七英雄一堂に会す
小柄な少年は世界を旅した。
身の丈140㎝。これでも彼は仲間内では背の高い方だという。
少年と間違われる彼は、実は今年で22歳である。
はねっかえった栗毛に、使い古した皮の長靴。つばの広い茶色の帽子に、肩からはいつもわっかにしたロープをかけている。そして、様々な便利グッズや食料を詰め込んだ、彼と同じくらいの大きさのバックパックを背負い、ホビットの旅人は今日も鼻歌交じりに道を行く。
小さな身体でどこまでも。時に森越え山を越え、野を越え暗い洞窟を抜け。更には人類未到の地、魔界さえも越えていく。恐らく、いや間違いなく、この時代における最高の『旅人』。
魔族巣食う暗黒の土地さえ、恐れる事無く突き進む彼を、人々は『勇ましき者』……
『勇者』と呼んだ。
しかし、今日の鼻歌は、少し憂いを帯びた暗い音。
彼の気分が乗らないのは、自由気ままな彼には苦痛な、集会がこの後待ち受けていたからだった。
「引っ張るなよぉ、ネフィリムぅ。」
「手綱繋いで連れて来ないだけ有り難いと思って下さい。あなた、どうせすぐ逃げ出すでしょう。」
小さな勇者の手を引くのは、黒いローブに身を包む、男かも女かも分からぬ人物であった。
中性的な顔立ちに中性的な声色。男女どちらから見ても美人と取れる、彼あるいは彼女は、ようやく見えてきた人影に手を振った。
「あ、居ました居ました。おーい。ちょっと、手伝って下さい。」
手を振られた事に気付いた人影は、手を振り替えして駆け寄ってくる。
「待ちましたよ~! ネフィリム~! エルカ」
そして、二人の前に辿り着く前に派手に転んだ。
ズサァ! と顔面から滑り込んだのは、白いローブに身を包んだ、青い癖毛の女である。
地面にうつ伏せに伸びている女を、呆れた様子で見下ろしてから、二人の遅刻者は顔を見合わせた。
「……テレス。相変わらずですね。」
顔を起こした眼鏡をかけたヒューマンは、汚れたローブの胸元を見て、ふえええ、と間の抜けた声を上げた。
「仕立てたばっかりの礼服が~!」
「相変わらずドジだねぇ。手、貸そうか?」
「うぅ、エルカノ……ありがとうございます。」
勇者の手を借り立ち上がる女。眼鏡を外して、ポケットから取り出したハンカチで拭いている。折角の新品の服がドロドロの台無しになってしまった。
眼鏡をかけ直した女は涙目になりながら宙に指で印を切る。そして、小さく短くぼそりと呪文を唱えると、とんとんと服の汚れに指を当てて、最後にパンと手を叩く。
流れるような動作。さも簡単に披露した高等な分解魔術により、服を汚す泥はさらさらと微粒となって消え去った。
やれやれと呆れて苦笑しつつ、中性的な人物は懐から取り出したハンカチで、女の頬にまだ残る泥を拭き取ってやる。
「今日は服まで分解しなくて良かったですね。」
「……忘れて下さい。あれ以来、猛練習しましたので。あと、ありがとうございます、ネフィリム。」
赤面しつつ、顔にすっと手を滑らせて、残りの泥を落とす、テレスと呼ばれた女。
ネフィリムと呼ばれる中性的な人物は、彼女の肩から後ろを覗き、問い掛ける。
「ところで、他の皆はもう集まっていますか?」
「……はい。また、『魔王』と『精霊王』が『戦争ごっこ』中です。」
「……またですか。ガリュウとオリヴィアは?」
「来ていますよ。じゃあ、『戦争ごっこ』を止めてきますので。」
そう言って、テレスは踵を返して、また危なっかしい足取りで元居た場所に走って行った。後から二人もゆっくり歩いてついていく。
先程まで立っていた位置を通り過ぎたテレスの姿は、フッと唐突に消える。
後から来た二人が、苦い表情でまた顔を見合わせた。
歩いて行き覗き込めば、『大地に空いた大きな窪みの縁を、滑り降りていく』テレスの姿が見えた。
この大穴は、元から空いていたものではない。
二人の厄介者によって空けられた、『人の手による』大穴である。
大穴の中心には対峙する二人の男。
一人は頭に王冠を乗せ、赤いマントを翻す、珍妙な『王様風』の男。
一人は白い髪を撫で付けた、美しいエルフの青年。
二人が睨み合う間には、燃え盛る炎、猛り狂う水、吹き荒ぶ風、唸り乱れる土がぶつかり合い、砕け散り、周囲を凄惨たる光景へと作り替えていた。
まるで、百人の一流魔術師と、百人の一流精霊術士による魔術・精霊術戦争を思わせる戦場に、危なっかしい足取りのまま飛び込んでいったテレスが割って入った。
明らかにまずい状況だが、穴の上から見下ろす二人も、穴の底で戦争を静観している二人の人物も、誰一人として慌てる素振りを見せない。
割って入ったテレスを見た、王様風の男と、エルフの青年だけが、驚き目を見開いた。
「はい。『戦争ごっこ』オシマイです。」
テレスはにこりと微笑むと、左手に白い光を、右手に黒い光を灯し、左手を王様風の男に、右手をエルフの青年に向けた。
間に立った華奢な女を押し潰さんと迫る魔術と精霊術の暴威。
その主が術を制するまでもない。テレスはまるで子を諭す母の様に微笑んだ。
パン! と消えてなくなる大自然の暴威。
あいたたた、と両手を擦り合わせたテレスだけが、先程までの壮絶な戦争の中心に残っていた。
王様風の男は、真っ先に飛び出した。
「邪魔をするな、『導師』!」
「『勇者』と『預言者』が到着しました。これで全員揃ったので、早く始めてしまいましょう。」
王様風の男がはっとしてテレスが滑り落ちてきた側を見上げる。中を見下ろすホビットと目を合わせた王様風の男は、にたりと邪悪な笑みを浮かべると、両腕を組み仁王立ちした。
「まさか、貴様が来るとは『勇者』よ……! 良かろう! 『導師』! 今日のところは勘弁してやる!」
「片手で魔術を止められた男が言うと滑稽だな、『魔王』よ。」
「貴様が言うか、『精霊王』。」
「はいはい、どっちもどっちですから。『精霊王』様。抉った地面、盛り直して下さいね。」
エルフの青年はフンと鼻を鳴らして、右手をすっとあげる。それにあわせて、抉れた地面は次第に盛り上がっていき、巨大な大穴は見る見るうちに消えていった。そして、土の地面が広がる大地には、にょきにょきと草木が生えてくる。
何もなかった荒涼とした空間は、一瞬で自然豊かな大地へと姿を変えた。
わぁ、凄い、と素直な感嘆の声を漏らし、にこりと笑ったテレスが再びパンと手を叩く。
「今日は久しく七人全員が集まりましたね! 私、感激です! それでは早速始めましょう! 今日の議長は……」
「私がつとめます。今日は重要な議題がありますので。」
手を挙げ、ネフィリムが前に出る。
すると、『精霊王』と呼ばれたエルフの青年はふむと傍らの小柄なホビットを見て、顎をさすった。
「『勇者』を連れてくる程の議題、ということか?」
「ええ。既に噂は聞いているでしょう。」
ネフィリムが腰を下ろすのに合わせて、他の六人もぞろぞろと生い茂る草のベッドに腰を下ろす。
『戦争ごっこ』も一時中断し、話し合いの姿勢に全員が入った事を確認してから、ネフィリムは今日の議題を口にした。
「『仮面の王』についてです。」
人類。
それはヒューマン、エルフ、ドワーフ、その他様々な種族からなるこの世界の中心を成す種族である。
人類は双眼を持つ。人類は二つの耳を持つ。人類はひとつの鼻を持ち、ひとつの口を持つ。
二本の足で人類は立ち、二本の腕を器用に扱い生活する。
特徴の違いこそあれど、ヒューマン、エルフ、ドワーフ、彼らに近い者が人類。
ドワーフの王、ドヴォルグが治める生産の国『ベルメリオ』。
エルフの王、ティータが治める自然の国『カエルレウス』。
ヒューマンの女王、イザベルが治める文化の国『アスファル』。
大陸『エルガデン』の人類の土地『人界』は、この三大国を中心に回る。
そして、それらの頂点に立ち、人類の平和を守る者が居る。
それが時代の最高峰の英雄を集めた『七英雄』である。
神の言葉を聞き届ける者が居た。
始めは毎日の天気を占うだけであった。百発百中の占いに興味を持った人が集まった。
人が集まり始めた時、集まる人々のその日の出来事を占い始めた。
その忠告を聞き入れた者は、何事もなく平穏に過ごした。
イカサマだ、とその者を罵り、忠告を無視した者がその予見が真実である事を証明した。
噂は広まり、誰もその者を疑わなくなった頃から、その者は大きな予見を語り出した。
ある時は大災害を予見し。ある時は魔族の襲撃を見通し。ある時は隠された秘宝を見つけ出し。
未来を、運命を見通すその者は、いつしか偉大なる神の言葉の代弁者、『預言者』と呼ばれるようになった。
「魔族の一国、シャドウの治める国が『仮面の王』の支配下に落ちました。」
中性的な顔立ち。中性的な声色。彼あるいは彼女が男なのか、女なのかを知る者は居ない。
ヒューマンらしき容姿を持つが、種族も不明。
彼(便宜上そう呼ぶ)は『預言者』と呼ばれる『七英雄』の一人。名をネフィリムといった。
彼の言葉の信憑性の高さは、他の七英雄の面々も認めている。
しかし、他の七英雄は動じない。
「しかも、単騎で、と来た。僕も現地で見てきたよ。いやぁ、凄まじかったね。」
だが、『勇者』と呼ばれる旅人、エルカノがそう言うと、初めて数人が表情を動かした。
ふう、と溜め息をつく、中年のヒューマンが刀にもたれ掛かり苦い顔をする。
黒いボサボサの髪を後ろで結い、髭は剃り残しがところどころに目立つ、くたびれたおっさんである。
「てっきり、子分を総動員したのかと思って聞いてたぜ……。骨が折れるなぁ……。最悪、そのバケモンの相手を俺らがやらにゃいかんのだろ? はぁ、しがないおっさんにゃ荷が重いぜ……。」
「相変わらずくたびれてんなぁ、おっさん。」
「腕は全くくたびれていないですがね。」
からからと笑うエルカノに続いて口を開いたのは、白塗りの全身鎧を纏ったヒューマンの女である。金髪を後ろで一本の三つ編みにし、細めた目から碧眼を覗かせる。女は、ほんのり赤く染まり、少し腫れた頬に手を添えながら、むすっとした様子である。
「『剣聖』の名高き貴方に荷が重いと言われてしまっては、私の立場がないではありませんか。」
「いやいや、手合わせして思ったけども、大分腕が上がってるよオリヴィアちゃん。手ぇ出すつもりは無かったけどもさ、思わずほっぺたに当てちまった。綺麗な顔に傷付けちまって悪かったね。」
「未だ貴方に一撃を掠らせる事すらままならぬ未熟者に、勿体ないお言葉を。頬の事はお気になさらずに。私から申し出た手合わせです。……あと、綺麗ではありません。」
「堅っ苦しいねぇ、オリヴィアちゃんは。もっと肩の力抜いてさ。あと、鎧脱いだら? 重くない? あとで、デートする?」
「鎧は常に気を引き締める為の修行の一環です。堅っ苦しいと良く言われますが、生来の性格です。あと、デートはしません。時間が惜しい。そんな時間があるなら……」
「素振り千本でもする、だろ? 真面目だねぇ。」
一見不抜けたおっさんであるこの男もまた、当然『七英雄』の一人にして、『七英雄』最強の呼び声もある剣士。
『剣聖』ガリュウ。その神がかりな剣術には、様々な逸話が残されている。
そんな『剣聖』と手合わせし、一方的に負かされたというこちらの女も、この席に居るように『七英雄』の一人で、決して弱くはない。
ある村への強力なオークの軍勢の襲撃の際に、賞金首のボスを含めて、群れを全滅させたという『オーク百匹狩り』の伝説を持つ騎士。その後も世界の端から端まで、多くの人助けを繰り返した彼女を、救いの女神として称える者も多い。
『聖騎士』オリヴィア。今は手合わせを申し込んだガリュウに全く歯が立たず、少し拗ね気味である。
「また手合わせのかぁ。しばらく振りに会っても変わらないね。どいつもこいつも本当に戦闘狂だなぁ。」
エルカノが先程まで戦争規模の大喧嘩を繰り広げていた二人をちらりと見た。
「……『勇者』。それは私の事を含めて言っているのか? 勘違いするな。この汚物が私に絡んで来ただけだ。」
「先に喧嘩を売ったのは貴様だろうが『精霊王』。吾輩は売られた喧嘩を買っただけである。」
「いいや。先に喧嘩を売ったのはお前だ『魔王』。」
「貴様だ。」
「いいや、お前だ。」
「はいはいそこまで!」
睨み合う二人の間にテレスが割って入ると、『精霊王』と『魔王』は舌打ちをして互いに顔を逸らした。
王冠に赤マントを纏う、少し滑稽な格好の王様風の男。魔術を極めた魔族とヒューマンのハーフ(自称)。魔界に住まう魔族からも恐れられる魔術の腕(本人談)故に、誰かが呼んだわけではないが、彼自身で『魔王』と名乗る、傲慢なる王。
『魔王』シュバルト。一応、腕も本物である。
そんな彼とは相容れぬ、『魔と対を成すもの』。
精霊を従え、自然の力を借りる『精霊術』を操るエルフの精霊術士。
あらゆる精霊を統べるだけの力を持つ故に、彼は精霊の王と呼ばれた。
『精霊王』オーベロン。『魔王』とは顔を合わせる度に殺し合いとも思える喧嘩を繰り広げる。
「今は『仮面の王』の話です。オリヴィアもガリュウも、積もる話はまた後で。」
「も、申し訳ありません『導師』様。」
「いえいえ、オリヴィア。謝る必要はないですよ。普段はそれぞれ忙しくて顔を合わせる時間もないですから。月一の顔合わせで話に花が咲くのは仕方が無い事です。後でゆっくり交流するとして、メリハリをつけていきましょう。」
眼鏡をくいと持ち上げて、『導師』テレスは笑顔を一転、真面目な表情へと作り替える。
「しかし、恐ろしいですね。『仮面の王』。そこまでの力を持っているとは。」
「大した事はない。『預言者』。とっとと奴の寝床を暴け。そうすれば吾輩がすぐにでも片付けよう。」
自信たっぷりにシュバルトが言う。すると、テレスはその慢心を諫める事なく、「まぁ」と軽く頷いた。
「『その程度』止まりであれば何ら問題はないでしょう。シュバルト一人で問題なく討伐できる筈です。」
さらりと言うテレスに、シュバルトは若干むっとした。
「……というと?」
「厄介なのは、彼の率いる軍団、『仮面軍』の規模が未だ見えない事です。今回、シャドウを配下におさめた仮面の王の下に、一体どれだけの勢力が築かれているのか……。」
「取るに足らぬ雑兵であろう。仮面の王さえどうにかなれば問題あるまい。」
「そうもいかないんです。ネフィリムからの報告を受ける前から、私も少し気になっていたので、各地の『教え子』から情報は集めていたんですよ。」
テレスは頬に手を添え、悩ましげに目を閉じた。
「『黒騎士』。噂くらいは知っているでしょう。」
「ああ、あの最近各地で噂の『道場破り』かい。」
知っているといった口調でガリュウが口を挟む。
「昔馴染みから聞いてるぜ。何でも名のある武人を相手に腕試しして回ってる、黒い鎧の大剣使いだって話だ。実際に見た事ぁないが、凄まじい腕前らしいな。」
「実はその『黒騎士』が、仮面の王の元に居るらしいのです。」
その一言に驚きを見せたのは、『黒騎士』を知るガリュウではなく、黙って話に耳を傾けていたオリヴィアであった。
「『黒騎士』……。」
「オリヴィア。何か?」
「……いえ。何でもありません。」
しかし、驚きは一瞬で、すぐに表情は消える。
「知らんな。しかし、一人や二人、名の知れた猛者が居ようとも、吾輩の、この『魔王』の前では……。」
「一人や二人で済めばいいのですがね。」
黒騎士と聞いても、「誰だそれは。」とでも言いたげなつまらなそうな表情だったシュバルト。案の定彼の口をついた自信に溢れた一言を、テレスはすぐに遮った。
彼女の言葉に同調するかのように、難しい表情で顔を伏せるのはネフィリム。彼もまた、テレスと同じ懸念を抱いている。
「それはどういう意味だ?」
「いえ。私も明確な情報を持っている訳ではないのです。ただ、黒騎士クラスがもっと多く、仮面の王の下についていたとするならば……流石に厳しいと思いませんか?」
テレスの言葉にシュバルトは即答する。
「思わんな。吾輩は無敵である。」
「大した自信……いや、慢心か。」
「貴様とは違うのだよ、『精霊王』。」
「はい、喧嘩やめて下さい。確かに、シュバルトならばそれでも何とかなるかも知れませんが、まぁ、ひとまず聞いて下さいよ。いや。『聞いてみましょう』、と言うべきでしょうかね?」
テレスが視線を向けたのはネフィリム。ああ、と納得したようにシュバルトも、他の七英雄も一様にネフィリムの方を向いた。若干気まずそうに顔をしかめ、預言者は困った様に頬を掻く。
「……いや。非常に申し上げにくいのですが。『見えない』んですよ。仮面の王については一切の未来、運命が。」
これには今まで余裕の表情を見せていたシュバルトの表情も、笑顔のままであったテレスの表情も崩れた。若干、笑顔が固くなったテレスが、問う。
「今までにそういった人物を見た事は?」
「あります。数える程しか居ませんが。中には大成した方も居ましたし、呆気なく消えてしまった者も居ました。」
「つまり、本当に、一切読めないという事ですね。それだけで十分過ぎる程に脅威です。」
緊張が高まる中、あー、と間の抜けた声が空気を緩めた。
声の主は、適当に話を聞いていた勇者エルカノ。
「君が言ってた『忌まわしき者』っていうのはそのことか。」
ネフィリムの視線がぎゅるんとエルカノの方へと向く。
涼しい顔でネフィリムは「何の事です。」ととぼけて見せた。
エルカノがにたりと意地悪く笑う。
「君はやっぱり、君でも見通せないものが怖いんだね。」
おやおや、と不和を楽しむように、『魔王』がエルカノとネフィリムを交互に見ている。
しかし、ネフィリムは涼しい顔でさらりと答えた。
「ええ。だから、私は貴方が怖い。」
「あ。僕、もしかして嫌われてる?」
「今更気付きましたか?」
「うわぁ……ショックだ……。」
「はいはいすみませんね。まぁ、面倒臭いお子様は無視して、話を進めましょう。」
本気で凹んでいるエルカノを無視して、ネフィリムは懐に手を入れる。そこから取り出すのは、ひとつの小さな水晶玉。左手に載せた水晶に、右手を滑らせて、ネフィリムは水晶の中を覗き込む。
意外そうにテレスが尋ねる。
「見えないのでは?」
「『仮面の王』は、です。感謝しますよ、テレス。貴方の情報で、『兆し』が見えた。」
「成る程。追うのは『黒騎士』、ですか。」
煌々と水晶玉が光り輝く。その光を反射してか、ネフィリムの青い瞳も水色に輝いていた。ぎゅんとその瞳孔が小さくなり、刺すように水晶に視線を送り込む。
青い光が草原を包み込む。思わず数人は目を覆い、一人はぴくりと顔を動かし、斜め後ろに視線を送った。
「見えた。」
ぽつりとネフィリムは呟き、口の端をつり上げる。それは『預言』の終了の合図。
眩い青の光は次第に弱まり、水晶玉の中に吸いこまれるように消えていった。
水晶を懐にしまい込むネフィリムに、真っ先に声を掛けたのは、『聖騎士』オリヴィアであった。
すっと立ち上がり、ネフィリムの前に立つ。意外そうにネフィリムはオリヴィアの顔を見上げた。
「私が出ましょう。」
「意外ですね。貴女から名乗り出るとは。」
「皆さんの手を煩わせるまでもありません。足を動かすのは下の者の仕事ですよ。」
「……勘違いなさらずに。私は貴女を評価しています。だからこそ、貴女に預言を託しましょう。皆さん、異議はありませんね?」
ネフィリムの問いかけを受けた七英雄五人が、無言で縦に頷いた。
そして、口々に言う。
「オリヴィアちゃんなら大丈夫っしょ。」
ガリュウは適当に言った。
「僕より断然強いしね。」
エルカノはにへらと笑いながら言った。
「下っ端は任せた。貴様ならば問題あるまい。仮面の王は吾輩の獲物だがな。」
シュバルトは胸を張っていった。
「異論などあるまい。唯一の仮面の王に至る手掛かり。私もお前になら任せて良いと言える。」
オーベロンは力強く言った。
「無理はしないで下さいね、オリヴィア。心配はしていませんが。」
テレスは和やかに言った。
全員の、彼女を認める言葉を受け、全員を見回して、オリヴィアは相変わらずの堅苦しい表情で、そっぽを向いて、ぼそりと言った。
「……はい。」
「照れてんのオリヴィアちゃん? 可愛いなぁやっぱ。」
「照れていません。あと、可愛くもありません。」
つかつかと歩いて行き、離れた地面に突き刺していた太い重々しい槍を、片手でひょいと持ち上げて、白い鎧の『聖騎士』は遠くをじっと見据えた。
「必ずや『仮面の王』の尻尾を掴んでみせます。」
力強く言い放つ、強い意志の籠もった声。
一方で、その目がどこか違った遠くを見つめている事を、テレスの眼鏡の奥にある瞳だけが見通していた。
「他には報告事項はありません。各国の王には私から報告をしておきます。」
「あ。はい。よろしくお願いします、ネフィリム。では、これにて解散としましょう。」
パンと手を叩いてのテレスの号令に合わせて、ぞろぞろと七英雄は立ち上がる。再び喧嘩を仕切り直すものもいれば、ふらふらととっとと帰路につく者もいる。
「では、すぐに『預言』をお伝えするので、一緒に来て下さい、オリヴィア。」
「はい。」
『仮面の王』をターゲットに見据え、動き出した『七英雄』。
一番槍、『聖騎士』オリヴィアは、力強い足取りで、先を行くネフィリムへと続いた。
魔術には悪意が潜んでいる。
亜人類とは異なり、明確たる『悪意ある種族』、魔族。
彼らが使う魔法を模した、悪意ある術、魔術。
火の恩恵を得る火の精霊術に対し、魔術は火により害する事を目的とする。
それは『隠れ、盗む』悪意を秘めた魔術であり、同じ魔術に長けた者、更に言えば『その魔術を生み出した者』である王様風の男にしか分からなかった。
「ヴァルガンジーナ。近すぎる。用心を忘れるな。」
『精霊王』の力で生えた木の陰に隠れていたものは、すっと顔を出した。しかし、顔は見えない。木の陰に隠れていた者は、全身透明の透明人間であった。
解呪の呪文を唱えて、透明化を解くと、初めて女の姿が現れる。
整った顔立ちのヒューマンの女。特徴的なのは額に埋め込まれた黒い小さな宝珠。
「申し訳ございません、魔王様。」
「アホ面を並べていても、あれでも七英雄と呼ばれる者達だ。たとえ、吾輩が授けた魔術であれど、見破られる可能性がある。特に……『勇者』エルカノ。奴だけは油断ならない。」
「流石です、魔王様。この世界に貴方に敵う者など一人として居ないにもかかわらず、一切の油断、隙のなさ。これではあの『仮面の王』であれど、万に一つ、いえ、億に一つも問題になることはないでしょう。」
「だろう?」
女、魔王の従者、ヴァルガンジーナは無表情で拍手する。
顎に手を当て、得意気に魔王は笑う。
「で。何の用で此処に来た? いや、当ててやろう。お前は何か報告があって、吾輩の元に駆け付けた。違うか?」
「流石です、魔王様。人心を把握するその眼力。力だけではない、その能力。果たして誰がつけいることができますか。」
「だろう?」
ヴァルガンジーナは無表情で拍手する。
顎に手を当て、得意気に魔王は笑う。
「三件、報告があります。」
「手短に済ませろ。」
「はい。まず一件、ベルメリオのダゴの魔晶鉱山が仮面の王の軍勢に襲われました。現在も仮面の王の軍勢一部が残り占拠中です。」
シュバルトは特に気にした様子もなく、ほう、と呟いた。
「ベルメリオでの魔晶採掘量は?」
「目標量の89.1%です。」
「ならば、他所で取り戻せる。無理に主戦力を動員する必要もない。残った雑兵の動向は引き続き監視しろ。」
「はい。では次。『拳王』との交渉に出向いたハシュヴァルトが返り討ちにあいました。」
今後は苦い顔。
「……何でまた。粗相でもしたか?」
「『強そうだったから』、だそうです。」
「あの筋肉オバケは本当に何なんだ……。」
「交渉は失敗。魔界遠征の予定に変更はないようです。『オレより強い奴に会いに行く!』、だとか。」
「……まぁ、武者修行というだけなら問題あるまい。」
「あと、『筋肉昂ぶる!』、だそうです。」
「その情報はいらない。」
「そうですか。では、次。」
次の報告を聞いた瞬間、シュバルトの表情は凍り付いた。
「『勇者』エルカノが魔界北北西、ゴースト領を踏破しました。」
「…………何だと?」
「『ギロチン』とも接触した模様。敗れた訳ではなく、取り逃がしたとの事です。幸いこちらの計画に勘付かれてはいないようですが、いよいよ魔界深部手前です。」
「本当に目障りな小ネズミだ……! これ以上進まれたら流石に隠しきれんぞ……!」
「如何致しましょう。主戦力を投入し、始末しますか?」
忌々しげに額を押さえ、シュバルトは考える。
「……下手に動くな。『まだ』人類は敵に回せない。それに、主戦力を小ネズミ程度に割くわけにいかん。戦力配分は今まで通りに『異次元うさぎ』に回せ。あとは、来たるべき戦に向けて温存だ。」
「ちなみに、『異次元うさぎ』に目立った動きは見られません。」
「絶対に、うさぎだけは目を離すな。恐らくこの地上で唯一、吾輩の力に及びうるのはうさぎだけ……。奴さえ潰してしまえば、『玉座』まであともう一歩なのだ……!」
頭に載せた王冠に手を添える。
シュバルトの怒りに呼応するように、異様な魔力が溢れ出す。
その人ならざる魔力に、ヴァルガンジーナは身震いした。
「……世界の王は吾輩である。」
勇者は冒険が好きだ。
面倒な集会も終えて、今日も地図を広げる。
彼が作成している途中の書きかけの地図。つい最近、踏破したゴースト領に指を置き、次に進むべき道を見定める。
「先に進むか……いや、たまには足を止めてみてもいいかも知れないかな。」
一人、勇者は想起する。思い浮かべるのは、片手で魔族の軍勢をねじ伏せた、恐るべき仮面の王。
勇者はあれを敵に回すつもりはない。
しかし、あれに興味はあった。
「確か、アレはシャドウだったっけ。……あまり友好的な種族じゃないけど、シャドウの国、行ってみてもいいかも。」
新しい冒険の予感に、勇者は子供の様な笑顔を浮かべて、巨大なバックパックを背負いなおした。