好きだけど、関係ない
嘘を吐いた結果、酷いことになる。
でも、多分、嘘が本当のことだったとしても、同じことだよ。
それはともかく明けましておめでとうございます。
今年も大過なく過ごせますように。
小賢しいことを考えても、あんまり意味はありません。
『告白とかしないの?』
『しません。今の距離感を壊したくないとか、そういう理由ではないんですけどね』
『……なにか訳ありってことでいいのかな?』
『理由なんて些細なものです。オレがヘタレってだけの話ですよ』
『ヘタレなのは見れば分かるけど……』
『家から追い出したろか、この会長め……って、オレが言えたことじゃないですね』
『まぁ……いいんじゃない? 確かに、幼馴染だからといって距離が近過ぎるのはいけないと思うし、それをなんとかしようと思っての狂言なら、付き合ってあげてもいいよ。五郎ちゃんも同じようなことしたわけだし、男の子ってそういうもんよ?』
『……すみません』
『謝らなくてもいいってば。……まぁ、私なら事後承諾でも頷いてくれるだろうと思われたのは少し癪だけどね。恋愛に関してはそんなに軽い女じゃありません』
『むしろ、重いから男に逃げられるんじゃ……』
『事実をありのまま指摘するなって言ってるでしょうが!』
『……会長は、ちゃんとしてますよね』
『へ?』
『いえ、なんとなくそう思っただけです。ちゃんとしてるって、思いました。自分のやっていることに自覚があって、責任が持てるって、すごいことだと思います』
『……そ、そんなことは……ないけどね。もっとしっかりしろって言われるし』
『しっかりしなきゃいけないのはオレの方ですよ……会長は、すごい人ですよ』
『…………むぅ』
結崎と生徒会長が付き合っているという噂は、野火のように広がった。
とはいえ、結崎の方は見た感じは大したことがないかのように振舞っていた。まるでテンプレートであるかのように、誰に聞かれても同じ回答をし、同じ対応だった。
告白は自分から。まだ手も繋いでない。受験や就職の邪魔にならないようにする。
気取った風もなく、浮かれた感じもなく、まるで事務的な手続きのよう。
会長の弟の植草に対しても、同じような対応だった。
ただ、今日ばかりは会長とは顔を合わせづらかったのか、生徒会の用事は僕に放り投げて、さっさと帰ってしまったのが少しばかり印象的だった。
「如月。ちょっといい?」
「んー?」
放課後、植草に呼び止められて、僕は足を止める。
植草の目は少しだけ鋭くなっている。仕方がないといえば仕方がないだろう。今は彼女がいて多少姉離れが進んでいるとはいえ、少し前までは普通にシスコンだった男だ。
恐らく、今でも、姉のためならクラスメイトの腕をへし折るくらいは平気でやる。
「結崎君とお姉……じゃなかった。姉さんのことなんだけど、どう思う?」
「どう思うって、わりとどうでも……いやいやいや、睨むなよ。冗談だよ。会長のことはどうでもいいけど結崎のことはどうでも良くないよ」
「……どう思う?」
「付き合ってはいないと思う。結崎の対応にそつが無さ過ぎる。意図は知らないけど、なにか事情があって口裏を合わせてるんじゃないか?」
「………………」
僕の返答に対し、植草は渋面になった。
あまり考えたくない可能性を、僕がそのまま口にしたせいだろう。
肩をすくめて、念のために、言葉を続けた。
「一応言っておくけど、結崎を投げ飛ばしたりするなよ?」
「頼まれたってしないよ……そもそも、如月の妄言や妄想の可能性もあるし」
「なんで植草は、僕に対しては妙に当たりがキツいのかね? 僕がなにを言われても傷付かないと思ったら大間違いだぞ?」
「傷付いたなら悪かったよ……そもそも、今回の話ってどこから出て来たのかな? ぼくが学校に来た時には、もう大っぴらな話題になっちゃってたけど……」
「広めたのは石村だろうから、石村に聞くのが確実だとは思うけど、あんまり当てにしない方がいいかもね。石村がなにもしなくても噂話なんて誇張して肥大するもんだしな」
「……そっか」
「そもそも、会長と結崎の問題だから、僕らが首を突っ込んじゃまずいだろ」
「………………」
石村未来という女がいる。噂が好き過ぎて、ゴシップに飛びついてはテキトーに噂を吹聴する女だ。噂は好きなくせに、その噂で誰かが犠牲になるのは死ぬほど嫌いという妙な女で、テキトーな噂を広めては収束させ、また広めるということを繰り返している。
この学校の噂話の大半は、石村未来が広めているといってもいい。
しかし……石村が広めるのは根がある噂話だけだ。噂話に葉や花や実をつけるのは、いつだって噂話を楽しんでいる悪意のない誰かだったりする。
付き合っているかは分からないが、石村が広めた噂なら、結崎と会長の間になにかがあったのは間違いない。
植草は目を細めて押し黙ると、ちらりと僕の方を見て、口を開いた。
「首を突っ込むつもりはないけど、ちょっと心配でさ」
「彼女ができてもシスコンは……いや、悪い。仲の良い家族ならわりと普通か」
「姉さんじゃなくて、心配なのは、結崎君の方だよ」
「……どういうこと?」
「噂話の領域の話で、結崎君と同じ中学校で別のクラスだった五十鈴さんから少しだけ小耳に挟んだだけのことなんだけどね……うん……あまり良い話じゃない」
「黒歴史か。それなら別に聞かなくてもいいな」
「如月は、それでいいの?」
「いいに決まってんだろ。例えば、僕のこの上半身の傷跡は養子に出される前に僕を飼育していた元飼い主こと両親が、DVがバレないように細心の注意を払って付けた傷だということをバラして、誰が得するんだ? 誰かの心が疼くだけだろ?」
「ぼくの心が疼くよ! さらっと衝撃のカミングアウトをしないでくれるっ!?」
「ま、そんなもんだ。黒歴史ってのは、過去のことだしどうにもならない。話せば楽になるとは言うけど、黙って話を聞いてくれる聞き上手なんてどこにもいない。誰だって『でも』『だって』『それは違う』を言いたいのさ。人の話なんてものは、なにも言わずに頷いて聞いてりゃいいのに、余計なことを言いたがる。自分を主張したがる。お前の話なんてどうでもいいから、とりあえず私の話を聞けと言わんばかりにな」
「……如月の話が長い時は、大抵怒ってる時だよね」
「はっはっは」
軽やかに笑ったが否定はできない。怒ってはいないけどムカついてはいる。
僕は、わりと『聞き上手』というやつが好きなのだ。
黙って話を聞く人は少ないけど、小気味良く相槌を打って話を聞く奴は、いる。
「まぁ……どうでもいいとは言わないけど、無関係な人間が立ち入っちゃいけない話で、会長と、結崎の問題だ。僕には関係ない。関係する権利がない」
「ぼくには少しだけ関係あるけどね……色々と思う所は、あるよ」
「上手く行き過ぎたら結崎が親戚になるな。ただ、その『色々と思う所』は植草の彼女に使った方がいいんじゃないか? 僕らみたいなモテない男には最初で最後のチャンスかも分からんし、気配りってのは意外と大事らしいぞ?」
「そうだね……もう少し自制しないとな。いや、でもあと一押しくらいは……」
「あの、植草さん? クソ真面目な顔でエロいこと考えるのはやめてくれません?」
「エロくないこともちゃんと考えてるよ!」
それはつまりエロいことも考えているということなのだが……まぁ、いいや。
それはそれで、植草と彼女の問題だ。僕にはマジで関係がない。
と、そこで不意にチャイムの音が響いた。下校時刻をそれなりに過ぎた予鈴。部活をやっている生徒にとっては折り返しで、教師にとっては仕事のピーク。
部活をやっていない帰宅部にとっては、下校時刻をとっくに過ぎた時間。
「植草、僕はそろそろ帰るよ」
「あ、うん。引き止めて悪かったね」
「いやいや……あ、それと、僕の傷跡のことは秘密な? 特に女子連中には言うな。ウチのクラスの女子は口が軽過ぎる奴が多い。固い奴はとことん固いけども」
「頼まれなくても絶対に言わないけど……うん、了解したよ」
「んじゃ、また明日」
「また明日」
手を振って、植草に背を向けて歩き出す。
いつも通りの日常。いつも通りじゃなかったのは、クラスメイトがゴシップに巻き込まれたくらいか。それも一ヶ月……あるいは、一週間もすれば過去の話になるだろう。
噂話なんてそんなもんだ。
下駄箱で靴を履き替えていると、見慣れた顔を見つけたので声をかける。
「よ、鮫島。今日はわりと早いんだね」
「んー……まぁ、なんとなくね」
「なんか落ち込んでる?」
「まぁね……私は女だけど、女同士の付き合いに疲れることもあるのよ」
「そりゃ、男女問わずグループによってテンション違うからな。男同士でも波長が合わない連中だと会話は弾まんし。……疲れたんなら、帰りにクレープでも食う?」
「如月は甘い物好きよね。悪いけど、今ダイエット中」
「んじゃ、適当に遠回りして歩いて帰るか。話くらいなら聞いてやれるぞ」
「前はそう言って古賀の家に寄ったわよねっ!?」
「古賀ちゃんの家はコーヒーも美味いし……ケーキ食べたのは鮫島だけだよ?」
「女がケーキ屋でケーキ食わずに帰れるかー!」
ばしばしと軽く背中を叩かれつつ、僕らは学校を出る。
学校を出たところで、不意に鮫島は言った。
「あのさ、如月」
「なに?」
「私はさ……結構、秘密にしなきゃいけないことは秘密にする……なるべく、秘密にするんだけど、それを簡単に言っちゃう子もいるのよね」
「………………」
「そういう子は……うん、ちょっと苦手」
絶対に秘密だよと言いながら、お喋りのネタになってしまう。
男女問わずよくあることだ。半笑いで話を聞きながら『え? 今の話って言っちゃ駄目なやつなんじゃねぇの?』と、そんなことを思いながら半笑いで秘密の話を聞き留めたり、聞き流したり、吹聴してみたり。
鮫島は、吹聴できないタイプの女の子だ。口はわりと堅い。
だからこそ、自分ができないことを平気でやってしまう誰かが信じられなくて……なんとなく許せない気分なのだろう。
「苦手なら苦手で仕方ねぇよ。口の軽い奴を苦手に思うのは普通だよ」
「それ以外は良い子なんだけどさ……良い子なんだけどね……なんかこう、時折男子に媚びた態度が鼻につくのよね……」
溜息混じりに、鮫島は愚痴を吐く。人として溜めておけないものを吐く。
許せないものを吐き出して、納得できないことを吐き出し続ける。
それはきっと、人間には必要なコト。
今日はいつも通りではなく、ダイエットがてら、ほんの少し遠回りして鮫島の愚痴を聞きながら、帰ることにした。
次の日、結崎忍はこの上なくやる気に欠けていた。
なにをしていてもやる気がない。やる気が出てこない。有体にいえば鬱だった。
(……ホント、アホだな。オレは)
やる気が出なくても、やらなきゃいけないことはあるのに。
踏ん切りを付けるまで一日ほど時間がかかった。今日も本当は帰ってしまいたい気分だったが、放課後には謝ろうと思って、こうして生徒会室に向かうことくらいはできている。
息を吸って、息を吐く、意を決して生徒会室の扉を開けた。
「……どうも」
「はい、どーも」
生徒会室には、美恵子しかいなかった。
なんとなく息苦しさを感じつつ、美恵子の正面の席に座る。ちらりと美恵子の様子を横目で伺うが、珍しいことに……特に変わった様子もなく……淡々と作業をしていた。
「あの……会長」
「勘違いしないでね、結崎君」
「へ?」
「ツンデレとかじゃなくて本当に勘違いはしないで欲しいのよ。あなたは確かに色々な仕掛けをしたけれど、それに私は一枚噛んでいて、決してあなただけのせいじゃない」
「……あの、一体どういう意味ですか?」
「ミステリー小説風に言えば、解答編ってところかしらね」
パソコンから目を離し、真っ直ぐに忍を見据えて、美恵子は口元を緩めた。
「まず、最初に言っておくわ。今回の噂についてだけど……広めたのは石村ちゃんだけど捻じ曲げたのは私よ。文枝ちゃんのために、結崎君には少しばかり犠牲になってもらいました。噂が文枝ちゃんに波及すると、恥ずかしがっちゃうからね」
「噂の矛先をあえて自分とオレに当てることで桜庭副会長から標的を逸らしたってわけですか? 桜庭副会長にはホント甘いですね……いや、親友なら当然ですか?」
「当然ってほどでもないんだけど、私の人生においては貴重な友達だしね……とまぁ、それはともかく、ここまでの結崎君の態度で予想できるんだけど、君はこういう展開になることを、ある程度予想していたね? むしろ誘導した」
「してるわけないでしょ」
「いや、してたね。これに関しては確信がある」
「確信?」
「学年三位。全国模試七位。ずいぶんとおかしな成績だと思わない? 結崎忍君」
「それは確かにオレの成績ですが、どこがおかしいんでしょうか?」
「結崎君のクラスには全国模試一位の牧村さんみたいな、ブッチ切りのアホ天才がいるから一位っていうのは無理なんだろうけど、学年二位の津村さんは全国模試だと二十三位くらいだよね? 全国模試で勝ってる結崎君が学年順位で津村さんに負けてるっていうのはイマイチ納得いかないし、そもそもなんでそんなことになっているのかな?」
「……たまたまじゃないですか?」
「たまたまはない。今言った学年順位も全国模試の順位も『高校一年間』のものよ。期末テスト一度程度ならたまたまもあるかもしれないけど『一年間』通じての学業の成果にたまたまはない。……違いがあるとすれば学校テストと違って、君が受けた全国模試は希望性で、その結果は個人にしか通知されない。津村さんは自分より成績の良い人に食ってかかる女の子だよね? たまたまでもなんでもない。君は津村さんとの摩擦を避けた……というか『面倒な女の子』との摩擦を避けたんだ」
「………………」
「さて、ここで疑問が浮上する。狙ってクラス順位三位を取れるような男が、全国模試七位の男が、どうして進学校でもなんでもない極々普通のこの学校に通っているのか? 私は近いからだし、文枝ちゃんは当時親御さんとの折り合いが悪かったからで、それぞれに事情はあるけれど、結崎君の事情はなんだったのかな?」
「純粋に成績の問題ですよ……中学校時代は、そんなに成績良くなかったんで」
「そうだね。中学三年生の一年間、凄まじく酷くなっているね?」
「どうやって調べたんですかっ!?」
「方法は企業秘密。まだ起業してないけど……それはともかく、中学三年生の一年間の間になにかが起こったのは確実だよね。なにが起こったのかな?」
「さっきから疑問をぶつける形にしてますけど、言わせたいんですか?」
「うん。できれば言って欲しいね。もしも私の想像が大外れだったら恥ずかしいから」
「……続きをどうぞ」
「成績を落とした要因その一。結崎君はおじいさんの介護をしていた」
「………………」
「生々しい話になるから詳細は避けるけど、老人介護はビジネスになる程度の重労働だ。本来なら中学生には勤まらないくらいの重労働だよ。心身共に疲れ果てる。勉強なんてしていられない。余裕なんて残らない」
「……そうですね。でも、じーさんを見捨てることは、オレにはできませんでした。オレにとっては良いじーさんでしたしね……オレの両親に見捨てられるような人でも」
「それでいいんだよ。誰かを見捨てることは、自分の心に影を落とす。後ろ暗さは生き辛さに直結するものだからね」
「知った風なことを言いますね……」
「怒った? でも、私もある程度は後ろ暗いからね。ブラコンってのは、伊達でも酔狂でもないんだよ。結崎君のおじいさんのことと比べるつもりはないけど……大衆からそっぽを向かれることを抱えているというのは、それだけで負い目になるものよ?」
「……話の続きをどうぞ」
「うん……といっても、長い話じゃない。今から話すことがが核心で、恐らく……君が私を巻き込んでまでやりたかったことだと、私は思っている。誰にとっても大したことじゃなくても、君にとっては本当に大事なことだと、私は思うよ」
そこまで言って、美恵子は真顔から苦笑に表情を変えた。
あるいは、その表情は泣き笑いに近いものだったのかもしれない。鈍感だ自分勝手だと言われている彼女が、同情を禁じ得ないほどに。
そして、美恵子は核心を突いた。
「成績を落とした要因その二。付き合った女が地雷だった」
結崎忍は、特に反応を見せなかった。
見てそれと分からない程度に口元を緩めて、誰もがやっているように息を吐いた。
「地雷ってほどじゃありませんよ。感情の振れ幅が大きな女の子だっただけです」
「世間じゃそういうのを『地雷』っていうんだよ。多感と言えば聞こえはいいけどね、実際はお姫様やヒロインを気取りたい、中二病の、痛い女だよ。人懐っこいように見えて人を差別する、同性にも異性にも嫌われるタイプの子よ。君はそういう女に引っかかったんじゃないかな?」
「……会長みたいな?」
「似たようなものだっていう自覚はあるけど、彼女たちと私との違いは自覚があるかどうかってところかな。結崎君。こう言っちゃなんだけど、君は、本当に、すごく良い人だと思う。良い意味でも悪い意味でも良い人だと思う。良い人だから搾取されてしまった」
「搾取? なにを搾取されたって言うんですか? オレは搾取なんてされていない」
「されたよ。結崎君……君は『善意』を搾取されたのよ」
「…………ッ」
「おじいさんの人生の終わりと、ヒロイン気取りの地雷女に振り回された日々は、決して楽しくはなかったはずだよ。それでも君はその二つを並行した。少なくとも地雷女の方は切り捨てても良かったはずなのに、善意がそれを許さなかった。彼女への少なくはない好意がそれを禁じた。……お付き合いにあるはずの『見返り』がないことを、薄々感じていながらも、君は良い人だから見捨てたり逃げたりが、どうしてもできなかった」
「……オレは、そんなに良い人間じゃありませんし、全部……昔のことです」
「そうだね。……じゃあ、今のことを話そうか?」
「今ってなんですか? オレは今の生活に特に不便はないし、特に問題もない」
「問題がないんだったら、早乙女雪奈に告白できるはずだよね?」
「………………」
「君は早乙女雪奈さんのことが好きだと言う。でも、告白はしないと言う。……それは、やっぱりおかしいことで、おかしいことには大抵裏があるんだよ。君が早乙女さんに抱いている感情は、なんとなく想像は付いたけどね」
「……想像? 妄想の間違いじゃないんですか?」
「いや、想像で間違いじゃない。石村ちゃんに噂を広めてもらう前に、ちゃんと裏は取ってあるんだよ。噂の情報源……私と結崎君が付き合っているという、ソースをね」
「………………」
「知ってるでしょ? 私もこの耳できっちり聞いたもの。それは間違いなく、君が『彼女』に吹き込んだことだもんね?」
分かっている。とっくに分かっている。知っていた。自分が言ったことだから。
でも、ちゃんと言ったはずだ。あの時もその時も……この時も。きちんとちゃんときっぱりと言ったじゃないか。絶対に言った。間違いなく言った。
『みんなには絶対に秘密だぞ?』
信用して……信頼して、言ったはずなのに……。
「これも想像だけど……中学校時代に付き合っていた地雷女とのきっかけを作ったのも、早乙女雪奈さんなんじゃないかな? 結崎君が秘密にしておく予定だった好意を、在宅介護で忙しいから握り潰すはずだった好意を勝手にバラして、結果的に付き合うことになって、酷いことになって、別れるのに一年以上もかかることになったんじゃない?」
「雪奈がバラしたとは限りませんよ……他の友達にも、チラチラ話してましたから」
「うん。だから今回の件で『限定』したかったんだよね? 少なくとも知りたかったはずだよ……早乙女雪奈が、人の秘密を容易く吹聴する女かどうかをね」
「………………」
「結崎君は、口の軽い女は嫌い?」
「男女問わず口の軽い奴はたくさんいるでしょ。普通のことで好き嫌いもないです。オレだって他人の秘密くらい、平気で話しているかもしれない。お互い様ですよ」
「そう。君はそう考える。でも……結局、君は許せなかった。信頼して内緒話をしたはずなのに、好意を寄せていたからバラしたはずなのに、幼馴染で嫌いじゃなくて、むしろ高校に入ってから女の子として好意を寄せているからこそ……許せなかった。だから試した。試して、もしも思った通りに事が運んだら、後のことは全部剛力君に丸投げして、早乙女雪奈さんとは距離を置こうとしたんだ」
「……考え過ぎですよ」
「じゃあ、今すぐ早乙女雪奈さんに告白してきなさいな。許せるならできるはず。お互い様だと割り切っていれば……告白できるでしょ?」
「できるかそんなもん。割り切ったり許すのと、告白はまた別の話だ」
「そう? 私は同じだと思う。好き合っているのに別れる理由なんて『たった一つが許せない』で十分過ぎると思うよ。好きなのに告白しない理由もね」
「………………」
「と、まぁ……ここまでが私の想像。なにか反論は?」
美恵子にそう聞かれて、忍は大きく息を吐いた。
反論したいことはたくさんある。言いたいこともたくさんあった。それでも、まずは言わなければいけないことを、真っ先に言わなければいけなかったことを……頭を下げて、口に出した。
「ありません。ごめんなさい。大体その通りです。オレこと結崎忍は、幼馴染の女の子の口の堅さを試した上で、口が軽かったら疎遠にしようとしました。後のことを剛力に押し付けて、さっさとトンズラしようとしましたよ。雪奈が要らんことしなかったら、オレの一年間はもうちょいマシなものになってたし、じーさんの死に目にも立ち会えたんだ」
「……うわぉ……そりゃ、恨むよねぇ」
「たまたま、偶然、だったんですけどね……本当に、偶然、その日だけなんでか知らないけど色々あって……オレだけ、立ち会えなかったんですよ」
デートの日だった。それなりに上手くいっていたはずだった。
祖父の病状が急に悪化した電話が来るまでは、わりと楽しい日のはずだった。
彼女がヒステリーを起こしたり。電車が止まったり。
電車を降りても車が事故ってて渋滞していたり。
親戚のおじさんが教えてくれた病院名が間違っていたり。
色々あって、たまたまその日に……忍の祖父は逝ってしまった。
「誰も悪くないのは知ってます。じーさんは寿命だっただけだし、彼女は一生懸命だっただけだし、雪奈も良かれと思って実行したことだし、オレだってなんにも悪いことはしちゃいないし、電車が止まったのだって、渋滞だって、おじさんが病院名を間違えたのだって、ただの状況でしかない。……そんなことは、分かっているんです」
「……分かっていても、許せないよね」
「はい」
はっきりと、頷いた。
好きだけど……どう言い訳しようが『好き』だと断言できるけど、許せない。
忍には、早乙女雪奈のことを許すことができなかった。
許せなかったから、付き合い切れなくなった。恋心と憎悪を抱えて、平気な顔で振舞うのが辛くなったからここで、関係を清算することにした。
少しずつ、徐々に、幼馴染という関係を終わらせることにした。
腐れ縁が終わらないとしても、窓から気軽に自分を尋ねる関係は、終わるだろう。
「結崎君もアホだねぇ。最初から私に事情を話してくれれば、結崎君の溜飲が下がるように徹底的にやってあげたのに」
「今確信しましたけど、会長と五郎ってすげぇ似てますよね。近しい誰かに害が及ぶと分かった途端に用意周到になったり容赦がなくなるあたりが、特に」
「それほどでもないよぅ。姉弟だし、むしろ当然?」
「褒めてねぇです」
「ブラコンにとっては褒め言葉だ! なんて……その弟にはフラれたんだけどね」
「ざまぁwwww」
「ざまぁ言うな! 草を生やすな! 前々から思ってたけど、結崎君には女の子に対する思いやりが欠けていると思う! 繊細なんだからもっと丁寧に扱いなさいよ!」
「男が繊細じゃないと思ったら大間違いです。男だからという理由で精神的なサンドバックにしていい理由はどこにもないんですよ。なにがミステリーで言えば解答編だよ。そもそも誰も問題なんて出してねぇし、なんで黙ってりゃいいことをほじくり返してドヤ顔で披露してるんだよ。むしろ変な噂を広められて迷惑だよ。最悪だよ」
「最悪とはなによ!」
「噂とか死ぬほど嫌いなんですよ。会長もオレと噂になるとか嫌でしょ?」
「別にィ? 噂とか慣れてるし。結崎君は豆腐メンタルだから、私みたいな重い地雷女と噂になるのは、それはそれは最悪なんでしょうけどねェ?」
「……なんで怒ってんですか?」
「別に怒ってないし。ぷんぷん丸くらいだし!」
「確実に怒ってんじゃないですか……オレは噂の渦中にいるのが嫌なだけで、内容はわりとどうでもいいんですよ。そもそも、なんでいちいちオレがやろうとしたことを暴き立てたんですか? さっきも言ったけど黙ってりゃ良かったでしょ。雪奈がオレの部屋の窓から顔を出さなくなるだけなんですから」
「うん。……でもさ、私とも距離を取ろうとしたよね?」
「……え」
「君は私を巻き込んだ。私が一枚噛もうが噛むまいが早乙女雪奈さんが口を滑らせた時点で『私と結崎忍は付き合っている』という噂が流布される。普通の女の子ならまず嫌がるだろうし……なにより、結崎君から距離を取る絶好の口実になる。私に悪いことをしたとか、噂が治まるまで一緒にいない方がいいとか、そんな感じで」
「………………」
「私のことが嫌いなら、はっきり言ってよ……そういうのは慣れてるし、徐々に距離を離されたりするより、嫌いだって言ってくれた方がよっぽどすっきりするから」
曖昧な笑顔できっぱりと言い切った美恵子の横顔が、悲しそうに見えたのは、忍の気のせいだっただろうか?
疎遠にされ続けた側の……美恵子の切実な叫びに聞こえたのは、気のせいだろうか?
(……進退極まるってのは、こういうことか)
人は、これを『自業自得』というのだろう。
美恵子に言われたことは全て当たっていて、ぐぅの音も出ず、反論すらできず、一から十まで全部正解で、何一つ間違いはない。
意図が伝わらないだけだった。
なぜ、美恵子と距離を取ろうとしていたのか……その意図だけが、伝わらない。
距離を取りたかった理由。
そんなもの――――どう考えても、二つくらいしかないっていうのに。
『好きだからです』
『………………へ?』
『会長のことが好きで、今の距離感を壊したくないから、距離を取って頭を冷やそうと小賢しいことを考えただけです……嫌いとか、勘違いしないでください』
『えっと……今の《好き》って、ライク的な?』
『ラブ的なもんに決まってんでしょうが』
『え……いや、でも、早乙女さんのことも好きなんだよね?』
『割り切った好きと割り切れない好きって、きっと違うモノですよ。雪奈とは多少疎遠になってもいいと思ってますが、会長との今の距離感をあんまり変えたくなかったんです。楽しいし……好きだから、です』
『は、はっきり言ったね……』
『言わせたのは会長ですが?』
『……いつから?』
『初見……というか、会長が公園で泣いてる所を見た時から、少しずつって感じですね。可愛い泣き顔だなと思いました』
『それはちょっと趣味が悪いよっ!?』
『知ってます。笑いたきゃ笑ってもいいですよ? 顔の良いだけの地雷女が好きな馬鹿野郎ってね』
『それ馬鹿野郎以外、私の悪口だよねっ!?』
『会長が顔が良いだけの地雷女なら、真っ向から好意を切り捨てて終わりだったんですがね……そうじゃないから、困ったんですよ』
『ど、どういうことかな?』
『どーしようもない所もたくさんあるけど……良い所もいっぱいあって、一緒にいるとどんどん好きになっていっちゃったから、困ったんです』
『お……乙女か!』
『なに照れてんですか。言わせたのはそっちでしょ?』
『じゃ、じゃあ聞くけど、結崎君はこれから私と付き合いたいの?』
『いいえ』
『なにその即答っ!? 意味が分からないんだけどっ!? 好きなのに付き合いたくないとかどういうことよっ!? まさか恋愛怖いとか言わないわよねっ!?』
『はい。怖いし恋愛に慎重になっています。それに、会長からは《恋人になった途端一方的にもたれかかって甘えまくる女》のオーラをびしばし感じますしね』
『そ……そんなことは、ないぞぅっ! し、失敬じゃないか、君ィ!』
『うろたえまくってんじゃん……とりあえず、現状はお友達で。残念ながら、今のオレにはこれが精一杯です』
『うわぉ……な、なんか面倒なことになっちゃった……』
『おおむね会長のせいです。嫌われるようなことばっかりやってるから、私は嫌われているんだ……みたいな疑心暗鬼にかかるんですよ』
『ふん! 別に他人に嫌われたってどうでもいいしね! 私は私だから!』
『そういう会長が好きで生徒会手伝ってる人間が、そもそも会長を嫌うわけがないんですけどね……その辺はちゃんと考慮に入れてくれなかったんですかね?』
『………………』
『なに赤くなってるんですか?』
『うるせー!』
関係ない。関係ない。関係ない。
そんなわけがない。
恋愛はもうこりごりだよ~とほほ~。
そう思っている人は結構な頻度でたくさんいて、特に離婚とか経験したりよく泣きよく喚きよく発狂する地雷男女を踏んだ人たちはそう思う。
盛大な失敗をしたから、仕方ないっちゃ仕方ないんだけど。
でも、多分次は上手くやれる。失敗したぶんだけ優しくなれる。
人間ってそんなものねって、誰かが言ってた。