうというものだし、おまけに序列上位の参加は不可欠だ。
「シャーリーは参加するんだな?」
「呆れた。早くメディエイターに会ってきた方が良いわよ?明日の夕方には編成が固まるっていうし、それまでに顔出すことをお勧めするわ。サラシナは序列792位でしょ?」
「ああ」
「なら今回サボタージュしたら、名声値をごっそり持っていかれるわね」
「何だって?イベント参加は強制じゃないだろう?」
「イベント?今回の遠征、序列300位から800位以内で別の依頼と重複してない者は参加必須なんだから。命令違反の罰則は、名声値を規定値から二割引かれるの。そうね、貴方の序列基準からすると、さしずめ30,000ptってところかしら?」
「30,000?30,000ptだと!」
「それだけあれば、ソウルもタレントも武具も随分鍛えられるわよね。それどころか、引かれた途端に序列が四桁番台へ突入しちゃったりして。そうなりたくなかったら、飲んだくれてないで大人しくお城へ行ってきなさい」