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01話プロローグ1 漫画喫茶からログイン

 佐藤更科さとう・さらしな。俺の名だ。

 二十八歳。会社員。ほどほどに名の知れた都内私立大学を四年で卒業し、新卒で大手の広告代理店へと就職した。大学受験で一年浪人しているので、今年で社会人五年目にあたる。


 夏場の外回りはいたく体に堪える。ワイシャツはとうに汗でびしょ濡れ。肩にかけたスーツの上着は陽光を吸って熱を孕み、今すぐにでもコンビニエンスストアのゴミ箱へ放り込みたくなる。

家庭ゴミの投函は禁止されているが、そこはもう自棄だ。


 鞄にノートパソコンが入っているため、ショルダーベルトを通じて肩にずしりと重みが伝わってくる。三十ページに上る企画書は先般提出してきたので、何百グラムかの軽量化にだけは成功していた。


 その企画書はというと、破り捨てられんばかりの勢いで却下された。三上という得意先健康食品メーカーの販売促進課長からは、「佐藤君。ガキの使いじゃないんだから、こんな拙い提案を貰っても困るよ。決裁する方の身にもなって考えてくれないか?明朝までにリテイクね」という絶望的なオーダーをいただいている。


 ふざけるんじゃないよ。ぶん殴ってやろうか。


 そう思わないでもなかったが、これで会社に給料を貰っているしがない営業マンには反論すら許されない。そうはいっても、要求された企画の修正を一日と経ずにこなすのは物理的に不可能というもので、実際のところ社内のマーケティングスタッフも外部のクリエイターも、すでに俺の電話には出てくれない。

これは先んじてメールで用件を入れてしまったせいに他ならず、全員が明朝までだんまりを決め込む腹に違いない。


 こういう八方塞がりの事態にはこれまで何度も遭遇しており、導き出される結論は「諦めが肝心」というもの。無理なものは無理なので、リカバリーを如何にうまくやるかが今後の取引結果を左右すると言って良い。

俺は同期で一番頭が良いとか、誰よりも営業勘に優れるとかいう目立つタイプの人間ではなかったが、万事器用さと忍耐力にだけは定評があった。

同僚曰く、「佐藤は決して野垂死にしない」ということらしい。これは褒め言葉なのだろうか。


 日比谷線で帰社する途上、思い付きから秋葉原駅で下車した。駅からほど近い雑居ビルの七階に構えられた漫画喫茶が俺の根城で、会社からも主要得意先からも適度に距離があるため、よく時間潰しと休憩に活用していた。

 夏場は冷房が効いており、フリードリンクも喉を潤おせて有難い。何より有線でのインターネット接続ができるので、MMOPRG(マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロール・プレイング・ゲームの略だ)に没頭できる環境を重宝していた。


 手帳を見て、企画書の件を棚上げにしたならば九十分超は確保できると踏んだ俺は、迷わずデスクトップ型のパソコンを起動させて「オーディン・グラディエイター」というゲームにログインする。個室と言えど完全な遮音はなされていないため、ヘッドフォンを装着してゲームをスタートさせる。


そうすると、俺は完全にヴァルハラの住人となる。

ヴァルハラで792番目の序列に位置する、歴戦の剣闘士へと早変わりするのだ。


 氷の溶けたコーラを飲み下し、画面に表示されたリストから九十分で走破可能な依頼を探す。


 「オーディン・グラディエイター」を簡単に説明すると、主神オーディンが聖都ヴァルハラで主催する剣闘大会に勝ち、プレイヤーキャラクターの序列1位獲得を目指すという多人数同時参加型のオンラインRPGだ。

メインは他プレイヤーとの剣闘で、それに勝つためにはプレイヤーが操作するキャラクターの各種パラメータを上げる必要に迫られる。そのための通貨や名声といった値を稼ぐために、ヴァルハラの住人たちからもたらされる依頼を日々こなしていく。


 依頼パートは他のプレイヤーキャラクター複数人と共同でこなすものから、数十・数百といった大規模な集団でなされるものまでさまざまあり、レベルの高い依頼を成功させると報酬も比例して大きくなる。主神オーディンが治めるミッドガルドの他に八つの王国が存立しており、ヴァルハラで受ける依頼によって世界各地を旅するのが基本だ。

俺個人はニブルヘイム王国を贔屓にしており、それは女王オードリーが俺好みの超絶美少女だからに他ならない。その手の女王フリークはどこにでもいて、排他的で過激な一団も散見された。


 ちょうどニブルヘイム絡みの簡単な依頼があり、俺は深く考えずにそれを選択した。


 出撃前に装備とタレントと呼ばれる特殊技能をセットする。まだ日が高いせいか、同時に参加するのはエルフの弓闘士とフェアリーの魔術師のみ。


 言い忘れていたが、俺のキャラクター「サラシナ」は種族が人間、性別は男で、魔術より剣技を得意とする前衛志向の剣闘士という設定にしてある。スマートフォンのゲームが全盛を迎える中、この「オーディン・グラディエイター」にはいまだ二万人以上がアクセスしており、その中でも俺は三桁番目の評価を維持していた。

歴とした勲章受章者でもある。


それだけの時間をこのゲームに投じてきたわけだが、そのお蔭か最近彼女から捨てられた。それと引き換えに勲章を得たかと思うと、心境は複雑だ。


 事前準備が終わると、依頼目的がもう一度画面に表示された。ニブルヘイム王国南端の古戦場に「氷結の薔薇」というアイテムを取りに行き、王都で大商人へと納品すること。制限時間は六十分。

 この古戦場にはスケルトンやグールといったアンデッドモンスター、所謂不死生命体が跋扈していて、奴らには物理攻撃が効き辛い。その点魔術を主戦とするエルフやフェアリーが同行してくれることは幸いであった。


 画面がロード中の文字を表し、徐々にフィールドマップへと移行を始める。

 このシーンではBGMとして荘厳な響きの鐘が鳴り、俺たちプレイヤーの戦意を高揚させる。

だが、そこにかくも壮大な邪魔が入った。携帯電話に着信があったのである。


ちなみに俺の携帯電話の着信音には「オーディン・グラディエイター」の出撃の鐘が設定されており、ヘッドフォンの内外で見事に唱和がなされた。


 鐘の音が、素晴らしくも寸分違わず重なり合ったのである。


 携帯電話の画面を見ると会社からの呼び出しで、俺はヘッドフォンを外し慌てて応答した。


「もしもし」

「あっ、佐藤くん?」


 相手は営業アシスタントを務める派遣社員の美樹さんであった。俺より二歳年上で、てきぱきとサポート業務をこなす頼れるお姉さんである。小柄で美人で声が可愛くて独身と、彼女を狙う男性社員の競争倍率は十を下回らない。

 俺は小声で「どうかしましたか?」と訊ねつつ、ロード中の画面のチェックも怠らなかった。依頼が始まってしまえば時間制限もあるわけで、決して同行者たちに迷惑はかけられない。


「権藤課長が探してるよ。怒ってるみたい。健康エナジーの三上課長から電話があって……」


 どうやらあの陰険眼鏡がうちの課長に直接電話を入れたらしい。これはフェアじゃない。

 俺は三上を、心の中の「必ず殺すリスト」の最上位へと移動させた。直属の上司であるパワハラマン権藤は、これで目出度くも二位に降格と相成った。


「了解。教えてくれてありがとう。あとでおやつでも差し入れします」

「ふふ。気にしないで。私もあの人嫌いだし。電話でねちねち口説いてくるから」

「……じゃあ今度、陰険眼鏡対策会議でもどうです?焼鳥で、暴露大会とか」

「オーケーです。楽しみ。スケジュール、メールで送ってね」


 俺は小躍りしたい気分になった。並み居る先輩社員が突撃して玉砕を余儀なくされているあの美樹さんが、俺からの飲みの誘いを快諾してくれたのである。正直、この瞬間だけは「オーディン・グラディエイター」のことが頭から抜けきっていた。

 三上と権藤課長の脂ぎった不健康そうな顔は忘却の彼方へと消え去り、美樹さんの長い茶髪とぷっくりした桜色の唇が俺の脳髄を支配した。


『サラシナさん?どうしました?』


 画面がチラつき、エルフのキャラクターが俺ことサラシナにへばりついてコメントを寄せ続けていた。ヘッドフォンを装着してキーボードに向かうが、俺の思考はどこの百貨店で何のお菓子を買って帰ろうかという一点に集約されており、まともにコメントを打ち返す気力が失われていた。


『体調が優れません。すみませんが落ちます』

『えっ?』

『ごめんなさい。頭が痛くて』

『そうですか……仕方ありません。どうかお大事になさってください』

『ごめんなさい』


 エルフの返信は誠意のあるもので、少しだけ良心が痛んだ。ところが、何故だかコメントしていて本当に頭が痛くなってきたこともまた事実であった。


 三上の企画書の宿題が頭の隅に残っているのだろうか。それとも待ち受ける権藤の説教から逃れるべく、脳が危険信号を発しているのか。

 参加した依頼のキャンセル自体に問題はないものの、オーディンからの序列評価に関わる名声値が依頼の難易度に従って減点される。加えて、履歴には依頼のキャンセル回数が掲載されるため、あまり数字が嵩むと他プレイヤーから同行拒否を宣告される可能性の高まるデメリットがあった。


 キャンセルボタンをクリックしようとしたその時、黙っていたフェアリーが近寄ってきて、頭にガツンとくるコメントを吹き出しに表示させた。


『死ね!フニャ●ン野郎』


 俺は怒りのあまりに目を見開いた。次いでコメントで反撃を試みようとキーボードにしがみつくのだが、頭痛は驚くほど強まった。

眉間を指で揉んでみるも、それには大した効果は表れなかった。


 再び携帯電話が着信を告げる。出撃の鐘の音が、個室と脳内に響いた。


『出撃するぞ!フニャ●ン!』


 まるでその音と連動するかのように、画面上ではフェアリーが俺に参戦を促した。

 俺はフニャ●ンじゃない。これで元序列三百番台の上位剣闘士だ。

仁美に振られてさえいなければ、今頃「神々の黄昏」イベントの参加資格だって手にしていたに違いない。紅蓮のゾード・ヴァイアウスや聖騎士ヴェルトマーのような英雄とも肩を並べていた筈だ。


 不思議なことに、手にした携帯電話の画面上には着信元が「オーディン」と表示されている。

 当たり前だが、そんな名前の連絡先を登録した覚えはない。「オーディン・グラディエイター」はMMORPGであって、電話やメールの相手として登録しようもないのだから。


 頭が痛い上に気味も悪かったのだが、俺は引き込まれるようにして通話ボタンを押した。


「はい……」

「汝、二重の旋律を聞いておいて、臆病風に吹かれるとは何事だ。たかが骸骨を相手に臆したか?」

「いや、あの……頭が……」

「黙れ。言い訳など聞きたくない。余はヴァルハラの外に発つ剣闘士を、我が子を思う父の境地で送っている。ユミルの鐘こそ、余が勝利を祈る詩である。汝、ここで剣闘士の生き様を否定するか?」

「そんなつもりは……ない」

「ならば来い!余の下に臆病者はいらん。実力で名誉を勝ち取れ。ミッドガルドのみならず、八つの王国で勇んで見せよ。汝が名声は、汝が辛苦の末に積み上がるものぞ。新たな英雄伝説の幕開けを信じて、今一度だけ鐘を鳴らしてやろう」

「もう一度、鐘を……?」


 パソコンからではなく、ましてや通話中の携帯電話でもないどこからか、出撃の鐘の音が盛大に鳴り響いた。その音はかつてなくリアルに感じられ、重厚で迫力に満ちた旋律が俺の胸を強く打った。

通話の相手がどこのイカれた酔っ払いかゲーム運営会社の回し者かは知らないが、もはやどうでもよく感じられた。


 さあ、行こうか。

 そんな声が聞こえた気がして、俺は百貨店に寄ることすらすっかり忘れて画面に齧りついていた。そして、そのまま意識を失った。


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