仮面の王、部下と触れ合う
仮面の王は自室で、今日も運ばれてきた昼食に舌鼓をうった。
「うまい。」
フルフェイスの仮面、ペルソナは、どうやら口元だけが開くようになっているらしい。食事時には口だけ開いて、食物を口まで運ぶ。
どうやら前の仮面の王も、自身がヒューマンである事を隠す為に、自室への立ち入りを配下達に禁じていたらしい。ペルソナの探知能力も非常に優れており、周囲の生命反応を常に把握できている。自室に居る内は快適に生活ができるのだ。
慣れれば石造りの冷たい部屋も落ち着く。更には食事も決まった時間に必ず運び込まれる。キノコ狩りで生計を立てていた頃に比べれば、ここは天国のようであった。
「快適だなぁ。これならずっと仮面の王やっててもいいかもな。」
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順応早っ。
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仮面のモニタ隅に文字が表示される。
マスターを小馬鹿にした、いつものペルソナのジョークなのだろうが、確かにな、と思いテオは苦笑した。
ペルソナによりメンタルを強化された彼は、既に開き直っていた。
前仮面の王の居ない今、今更逃げ出す訳にもいかず、そもそも逃げられるという発想のないテオ(本来であれば逃げようと思えばいくらでも可能なのだが)は、仮面の王として過ごす事を受け入れつつあった。
といっても、何かをするわけではなく、ここ数日はただ拠点の中で、仮面の王として振る舞っているだけである。
前仮面の王の脱走により、部下達を怒らせてしまった事もあり、しばらくは大人しくしていて問題ないらしい。時折話をする秘書、プレゼンスも、珍しく言うことを聞き、大人しくしている仮面の王に満足しているらしく、心なしか接し方が優しい。お母さんのようである。
今日も今日とて、食事を終えると、仮面の王に扮したテオは、拠点の中を歩き回る。
前仮面の王がどんな人物であったか。
ペルソナの中のデータベースなる、大量の情報を見れば、プロフィールは分かるが、今ひとつテオには理解できない。
であれば、と、まずは感覚的にそれを知ろうと思ったのである。
部下となる仲間達に接し、どういった対応をしてくるかで、どんな人物と思われていたのかを探る。それに、今後関わりが続く相手を流石に覚えない訳にもいかない。
故に今、彼は拠点の中を歩き回り、適当に部下の顔を見て回る事にしている。
拠点に散見される下っ端、大半の者は畏敬の念を持って、頭を垂れ、慌てふためくように対応をする。
やはり、多くの部下は、世間一般で知られている通りの、恐れられている通りの人物像を持っているらしい。これはあまり参考にはならない。
重要なのは、もっと彼の近くに居た、幹部達の方である。
現在の拠点に常駐している幹部は三名。
拠点内の監視・防衛を担うエルフのスケア。拠点と各地を繋ぐゲートの管理・魔術指導・魔術研究を行うウィッチのキュリアス。強化生物・キメラ開発にて地下に籠もるヒューマンのアゴニ。
その他の『喜怒哀楽』なる最高戦力四名は、それぞれ拠点から離れ、各々の活動を行っているという。
拠点は地上三階、地下一階の計四階層。三階、仮面の王私室から出て、下層へと降りる階段を目指す。三階は仮面の王の身の回りの世話をする者が数名出入りするのみで、あまり他者と出くわす機会はない。二階に降りると、階段脇で見張りを行う二名の獣人が立っていた。
片方は獅子の獣人。立派なたてがみに、鋭い牙。如何にも強そうな屈強な肉体を鋼鉄のプレートで隠す、マライオという男。武器は持ち合わせていない。
もう片方は犬の獣人。頭の上の垂れ耳と、もの悲しげな垂れ目の、小動物を思わせる女だが、手にはその身の丈に似合わぬ巨大な斧を持っている。元は名無しで、今はドギィと呼ばれているという。
仮面の王の私室のある三階前を護っているだけあり、なかなか強いという事を聞いている。
テオが通ると、二人の見張りは膝を折った。
「ご苦労。」
「勿体なきお言葉。」
ぴたりと息の合った返事。今まで何処に行くのか等と聞かれた事は一度もない。
二人の横をすり抜けて、キュリアスの居る魔術研究室に向けて歩き出す。
この階層にはちらほらと仮面の王の配下の者達が見られる。人類、亜人類も居るかと思えば、魔族の姿も時折見られる。比較的小綺麗な身なりで、テオの見た感じの所感としては「強そう、賢そう」である。
多種多様な配下が居るが、仮面の王への反応は一様で、全員が深々と頭を垂れて、畏敬の念を示す。
そんな中、「あ!」と声を上げる者が一人居た。
「ちょっとちょっと王様! 王様じゃないですか!」
「あ、スケア。」
ぴょんと尖った耳。ぱっちり開いた青い瞳に、肩まで伸ばした薄水色の艶のある髪。エルフには珍しく、少し丸みのある輪郭で、見下ろす程の低身長もあり、かなり幼く見える女の子。(実際はテオとは比べようもないくらいの高齢らしいが)。前のローブとは打って変わって、今はショートパンツに、胸の辺りだけを隠す布で、腹やら足の殆どやらと、肌を盛大に露出させるという、テオからすれば「非常にけしからん。いいぞ。もっとやれ。」な装いである。(何でも、彼女の得意とする精霊術は肌の触覚に頼るところが多いらしく、その為の服装だという。)
監視役のスケアは、すたたと駆け寄り必死の形相で詰め寄ってきた。
「ちょっ、ほんと、勘弁して下さいよ~! また部屋から抜け出したんですか!? 怒られるのは私なんですから、勝手な事ばかりしないで下さいってば!」
「……うん、ごめん。 でも、散歩してるだけだから……。」
「拠点内だけでお願いしますよ!? 絶対に外には出ないで下さいね!? 一応、プレゼンスさんには報告しますからね!?」
「分かった分かった。これからキュリアスの所に行って、その後地下まで降りてアゴニの様子を見て、そしたら適当に拠点内見回ってから部屋に戻るから。」
スケアは、他の配下に比べるとハッキリと物申す。というか、凄い必死である。
何やら事ある毎にプレゼンスに叱られているらしい。テオと接する時のプレゼンスは、まるで説教臭い母の様だが、スケアと接する時のプレゼンスはまるで事ある毎に嫁をいびる姑の如しである……と、テオは思っている。
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なかなか言い得て妙ですね。
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そう。ペルソナにテオが褒められるくらいに的確な表現なのである。
「絶対ですよ!? ちょっと、今忙しいのでお付き合いはできませんけど、絶対の絶対に変な事はしないで下さいよ!? 何で王様は私の精霊術でも探知できないんですか!? もう、本当に勘弁して下さい!」
いっつも「勘弁して下さい!」と言われている気がする。涙目で言われるもので、本当に申し訳なくなってきて、いつも「ごめんね。」と謝ってしまうテオである。
しかし、スケアの遠慮のなさを見るに、どうやら前々から彼女は仮面の王に同じように接してきていたたのではないかと、テオは考える。
すると、その思考にペルソナが反応した。
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肯定します。
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こちらをちらちら振り返りながら「絶対ですからね!」と連呼しながら去って行くスケアに手を振り見送ったあと、改めてテオは魔術研究室を目指す。
ペルソナに表示された地図の魔術研究室の前まで近付くと、周辺に見掛ける者は魔族の数がぐっと減り、亜人類が多く見られるようになる。
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魔族には魔術という技術が必要ありません。
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(なぜに?)
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彼らは元より魔法を行使する事が可能です。
体内に魔素と魔素を変換する機能を持っており、
魔術という手順を踏む必要がありません。
これ、学校で習う内容ですよ。マスター。
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(初等教育しか受けてねぇからなぁ。)
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初等教育の序盤で聞かされる筈ですが。
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(お前、俺がそんな生活に関係無い事覚えてると思ってるのか。)
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否定します。
マスターの教養レベルは分析済みと何度言えば分かるんですか。
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(返す言葉がない。)
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目的地周辺です。ルート案内を終了します。
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「おっと、ついたか。」
気付けば既に魔術研究室の前。
扉をノックすると、「どうぞ。」と男の声が返ってくる。
遠慮無く扉を開くと、大量の本を積まれたデスクの奥で、男が色眼鏡をずらして目をぱちくりとさせた。
「ああ、君か。最近よく顔を出すね。いや、顔は隠してるか。」
ははは、と笑って立ち上がる、仮面の王にも親しげに話しかけるのは、何故か派手な柄シャツに、黄色いレンズの入った眼鏡を掛けたヒューマンのような男。
種族は魔族のウィッチ。キュリアスと呼ばれる魔術研究者は部屋の中心に置かれたテーブルの脇のソファに移動した。向かい合うようにテオも腰掛ける。
「拠点内に通話魔術は設置しているだろう。来るなら来ると事前に連絡してくれ。そうすれば、菓子のひとつでも用意できるのに。」
「要らない。様子を見に来ただけだからな。」
「まぁ、君は人前で顔を晒すつもりはないだろうから、ものは食わんか。」
キュリアスは足を組んで、ソファの背にもたれ掛かる。
何度か話したが、どうやらキュリアスという男は、仮面の王と対等に近い立ち位置に居るらしい。配下というよりも、友人といった接し方をしてくるのだ。
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肯定します。
彼は仮面軍の配下というよりは、
仮面の王の友人、客人という立ち位置にあります。
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前仮面の王にも友人が居た。
彼はただの支配者という訳ではなかった。
思えば、スケアの無礼な態度に対しても、従わずとも、怒る事はなかったらしい。プレゼンスのお説教にしてもそうだ。
てっきり逆らう者など許さない、そんな暴君を想像していたが、意外と寛容なのかも知れない。
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マスターも同様ですが、
そもそも私を装着中は「頭にくる」という事がありません。
いちいち目くじら立てて怒るという機会がなかっただけです。
ほら、たとえば私が今からマスターを罵倒します。
ばーか。ばーか。おたんこなすー。
はい。頭にこないでしょう。
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(すっげぇ腹立つ。)
ペルソナの煽りはイラっとするが、確かに、細かい事は気にならない。
感情が昂ぶったのは、拠点の廊下の曲がり角を曲がる際に、左足の小指を強打した時ぐらいである。あれ以来、靴の先っぽに常に防御を展開しているテオなのである。
「様子も何も、進捗はいつも報告していると思うが……。」
「いや。お前の様子を見に来ただけだ。」
意外そうに目を瞬かせ、ふむ、とキュリアスは顎に手を当てる。
「別に変わりないが……どうしてまた?」
「いや、調子はどうだ。忙しくはないかと思ってな。」
「はは。おかしな事を言うな。そりゃ忙しいさ。君が無理ばかり言うからね。」
「……悪いな。」
「いや、冗談だよ。好きでやっている事さ。君に拾って貰ったからこそ、こうして今も教鞭を握っていられるのだから、むしろ感謝しているくらいだ。」
話を聞いて、ほう、とテオは考える。
(今も教鞭を握っている、という事は昔は先生をやっていたって事かな。)
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肯定します。
彼の本来の仮面軍での役割は
各種魔術の管理であり、魔術指導は彼の希望で行われているものです。
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(成る程なぁ。)
しかし、先生っぽくない見た目だなぁ、と昔、初等教育を受けていた時の事を思い出しながらテオはいや、と腕を組んだ。
「感謝など要らない。むしろ、我が軍の戦力増強に繋がる事だ。こちらこそ感謝している。」
「気味が悪いな。君がそんな事言うとは。それに、たとえ優秀な魔術師が育ったとしても、君にとっては足手まといでしかあるまい? 今度の魔界遠征にも流石にうちの受講者は連れて行けないのだろう?」
テオはむ、と眉根を寄せた。
(魔界遠征って何だべな。)
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来週予定されている魔界『ゴースト領』への遠征です。
場合によっては戦闘が行われる可能性もあり、
マスター含め、喜怒哀楽からも一人が参加する予定です。
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(マジで?)
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マジです。
スケジュール表、毎朝確認されていると思ったのですが。
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(んなもん、流し読みに決まってるだろ。)
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戦闘に発展する可能性89%。
マスター、初戦闘、頑張って下さいね。きゃぴっ。
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うわぁ、どうしよう。怖いなぁ。
(でも、まぁ、ペルソナがあるし、大丈夫だべな。……なんて、考えられるあたり、やっぱり脳みそ弄られてるんだなぁ。)
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いや、そのお気楽さは私のせいじゃないですけど。
前マスターも戦闘前は多少緊張していましたよ。
その図太さに若干引きます。
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(やっぱ腹立つな、こいつ。)
などと、考えていると、ペルソナのモニタに来週の魔界遠征の詳細や参加メンバーが表示される。しかも、ご丁寧に、キュリアスの講義の受講者はいないという旨まで表示されている。
それにさらりと目を通し、『プレジャー』という名を確認して、テオはおお、と声を漏らした。
(へぇ。あのお爺ちゃんが参加すんのか。)
大丈夫かなぁ、と心配しつつ、テオはキュリアスの方に意識を戻した。
「ああ。そうだな。」
「いずれ使い物になるレベルには仕上げるから気長に待って貰えると助かる。……そうだな。君の活動についての話が出たついでだから、こっちも話しておこうか。」
キュリアスは組んだ足を解き、前屈みになる。
「魔界遠征でなく、ソロウが持ち込んだ『七英雄』の情報について。直に対策が打たれると思ったから、事前に、ね。」
ソロウが持ち込んだ『七英雄』の情報。
詳細は覚えていないが、何を示しているのかはテオも覚えている。
確かそれは直近の『七英雄』の活動のスケジュール。
普段は情報も出回らず、捕捉する事のままならない厄介な相手が、何処に、いつ現れるかの情報であり、これを受けて、何やら対策を打つという話をテオも聞いている。
七英雄対策は今現在、プレジャー、ソロウ主導で動いているとの事で、確かキュリアスはそれに関わっていなかった……くらいまではテオでも覚えている。
「口出しする立場には無い事は重々承知している。……だが、できれば、君の力で可能であれば、頭の隅にでも置いていて欲しい事が……いや、違うな。」
「珍しく歯切れが悪いな。」
「ああ、すまない。分かった。ハッキリ言おう。頼みがある。」
「(頼みとな。)言ってみろ。」
難しい事でなければ、聞いてみよう。そんなつもりでテオが言う。
「『七英雄』。その中に以前の同僚がいてね。『導師』テレス。確かに、私も多くの同僚に、教え子に、恨みに近い感情は持っているのだが……彼女は少し違うんだ。恩義がある。だから、彼女が手心を加えてどうにかなる相手では無い事は重々承知の上で、頼む。せめて、できるならば、彼女に多少の恩情を掛けては貰えないだろうか。」
知り合いがその『七英雄』に居る。
だから、その知り合いを殺さないでくれ。
大方テオも理解する。
『導師』テレスについては、テオも知っている。何でも凄腕の教師という事で、彼女の育てた人材は、次期の『七英雄』候補も多いという。
元より七英雄をどうするのか、テオも考えていない。殺すつもりもさらさらない。
「構わんよ。」
「そう言って貰えると有り難い。ただ、無理はしないでくれ。彼女は強い。もしも、君の身に危険が及ぶようであれば、君は自分の安全を確保する事に努めてくれ。君は掛け替えのない友人であり、恩人だ。」
「俺を誰だと思っている。『仮面の王』だぞ、『仮面の王』。」
「そうだったな。余計なお世話だったようだ。」
自然と笑うキュリアスを見て、ああ、友人というのはこういうものなのだろうか、等とテオは若干凹む。彼には友達がいない。まさか、『仮面の王』に成りすました先で、初めての友人ができるとは思わなんだ。
(いや、俺じゃなく、『仮面の王』の友人か。)
彼は仮面の王の友人であり、テオの友人ではない。
若干の罪悪感がテオの胸をつく。
そして、嫉妬する。
少なくとも、前仮面の王は、テオよりも魅力的な人物であったのだろう。
だから、このような友人もできる。
そんな人物が、人類を敵に回してまで、一体何を成したかったのだろうか。
(仮面の王……何がしたかったんだろうなぁ。)
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世界征服。
前マスターは世界を手中に収めようとしていました。
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(マジでか。)
気の遠くなるような大きな野望。テオには想像もつかない。
どうして、彼は世界征服などを考えていたのだろうか。
この仮面、ペルソナを着けて、このまま進んでいけば、その答えは見つかるのだろうか。
=====
回答は可能です。
回答を表示しますか?
=====
(いや、要らない。)
ペルソナは、テオの本心を見抜いた上で聞いている。彼が「はい。」と答えない可能性を見抜いて、敢えて聞いているのだ。
考えた上で選べ。
もう少し、彼の成してきたものを見る必要があるのではないか。
字面や言葉では、難しい事は全く理解できないテオは、自分で感じ取る事でしか、彼の事を理解できないのではないかと思った。
その後も、他愛のない世間話を交わす。
しばらく邪魔無く会話は続いていたが、部屋の扉のノックで二人の会話は途切れた。
「おっと、受講者かな。どうせ、講義の質問か何かだろう。またあとで……。」
「いや、いい。俺はもう出る。」
「君は仮にも王なんだから、気を遣う必要はないぞ?」
「仮にも王だからな。いつまでも友人と談笑している暇はないさ。」
「談笑、ねぇ。何だ、君、一応笑ってたのか。」
「気付かなかったか?」
「仮面を外してから言ってくれ。」
席を立ち、マントを整え、部屋の出口へと向かう。
「また来る。その時は事前に連絡しよう。」
「ああ。来週の遠征、無事を祈ってるよ。……まぁ、神に仇成す悪しき魔族の身、祈れる神など居ないがね。」
魔族と言われて、初めて彼が魔族のウィッチである事を思い出す。
とても、そんな危険な存在には見えなくて、テオは少し考えた。
(人類と、ヒューマンと、あんまし変わらないなぁ。)
扉を開く。てっきり、覚えのないキュリアスの教え子が顔を出すのかと思いきや、其処に立っていたのは見慣れた褐色の女であった。
「おわっ! プレゼンス!?」
「……勝手に出歩かれては困ります。部屋から出る場合はお声がけ下さいと何度言えば……。」
「あ、そうだったそうだった。悪い、忘れてた。」
「……はぁ。以後、お気をつけを。スケアから聞いています。次はアゴニの研究室ですね。お供します。」
以前も勝手にふらふらと拠点を歩いた際に、プレゼンスに叱られた事を思い出す。
というか、今ひとつ、拠点内の連絡魔術というものの使い方が分からないテオである。
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説明書表示してるでしょう。
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(読む野疲れるんだよなぁ。)
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このずぼらが。
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(返す言葉がない。)
何はともあれ、スケアの報告もあり、プレゼンスに捕まってしまった。
しかし、困った事はない。むしろ助かったくらいである。
何故ならこのあと向かうのは、仮面軍きっての問題児の所だから。
地下一階。此処は異形の怪物が跋扈する混沌とした空間である。
彼らは強化生物、あるいはキメラと呼ばれる生物で、全てが仮面軍のマッドサイエンティスト、アゴニにより生み出されたものである。
しかし、仮面の王への礼儀は忘れていないようだ。ぶつぶつと虚ろな目で歩いてはいるものの、仮面の王に気付くと、会釈し挨拶をして通り過ぎていく。
「相変わらず悪趣味な……。」
プレゼンスが忌々しげに呟いている。
確かに気味が悪いが、ちゃんと挨拶をされると、普通のヒューマンと接している気になるテオ。
彼はそれはもう美人が好きな事には変わりないが、変わった見た目のものに抵抗を覚えるような事はないらしい。今まで人付き合いがあまり無かった彼にとっては、新たな自分の発見であった。
と、気付けば研究室の鉄扉の前。
プレゼンスがノックすると、重々しい扉はゆっくりと開いた。
顔を出すのは小柄なノームの少年。アゴニ同様に真っ白な白衣を纏っており、プレゼンスと仮面の王を見上げたあと、「ああ。」と小さく声を漏らした。
「仮面の王様。プレゼンス様。少々お待ち頂けますか。アゴニを呼んできますので。」
少年は見た目通りの少年であり、ライトと呼ばれるアゴニの助手だという。
世間知らずの人付き合い下手な彼女に代わり、組織内での研究室の顔役として色々と苦労しているらしい。キメラ作成の技術で言えば、アゴニに次ぐ腕を持つとか。
(見えないんだよなぁ、どっちも。)
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見えないけれど腕利きですよ。
倫理的に三大国では研究を認められない事もありますが、
間違いなくこの分野で大陸最高の研究者です。
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あのくらい変人だからこそ、むしろ天才的な腕を持っているのだろうか。
テオはまじまじと小さな白い背中を見つめて、感心した。
「所長~! 仮面の王様来てますよ~!」
「い、居ないって言って貰えますか~?」
まさかの居留守である。
「いや、今まさに扉開いてて声聞こえてるんですけど!」
「えぇ……い、今良いところなんですけど……。ひ、人違いで誤魔化せませんか~?」
「だから丸聞こえなんですって! 怒られますよ!」
「う、うひ……お、怒られるのは勘弁です……。い、今、行きますから……本当にもう……面倒臭いなぁ。」
本当に怒られるのは勘弁、と思っているのか疑わしい程の無礼である。
ライトがこちらを振り向いて、必死の形相でぺこぺこと頭を下げている。
(気の毒になぁ……。)
隣のプレゼンスの鬼の形相を横目で見て、テオもビビる。
プレゼンスを見ていて分かった事だが、彼女はヒューマン、エルフを特に嫌っている。
幹部でも、エルフのスケアと、ヒューマンのアゴニにはやたらと風当たりが強い印象である。
しかし、そんな敵意に満ちた視線など気にも留めずに、死体のような顔色の女は、にやけ面で部屋の奥にある扉からひょこひょこと歩いてきた。
「うふ、うふふ。よ、良くお越し下さいました。仮面の王様。コ、コウエイダナー。」
(見え透き過ぎた世辞!)
「ご、ご用件は? 今、良いところなんですけど、今手を離せない状況だったんですけど、ご用件は?」
(あからさまに嫌そうな顔!)
「早く帰ってくれないかな……。」
「せめて小声で言え。」
思わずこっちも声に出る。あまりにも自由すぎるヒューマンである。
プレゼンスを横目で見ると、あまりにも無礼過ぎて開いた口が塞がらないという様子である。
「い、いや、様子はどうかな、と思って見に来ただけだ。忙しいようなら戻る。」
「え? こ、この間の実験動物を逃がしちゃった大騒ぎの件のお説教じゃないんですか?」
「いや、違う。え。ちょっと待って。何それ初耳。」
「あ、あの、間違ってジョイの首を吹っ飛ばしちゃった件は、ご、ご存知で無いんですね?」
「ちょっと待って。今凄い事言わなかった?」
「な、なら、中にどうぞ。うふ。うふふ。また、とっても可愛いお友達ができたんです。仮面の王様にも見て欲しいんです。うふふ。」
「あの……ジョイ生きてるよね? そう言えばあれ以来姿見てないんだけど。」
=====
生きてます。
首は飛びましたが。
=====
恐ろしい事を平然と言うアゴニとペルソナ。
どうやら、プレゼンスもその騒動は初耳だったらしく、口をぱくぱくさせている。
あと、どうやら、その件で怒られると思って、あからさまに嫌そうな顔をしていたらしい。
そうでなければ見せたい研究があるという。まるで子供である。
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今年17歳。
学校通いもなければ世間付き合いもないので子供という表現に誤りはありません。
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(今年17歳!? 若いな!)
鼻歌交じりによろよろと歩いて行く白い背中を見る。
どうしてまた、そんな若い、子供とそう変わらないヒューマンが、仮面の王の下で研究などしているのだろうか。今に始まったことではないが、非常に気になっているテオ。
そんな事を気にしていると、奥の研究室の扉が開く。そして、そんな事を気にしているテオの顔に、何かがバシン! と飛びついてきた。
「ぬわっ! 冷たっ!」
「主様!?」
顔に飛びついたものを手で掴んで引っ剥がす。
ぼたん、と落ちたものは掴んだとき、ぬるっとぷるっとしていた。
慌てて下を見下ろせば、そこには青光りするぷるぷるの液体が、犬の形を取っていた。
得意気に、生気の無い目を煌めかせて、アゴニが地面に落ちたぷるぷるの犬を抱き上げる。
「うふ。うふふふふふ。み、見て下さい。犬とスライムのキメラ……名づけて、『スライヌ』です。」
(駄洒落!?)
「ひんやりぷるぷるしてて……き、気持ちよくないですか? うふ。うふふふふ。あ、ちなみに、このスライヌの名前は『ヌルヌルテイオー』です。」
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マスターと同じ名前ですね。
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(いや、違うから。ちょっと似てるけど、俺はテオだから。)
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え。でも、最初のユーザー登録でテイオーって。
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(訛ってるだけだよ!)
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存じております。
このやりとりは、対話型インターフェース専用の小粋なジョークにございます。
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(だろうな。)
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ツッコミがなかったので、テイオーで登録してますけど。
=====
(……もう何でもいいよ。)
ペルソナは際限なくぶっ込んでくるので途中で適当に打ち切る事にする。
さて、このぷるぷるの犬にどう反応すれば良いのか、困っていると、隣のプレゼンスがふるふると震えている。
(顔怖っ!)
「アゴニッ!! ま、また……またですかッ!? また、関係の無い新生物を開発してたんですかッ!? 貴女の仕事は戦力補強の為の、量産型の、扱いやすい強化兵の開発でしょう!?」
どうやら、本来すべき開発そっちのけで、自分の趣味の開発に走っていたらしい。
プレゼンスが激怒している。
すると、アゴニは不機嫌そうにむすっとした。
「……きょ、強化兵士、可愛くないから、開発、つまらない、です。」
「遊びでじゃないんです! 仕事なんです! 貴女という人は、もう、本当に……いい加減にしろッ!」
「ま、まぁ、落ち着いてプレゼンス。このわんこも結構凄いじゃないか。」
「主様が甘やかすからこうやって好き勝手するんですッ! 貴方も自覚を持って下さいッ!」
「ご、ごめんなさい。(俺まで怒られた……。)」
とんだとばっちりである。
確かに、此処まで自由にさせておくのも問題なのかも知れない。
テオとしては別に腹は立たないが、他の仲間との不和を招くようであれば、それは改善していかねばならない。一体、前仮面の王はこの子をどうやって扱っていたのだろうか。
(此処は心を鬼にして叱らなければならない!)
そんなテオの決意を知ってか知らずか、アゴニはプレゼンスの激怒など何処吹く風と、にへにへ笑顔で仮面の王の傍に寄ってきた。
「け、結構凄いですよね。か、仮面の王様。か、可愛いですよね。うふ。うふふ。だっこしてみてください。ぷるぷるして、ひんやりして、とっても気持ちいいんです。」
「(そんな目で見られると怒れないんだが……。)どれどれ……。」
差し出されるスライヌを抱っこしてみる。
「あ、気持ちいい。」
「主様ッ!!」
「ほら、プレゼンスも抱っこしてみろ。」
「は!? そんなの……あっ。」
渡したスライヌを抱いたプレゼンスは、一瞬怒りかけたが、抱えた瞬間にはっとする。
腹に抱えたスライヌを、何度かぎゅっぎゅと締め付けるように抱えると、じっと胸元のスライヌを見つめ始めた。スライヌもプレゼンスを見返して、はっはと舌を出している。
また、何度かぎゅっぎゅと抱き締める。また、ぎゅっぎゅと抱き締める。また、ぎゅっぎゅと……。
(あ、ひょっとして気に入った?)
「プ、プレゼンスさん、可愛いですよね? 気持ちいいですよね?」
「……えっ!? あっ……違っ! 全っ然、可愛くないです! 全く気持ちよくないですし!」
「……せっかく、最近暑いから、皆さんのお部屋用に、増やそうと思ってたのに……。お部屋に置いておくだけで、とっても涼しいんですけど……プレゼンスさんは要らない?」
「えっ!? い、いや……あの……その……。」
プライドと、欲望のせめぎ合いに、プレゼンスさんがあたふたしている。
どうにもいたたまれず、テオは慌てて、口を挟んだ。
「と、ところでだ! アゴニ、お前、ちゃんと仕事もしなきゃ駄目だぞ!」
「えっ……。ちゃ、ちゃんと、強化兵開発もしてますけど……。」
「えっ。」
意外な一言。不満げなアゴニに代わり、ライトが割って入って補足した。
「あ、あのですね。制御が難しい強化兵・キメラを従える為に、犬の服従の性質を組み込もうとしまして……。ある程度、命令に従うレベルにまで仕上がってきています。あとはそのバランスを保ったまま、何処まで強化できるかという状況です。来週の遠征前までにテストまでできる見込みになってきたので、息抜きに、とアゴニも片手間に趣味の開発を……。言葉足らずでした。申し訳ありません。」
「サ、サボってないです。ちゃんとしてます。」
(それを先に言えよ!)
アゴニは他人の感情に無頓着のようである。
でなければ、あれだけ激怒するプレゼンスを前にして、あんなに飄々としていられるわけがない。
=====
正直、その子仮面軍でもぶっちぎりにイカれてると専らの噂です。
=====
確かにヘンテコな子だとは思ったが、ペルソナが言う事を、テオはそのまま鵜呑みにはできなかった。
自分の作った自信作を得意気に見せびらかしたり、褒めると嬉しそうに喜んだり、不当な評価を受けると不満げに怒ったり……。
(ちょっと自由すぎるけど、ただのワガママ気ままな子供にしか見えないんだよなぁ。)
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マスターにはそう見えますか?
=====
(何だその行間は。)
=====
いえ。何でも。
=====
また、対話型インターフェース特有のジョークだろうか? 相変わらず全く面白くないが、とテオは傍らで「ぐぬぬ。」と口を曲げるプレゼンスの肩を叩いた。
プレゼンスもどうやら不満げなアゴニに気付いたようで、若干不服そうながらも、溜め息をついて、抱いていたスライヌを押し返した。
「早計でした。申し訳ありません。確かに貴女は仕事ができる。それは認めています。ただ、貴女ももっときちんと報告をして下さい。私は主様のように他人の心情を汲み取る事などできませんので。……あと、まぁ、結構その子、気持ちよくて可愛いです。」
「……。」
不服そうなアゴニの背中を、ライトがぽんと叩いて促す。
「ほら。プレゼンス様もごめんなさいしたんだから、アゴニさんもごめんなさいして。」
「……ごめんなさい。」
ぶすっとしたまま謝る様は、やっぱり子供だ。
ライトは申し訳無さそうに苦笑し、仮面の王に頭を下げた。
こちらは見た目はアゴニ以上に子供のようだが、まるで親のようである。
プレゼンスはその様子を見て、再び深く溜め息をつくと、
「必ず、来週の魔界遠征には間に合わせて下さい。相手の規模からしても、絶好のテストの機会です。……その合間に暇があったら、私にも、このスライヌちゃんを作ってくれますか?」
「……は、はい! うふ! うふふ! すぐにでも作ります!」
「いや、仕事優先して下さいってば! ……って、もう行ってしまいましたか。」
プレゼンスが言い終わる前に、アゴニは既にるんるん気分で研究室の奥に行ってしまった。
頭を抱えるプレゼンスは、残されたライトにつかれた表情で言う。
「……ライト。せめて間に合うように、お願いしますね。」
「所長が本当に申し訳ありません……。仮面の王様が見に来てくれたり、仮面の王様とプレゼンス様に褒めて貰えて高揚してるみたいで……あとで落ち着いたら、言い聞かせておきます。」
ぺこりとお辞儀し、アゴニの戻っていった研究室へと去って行く。やはり、大分苦労しているようである。石造りの施設の中、鉄で加工された特別な研究室をざっと見渡し、特に以前に見た時と代わり映えもしない事を確認してから、テオは部屋を出ることにした。
ぽんと頭を抱えるプレゼンスの肩を叩く。
「よく引いてくれたな。」
「……はぁ。彼女がおかしい事は分かりきっていますので、私が多少は我慢すべきでした。」
「いや、お前はよく我慢してくれている。今後は俺もアゴニを甘やかしすぎないよう気をつけよう。」
「いえ、分かってるんです。ヒューマンが此処に居る。それだけで、あの子にも何か事情があることくらいは。」
プレゼンスは「ただ。」と、テオの顔を見上げた。
「貴方は優し過ぎます。彼女だけに限らず、誰にでも。」
「おかしな事を言う。俺が優しいか?」
ふん、とそっぽを向いてプレゼンスは頬を赤らめる。
「ええ。それはもう。」
「そうか。『仮面の王』は優しいのか。」
「……だから、たまには優しさを見せないで下さい。皆、勘違いします。自分が貴方にとっての特別であると。」
「何を言う。お前達は皆特別だ。何せ、私の仲間なのだからな。」
「そういうところです!」
「あ、ごめんなさい。」
つかつかと部屋を出るプレゼンスに続いて、テオも研究室を出る。
心なしか早足のプレゼンスの歩調に合わせていると、彼女は何を思ったのか、小さな声で喋り始めた。
「……私はエルフもヒューマンも、ドワーフもノームも、ウィッチも……みんな、みんな反吐が出るくらいに、嫌いです。」
「……そうか。」
「ダークエルフも、大嫌いです。」
「そうか。」
自分も嫌いだ、という事だろうか。
ならば、彼女にとって、『仮面の王』とは何なのか。
「……貴方が私の全てなんです。」
テオは凍り付いた。想像以上に重い答えだった。
プレゼンスにとっての『仮面の王』は『全て』。
しかし、此処に居る『仮面の王』は、彼女が全てと行った『仮面の王』ではない。
罪悪感。なりすましに対するもの。
そして、使命感。
テオが謀った訳ではない。しかし、結果としてプレゼンスは、彼女自身の手で、彼女の全てである前仮面の王を殺めてしまった。
唯一、真実を知るテオは、思う。
(……こりゃ墓まで持って行かんわな。)
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前マスターの目指した場所は遙か彼方です。
其処に至る道は茨の道です。
それでも、マスターはその道を選びますか?
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迷いは無かった。
(怖くも何ともねぇしなぁ。)
ペルソナの脅しを恐れる事すらもうできない。
それよりも、このダークエルフの女を悲しませたくないという気持ちの方が強かった。
世界征服をするつもりはない。
ただ、今、知ってしまった、どうしても悪党とは思えない者達を、失望させたくない。
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目的なく進むというのですね。
やはり、貴方は前マスター以上におつむの出来が宜しくないようです。
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(かもなぁ。まぁ、元より日銭稼ぎの成り行き任せ。何とかなるさ。)
目の前を歩くプレゼンスが、振り返る。
「……今のは忘れて下さい。少し、疲れているみたいです。それと、本日夕刻にプレジャーが到着します。予定通り、来週の魔界遠征の最終調整を行いますのでお忘れ無く。」
「ああ。分かった。」
プレゼンスが優しく微笑む。
どこか、その笑顔が寂しげに見えたのは、テオの直感。
ほんの一瞬見えた、寂しげな笑顔は、前を向かれて、すぐに見えなくなってしまった。