02話プロローグ2 覚醒・古戦場
「おい、起きろ!フニャ●ン!」
その暴言は既に三度目で、我慢の許容範囲を超えていた。
俺は勢いよく立ち上がると、ふわふわ浮いている妖精を鷲掴みにし、どんな仕返しをしてやろうかときつく睨みつけた。
妖精を、鷲掴み。
自分がしていることの意味を冷静に考えた。俺、佐藤更科は右手で妖精を鷲掴みにしている。そこまでは分かる。しかし、自分の手は銀色をした手甲に覆われていた。
これは、何だ。
「話せ、フニャ●ン野郎!」
手の中で騒ぎ立てるこいつは何だ。掌中に収まる程の小人の女性で、背中からは蜻蛉のような透明の羽が生えている。こうして俺が握り潰していて、羽はもげたりしないのか。
というか、ここはどこだ。
「あの……ミナミさんが、可哀想かと……。突然倒れたあなたのことをひどく心配されていましたし、離してあげた方が……」
両耳の先端が尖った金髪の美女が、おずおずと俺に進言してくる。萌黄色の短衣の上に、見た目からして金属とは違う軽装甲を申し訳程度に纏っていた。弓と矢筒を背負っているが、もはや頭の中が混乱しており突っ込みの精度も鈍くなる。
つまり、これがエルフというわけか。何だこれは。
俺は一体どうしてしまったんだ。
取り敢えず手中の妖精を解放した俺は、改めて周囲を見回した。
曇り空の向こうには太陽が見え隠れしているのだが、その数が明らかにおかしい。目の錯覚か、太陽は三角形で、都合三個が浮かんでいた。
振り返ると、そこには見渡す限り乾燥した土の平原が広がっていて、底冷えのする空気があたりを占めている。正面には、どこかで見たことのあるような折れて半分になった石柱と瓦礫の山。
古戦場。
俺の頭の中に直接その名称が浮かんできた。そう、ここは古戦場だ。
ニブルヘイム王国の南端にかつて存在した、セントレイ城の廃墟を中心に構成されたフィールドマップ。アンデッドの巣。
初級者の頃はよくここに、スケルトンを狩りに来ていたものだ。
そういうことか。
俺は自分が今「オーディン・グラディエイター」のニブルヘイム王国らしき世界の一員としてここにいるのだと理解する。
自分の体を確かめると、確かに普段セットしている銀の軽装甲と手甲を着込んでいて、足には革のブーツを履いている。これらは剣速を重視した俺の一張羅であり、腰に差した銀の剣は強度強化をそれなりに施した愛用の武器だ。
どういった理屈かは分からなかったが、意識すると自分のパラメータが脳内に展開される。
サラシナ(オーディンの剣闘士)
種族:人間(男・28歳)
剣闘士タイプ:魔剣士(ソウル:355)
装備:銀の剣+5、銀の軽装甲+3、銀の手甲+2、革のブーツ
タレント:剣(レベル:16)
汎用魔術(レベル:7)
格闘技(レベル:10)
サバイバル(レベル:9)
所持金:金貨1枚
銀貨1,771枚
名声:176,240pt
序列:792位
勲章:従軍徽章<グリフォン>
間違いなく、俺のプレイヤーキャラクターそのものである。
九分九厘夢だと断言できるが、今の俺は佐藤更科ではなくサラシナとなっているし、「氷結の薔薇」を取りに来ている設定だということも疑いなかった。
目覚める方策を探すか。それともこの状況に流されてみるか。
答えは後者だ。
何といっても面白そうだし、夢であればさして問題はないものと思われた。
肩に掛かっていた革製のナップザックこと荷物袋の中身を確かめると、水や携帯食料、回復薬(と思しき見た目の小瓶だ)、ロープにナイフといった実用的な品々が覗いた。これこそが「サバイバル」のタレントに資本を投下した成果なのかと、現物を見て胸が熱くなる。
「おい、フニャ……」
「ふざけるんじゃないよ。次にフニャ●ンといったら、お前を殺す」
俺は容赦せずに言い放った。
流石にフェアリーは口をつぐみ、エルフがおろおろと慌て始める。俺は女からフニャ●ンなどと呼ばれて黙っていられる性分ではなく、おまけにこいつは俺と同様元はプレイヤーの筈なのだ。
「オーディン・グラディエイター」ではプレイヤーキル、すなわちプレイヤー同士の殺し合いが認められていて、一説にはこれのあるために会員数が伸び悩んだとも言われていた。依頼でパーティーを組む度に殺伐とした空気が漂い、絶えず背中に注意しなければならないというのは案外きついものだ。
ただし、序列で上位のプレイヤーが下位のプレイヤーを攻撃するのは御法度で、これをやると名声値が大幅に減少してしまう。つまり、下位プレイヤーが上位陣を食うという下剋上が奨励されていると見るべきなのだ。
ふと気になることがあり、目の前の二人をじっと観察してみる。といっても直感で試しただけなのだが、やはりというかパラメータが頭の中に飛び込んできた。
リルハ(オーディンの剣闘士)
種族:エルフ(女・22歳)
剣闘士タイプ:弓闘士(ソウル:204)
装備:銀の弓+1、籐の軽装甲+2、リストバンド、木の靴
タレント:弓
精霊魔術
隠密
サバイバル
序列:1,901位
ミナミ・ミナミ(オーディンの剣闘士)
種族:フェアリー(女・16歳)
剣闘士タイプ:魔術師(ソウル:238)
装備:なし
タレント:上級魔術
汎用魔術
空中浮遊
序列:2,144位
二人ともソウルの値からして中級の手前で、まだまだヒヨッコに毛が生えた程度の剣闘士である。
ソウルというのはプレイヤーキャラクターが持つ生命力の総数で、敵の攻撃を受けたり魔術や特殊技能を使用したりする度にこの数値が減少していく。数字の現在値はキャラクターの攻撃力や防御力、命中や回避の確率とも相関関係にあり、ソウルが巨大な剣闘士イコール上位のプレイヤーと見て差し支えない。
俺の355に対してエルフのリルハが206、フェアリーのミナミ・ミナミが238ということは、必然的に俺がこのパーティーを牽引しなければならないことになる。
「さて、古戦場に突入するが、未経験者はいるのか?」
リーダーよろしく声を掛けてみた。ちなみに実際のゲームではもう少し丁寧なタイピングを心掛けている。
実際のゲーム、という言い方に違和感が残るが、これは仕方ない。
リルハとミナミ・ミナミは黙って挙手をした。
「二人共、初物か……」
「すみません……。ニブルヘイムを訪れたこと自体初めてでして」
「ニブルヘイムが初めて?オードリー女王の試練を一つもこなしていない?」
「はい……」
リルハは済まなそうにして返事をする。これは驚きであった。
オードリー女王はその愛くるしい外見と門地からくる高慢さが受けて、俺のような男性プレイヤーのファンを多く獲得している。ニブルヘイムは八王国において一番剣闘士の来訪者数が多く、特に「オードリーの七獄試練」と呼ばれる依頼はオードリー信奉者にとって必須のミッションと化していた。
「あたしは試練やったぞ」
ミナミ・ミナミが小さな体で偉そうにふんぞり返って見せた。
「どこまで?」
「氷狼の洞窟」
「……一つ目、だな。初心者のオリエンテーションにぴったりの依頼だ」
「あんたはどうなんだ?フニャ……」
「俺の名はサラシナだ!」
「どうなんだ、サラシナ?」
「ヴェルゲルミルの泉の洗礼まではクリアしている」
それは七獄試練の四段目で、これを攻略できるかどうかで中級者の線引きによく喩えられた。ちなみに五つ目の依頼にはそろそろ挑戦しようかと思っていたところで、前評判では俺のソウル量であれば問題なく完遂できるという。
「まあいい。ここはスケルトンとグールの巣窟だ。瓦礫や柱の陰から襲い掛かってくるが、さほどスピードはない。警戒していれば、余程のことがない限り先手を取れるだろう」
「……アンデッドモンスターには、物理攻撃が効き辛いですよね?」
「そうだ。だから武器への魔術付与が必要になる。俺は自分で剣を強化するから、君は精霊魔術を行使するかミナミ・ミナミに付与して貰うんだ」
リルハは頷くと、背中に背負う弓矢に風の精霊の加護を付与した。
精霊魔術であれば、地・水・火・風の精霊の力を借りて、武器に特殊な追加効果をセットすることが可能だ。風であれば、衝撃波で周辺にも小さなダメージを与えられる。
ミナミ・ミナミが「アタシは何すんの?」ととぼけたことを言うので、「お前は空から魔術で援護だ」と指示を出す。妖精は武器を装備できないため、そもそも肉弾戦は厳禁であった。前衛の俺やリルハが倒れれば、その時点で彼女にできることは少なくなる。
懸案だった魔術の行使だが、俺がそれを使用したいと願っただけで、剣への魔術付与はスラスラと進行した。掌をそれらしくかざしてみると何やら発光現象が生じ、鞘越しに分かるほど剣が淡く光り始めた。
そしてほんの少しだけ疲れた。やはりと思って検分すると、パラメータの内でソウルの値が変動した。
ソウル:351(-4)
ゲーム上の規定と同じく、4のソウルを消費して魔術付与が完成したわけだ。
準備を整えいざ廃墟へ足を踏み入れようとした矢先、俺は少しだけ立ち止まって考える。そもそも、戦闘はどういった仕様になるのだろうか。
ゲーム上の戦闘は敵との接触タイミングや距離、地形、ソウル量に所持品の重さといった複合的な要素から先手後手が決まる。あとは行動を細分化入力して自動戦闘にフェイズ移行するのだが、それが現実となるとどこまで己が手を下すことになるものか。
やけにリアルな夢ではあるし、先だっての魔術の件もある。もしかすると自分で走って剣を振らなければならないのかもしれない。
いや、きっとそうだ。
実際の剣術など高校生時代の剣道の授業以来なわけで、一抹の不安が残った。二人に大口を叩いた手前、今更後にも引けない。
ゲームで斜俯瞰から眺めているのとは違い、実際の古戦場は視界が充分ではなかった。高く積まれた瓦礫の山は迷宮のように道を塞ぎ、崩れかけの円柱は多くの死角を形成する。
「ミナミ・ミナミ。なるべく高い位置から索敵を頼む。ただし、俺たちからあまり離れないように。スケルトンは武器を投射することがあるからな」
「二回も呼ばないで!ミナミって呼んでよ」
「ん?ミナミ・ミナミなんだろう?」
「姓がミナミで、名はミナミ!」
「……分からんが、分かった」
弓を主戦とするリルハを後方において、俺は注意深く先に進んだ。デスクトップのモニターで見たマップであれば隅から隅まで記憶しているものの、実際にこうして踏破するとなると勝手がまるで違う。
崩れた石畳を踏み込むたびに装備の重量が全身に負荷をかけてくる。ゲーム上ではイレギュラーな事態に困らぬようサバイバルのタレントを購入し続けてきたが、それが役に立っている筈だと思い込む。
現実の俺はただのサラリーマンでしかなく、剣を持ち、鎧を着込んではとても動き回れそうにない。
それを最初に発見したのはリルハであった。
俺の肩を控えめに叩き、灰色の石材が崩れて積もった瓦礫の向こうを指差した。骨だけで構成された体躯で二足歩行をし、ぼろぼろの円形盾と曲刀を構えたモンスターがそこに見え隠れした。
これこそがスケルトンであろう。数は二体。
俺は空中を飛ぶミナミに動かぬようジェスチャーで伝え、リルハには後方からの弓を用いた援護を指図した。そして使い方も分からぬ剣を鞘から抜き放ち、正面に構えた。
深呼吸をしてから柄の握りを確かめ、どうせこれは夢なのだと自らに言い聞かせて気を落ち着けた。
ままよ。
俺は石畳を強く蹴って前に飛び出した。